てんたろの近況報告

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2004年9月1日(水)
夏休み
7月下旬に伊豆高原へ行き、赤沢という別荘地の高台にあるペンションに2泊してきた。
今回の目的は海水浴。しんたろは初の海水浴。てんたろも結婚してから初の海水浴。考えたら旦那と初の海水浴。なんだ、正真正銘、家族で初の海水浴。
みんなで水着姿見せあうのも初。初めてづくしだ。
注目は、しんたろが初めての海にどう挑戦するか!?

予想通り、波が怖くて海に入るどころか、波からとおーくとおーく離れた砂の上で砂遊びしている。それじゃ、近所の公園の砂場でいいじゃんか。
水遊びが好きなくせに、やっぱり波は怖いらしい。
台風が近づいていたせいか、ちょっと波が高かったようにも思う。平穏な波じゃあなかったなあ。波打ち際で足に波が寄せてくる、というよりは、しんたろの背丈では上から覆いかぶさってくるようなのが多かったから。

どうしても息子に海水を味合わせたかったてんたろは、抱いたまま海へじゃぶじゃぶ入って行き、しんたろの足やお尻が波で濡れる程度の場所で立っていた。
それも、波が高いから波の勢いに負けててんたろも足をとられてうまいこと立ってるのが大変。足場の砂は波にさらわれて足場がなくなるので更にふらつく。
てなわけで、かえってしんたろを恐怖の世界に追い込んでしまったらしい。こわいよこわいよと泣くので断念した。

そして、てんたろと旦那が考えた究極の初海水浴は!
しんたろが非難している砂浜に小さい穴(プール)を掘って、海から穴まで水路を掘って、海水浴を体験させよう!というものだった。
宿からパラソルを立てるためにスコップを借りてきていたので、このスコップで順番に掘り起こす。
穴(プール)は掘る砂の量が多くて、時間はかかったが、それなりに掘れた。しんたろも面白そうに中に入ってくれた。
苦労したのが、水路である。砂が軽くて、波が寄ってくるたびに、余計な砂を運んできて水路を埋めたり、必要な部分の砂をさらっていったり。
掘っても掘っても掘っても掘っても・・・・・水路が消える。波との戦いじゃあっ!

そのうち、雨が降ってきてそそくさと、撤退することにしたが、今回の海水浴、我が家はまったく泳いでいない。
私は悔しいから、撤退直前に、波打ち際で浮かんでみた。でも波が強くて、すぐに砂浜に戻されてしまい、打ち揚げられた海草のようだった。

今年の海水浴は、穴掘りに始まり穴掘りに終わった。泳ぎとはちょっと違うけど、それなりに運動し、汗をかき、足腰や腕が鍛えられたのでよかったのか?
2004年6月19日(土)
水遊び見物
晴れた暑い日は、息子が近所の公園で、水遊び。
広い池(というかまさにプール?、公園の管理のおじさんが毎日水質調査をして、学校のプールと同等の消毒をして清潔な水を維持するようにしているようだ)で、水遊び用オムツ一丁でジャブジャブ・・・。

しかし、てんたろはそばで見ているだけなので、暑い。昔は帽子が嫌いでかぶったこともなかったけど、今じゃ手放せないものになった。
何人もの小学生や幼児が服を着たままはだしで池の中に入って遊ぶけど、見ててちょっと興味深かったのは、個人のキャラクターの違いもあるだろうけど、おおまかな男女の傾向の違い。

男の子は、ちょっとでも服が濡れちゃうと開き直って全身ずぶ濡れになって遊ぶ。もうひっくり返ったりして頭まで水に浸かって楽しむ。
女の子は決して濡れまいと頑張り、ちょっと濡れると気にして陸に上がってタオルで拭いてみたり、それ以上は濡れないように気をつけようとしている。
それでもずぶ濡れになれば流石に開き直る子もいる。個々の性格の違いがあるから全部がそうじゃないけど、そんな傾向があるなと思った。
こういうのを観察していると面白い。


<9/11追加>
それにしても、水遊び用オムツというやつ、結構なお値段するんだが、今年は猛暑だからたくさん水遊びするに違いないと思ってドバーッとまとめ買いした。
夏も終わり、蓋を開けてみれば、猛暑すぎて17時とか18時になるまで外出しないで家に篭っていたので、殆ど使わずじまい。あー無駄なことをした・・・。
2004年3月31日(水)
上野動物園
昨日、上野へ行ってきた。当初の目的地は上野動物園の隣にある東京都美術館。
母が地元の地域区民センターで扇面画のサークルに入って活動しており、その全国的な作品展示会が行われた。
日本扇面芸術協会主催の国際扇面展。なんだかぎょうぎょうしい。(興味のある方は→http://www.ne.jp/asahi/sala-de-kikuko/fans-of-japan/)

なんと、その展示会で、特選やらなんやらと賞があるのだが、佳作に母が選ばれた、というので、そんなことは一生に何度あるかわからないから、見に行こうということになった。母の先生の先生がその協会の理事だそうだが、その大先生が目の付け所が良い、とお褒め下さったそうだから、是非見てみたいと思った。
そういうわけで、母と、妹と、しんたろと4人ででかけた。
上野公園もちょうど、よしの桜が満開の時期で、とても綺麗だった。ついでに花見もできてよかった。ただ、今にも雨が降りそうなどんよりした天気なのが残念だった。

扇面画というのは、扇子の面になる和紙に色を塗ったり、吹き付けたり、水に絵の具を落として面をつけてマーブル模様をつけたり、張り紙をしたり、いろんなことをして絵を作る、そこに、墨で和歌などをつらつらと書く、とても風流な芸術だ。描いた後の和紙は、扇子の面(扇面)の形にカットされ、このような展示会で壁に貼り出される。作った中からいいものは、最終的には、骨をつけて扇子になる。

親の作品をほめるのは照れくさいが、母の佳作を受賞したという扇面は、なるほど、他のものに比べて目立った。詳しいことはよくわかんないけど、確かに目の付け所が違うかも。色の使い方やデザインが面白かったもの。
妹が一生懸命持参したカメラで作品やら作品の横に立つ母やらを撮影していた。

美術館を出たのが昼過ぎ。まだ雨は降りそうになかったので、ずっと大人に付き合わされてわけのわからん扇の団体とコンイチワをしていたしんたろのために、今度は、隣の動物園に入った。
小さい子向けのふれあい広場がある。そこでは、うさぎやらやぎ、ひつじ、牛、馬、鶏などがいて、檻の中に入ると、放し飼いの動物とふれあうことができる。
その広場に入る矢先に一時的に雨に降られてしまい、息子は全身を雨合羽でフル装備。でも靴だけは長靴じゃなくて運動靴のまま。
雨が降ったとあって、ヤギ達は屋根の下へ避難しており、まとめてうじゃうじゃうごめいていた。
息子がその中に突進!一番奥まで行ってしまった。てんたろは、息子に託された食い散らかしのお菓子をポケットに突っ込んで、中に突入するにできず見ていた。
・・・ら、ヤギに囲まれ、からまれた。
よーよー、おばさんよー、とは言われなかったが(そんなこと言ったらヤギといえども闘ってやる!)
どうも、ポケットにつっこんだお菓子の匂いに誘われて、ポケットのあたりを口やら鼻やらでまさぐっている。
な、なんじゃー、こいつらは!お菓子あげたいのはやまやまだが、全員分はないし、ここは食べ物はあげてはいけませんと書かれているのだー!(心の叫び)

上着ごと食べようとし始めたので、そりゃかなわん、と思い、ポケットの中身を放出した。
食べたら収まるかと思ったら、くいっぱぐれたヤギが上着にくいついた。おおーーい、やめてくれーーー。
それでも、なんとか上着は無事救出した。

奥に入り込んで帰ってこないしんたろを迎えに行ったら、しらない若いおねーさんたちと戯れていた。こいつ、やるな。
しかも、いきなり、ボトボトと派手にうんこを始めたヤギの後部にヤンキー座りして、じいーっと見つめ始め、遂にそこへ手を伸ばそうとした矢先!
てんたろが間に合って「駄目ー!」と騒ぐ。おねーさんたちもダメヨー!と諭す。
気に入らないしんたろは、そこでお得意のひっくり返ってダダをこねる技を繰り出そうとした。
や、やめてくれー!
そこは、ヤギのウンコが
ゴーロゴロー。てんたろの靴の裏だって既にベッタベター。(ここはあなたも歌ってください)
ギリギリねっころがりろうになったしんたろのお尻の下にてんたろの足をつっこみ、腕をがしっと捕まえて助かった。でも、しんたろは宙ぶらりん。
しんたろは、尚もふんぞり返ろうとして抵抗する。
てんたろは、片手に傘を持ってるから、これ以上しんたろの体を受け止めて起き上がらせてやることは不可能。
こ、ここで傘を手放したら、今度は傘がうんこまみれ。それはヤダ。しんたろをうんこまみれにするか、傘をうんこまみれにするか・・・苦渋の選択だ・・・
困っていたら、しんたろがナンパしたおねーさんたちが、助けてくれた。
しんたろを抱き起こしてくれたのだった。やあー、助かった。

教訓。雨の日はヤギとふれあうなら傘を持たずに雨合羽で行くべし。
2004年3月15日(水)
合宿

所属しているオーケストラは春、秋の年2回演奏会がある。その演奏会の1〜2ヶ月前に東京近郊の音楽ホールを有する宿に一泊二日の合宿をする。
今回の春の合宿は、3月13,14日に千葉県の岩井で行われた。
旦那のありがたい協力もあって、しんたろが生まれてから初のフル参加が叶った。
しんたろが去年の合宿は、通いだった。土曜日に岩井まで行って午後の練習に参加し、夜の練習はパスして家に戻り、翌朝始発でまた岩井まで通った。
体力的にかなりハードだった。合宿では夜の練習後21時ごろから宴会に突入するが、その宴会で明け方まで飲んでいるつわものたちよりも、もしかしたら睡眠時間少ないし体もきつかったかも。
最初は、東京23区から岩井までなら長旅だから電車で寝ればいいか、と思ったけど、電車の本数の少ない内房線。とてもじゃないけど怖くて眠れない。
そこで、旦那に泣きついて泊まりを許してもらった。
しんたろは、初めて一晩母親なしの夜を過ごした。

それにしても、いつも春合宿は4月の頭に開催されるのだが、今年は指揮者の都合などから3月のこの時期に行われた。
なんと、ちょうどJR千葉動労のストライキが重なってしまった。
帰りは通常だったが、行きはさんざん。現地の駅にたどりつくまでは何時の電車がなくて何時の電車があるのか、ダイヤもさっぱりわからない。
幸いに、事前にストライキだという情報が入り、千葉動労のHPで蘇我駅と千葉駅のみ内房線のダイヤが発表されていたので、ここから推察して、岩井まで無事にたどり着く電車ののりつぎをチェック。無事にたいしたロスもなく岩井に着いた。
事前にストを知らなかった人や、ダイヤの確認ができなかった人たちは、都合2時間以上も駅でボーっとまたは時間潰しに駅前の喫茶店で過ごした人もいたそうだ。
行くだけでくたびれてしまった。

帰ったらしんたろが熱出した。どうやら精神的なものらしい。翌朝はケロっとしていた。申し訳なくて、翌日は家事そっちのけでずっと遊んであげた。

2004年2月5日(木)
静か・・・

先週、今度はしんたろが病に倒れた。
突発性発疹といって、数日発熱が続いた後、熱が下がったら体中に発疹が出る(ウイルスによるものだが感染はしないらしい)という病気にかかってしまった。
いきなり38.5度以上を記録し、39度台の高熱を維持したので、季節柄まっさきにインフルエンザを疑って青くなった。インフルエンザだったら、間違いなく家族全滅になるだろう。
かかりつけの小児科(前出)に行ったら、インフルエンザの検査をしてくれた。鼻水をとって、それから15分位?時間が経つと、色が変わるというインフルエンザ診断キットがあるのね。知らなかった。ただ、熱が出た後じゃないと、鼻水にインフルエンザのウイルスが出ないらしく、息子は夜中に発熱してから、翌日の午後に医者に行ったので見てもらえたのだった。診断待ちの間は、診察室の奥に隔離待機。今まで、待合室じゃなくて、受付の中から、出てきて帰っていく患者さんがいたので、あれはなんだろう?と思っていたが、どうやら、インフルエンザの人だったかもしれない。しかし、インフルエンザは空気感染だから、結局、うつるもんは診察室でうつってしまうんじゃなかろうか・・・と思った。診察室の換気扇をガンガン回して空気を入れ替えていたのはそのせいかもしれない。
ちなみに、当然、ドクターや、看護士・薬剤師さんなどの職員は皆予防接種済みなんだろうな。
しんたろは、幸いにもインフルエンザじゃなかった。とってもホッとした。でも、これで小児科に来ている間に、インフルエンザウイルスをお持ち帰りするかもしれないと思いながら・・・。
この季節は、ちょっとした風邪くらいじゃ、怖くて医者に行けません。もっと大きなお土産持って帰ると嫌だから。
それから、前にも増して、手洗いとイソジンでのうがいに励むてんたろなのだ。

それにしても・・・高熱でうなされていた息子は、辛そうでかわいそうだったけど、我が家はつかの間とっても静かだった。とっても久しぶりの静寂だった。

2004年1月27日(火)
おこさま風邪

お子ちゃまに流行のおなかにくる風邪をひいてしまった。
胃痛、嘔吐、喉の痛み、発熱とそれに伴う悪寒・関節痛、そして、下痢。ひどい目にあった。
特に発熱の関節痛には一日苦しまされた。寝ても覚めても辛い。
公園で息子と遊んでいるときに貰ったのか?
発病する1、2日前に、息子を眼科に連れて行った。そこはマンションの1階でいろんなクリニックが集合している場所だった。隣の耳鼻科はいつも大入り満員で、待合室もいっぱいである。眼科は、耳鼻科と内科の間にある。当然、待っている人の殆どは風邪の患者と思われ、そこで貰ってきたのかもしれない。
それにしても。子どもに流行の風邪を親が貰うとは。家のすぐ前にかかりつけの小児科・内科クリニックがあり、そこで診てもらった。
先生曰く、「ボク(息子)にもうつっちゃうかもしれないな」
てんたろの風邪が治ってから、1週間になろうとしている。うちの<ボク>は、ありがたいことに、まったく元気である。
ほんとーに、おこちゃまの風邪なの!?子どもが元気なのは嬉しいが、やや複雑な気持ちのてんたろなのだ。

2004年1月16日(金)
連敗脱出

平日時々、しんたろを連れて、電車で1時間、車なら30分の距離にあるてんたろの実家に行く。
たまに、父母に作った煮物を差し入れたりすることがある。
最近は、筑前煮(煎り鳥)を持っていったが、関西風(薄口醤油ベース)で作ったら江戸っ子の父の下に合わず惨敗。次に関東風に濃い口醤油でもっていったが前回のリベンジとばかり醤油を少々増やしたら今度はしょっぱかった。そんなこんなで、このところ、父の納得を勝ち取っていない。
今日は、里芋のにっころがしを持っていった。当然濃い口醤油使用である。
やっとお褒めをいただき、よく食べてもらった。
やっと認めてもらえたと言ったら、父曰く「あれ(煎り鳥)はどうも好きじゃない。」とのこと。実家では煎り鳥は作られないのだった。
醤油がどうとか味がどうとかじゃないなら、先に言ってくれ!なんども作り直したんだから!
ま、とにかく、これでやっと連敗脱出できた。さて、次は何を作っていこうか・・・。


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