Travel to Laos (April to May 2001) ... 4/5


The way back to Luang Prabang

Map of Northern Laos ムアンシンからルアンパバーンへ戻るルートは、シェンコックまでバスで行き、そこからボートでファイサーイを経由して帰ることにした。来たのと同じルートをあの満員のトラックバスで帰るのはしんどい。心配は飛行機のでる5月6日までに着けるかということ。(ムアンシン発は5月3日)特にシェンコックからのスピードボートがどのくらいの頻度ででているのかまったくわからなかった。
出発のバスの乗客が集まらず、いきなり2時間遅れ。もう一人、ファイサーイに行くという日本人がいて、最悪2人でボートをチャーターしようという話になった。途中でバスを乗り換え。トラックバスから、古い中国製小型バスへ。おんぼろとはいえ、久しぶりのクッションのついたシート。すごく快適、超高級車に乗った気分。
約3時間半、午後2時過ぎにシェンコック到着。どこにボート乗り場があるのかさっぱりわからない。2人でうろうろしてたら、若い男が現れ、ボートをだしてやってもいい、しかし途中のバーンムアンという町までしか行けないという。ここにいても仕方がないので値段交渉する。2人だからある程度高くなるのは仕方がないとあきらめ、1人US$22とした。いざボートにいったら、どこからかラオス人乗客があらわれる。2人で貸切じゃなかったのか、もっと安くしろといったがつうじない。この交渉をしている間に他の乗客はボートに乗ってしまっている。我々は一番前に座ることに。これがまた悲劇のはじまり。この日はあいにくの雨で、一番前の席はまともに雨風を受けることになる。
2時間半後、バーンムアンに着いたときはびしょ濡れ。ふらふらになってゲストハウスを探し当てた。とても寒いのでホットシャワーを浴びたかったが、この町も電気が夜6時から9時ぐらいまでしかこないから、そんなものあるわけがない。部屋に衣服をひろげて乾かし、明日は晴れることを祈って寝た。

Mekong River
ルアンパバーンへ行く途中のメコン川の景色
翌日は、すごい雨の音で目が覚めた。とても憂鬱な気分、この雨のなかをまたスピードボートに乗るのかと思うと、、、。乗り場に行って値段交渉。こんどは一人900バーツ(タイの通貨)。ポンチョを着て、後ろの席を確保したので、前日よりは楽。2時間弱でファイサーイに。ここまできたら一気にルアンパバーンまで行くことに。ファイサーイ − ルアンパバーンは約6時間。料金は1000バーツ。この値段の違いはなんだ。シェンコック − ファイサーイは約4時間で2000バーツ近くかかったことになる。物価が安いラオスだが、このボート料金は高かった。

Luang Prabang again - Pak Ou Caves

この日はスピードボートに8時間乗っていたわけだ。ボートを降りてトゥクトゥクで市内へ。宿は郵便局の近くのソークサバット ゲストハウスへ。15,000kip,なんとお湯シャワー(共同)がある。今回はここに2泊。ラオス最後の宿である。

ラオラーオ製造中
翌日は郊外のパークウー洞窟へ。昨日下ってきたメコン川を上ること約1時間半、川沿いにある洞窟内に大小たくさんの仏像が納められている、聖なる場所である。
途中、ラオスの焼酎「ラオラーオ」を作っているサンハイ村を見学。土産物屋がたくさんあって、ラオラーオも大瓶と小瓶(栄養ドリンクの空瓶にラオラーオをいれたもの)で売っているし、試飲できる。

ここへ行くには、町を歩いていればトゥクトゥクが声を掛けてくる。あるいはメコン川沿いを歩いていれば、ボートを持ってる人達が声を掛けてくるので、それで交渉すればよい。私はボートで行ったが、町の中心に近い船着場ではUS$12〜15,中心から離れるにしたがい安くなる。私はそこから10分ぐらい上流に向かって歩いたところ(ワットシェントーン近く)で、US$10の船で行きました。

Pak Ou Caves
ボートからみた洞窟入口洞窟内にある仏像
洞窟内にある仏像群。かつては37,000体あったらしい。
上側の洞窟の入口入口にある、腹のでた仏像

帰国

この翌日の昼過ぎにルアンパバーンの空港へ行き、ビエンチャン−バンコクへ飛び、そして翌日の朝、無事に日本に帰国しました。

今回は広いラオスのほんの一部をまわったに過ぎず、まだまだ知らないことが多いです。ベトナム戦争中にアメリカ軍が落とした数多くの爆弾は、不発弾としていまも人々の生活を脅かしているという。ラオスに落とされた爆弾の総量は、北ベトナムのそれより多いのだ。戦争に巻き込まれたモン族の悲劇(アメリカ軍に利用され、共産勢力と戦ったが、米軍の撤退が決まると見捨てられらた。)など、あまり知られていない事実がたくさんあります。しかし、それらを感じさせないほど、ラオスの人達は明るく親切でたくましかったです。

ラオスでは日本人も含め外国人旅行者がたいへん多く、日本人に会わない日はなかった。これは以外だった。でもそのおかげで様々な人に出会い、いろんな経験ができました。旅で出会ったラオスの人々、旅人すべてに感謝します。