にわか雨のちホノルルは渋滞、の巻

 なんとなく到着。しかぁ〜し、ここからが印象悪いハワイの側面。
入口でどうみても教育水準の低そうなプエルトリカンに、「のーばげっじ」とか言われてとめれた。リュックを預けるに1ドルだって。ふざけんな、ヴォケ!まあ、しょあぁ〜ないから預けましたよ、僕チン。そしたら預かる係りの黒人親父と白人おばば。俺はむかついていたので何も言わず1ドルとともにリュックを差し出す。二人はおれがまったく英語を理解しないと思ったらしく「っちぇ、俺たち自動販売機かなんかかとおもってやがる」と英語でいっていた。おれは「あ〜そうだよ、手前らみたいに単純作業で一日5ドルとかのヴォケとはこちとらステイタスが違うんじゃ、カス!」といいたかったがいかんせん、英語力のプアさが、、。なんとなくあずけて中へ。

 8ドルもとりやがる。まあ、日本じゃ普通か。
 ボーフィン号という、第二次世界対戦中に活躍したアメリカの潜水艦に入場。その前に受付の女かから「おまえ日本人か?」とたずねられ、「そうだ」と答えると懐かしいカセットテープ・ウォークマンをレンタルされる。耳にかけて再生すると、日本語でボーフィン号の詳しい案内が、おそらくこれくらいの歩測で進むであろうという至極自分勝手なタイミングでヘッドフォンを通じてなされる。おれは閉所恐怖症なので途中で早めに切り上げて退出。日本人は俺一人で、おんなじ肌をした観光客は中国人だった。

で、中に入ると、かなり日本人は居づらい場所。あまり時間をかけて見なかったけれど、その中で真珠湾攻撃の際捕縛されて捕虜になり、その後自決した日本人水兵さんの詰襟が飾ってあった。

襟元が汚れているので、「あまり風呂に入れなかったからかな〜」とふざけた思いでよく見ていると、それは血痕だった。

詰襟は、今ではSサイズってくらい小さなサイズで、それを着ていた人の写真も飾ってあった。よく、こんな小さなガタイで、アメリカ人と戦ったなぁ〜、と、ちょっちシンミリ、、、。

で、そのまま北を目指し出発。
しかし、やはり昨夜の深酒(欣二監督)が利いてきた。激しい便意を催した俺は、駐車場の簡易トイレで用を足す。やはりアメリカ。簡易トイレは洋式だ、とヘンなことに感心しようを足すと、ななな、なんと、トイレットペーパーがないっっっ!!しかし、ホテルから持ってきたティッシュで、無事、事なきを得たのだった。

なんか、人殺しの道具って金を出してまで見るものではないな、

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