ピーピー島から帰るとぐったり疲れて仮眠。
少し眠ってすっきりすると夜の7時。ヒマだし一人で飯食うのもさびしいのでオーの携帯に電話を入れる。「これから飲まない?」というと「じゃあ迎えに行くよ」と。いま彼はプーケットタウンにいるらしい。40分で着くというのでホテルのロビーでうだうだしているとやってきた。彼の車に乗ってプーケットタウンへ。
オーの車はニッサン・セフィーロだった。それも井上陽水が『みなさんおげんきですぅくぅわぁ〜』と呼びかけていたときのモデル。もうしわけないけれど日本にいたら『おまえヤンキーかよ』とバカにしそうなカーセンサーでコミコミ30万円ポッキリの車も、タイで見るとクールに見える不思議さをかみしめつつ、Tシャツにショートパンツにビーチサンダルな俺はビンビンに効いているエアコンに鳥肌をたてながら、いろんな話をした。
オー曰く、『一人でゴーゴーバーに行くのは絶対やめたほうがいい』らしい。
「どうして?」と俺が尋ねると彼はたどたどしい日本語でこう説明する。
「ヒトリデイクト、オンナノコガ『オニイサン、カッコイイネ』トカ、オダテルノウマイネ。ソウシテ『ワタシノヘヤ、コナイ』デヘヤイクト、コワイオトコガ『オマヘ、ナニヤッテル』ト、オドサレオカネトラレル」とのこと。
すっかり彼に親しみを感じていた俺は、彼のこれからのガイド人生に厚みを持たせるためにその事実を端的に伝える名詞を日泰友好な気分で教えてあげた。
「オー、それは『(つつもたせ)』ってゆ〜んだよ」
オーは「ツジモタセ?」などたずねてきたが、きちんとひらがなと漢字をメモ用紙に書いて教えてあげた俺は草の根国際交流を済ませたことに自己満足だったのである。
日中に通った峠道を、オーのセフィーロすら苦しそうに悲鳴をあげるのを聴いてこの峠の勾配のきつさがわかる。そのことを告げると『パトンビーチがこんなにツーリスティックになったのはココ最近』だとのこと。プーケットタウンとパトンビーチのこの急勾配な峠が問題になったらしい。オーが子供の頃はもちろん砂利道で、オー家のフォルクスワーゲン・ビートルも途中で登らなくなったのを乗っている7人で一生懸命押した思い出があるらしい。心温まるエピソードではあるが、それ以前に一台の車に7人乗るなんて、ギネスに挑戦の、電話ボックスに何人入ることが出来るか?みたいな場面を想像してしまい、思わず笑ってしまった。
結構な進入スピードでコーナーに突っ込むオーの運転にどきどきしているとセフィーロの横をミニバイクがけたたましい音を立てて通り過ぎていく。そのときオーが『オカマ、オカマ』とバイクを指差す。よく見ると顔のつくりがゴッツイ長髪の、スカートをはいた三人組が真剣に真正面を向いてミニバイクに乗っていた。すげぇ〜。
そんなこんなでプーケットタウンのラウンジに到着。昔の大型キャバレーのイメージの、天井の高い店内に入る。ボーイが案内して席に着くと、席のすぐ横には長さ8メートルくらいのカウンターがあり、そこにぎっしりと二列、女の子が並んでいる。
某美白の女王のように下からライトアップされ、携帯を熱心にイジッっている娘や、髪を触りながら下を向いてブーたれている娘(これは日本でもよく見かける光景)、どうみても森三中のようなキャラで勝負、という女の子がかならず俺の視界に入るように顔を向けてくる様子にテンションもあがる。
「スキナコ、エランデクダサイ」とオーが言う。ここはいわゆるキャバクラのようなところで、カウンターで選んだ女性を自分の席に連れて行き、飲んで話すことができ、さらには併設のカラオケで歌いまくりも可能らしい。ふ〜ん、といいつつキャラ重視の娘は正直、キッツイものがあったので無難な娘を指名しオーと飲む。
その娘はボーちゃんといい、24歳。
プーケットには2ヶ月前にやってきて、それ以前はバンコクにいたらしい。「何でプーケットに来たの」とたずねると「付き合っていた台湾人男性が実は妻子持ちだったことが判明し、ブチ切れてすべてがいやになり環境を変えたかった」とのこと。なんとなくみのもんたになった気分でさらに話を引き出そうと会話を続ける。そのなかで「タタヤンは有名なの?」と水を向けるとかなり食いついてくる。
タタヤンとは、タイが生んだ世界的シンガーで、つい先日も日本でプロモーションにきていたのだ。まあ、宇多田ヒカルみたいなもんだろう、と思うがタイ人との会話の糸口としてはちょうどいいと思い、話を振ってみた。
ボーちゃん曰く『タタヤンは、有名なテニスプレーヤーと付き合っていたけれど、そいつと別れてから上り調子になった』とのこと。さっきオーに美人局を教えてすっかり自己満足になっていた俺はボーちゃんに「あ〜それは男がさげちんだね」と伝えた。もちろん、さげちんという概念を英語で伝えなくてはいけないわけで、精一杯の語学力をフル動員。その中に「ラッキーコッ○」、「アンラッキー・プ○シー」など長島イングリッシュが炸裂したのはゆ〜までもない。しかしボーちゃんはなんとか理解してくれたらしく「ふ〜ん」とうなずいてくれる。ったく、タイに来てまでいったい何やってんだ、と自己反省することもなく場は盛り上がりを見せた。
さて、そろそろ帰ろうか、と言い出すとボーちゃんがなにやらオーにタイ語で話す。しばらくの会話のあとオーは『コノコ、キョウ、ホテル、ツレテッテホシイラシイネ』という。え〜、お持ち帰りぃ〜???
詳しく話を聞くと、この店からボーちゃんをお持ち帰りし、一晩一緒にすごして大体2万円。さらに帰りにはタクシー代として700バーツ(約2000円)をアゲルとのこと。
しかしそうなると当然、やることやんなくちゃいけないわけで、しかし後天性免疫不全症候群が怖い俺は丁重にお断りをして、オーにパトンまで送ってもらった。
ホテルに帰るとさすがに疲れた。アメニティーのお香をたいてリラックスしながら深い眠りへといざなわれるタイ3日目の夜であった。