あまり眠れなかったせいで体調はよくない。しかし、気を強く持たなければやられる、と思いバイキング朝食を食べにレストランへ下りる。
考えてみたら昨日の昼から何も食べていない。プレーンなお粥とフルーツを少々。しかし、まったく食べた気がしない。
そして9時半、サンがホテルのロビーまで来てくれる。
本日の作戦らしきものを伝え納得してもらう。ただ、しきりに「ウチノエージェントノセイジャナイ」と繰り返している。それはわかっているよ。
本当はついてきてくれる義理もないはずなのに、こうして付き合ってくれてることに感謝しつつ、タクシーに乗り込む。
場所をサンに伝えると「コレ、マフィアのいるところ」と何気なく言う。え〜、マジ〜。
確かに昨日の自称、バンコクの銀行マンは左頬に真一文字の傷があったしなぁ〜と思い出しつつ、やばいじゃん、マフィアだったらどうするの?と聞くと「ボクモコマル。カゾク、イルカラ」とポツリ。やばいなぁ〜、、、。しかし行くしかない。納得できるまではあきらめないと、昨日の未明に誓ったのだ。
40分で問題の店につく。
意を決して入ると、柄の悪いインド人がにらみつけてくる。
サンが居ることで、向こうも対応が違うようだ、昨日俺をカモったインド人が遠くで俺を見ている。
サンが用件を店員に告げると、ユン・ピョウ(香港スター)ににたサラサラヘヤーの店主らしき男が応対してくれる。
俺は一切やつらと(いや、すべてのタイ人と)コミュニケーションしたくない気分をおさえつつ、話を切り出した。
昨日、さまざまな情報を仕入れると「おまえ、だましたろう」という交渉の仕方は身体に危険が及ぶ可能性もあるらしく、嘘でもいいから金がなくてキャンセルさせてよ、というトーンが最善らしい。
でおれは、昨日財布も、パスポートも、ついでに帰りの航空券もぬすまれちゃったんだ、と大嘘をつき、キャンセルを申し入れる。
案の定、ユン・ピョウは「あいにくもう、生地にハサミをいれてしまって」といいやがる。
そこから俺の人生でも最高の芝居を見せるのだが、結局、「無理なものは無理」とあっさり返されてしまった。途中、サンも自分の携帯を駆使し、相手の工場とやらに確認をさせたり、自分のエージェントのボスとユン・ピョウに直接話をさせ「品物が届かなかったときには訴える」的なことを伝えてくれたのだが、、、、。
で、キャンセルが出来ないとなるとあとは自分に有利な取引条件にすることに全力を傾けることにする。
1)素材は100%カシミアであること
2)選んだ形、柄、色をすべて保証すること
3)品物を送る日限を切る。
これをすべて文言化させ、ユンピョウにサインをさせた。
店に入ってからミネラルウォーターを出されたが、サンはまったく手をつけなかった。俺もそれに習ったわけだが、昨日、栓をあけてストローを差したコーラをなんの疑いもなく、ちゅうちゅう飲んじゃったことが空恐ろしく感じられる。
やるだけのことはやった。あとは運を天に任せるだけだ。
おれは幾分、スッキリした気分のままサンと店をあとにする。店でだべっている男たちの中には昨日、ワット・ポーで俺をトゥクトゥクに乗せた警備員が居た。
サンも「これで商品が来ないなら俺に連絡をくれ」と言ってくれる。サンにありがとうと伝え、タクシーにのってホテルに帰った。
帰りの飛行機まではまだ10時間以上あるが、もうバンコクの街をほっつき歩く気にはさらさらなれなかったので、ホテルで引きこもっていた。
そのとき、ふと、「あ〜日本で仕事したいなぁ〜」と激しく思った。
夏場にあれだけの激務をこなし、もういやだとまで思っていたのに、骨休めのつもりできた夏休みの国で、人の裏切りに気付いてなすすべもなくヘコんでいる自分。
いままで、一人でいいや、と思い、旅も一人、誰かと協調するなんてまっぴら、と思っていた自分がとても矮小に思える。弱音を吐きたいのに、電話する相手さえ居ない自分は、いかに思い上がっていたかを思い知らされる。
ルームサービスをとって少し眠った。
夜9時、サンが迎えに来てくれる。このまま空港まで連れて行ってくれるのだ。
ハイエースの車窓からは相変わらず、得体の知れないバンコクの闇が広がる。屋台で飯を食っている中学生や、俺と目があうと必至になにかを大声でがなる女。蛍光灯の寿命が近づいているのかチカチカした青や赤などのけばけばしいネオンとそのあかりに照らされるギラついた眼。
旅行の最初なら、エネルギーに満ち溢れてるなぁ〜などと好意的に解釈できるんだろうけれど、タイのダークな部分もしってしまった今となっては、誰もが自分を、いや、もっと無垢な旅行者を陥れるために感覚を研ぎ澄ませているようにしか思えない。
やがて車は高速道路に入る。ピックアップトラックの荷台に5人が腰掛けて、夜風に顔をさらしながらおしゃべりをしている工事現場作業員と眼が合う。
おおきな広告塔には車や家電製品の画が踊っている。12月なのにネロっとした空気の中では、日本よりもわかりやすくて濃い欲望が溶けている気がした。
空港に着き、サンに礼を言う。
いままでの旅行は「あ〜もうすこしいたいな」と思ってたけれど、今回ははやく日本の土を踏みたい、と激しく思った。
空港内で両替をする。ありったけのバーツを差し出すと、自分が思っていたより少ない日本円が差し出される。この女、1000バーツくらいポケットに入れやがったな。しかし、ヤツの目の前できちんと紙幣を数えて渡さない自分がわるかったんだ。最後の最後まで、生き馬の目を抜く街だぜ、バンコクは。
帰りは4時間で関西空港に到着できる。
バンコクを23時59分に飛び立ち、朝の6時30分関西に到着。
日本の冬の空気にふれて体がキリっとした。
今回の旅は自分の中にはガツっとおおきな塊を残した。それは手放しで「あ〜楽しかった」とよべるものではなく、もっとさまざまなものを包含している。ただ、そう感じたことから逃げないでやる、とだけは強く感じた。(了)