トゥクトゥクは路地の中にまるでネコのようにするすると入り込み、静かな寺院の駐車場にとまった。
周りには小学校だろうか?白いシャツと半ズボンをはいた子供たちが滑り台で遊んでいる。しかし、子供たちの嬌声以外に音は聞こえない。さっきのストリートの騒がしさが嘘のようだ。

 運転手は「すきなだけ祈っているといい、ここで待っているから」といって微笑んでくれる。ありがとうといい、寺院に入る。10段くらいの階段を上がると祭壇があり、そこには40手前くらいの男が手を合わせて祈っているところだった。
その祈りを邪魔しないように、それ以上歩を進めるのをためらっていると男が目を開け、「こっちへこい」と英語でいった。

 男の隣に立つと彼の目の前には高さ50センチくらいの仏像が立っていて、その前には大振りな線香が細い煙を宙にたなびかせている。本当に静かだ。
男は「日本人か?」とたずねてくる。そうだと応えるとかれは「今日はタイの仏教徒がお祈りをささげる日なんだ。だから俺は仕事を休んで出来るだけ多くの寺院を回っているんだ」という。

 そのまま男に寺院のなかへ促される。自分はバンコクの銀行に勤めていて、日本のみ○ほ銀行とも取引があるという。NYにも3年間留学していたから英語も覚えたんだ、お前も英語がうまいけれど、どこか外国に住んでいたのか?ときかれる。

 自分の英語をホメられうれしくなった俺は、彼と色んな話を英語で試みた。タイ人は95%が仏教徒だ、日本ではどうか?とたずねられるとなるべく正確に応えようと頭をひねった。日本人は神道を信じ(初詣や七五三、厄払い)、かつ仏教徒であり、ついでにクリスマスを祝う習慣があり、みんなそれを取り立てておかしいことだと思っていないことなど伝えるとかれは深くうなづく。
とにかく英語でコミュニケートできるのがうれしい。お互いの仕事のことなんかを話していると彼がふと、こんなことを言う。

 「おまえはスーツを着て仕事をすることが多いか?」毎日だ、と伝えると「何の素材のスーツを持っている?」と聞いてくる。
「ウールか綿だ」と伝えるとかれは残念半分、嘲笑半分といった表情を浮かべて俺を見たあと、こう聞いてくる。

 「タイで世界一の輸出品は何だとおもう?」
う〜ん、わからないなぁ〜、シルク?とこたえると「それは2番目だ」という。じゃあわからんとこたえると「いいからあててみてよ」と聞いてくる。
シルクよりも高級品といえば、カシミア?おれが応えると彼は「その通り」と深くうなづいた。
あまり聞いたことない話しだなぁ〜、と思いつつ聞いた話というのは

・世界中の有名ブランドは、人件費の安いタイで、さらに名産のカシミヤをつかったスーツを作り、自国やアメリカ、日本へ輸出している。
・関税がかかるからもちろん高い

 
で、おもむろに「今日の新聞を読んだか?」と聞く。読んでいないと応えると「今日は実は、有名ブランドのカシミヤスーツをつくっているファクトリーが一般顧客に商売する、今年最後の日だ」といいだした。

 彼もそこのファクトリーの会員で、といって財布からおもむろにカードを取り出す。金色のそれには「VENUS HOUSE」と書いてある。さらにかれは財布から歯切れをホチキスでとめている紙をとりだすと俺に見せてくれる。そこには幅1.5センチ、長さ8センチくらいの布が短冊状に5本ぶら下がっていた。よく見ると有名なブランドの名前が刺繍してある。
彼の話は続く。
「そこでは一人5着までしかスーツは作れない。(だってみんな得したいからね、といってウィンクする)でも2着着作るとそこのメンバーになれて(といってさっきの金色のカードを見せる)、今度(スーツを)作るときは30%オフになる」とのこと。

 そして最後にこういうのである。
「さっき俺は、おまえ(俺のこと)がウールのスーツしか持っていないと聞いて正直がっかりした。だって、日本人のオフィスワーカーだったら、いつどんなビッグパーティーがあるかわからないだろう?もし俺がお前にそのパーティーで会ったとき、ウールのスーツを着ているヤツだったら悪いけれどそいつを安く見ちゃうよ」
そのとき俺の頭の中はさっきのはぎれに縫い取ってあった刺繍のブランドネームや、いままで持ったことのない「カシミヤ」の柔らかな手触りや、世界的なパーティの中でシャンパンを飲む自分を想像していた。

 「その場所はここからそんなに遠くない。よかったら行ってみたら?」といい、地図を持っている?と聞いてくる。そそくさと差し出すとボールペンで×印をつけてくれた。
「今日は3時までだから急いで」といって微笑んでくれる。最後にありがとうと言うと彼は、「お前の時計を見せてくれ」と言ってくる。
それを見て「ロレックスか?」と聞かれるも、「いや、シチズンだ」と答えると、今度は勝ち誇ったように「ほれ」といって自分の左腕を向けてくる。ロレックスだった。

 別れを告げて寺院を後にする。トゥクトゥクの運転手に遅くなった詫びを入れて、地図を指し示しそこへ連れて行ってもらうことにした。

 そこからは本当に近い距離だった。
トゥクトゥクの運転手は入り口を指し示してくれる。店に入るとインド人っぽい店員がさっきのカードを手に「メンバーの人か?」と英語で話しかけてくる。
いや、ちがうんだけど、というと「OK」といって席に案内してくれる。

 インド人店員はさっき、ラッキーブッダで会った銀行員とまったく同じことを英語で話してきた。しかも俺の英語能力がプアだと看破したのか、会話のポイントとなる英単語を手元のノートに書いて示してくれる丁寧さ。同じ話を二度聞きたくなかったけれど、さえぎるのも面倒なので話させておく。
で、手元にはファッション雑誌の切り抜きをラミネート加工したものの束が置かれている。「この中から好きな色と形を選んでください」。
しかし、そんなにバリエーションはない。中にはファッションショーの写真があったりする。とりあえずピークドラペルでピンストライプの濃紺スーツを選ぶと、「もう一着」というようなことを言う」いいよ、というが、「ではコートは?」といってくる。

 正直、コートは欲しかった。
それもそろそろ、フードつきとかではなく、Vゾーンのしっかりあるヤツ。「白い巨塔」で唐沢さんが着ていたようなヤツ。それもカシミヤだしなぁ〜、と欲をかき、じゃあコートと告げると「色は」と聞かれる。迷っていると「黒がいいよ、黒は飽きない」という。唐沢さんのも黒だったしまあいいや、とおもいOKする。
そのあとメジャーをもって採寸。「コートの長さは膝下?膝上」などと会話したあと、サイズを女性店員が顧客シートに転記して終了。

 支払いはカードでいいか?ときくと、店員は「うちは工場だからカード決済はできない」とのこと。しかし、近くのATMでキャッシングして払ってもいいとのことで、やり方も店員の女性がついてくれるとのこと。さっそく外に出てキャッシング。女の店員は暗証番号を打ち込むときだけ後ろを向いていてくれる。なんとか購入金額を引き出し、店で現金を渡す。商談成立。

 ストローでコーラをちゅうちゅうしながらインド人に「明日はどこに行く」と聞かれ、わからんと応えると「アユタヤーがいいよ」と薦められたりそんなふうにまったりしたあと「じゃあね」といって店をあとにする。

 トゥクトゥクの運転手は待たされたことをまったく気にしておらず、「OKOK」とわらい、おれを最寄りのBTS駅までつれていってくれた。
刺青まみれの警備員に「40バーツ」といわれてたことを思い出し、20バーツ余計にあげるとくしゃくしゃに相好を崩してお礼を言ってくれる。

 ホテルの部屋に戻っても、自分の力でさまざまな人と出会い、思わぬ幸運な買い物ができたなぁ〜とニンマリ。やはり英語できたほうがいいんだなぁ〜と考えたりしながらベッドの上で眠りに落ちていった。

モドル
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