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旧東海道餐歩記-9-2 吉原宿~興津宿
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2007.05.18(金)
吉原宿・蒲原宿・由比宿・興津宿。24.1km・・・・・旧東海道餐歩旅・今次第二日目・・・38,302歩

 午前8時、昨夜の勘定を済ませ、8:07に「鯛屋旅館」を出発。お土産に貰った3色ボールペンを胸ポケットに、快晴の吉原宿を意気揚々と歩む。バスターミナル・吉原中央駅の少し手前の角にある道標(日本橋から133km)を左折し、微妙なカーブのある旧道を足取り軽く進んでゆく。ウイークデーのため、われら同様に散歩する仲間がいないのは残念だが、直線道路ではないため車の通行量が少なくて幸いである。

 青葉通りを越えた先の「道祖神」が134km、富安橋で潤井川を渡った先に、セブンイレブンがあったので、暑さに備えて飲み物を調達したり、街道地図のコピー無き仲間のためのコピーとりを行い、11分間滞留の上、8:51に再出発。早くも2km経過して順調。

 目の前の新富士駅方面へのバス道路を横断する際、右手に、秀麗な富士山と富士営業支社の建物が見え、さらに、静岡県富士総合庁舎や女性センターが続く道筋を行くと、正面に中央分離帯あり、ちょっぴり迂回する。136km地点にある整形外科は、この地方に多い望月姓だ。本州製紙工場沿いには、堀と松並木が続き、図書館・税務署・小学校があり静かだ。グランドでは、練習に備えて野球部員がトンボを引いている。

 左手のJR東海道線・富士駅に達する商店街を横断して先に進む。富士見高校前が137km地点で、JR身延線・柚の木駅手前で、県道396号線と合流、再び車の流れが激しくなる。あと2kmほどで富士川だ。歩を早めて休憩場所を目指す。

 左手の「明治天皇御小休所跡」の先で、9:45から10分間、富士川橋手前の「水神社」で小休憩。富士川の両側には、渡し舟の安全のために設置された常夜灯の跡があちこちに残っていた。富士川橋(139km)の上から見える富士山は、青空にくっきりと大きく浮かび上がり、辺りを睥睨している。実に素晴らしい。

 対岸にわたり、ローソン横の古い石段を通過して高台に進む。道端には、ナツミカンを、一袋100円で販売中。「岩淵一里塚」で140kmと早くも7km消化。坂をどんどん下る。

 お目当ての、いけばな教室の看板が無かったので、地元のおば様に教えてもらって、再び旧道を上り返す。東名高速道路、新幹線、再び東名高速道路に遭遇するまでの2kmも、順調に消化する。途中のお寺では地元有力者の葬儀が催されていて、大勢の弔問客が汗を拭いながら進んでいた。

 かなりの急坂を上りつめ、数十メートル平行に進んでから、錆びて狭い陸橋で東名高速を越えると、眼下に清水港の工場群が望めた。坂を下りきった左手の「光蓮寺」で11:05~11:22の間、大休憩。靴を脱いで足や靴下を乾かす。「乾燥」が肉刺予防の鉄則である。

 「蒲原一里塚」(143km)の先に、今は使われていない日本軽金属の古い鉄管が残っていたが、大きすぎて持っていかれる心配はなさそうだ。

 なまこ壁の家が続く川沿いの右手には、安藤広重の「東海道53次」の最高傑作といわれる“蒲原夜の雪の碑”が建っていた。

 昼近くなってきたので、県道396号に出て、清水氏が道端の電柱で看板を発見した蒲原の味処「よし川」に、11:50に飛び込む。冷房がよく効いていてありがたい。ご当地名物の桜海老のかき揚げ丼を注文する。運ばれてきた丼は、香り豊かで分厚いかき揚げが2個も入っており一同感激する。ビール中壜2本との相性も抜群だった。

 12:23、神輿を上げ、県道沿いに蒲原宿の「西木戸」(144km)、「秋葉山入口道標」(145km)、JR線・蒲原駅そばを通過し、146km地点で今度は東名高速を潜って通過する。

 「由比一里塚跡」(147km)の先には、「御七里役所跡」と「由比本陣」・「広重美術館」があり、13:14から15分間休憩。観光客の姿が急に目立ってきた。「御七里役所」は、駿府から紀州和歌山に転封された徳川頼宣が、その野望(?)の一端として江戸までの146里の間に23箇所の諜報機関として置いたもの。また、「由比本陣」の前には、徳川頼宣が黒幕とされた「由比正雪」の実家の「紺屋」が今でも残っているのは暗示的だ。

 名物の名を冠した「桜海老通り」を進むと、13:50由比駅(149km)に到着。日陰で8分間のトイレ&水分補強休憩。今夜の宿がある興津宿境まで、あと1里32町だ。

 ここからは、本日最大の難所で、かつ景勝の地として知られ、楽しみにもしている「薩埵(さった)峠」への登り坂・下り坂の反復跡で244m地点まで登っていくことになるのだ。全長3kmだが、海沿いの道は汐の満ち干の影響を受けるため、昔は急勾配の山道を行くしかなかった。今でも細い旧街道だが、山の上にあるナツミカンや枇杷を採取する軽トラックが引っ切り無しに行き交うので避けながら進む。

 14:07、旧寺尾村名主宅「小池家」(150km)から登りがきつくなる。反対側から観光客の一団がぞろぞろと降りてくる。桜海老料理の名店「倉沢屋」からの戻り客だが、一様に満足げな表情をしていて、味と眺めの良さが窺われた。

 由比宿と蒲原宿の中間という意味の「間の宿(あいのしゅく)」本陣跡の「川島屋」(151km)や「藤屋」、「西倉沢一里塚跡」を通過。峠まで1kmの表示が出てくると、14:22で、登りが更にきつくなり、みかん畑と枇杷畑の中をぐんぐん登っていく。登り坂には特に強い村谷氏の背中が段々遠くなっていくが、マイペースで登っていく。

 遥か下を走る東海道・東名高速に吸い込まれそうな急斜面に生えている木々に実った果実一つ一つが、きれいに包装されていて、農家の人たちのご苦労には頭が下がる思いがする。

 頂上の駐車場で休憩。14:45に到着したが、少し霞んではいるが富士山、箱根山、伊豆半島に囲まれた駿河湾の青さは、吸い込まれそうな程である。清水氏が甘いナツミカンを買ってきてくれたので、皆でクエン酸を注入して元気を出す。ここで15分間景勝を楽しみながらの休憩。タクシーや自家用車で登ってきた人たちは、汗まみれのわれらを避けるように休憩している。こんな狭い場所で2度もの大合戦(足利尊氏vs足利直義。武田信玄vs今川氏真)があったとは信じられないほど静かで風光明媚な峠である。カメラで名勝の風景、雄大な富士山などを撮影する。

 残りが1里を切ったので、15:05勇躍出発する。見下ろす海岸近くの水の色は、波の影響なのか、岸辺から白・エメラルドグリーン・群青色に三分されていた。木の階段と土の優しい道に励まされて、順調に下っていく。降りきった墓地の脇を左折し、海岸よりの下の道を進む。
 興津川(154km)を過ぎて、本日の目標である興津中町交差点で、旧東海道歩きは一旦中断し、ここから右折して今日の宿へと向かう。

 途中、コンビニで芋焼酎「黒甕」と氷を購入して、午後4時丁度、「旅館 松寿」に投宿する。昨日の宿より1,000円高いだけあって、設備が充実していた。広い浴槽は早く到着したわれらで占領し、ロビーで缶ビールを飲みながら大相撲観戦で明日の鋭気を養う。

 ここは割烹旅館であり、食事と宿泊棟は別棟になっている。午後6時からの夕食はなかなか豪華で、追加した刺身大皿の魚はもちろん新鮮そのもの、地酒を含めて大いに堪能した。宿泊棟に帰ってからは、仕上げに先ほどの芋焼酎ロックを平らげ、最終日に備えたが、約1名は日中の歩きが足りなかったためか、夜の散歩に出かけたようだった。