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旧東海道餐歩記−7
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2005.03.16(水) (箱根湯本)三枚橋〜元箱根
「旧東海道箱根東坂」餐歩に再挑戦

 約一年前(2004年03月07日)、山歩きの一環として“旧東海道箱根東坂”をいつもの仲間と歩いたことがある。きょうは、その同じ“東坂”を一人で再挑戦することにした。理由は3つあった。

 @ 昨年の箱根東坂歩きは、まだホームページ作りを考える以前だったため、山行記録も無きに等しい上、写真も全く撮っていなかったため「餐歩記録」としてホームページに掲載するには、記録的に物足りない。
 A 当時歩いたコースは、途中の一部が純粋の意味での旧東海道歩きから一部外れ、「須雲川自然探勝歩道」を経由した部分がある。従って、来たる26日に、その続きとなる“箱根西坂”歩きに入ったのでは、純粋の意味での旧東海道歩きとして繋がらないのではないかという、やっかいな性格が顔を覗かせ、このままでは悔いを後に残しかねない、いや、自分の性格から言って完全にそうなると思われたのである。昨年6月20日お江戸日本橋をスタートしてから、少しずつ順に区切りながら旧東海道餐歩旅を始めたのだが、昨年暮れの12月25日に前記三枚橋までで一区切りとした際、同行仲間との打合せで、重複は止めようということで、次回を「西坂」からとした経緯があったのが前記理由で気にかかっていたのだった。
 B もう一つの理由として、今月に入ってからきょうまでの山歩きは、現役当時の同期生達と9日の日にやった1回のみで、以後予定している19日の丹沢・高松山、23日の奥武蔵・丸山を入れても3回と例月に比して少なく、いわば些か脚力低下の懸念、カロリー消費不足をカバーせねばならないという想いがあった。

 そんなこんなで、きょうは単独山歩として“正調:旧東海道箱根東坂”登坂(最高点約820m))を行おうとした次第。とは言っても、厳密には、「東坂」というのは、箱根峠(標高845m)を境にして言うらしく、ここで言う「東坂」は元箱根以西を含めていない。

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 7時過ぎに自宅を出て、モノレールで多摩センターへ。小田急線で新百合ヶ丘を経て小田原経由直通便で箱根登山鉄道終点“箱根湯本”駅に9:31到着。トイレを済ませ、地下道を渡って本日の徒歩行を9:35に開始。先ずは前回の旧東海道歩きの続きとして、きょうの起点となる「三枚橋」まで東進。そこから橋を渡ってUターンする形で旧東海道歩きを始める。このルートは、約一年ぶりの懐かしい街並みだ。

 バス停に、「標高84m」の標識が建っていたので、手許のPROTREKを85mに合わせる。9:42早川に架かる三枚橋を渡って緩やかな登り道に入り、最終的には820m地点を経て745mの芦ノ湖畔(元箱根バス停)を目指す訳だ。お馴染みの順路地図には、「急な登り坂」というのがあるが、ほぼ毎週の山歩きのおかげで、この程度の登坂は、カロリー消費の点からむしろ好むところだ。気温はここ数日間と異なり暖かいという予報どおりで、単独行ということもあって、ついつい急ぎ足になるのに加えて、登り一方の道で、しかも先日9日に始まった花粉症対抗策としてマスクをしているため、余計暑くなってくる。

 歩道がないので、車に気をつけながら急になった登り坂を二度ほど上がると、天水弘法の湯(標高110m・通過時刻9:48)があり、ここから歩道がついている。その先の白山神社前の右脇道を入れば北条五代の墓などがある早雲寺だが、先を急ぐ。歩道がまたも無くなる。9:53「弥坂湯」前(130m)、9:56曾我兄弟ゆかりの正眼寺(145m)で本日の一枚目撮影。行き交う車に気をつけながら登り続け、10:03(165m)右手に下る石畳道に入り、10:06猿沢橋(155m)でアベックとすれ違う。再び石畳の登り坂を進む途中、暑さに負け思い切ってマスクを外す。果たして、吉と出るか凶と出るか・・・

 10:08、再び、元の車道(170m)に合流し、記念沢・駒沢・観音沢にかかる橋を越えて、奥湯本バス停前(190m)を10:14に通過。10:20に葛原橋(215m)、10:24堀木橋(245m)と行くと、右手にきんきらきんの「箱根大天狗神社別院・浄土金剛宗・天聖院」がある。10:29須雲川インター(260m)入口通過。二の戸橋・二之塔沢橋という2つ名の橋の先の「初花の瀑碑」で写真二枚目。この碑には、「夫勝五郎ノ仇討本懐祈願ノ為メ初花水垢離ヲ取ッタ滝トシテ傅エラル」とある。そこから高さで5mぐらい下って再び登り返すと、左手に、滝・石碑があり、その上手の鎖雲寺(10:38・260m)に勝五郎・初花が眠る比翼塚があるらしい。

 10:41(270m)、前回「須雲川自然探勝歩道」に入った分岐に着き、案内図などをパチリ(4枚目)。きょうは昨年とは異なり、ここから左の探勝歩道には入らずその侭車道を進み須雲川橋を渡る。ここから「女転シ坂登り一町余」という急坂登りだが、今は通行不能。右の車道迂回路を行くと、10:44右手に「箱根大天狗神社」(285m)がある。日本唯一の幼神神社とのことだが、幼神の意味が不明。帰宅して調べたところでは、ここの神様は水子を天使の姿に変えて昇天させることができる日本で唯一の神様の由である。

 更に先へ行くと、「女転坂由来」に“箱根道の難所のひとつであり、急な坂道が長く馬に乗った婦人がこの付近で落馬して死んでしまった事からこの名になった”とある。10:49、東電発電所前、昨年須雲川の飛び石を渡って登ってきた自然探勝歩道と合流(315m)。その先「割石坂」(325m)で車道から離れ石畳のある旧道に入る。なかなか風情が良い。10:56「箱根路の移り変わりの掲示板」(345m)を見ていた地元の人と挨拶を交わし、<6枚目>のシャッターを押す。

 10:58「畑宿0.7km・湯本4.3km」地点(350m)で7枚目を撮ってから車道に合流し、11:01、365m地点から再び左の石畳と杉落ち葉混在の下り道に入り、大沢川にかかる木橋(360m)を渡って登りにかかると、石畳が濡れていたり苔むしていたりして足許がスリップ気味で歩きにくい。石畳の登り坂で石畳の構造や斜め道の排水構造などについての解説掲示板を8〜9枚目として撮影。更に登って最後の石段を登り切ると、11:13車道に合流して「畑宿見付跡」(390m)。10枚目の写真を撮って前進。11:16右手に本陣跡。苔むした石碑があるがよく読めない。昨年立ち寄った「寄木会館」前を11:18通過。

 やがて、右手に「箱根七福神(大黒天)」への登り石段があり、その角に建つ旧東海道標識の左を直進すると、芝生に覆われた畑宿の一里塚が石畳の左右に大きく雄姿を現す。そう言えば昨年来たときはここで寒さに震えながらガスバーナーで持参のカップ麺などでの昼食を摂った所だ。時に11:21(410m)。ここでコンビニで今朝買ったお握りを食べ小休止する間に、ギャル3人組・夫婦連れが追い抜いていく。途中でこちらが追い抜いていないので、おそらく寄木会館あたりにいたのだろうと見当を付ける。

 11:34立ち上がり一里塚を11〜12枚目として撮り石畳道をまた登り始める。眼下の車道の上を宙づりにした石畳道を行き、11:38再び斜めの排水路や石畳の構造について書いた掲示板(440m)を13〜14枚目として撮り、最後に石段を登ると11:45「西海子坂二町許」(445m)で車道に出る。ここから七曲がりの道だ。「これより1.2kmの間七曲り 上り勾配10.1%」の掲示を15枚目としてカメラにおさめ車道沿いの歩道を登り始める。一ヵ所だけショートカットの階段があり利用。

 11:53、昔大きな橿の木が目印にあったという「橿の木坂登り五町許」碑(530m)から東坂最大の難所といわれる195段の石段を登り始める。適度に踊り場があり、一気に登る訳ではないが、まず56段、続いて28段、24段、16段、27段、31段・・・と182段上った所で直進石段と左折道の分岐(11:58、575m)で夫婦づれが地図を片手にどちらへ行くべきかと思案中。ここから先は「見晴茶屋」があるだけで、すぐまた降りてくることになることを教えてあげ、左の石畳道に入る。ベンチがあり「雲助」についての解説板もある。

 小根橋を渡って少し下り、また登ってしばらく行くと石段があり、登って車道を横切り先の階段を渡って甘酒橋。この車道交差地点が12:04で580mだった。石畳を登って行った送電鉄塔の所で元箱根から湯本に向かう夫婦ずれに、「あと、どのぐらいですか?」と訊かれ、9時半湯本スタートで途中休憩は20分に満たないと言うと、驚き顔で礼を言う。

 石畳を更に登り、12:15「石畳歩道について」の掲示板を撮り(16枚目)、「猿滑坂登り一町」碑(640m)から石段を登って12:17車道(650m)に出る。以前は横断歩道橋があったらしいが今は無く、県道に沿っての登坂路を工事中のため車道を登り、12:24その道と交錯した先で「追い込み坂登り二町半余」碑(695m)に到着。「親鸞上人と笈が平の碑」という“東国の境界表現終えての帰路4人の弟子と上人が険しい箱根路を登ってこの地に来たとき、弟子と悲しい別れをした場所”で17〜18枚目の写真撮影。

 ここから木の階段、続いて荒れた石畳を登っていくのだが、この「追い込み坂」は、“新編相模國風土記”のふりがな(万葉かな)では、「フッコミザカ」と読んでいた形跡もあるとか・・・。女性2人ずれとすれ違うが、結構この道を歩いている人たちがいるものだ。珍しく公衆トイレ(705m)があったが、更にその裏手の荒れた石畳を進み、「いのしし注意」等という物騒な看板を横目に杉林の中の荒れた石畳を行く。すぐ左下に車道が並行して見える。

 12:37送電鉄塔横(730m)通過。12:39、昔お玉という娘が関所破りをして処刑された所から名が付いたという「於玉坂」(740m)を、12:40「元箱根まで40分」の掲示をカメラにおさめ(19枚目)、元気をつけて車道(750m)を越え、その昔豊臣秀吉が小田原攻めの時、北条軍が上から石を落としてきたので退却したという「白水坂」や、その先の「天ヶ石坂」(795m)を捻挫しないよう注意しながら登る。12:50小学生低学年の女児を連れた女2人組とすれ違った先で“おっ!雪だ”。きょう、箱根の残雪を気にしていたが全然無く、やはり道を造る際にも考えて造ったのかと感心していたが、流石に標高800mを越えると、日陰は残雪だ。

 12:53、本日の最高点820mの頂点を通過。後は芦ノ湖への下り坂だが、降り始めるとまたもや残雪がちらほら。石畳は極めて歩きづらく、脇の土部分を探して足置き場にしながら、右手の休憩広場から出てきた夫婦ずれとすれ違い、12:57「二子山」の掲示板や「箱根馬子唄の碑」を撮影(20〜21枚目)。二子山は木々の合間からかすかに見えるが、この時期でも木々の生長で殆ど見えなくなっている。

 13:01、車道と直角についている車止めを越えて更に石畳を降りていくと、13:03再び車道を越え、権現坂・杉並木歩道橋を越えて箱根旧街道案内板をまた撮影(18枚目)。仕上げは「ケンペルとバーニーの碑」でとどめの23枚目をパチリとやって湖畔沿いの車道におり、13:12元箱根バス停(745m)に到着し、本日の東坂ウォークを終了。バス停でバス時刻を確かめると、事前に調べたのと一分違いだったが13:24発の箱根登山バス箱根湯本行きがある。

 バスルートは、国道一号線で、874mの標高最高点を超えて右に左にと大きくカーブしながら定刻に湯本駅到着。電車の時間に若干余裕があったので売店で“まるう”の練り製品を買って急行に乗車。途中快速急行に乗り換え、5時半に帰宅。元箱根でバスに乗ってから再びマスクをしたのだが、途中、多摩センター通過あたりから鼻がむずむずし始め、花粉症の兆候。箱根の山中では全く不快でも何でもなかったが、多摩地区の花粉飛散量が多いのか、それとも山でマスクを外していたのが行けなかったのか、はたまたその両方なのか、とにかく帰宅してから重症再発。これから先の山歩きではマスク必使用を痛感した。

 きょうの登坂歩きで追い抜いた相手は殆どいなかったが、結構逆方向からのハイカーがいた。やはりその方が労少なく楽多しということか。下り中心の歩きならなかなかかなか風情ある遊歩道だから、いずれ家内も連れてきてやるか・・・と思いつつ晩酌・入浴・就寝。(翌朝:花粉症がひどくなったが脚の疲れは全く出なかった)