2004.11.13(土) 茅ヶ崎駅入口〜二宮駅入口
茅ヶ崎 平塚 大磯と 地図を片手に きょうも旅 お馴染み男 四人連れ

 お江戸日本橋をスタートして以来、早5回目。多摩センター・橋本経由で相模線の終点茅ヶ崎駅に9:24着。海老名の清水氏とは同列車だったようだ。改札口を出ると滝澤・村谷両氏がお待ちかね。もう1人の常連田幸氏はきょうは別予定がある由で4名での旅路となる。

 前回の最終連絡路を逆方向に歩いて国道1号線に出ると、早くも松並木が左右にちらほらと見え、雰囲気も上々、天気も上々。朝の予報では冷たい北風が云々ということで、手袋の心配までしたが結構暖かく、持参しないでよかった。

 気合いを入れて歩き出すと、程なく体が温まり、むしろ暑いぐらいだ。左後方からのエメロード商店街を合わせると、もうそこは、日本橋から56キロ(国道1号では59キロ)地点だ。千の川を渡ると「南湖の左富士」碑があり、持参のデジカメでまずは記念撮影。安藤広重の東海道五十三次の版画の一枚「南湖の左富士」地点で、東海道で左に富士山が見える2箇所の内の最初の地点だそうな。目を彼方に転ずると、なるほど雲上に雪景色の富士山が左彼方にはっきりと見え、思わず一同感激する。

 その先に鶴峯神社の鳥居があり、参道が右手へ続いているが、大分入り込んでいるようなのでパスし、国道を直進する。脚達者が自慢の諸氏に加えて平地限定なら同様の小生ら4名、快調なピッチで同じく東海道歩きと思しき17人?の団体さんを追い抜き、新湘南バイパス・産業道路・長い相模川(馬入川)を越える。

 馬入一里塚で国道と別れ、旧街道へと入って行くと間もなく平塚駅前で、ここまで略々1時間。その直前に左右に旧Y社と旧M社のビルが並立している。日曜日だというのに照明のついているフロアーも見えるが、「本体」なのかテナントなのかは不明だ。その前を過ぎると、たなばたの飾りを立てるためのものだという穴が地面にある銀座通りで、飲食店はもう一本左側の由。

 市民センターの先が平塚見附跡で、同センターには「平塚の里歌碑」が裏手にある。ここでトイレを拝借し、気分もすっきり再スタート。脇本陣・高札場・本陣跡があり、当時の平塚宿の中心地点だそうな。再び国道に合流するちょっと前に西口問屋場跡があり、今は消防団のシャッターに広重の絵があるということだが、あいにくシャッターが上がっていて見えない。

 前方に高麗山が見えてくる。どうせ打ち上げになるだろうから、腹具合も考え適当なところで昼食を・・・ときょろきょろしていたら、花水橋のふもとにチェーン店だそうだが「なか卯」がある。そこでささやかに缶ビール少々で喉を潤し、全員ゆず饂飩とミニ丼のセットで舌鼓。

 茅葺き屋根のある旧街道を過ぎると、もう日本橋から63キロの地点だ。以前村谷氏と小雨そぼふる一日、大磯浅間山コースで山歩したときに降りてきた高麗山下の高麗神社を懐かしく通り過ぎると、もう鎌倉時代の大磯の中心地である。国道と別れて松並木が道の両側にある風情たっぷりの化粧坂(けわいざか)にさしかかる。曽我十郎の愛人虎御前が化粧に使ったという井戸の跡や化粧坂一里塚を過ぎ、JRの線路をくぐれば、ちょっと先が再び国道で、大磯駅入口にさしかかる。

 大磯駅前を過ぎると小島本陣跡・島崎藤村の墓所である地福寺・尾上本陣跡の先には、茅葺きの風情ある鴫立庵だ。
 西行の歌碑「心なき身にもあわれは知られけり鴫立つ沢の秋の夕暮れ」というのがあるそうだが、歩道の反対側なのでパス。やがて再び見事な松並木が続き、樹齢数百年はたっぷりありそうな見事な松並木がある。坂の左側には、長い長い荘厳な塀が出現。どうやら古河グループの寮らしいが、大変な貫禄だ。固定資産税もさぞかし高かろう等とみみっちいことを考える。また、伊藤博文公旧宅跡という滄浪閣もあるが今は結婚式か。またその裏手方向には旧吉田茂邸もあるらしいが寄り道になるのでパスして、城山公園方向への旧東海道に入る。

 緩やかな登坂の先にあった小さな中丸公民館で再びトイレを拝借すると、その先に中丸一里塚跡。更に双体道祖神の先で国道に再び合流。六所神社入口にさしかかったが、神社自体はJR線路をくぐった先らしいのでパスした。やがて「ここより二宮町」の表示が見え、間もなく本日の予定である終点にゴールイン。時間的にも体力的にもまだまだ行けるメンバーだが、前回までの歩き距離や次回以降の刻み方を考えて、ガイド地図をここまでの分しか用意してなかったという事情もある。

 ともあれ打ち上げだが、二宮駅前には時間が早いためか適当な店がない。きょうの出発地点であり、かつ前回の打ち上げ場所でもある茅ヶ崎まで戻り、既にお馴染みとなったルミネ6Fの「庄屋」に入って生ビールで乾杯。あとは「司牡丹」と「富の宝山」で旨いつまみを相手に疲れを癒し、さらにこの先も大いなる頑張りを誓い合って散会した。

旧東海道餐歩記−5
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