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2008年1月18日(金)
府中宿〜丸子宿〜岡部宿〜藤枝宿・・・・・旧東海道餐歩旅・今次第一日目

はじめに


 昨年5月以来となる「旧東海道餐歩旅」である。村谷氏と小生は東京7:06発ひかり401号、滝澤・清水両氏は新横浜6:43発・小田原7:04発のこだま561号で8時前後に相次ぎ静岡駅到着。早速、前回の歩行終点たる府中宿「江川町」交差点へと地下道経由で向かい、前途65q余にわたる2泊3日の餐歩旅を勇躍再開。

 きょう初日は20.6km、「府中宿」から「丸子宿」・「岡部宿」を経て「藤枝宿」の「富岡屋旅館」まで。途中「宇津ノ谷峠」越えがある。更に、明日2日目は「島田宿」・「金谷宿」・「日坂宿」を経て「掛川宿」の「掛川ターミナルホテル」まで、距離26.4kmと長くなる上、急登・急降の難所「金谷坂」・「菊川坂」・「小夜の中山」が待っている。最終の3日目は「袋井宿」・「見附宿」を経て帰途便考慮でJR磐田駅手前交差点まで(18.2km)という設定での今次道中旅だ。

第一日目<2008.01.18 (金) 晴>

 朝の通勤・通学者たち大勢とすれ違う静岡駅前地下道を経由し、「江川町」交差点へと向かった晴れ男四人組が、8:19、記念撮影の上、勇躍餐歩を再開する。本来なら「駿府城跡」に立ち寄る所だろうが何も残っていない「駿府公園」では仕方無しと割愛し、呉服橋交差点右折で伊勢丹前の「札の辻」でまず写真。左折で「七間通り」・「人宿通り」・「新通り」を経て「安倍川川会所跡」碑や「由井正雪」石碑を見て、河畔左岸の安倍川餅「石部屋」に赴くが時刻が早すぎ開店前。「安倍川義夫の碑」を見て歌川広重の浮世絵にもある往時の人足渡河風景を想像しつつ「安倍川橋」を渡る。しばらく行った先の集落「手越」は鎌倉時代に宿駅のあった所だ。

 9:19国道1号に合流し、すぐに佐渡信号から左手の旧道に入る。9:25「佐渡の手児万葉歌碑」通過。46番目となる「丸子一里塚跡」(大正年代の石碑)が見当たらない。
 9:48「丸子宿本陣跡」、続いて「明治天皇御休所跡」、「お七里役所跡」と続き、昼食には早いが「とろろ汁」で超有名な「丁子屋」にさしかかる。女将が「どうぞどうぞ」と休憩を勧めてくれるが生返事の侭、「十返舎一九」ら文人・歌人の碑などのデジカメ撮影に専念し、丸子橋を渡る。“梅若菜 丸子の宿の とろろ汁”の「芭蕉句碑」もある。なお、「お七里役所」とは、紀州徳川家が藩独自に七里毎に設け運営した拠点で、野望がらみの諜報拠点でもあったらしい。

 国道1号に合流したり離れたりしながら、10:26、国道1号の横断陸橋を右に渡って黄金色に輝く巨大観音像の前を右斜め前方への旧道に入り、また合流・分離・合流の後、10:44、「宇津ノ谷峠道の駅(東)」到着でトイレ休憩。早朝の東京発でもありそろそろ空腹を覚えていたが、国道向こう側と違ってこちら側はトイレのみ。

 地元の人と覚しき元お嬢様に食事処を教えて貰い、その先から国道を右に離れて峠への旧道に入ると、「街並百選碑」に始まる何とも立派な「石畳の旧街道の街並み」が眼に飛び込む。車屋・伊勢屋・江戸屋ほか屋号の付いた情緒たっぷりの家々が左右に立ち並ぶ風情たっぷりの街並みである。途中、秀吉が小田原攻めの際に立ち寄って与えた陣羽織があるという「お羽織屋」が右手にあったが、何と入館料を取るというのパス。通りがかりのおばあちゃんに目標の蕎麦屋の場所を訊き、ガイド地図には魚屋と誤記してある「角屋」を右折すると、バッチグーの大正解。

 店名「蕎麦処きしがみ」、手打十割蕎麦の店で大休憩(11:03〜11:51)となる。なかなかの店だったので紹介すると、場所は静岡市駿河区宇津ノ谷232-2 電話054-258-5664である。掘りごたつの1等席で少々のビールに始まり、特製そばがきや卵焼きなどで「くろもじ」の香り豊かな特製焼酎ボトルを愛で、温・冷それぞれ好みの山菜天(ざる)蕎麦で仕上げ、一同大満足して再出発。

 旧道に戻ってすぐ石段登りから始まり、山歩きに劣らぬ山坂土道の峠越えが始まるが、直前のドリンクの影響できつい。地図には「急な登り坂」とか「登り坂」「険しい道」などと書いてあるが、旨蕎麦でご機嫌の我ら元気いっぱいの山男たちは、当然急登克服で12:05、標高170mの峠に到着。この旧道は地元長田西PTAの協力で通行可能になった由で、何とも風情たっぷりのロマンチック東海道だ。往時には「大名街道」とも呼ばれたらしい。参勤交代で大勢の人たちが苦心惨憺行き来したことだろう。

 坂を下って、在原業平朝臣ゆかりの「蔦の細道」と合流し、その先、国道1号沿いの「宇津ノ谷峠道の駅(西)」で12:28から10分間の小休止。再び旧道に入って、出て、また入って、「十国坂観音堂」が12:57。更に「西行の笠懸松」、岡部川と過ぎて「岡部宿」に入る。13:13岡部宿本陣跡(内野家)。聖徳太子ゆかりの「光泰寺」もあった。

 13:27「五智如来像」に参拝してその横の「観光案内所兼休憩所」で一服。いろいろな観光パンフが置いてあり、清水君が良いのを取って仲間に配ってくれる。その先に「岡部宿の松並木」というのがあったが、「見事」の一語に尽き、東海道を餐歩する我らをして100%昔人にさせてくれる。

 「岩村藩領傍示杭跡」、「代官屋敷跡」、「高札場跡」、「陣屋跡」、「朝比奈川川会所跡」などを経て、14:00に東京から197kmの「従是田中藩領傍示石跡」を通過。14:09通過の「鬼島一里塚跡」は49番目の一里塚である。大分歩いてきたものだ。右手にあった「須賀神社」には樹齢500年と言われる大楠の木があった。

 その先、道路工事中箇所を若干迂回して国道1号を越え、やや先右手にあった「藤ヶ丘公園」ベンチで8分間休憩。「木戸跡」を越えればもう「藤枝宿」だ。池波正太郎ファンの身としては、すぐ「藤枝梅安」を思い出す。蓮華寺商店街を通って千歳交差点を過ぎると、今日の宿は近い。その手前左手の「大慶寺」に立ち寄ると、「日蓮上人お手植え」と言われる「久遠の松」が雄姿を見せている。比叡山への往復途時に立ち寄ってのお手植えの由である。

 15:15藤枝宿「富岡屋旅館」(電話054-641-8771)到着。鉄筋コンクリート建のなかなかの宿だ。女将が「お二人ずつでしたね」と言うから、「全員個室と言うことで予約してあるよ」と言って2〜3階の4部屋を確保。建物は近代的な外観だが、フロント周辺は四国遍路の時に世話になった旅館・民宿と共通項のある雰囲気も感じられ、懐かしい気もする。

 17時からの風呂には時間があるので、館内の販売機でそれぞれ好みの飲み物を買い込み、一室に集まって慰労会兼打合会。席上、今年から並行実施中の「甲州道中餐歩」についても、今後の予定を話して仲間各位へのご案内をする。

 入浴後は18:30から夕食。その後は、この4人なら必ずこうなるという大方の期待ないし想像通りのパターンで有効にして中身濃密なるひと時を過ごして英気涵養、明朝食は7時を約して各部屋に引き上げた。明日の26km余と急坂登りに備えて爆睡!

旧東海道餐歩記−10-1 府中宿〜藤枝宿
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