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2008年1月20日(日)
掛川宿〜袋井宿〜見附宿〜JR磐田駅手前・・・旧東海道餐歩旅・今次第三日目

 前回の三島宿から府中宿への2泊3日旅は3日目に至って右足に小さなマメができたが、今回は大丈夫のようだ。7時をちょっと廻った頃ルームサービスが来て早速朝食。250円でお茶付きは凄い。これでもご飯の量だけで言えば普段の自宅での食事に比べて倍量あるが、もちろん軽く平らげて高楊枝となる。

 万歩計によれば、一日目38000歩、二日目48000歩と昨日は距離が長かっただけに1万歩ほど多かったが、果たしてきょうはどの程度か?

 昨夜の約束で、山内一豊もいたという「掛川城」を見てから今日のコースに入ろうということで、7:30ちょうどにホテルを出発し、城に向かって歩いていたら、ホテルのお姉さまが自転車で追いかけてきた。今朝チェックアウト時にホカロンをサービスでくれたのだが、「お一人だけお渡しするのが漏れていました」ということで、ご親切なおっかけとなった次第。サービスも半端じゃない。それだけ競争が激しいということか。

 着いた「掛川城」は往年の雰囲気たっぷりの外観だが9時前なので雰囲気だけ味わって、今日のコースへと歩を進める。再び風情ある外観の清水銀行前を通って、曾ては掛川城の内堀にあった「蕗の門」を移築したという「円満寺」、通りからちょっと入り込んだ所では、将門伝説ゆかりの「十九首怐vを見学。傍にあった「十九首公民館」のお掃除おばさんが、「見ました?」と誇らしそうに話しかけてきたのが印象的だった。どうやら十九首というのは地名にもなっているようだ。

 天龍浜名湖鉄道という耳慣れない鉄道の西掛川駅横を横切って向かった先にある寺の前ほか数カ所で、次の掲示板が目にとまる。
   
* 宗心寺・・・「人と争う人は 自分に負けた人 人を敬う人は 自分と向き合える人」
   * 蓮祐寺・・・「師子王の如くなる心をもてる者 必ず仏になるべし」・・・・(注) 師子王とは日蓮上人の意
   * 沢田信号横・・・「あいさつは 目から 口から 態度から」


 8:43国道1号の高架下をくぐり、その先で東名高速をくぐると松並木が始まる。善光寺橋を渡って右手に現れた寺・「善光寺」は、別名「仲道寺」と呼ばれ、江戸から京都までの東海道の真ん中の寺に当たるらしい。この先、「ど真ん中茶屋」とか「ど真ん中小学校」とか、「ど真ん中」を売り物にした表示が随所に現れる。

 「原川の松並木」は道の両サイドにあり見事だ。9:12袋井市に入る。9:33通過の「妙日寺」は「日蓮上人両親顕彰の墓」があるらしいが意味不明だ。9:36「久津部一里塚」(60番目)通過。いよいよ日本橋から60里かと思うと感無量である。手前にあった袋井東小学校も西小学校に負けじと学校名の立て看板で「ど真ん中」をアピールしていた。

 9:55、一旦国道1号に出て1分先四つ角手前左のサークルK前で6分間休憩。交差点を左折&右折して再び旧道に入る。10分も歩くとそこは「袋井宿」。天橋先に「どまん中茶屋」があり、街道歩きの旅人数人が立ち寄っていて、これまたボランティア老人がいろいろと説明やお茶の接待をしてくれる。「袋井宿」の力の入れようが判るというものだ。聴けば、2001.1.1開業の茶屋だというから街道400年記念事業の一環と思われる。「厠」と表示のあるトイレに入ると、中に誰の作か知らないが、「東海道往くと昔の音がする」という句札が架かっていた。

 10分間休憩し、10:19再出発。明治天皇行幸の際に「御幸橋」と改名した元・中川橋を10:31通過し、約10分後に国道1号と合流しては又離れ、離れては又合流し・・・といった具合で11:02磐田市に入る。太田川に架かる三ヶ野橋を渡って左折し、階段を降りて「食事処なぐら」に着くが休業(or閉鎖?)であて外れ、その先の「あさひ食堂」は閉業。

 こうなると、11:20とは言え、急に空腹を覚えてくるのが凡人の特徴である。特長ではない。これは困ったと思ったら急に登り坂が眼前に立ちふさがっている。大正時代の道、明治時代の道、江戸時代の道、鎌倉時代の道・・・短いが急坂を直角に何度か登って11:30、右手下方に走る国道沿いにラーメン店の幟を発見。衆議不要・衆意一決の直行で、国道の信号を渡って着いたのが「車侶夢(shalon)」とある。座って、ビール3,餃子2,山海ラーメン4で、11:32〜12:17分の大休憩&英気涵養。

 再び戻って登り坂をこなし、12:40遠州は「見附宿」の「木戸跡」を通過。更に「高札場跡」、「見附宿の碑」、「問屋場跡」、「脇本陣跡」、「本陣跡」、「見附学校跡」と巡って、12:54、これまた力を入れている見附宿の「いこい茶屋」に立ち寄る。朝比奈さんという元お嬢さんがやはりボランティアで詰めていて、旅人に何かと気を遣ってくれる。過ぎ去りし宿場の中で、街おこしに力を入れている宿、かならずしもそうとは言えない宿などの話でひとときを茶を馳走になりながら休憩する。恥ずかしがるのを押して、写真を撮らせて貰ったが、「なんで」と問われれば、別に初恋の人に似ていた訳でもないが、後で考えると長男の嫁女の母御に似ていなくもなかったような気もしている。

 ともあれ、出発して間もなく着いた交差点は、直進すれば有名な「姫街道」。テレビで見たことを思い出すが、我々の進路は左折だ。人が入ると音楽が流れるという公衆トイレがあることを事前に知っていたので楽しみに立ち寄り、軽やかなポップス調?の曲を聴きながら用を足していると時間経過で音楽が消え、出るとまたなり始める。どうやら入口にだけセンサーがあるようで、一曲全ては聴けそうにないなあ等と話しながらトイレを出る。称して「ミュージックハウス」というのだそうな。

 磐田税務署、「遠江国分寺跡」、「府八幡宮」、磐田市役所などを左右に見ながら本日の終着交差点に辿り着いたのは13:33分だ。ここを右折すれば次回の街道歩きのルートになるが、今回の我々は直進1分先のJR磐田駅である。浜松宿まであと16qというのは負担が大きすぎ、もともと予定もしていないから地図の用意もないし、天気を考えるまでもなく餐歩続行の意思は皆無である。

 と言う訳で、風情ある「磐田駅舎」の写真を一枚撮って13:34磐田駅到着となる。

 13:43磐田発で11.2km先の3駅目「浜松駅」に行き、土産や車中での若干の飲料水を仕入れて14:26発のこだま538号に乗り込む。時間的な影響でか、社内は空いているので3人掛け×2の6人掛けボックスを4人で占拠して、心地よい疲れと、3日間65km余を無事かつ楽しく歩ききったことへの満足感、さらには、あと3泊4日コース×2回で京都は三条大橋にたどり着ける((注)後日、これは甘い計画だったことが判明)という、捕らぬ狸の皮算用的期待を肴に、若干の飲み物で打ち上げるうちに、小田原、新横浜と過ぎ、最終東京駅で村谷氏とお別れしたのは16:23だった。

 幸いなことに、誰一人として怪我もなく、また心配していた天候の崩れにも合わず、無事帰京出来たのは、ひとえにお大師さまのお陰と感謝しつつ電車を乗り継ぎ、17時、無事ご帰還と相成る。留守中、長女宅に遊びに行っていた妻も今夜の降雪予報に恐れをなしてか既に帰宅していた。

 因みに、三日目の今日の歩数は34000歩だったので、3日間計では12万歩となった。これでも腹回りは多分変わっていないだろうと苦笑してしまう自分である。

旧東海道餐歩記−10-3 掛川宿〜見附宿
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