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甲州道中餐歩記〜3-1
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2008.01.25(金) 分倍河原駅入口(9:21スタート) →大和田橋南詰(13:05ゴール) <第3区−1> 13.2km 所要3:44    

 分倍河原駅から前回の終点である旧甲州街道の府中市立片町文化センター前に出る。空は曇り空で空気が冷たい。9:21防寒用にマスクをして歩き出そうとしたら、いきなり京王線の遮断機が降り、しばし忍耐。

 9:30、右手に見事な冠木門の家。予備知識と反対側なので不審だったが、間もなく左側により立派な
内藤家の冠木門。何でも元府中本陣表門を移築の由。その先、R20合流点の三角域に本宿説明の石版。R20の右側歩道へ渡って行くと熊野神社。駐車場に「国史跡 武蔵府中熊野神社古墳〜国内最大・最古の上円下方墳」とあるが、何故か埋め戻され、砂利土で覆われた姿は理解に苦しむ。

 9:58JR南武線の上を越え、国立インター入口の歩道橋に上がると、冠雪の富士山の雄姿が旭を浴びてまぶしい。
谷保天満宮は、階段を下って回り込むように拝殿へ向かう。元々ハケ下を通っていた甲州古街道から参殿する造りになっているからだ。野暮天と言う言葉は、ここ谷保天(満宮)に由来するらしい。

 少し先に進んだの左側塀の上にちょこんと乗った小さな案内板が「
谷保案内」の案内板。これは江戸時代の文人遠藤由晴が著した上下二巻からなる七五調で綴った寺子屋で重用された教科書とのこと。

 矢川のほとり国道を挟んで右側に
五智如来があるが交通量多きため道のこちら側から合掌。青柳福祉センター傍に元青柳村常夜灯が堂々と残っている。更にR20を進むといよいよ懐かしい日野橋交差点だ。その昔次男と一緒に引っ越しトラックに便乗してここを左折した当時を思い出した。ここは5差路で、左折=R20、右折は立川駅方面、直進は新奥多摩街道、旧甲州街道はその右斜めに伸びる細い奥多摩街道である。

 しばらく行くと、嬉しい看板を発見。「旧甲州街道」と角に左折案内が出ている。途中にも立川市作成の看板があり、すっかり古街道の旅人気分になる。体育館先で突き当たり、「
日野の渡し場跡の碑」を見て右折し、多摩川堤防から立日橋へ。多摩都市モノレールの通る橋上から富士山がまたまたくっきりと見える。

 橋を渡り終わり、モノレールと別れて右前方へ進むと日野市民の森スポーツ公園。以前市主催ウォーキング大会参加時のスタート&ゴール地点だ。トイレ借用後R20に突当り右折して日野宿へと向かう。

 川崎街道入口の角に高幡不動尊への道標。高幡山明王院金剛寺は奈良期の建立で高山不動尊・成田不動尊と共に関東三大不動の一つとして有名、かつ当家菩提寺とした所で、境内には新撰組副長土方歳三の立像もある。

 川崎街道入口の先左側に
日野宿本陣。時刻は11:35分。都内で唯一現存の本陣、かつ甲州街道現存三本陣の一つである。数年前までは「日野館」という旨い蕎麦屋になっていたが、新撰組ブームの時に旧本陣たる文化財の位置を取り戻したようだ。因みに、日野館という蕎麦屋は現在日野市役所近くに移転し営業中。移転前は何度か、移転後も一度蕎麦を食べに行ったが「旨い」。

 因みにこの日野本陣内では当主佐藤彦五郎が近藤周助に師事して開いた
佐藤道場があり、近藤勇や土方歳三、沖田総司、井上源三郎らが猛稽古に励んだという。日野宿には本陣1軒と脇本陣1軒があり、実はここは脇本陣で、正確には東隣のマンションがその本陣跡地だとか。道を挟んだ右側が問屋場跡(現・図書館)。当時は高札場もこの街道の真ん中にあった由。

 正面にJR中央本線のガードが見えてくる。日野駅前東信号の少し手前を右斜めに入って行った先を直角に左折してR20を横切ると日野駅東交差点。その先の宝泉寺を越えて右カーブするのが本来の甲州街道で、
坂下地蔵があるが、その先はJR線路でふさがれ現在は通り抜け不可。11:51、駅東交差点まで戻ってJR日野駅高架下をくぐり、すぐ日野駅南交差点左折で大坂上通りを登り始める。

 中央自動車道のガードをくぐり、左に日野大坂上三丁目アパートが続く頃ようやく緩やかになり、日野大坂上の交差点でR20合流して登坂が終わりとなる。

 道に面する右手の日野自動車の大きさは凄い。間口700〜800mぐらいあろうか。時刻はもう12時を過ぎているのでトイレ借用を兼ねコンビニに立ち寄ったところで財布を持って来なかったことを知りびっくり。こうなってくるとやたらにレストランなどの看板が目に付くが、レストランで食べ終わってから財布忘れに気づくよりはましかと諦める。パスモと銀行キャッシュカードは幸い持っていたので銀行店舗ないしはキャッシングコーナーを探すが、R20号沿いには見あたらない。

 12:32八王子市域に入る。12:45八高線通過。murachiのあるR16バイパスを越えた先で左旧道に入り、13:03浅川に架かる大和田橋の北詰めで再びR20に合流。
焼夷弾弾痕跡の解説を読んで橋を渡ったらR20から別れて右斜めの北大通りへ進むのが順路だが、財布不携帯でもあり、高尾駅前までの予定を切り上げ一旦中止とし、残りは追って実施することにして、勝手知ったる京王八王子駅へと足を向けた。