夢のまた夢ー。
 昔、昔のそのまた昔に、歴史上でも有名な豊臣秀吉なる人物が、そんな言葉をのたまっていたというが、あれはそれこそ夢のまた夢ではなかったか。
 宏は雨の中、傘をさして歩くたびに、そう思う。
 生死をさまようほどの怪我を克服した宏は、少しばかり成長していた。
 身体的にも、精神的にもー。
 「ちょうど1年前、ここで俺たちは出会ったんだな。」
 宏はひとりごちた。
 自分を呼ぶ一人称も、いつの間にか『僕』から『俺』になっている。
 電柱には、相も変わらずくだらない大人向けの三行広告が、色あせたインクで書かれてあった。
目を閉じれば、汚らしい仔犬が鼻を鳴らしてすりよってきた光景が脳裏をよぎり、胸が締め付けられる思いがする。
 タロウは、もういない。
 どこにもいない。
 生きているのか、死んでいるのかも分からない。
 とにもかくにも、忽然と姿を消してしまったのだった。
 交通事故で生死をさまよっていた頃、タロウが夢の中の自分に何か大事な事を伝えにきてくれたのは覚えている。だが、それが何であったのか、目が覚めた宏は思い出すことが出来なかった。ただ、命の恩人ー犬だから恩犬だろうかーであることだけは頭の奥のほうで、確信していた。人の直感は、確信に値することが時としてよくある話だが、宏の場合もそうだろうか。
 「おーい! 宏
〜!!」
 ふいに後ろの方から呼びかけられて、思わず振り返ると、同じクラスの友人がランドセルをカタカタいわせながら走ってきた。宏に追いつくと、
息も絶え絶えに、
 「・・・ああ、やっと、・・・追い・・着いた・・・!」
 などと言っているからよほど遠くから走ってきたのだろう。傘を忘れたのか、全身びしょぬれになっている。
 「入れてくれよ。」
 宏の傘に入ろうとした友人を、宏は思わず押し出してしまった。
 その態度に、友人も驚いてむくれたが、さらに驚いたのは宏本人だった。傘に入れてやるつもりこそあれ、まさか押し出すなどとそんな意地悪いことをするつもりは、もうとうなかったのである。
 
 結局、友人はそのまま濡れねずみになったまま、宏の家で着替えをするはめになり、宏も傘に入れてやらなかった責任をとって、自分の服を彼に貸してやるはめになったのであった。
 ようやく一心地ついた二人は目を合わせるなり、どちらともなく吹き出してしまった。
 「なんだってんだろうなあ〜!」
 ひとしきり笑った後、宏は目に涙までにじませて言った。
 「こっちが聞きてえよ。」
 もっともである。
 「ああ、笑いすぎたら腹減った! なんか、食う?」
 「ああ、くうくう!!」
 こうして二人は、スナック菓子をものすごい勢いで食べたのだった。