1997.08.05(月)
 マラガへの移動日。まずホテルのフロントにスーツケースを預ける。地下鉄の乗り方はもう慣れた。順調にアトーチャレンフェ到着。アトーチャ駅への連絡通路で、通りがかりのおばさんがレンフェはあっちだよと教えてくれた。ところがその先が大変だった。

Panic:ついた駅にはマラガ行きの表示がない。どの時刻表にもマラガ行きはない。インフォーメーションにも誰もいない。英語すら通じない世界でスペイン語の右と左くらい覚えておいて本当によかったと思う。教えられるままにマラガ行きの乗り場にたどりついたら、そこは長距離線専用のホームだった。アトーチャ駅では近距離線(セルカニアスcercanas)と長距離線(ラルゴlargo recorrido)の乗り場が完全に分離していたのだ。

 長距離線だけのホームは確かに乗りやすい。同一時間に出る便もないし、表示もしっかりしている。列に並ぶと旅慣れない地元の老人が、スペインは初めての私に、「これはマラガ行きかい?」などと聞いてくる。「スィ Si」(そうだよ)などと答えてしまった。
 定刻マドリード発。途中居眠りしている間に風車の見えそうなポイントを通過してしまった。でも乾いた広大な大地はどこまでも続く。マラガ近くになると乾いた山地に入る。すでに家は白い。ミハスもこんな感じかと思う。
 マラガについてタクシーでホテルへ。4つ星で窓も部屋も広い。欠点はトイレ。

Panic:マラガは水が少ないという情報があったので、部屋に入ってすぐトイレの水を流してみた。問題ないようなので大きい方をしたら流れない。水流が極端にゆっくりなのだ。少し待って流してみたがやはりダメ。しばらく待ってタンクの水が満杯になってから流したらは今度きれいに流れた。情報は確かでした。この地方にくるときは気をつけましょう。

 リュックをしょっていざミハスへ!!。そしたらマラガ駅でまたアクシデント。

Panic:切符を買おうとしたら「ここじゃない」と言われた。フェンヒローラへは近郊線すなわち電車で行くのだ。近郊線乗り場に行ったら今度は料金表がわからない。「2」が200Ptsとなっていたので、二人で200Pts、往復でも400Ptsだと思ったら、一人往復490Pts二人で980Ptsだった。「2」はZona(区間数)のことで、フェンヒローラへは5区間あったのです。

 フェンヒローラまで約50分。終点で降りたが今度はバスターミナルがわからない。行ったり来たりしたあげくに売店で水1.5リットル100Ptsを買って「ドンデ エスタ テルミナル デ アウトブセス?Donde esta (la) terminal de Autobuses?」(バスターミナルはどこですか)と聞いてみた。返ってきた言葉は「デレチャ delecho」(右)。大きな身振りで右に曲がるべき交差点を指さしてくれた。言われた通り進んだら標識にAutobusとしっかり書いてあった。さらにアクシデントは続く。

Panic:ターミナルで切符を買おうとしたら、「バスの中で買え」(と言ったんだと思う)と言ってミハス行きのバスを指さした。山奥のミハスまで二人で500Ptsはかかるだろうと思って1000Pts札を用意し、バスに乗ろうとした。スペイン語で料金を言われ、次に英語でワンハンドレッドアンドナインティと言われたがピンとこない。ムッとした表情で運転手が紙に190と書いてくれて料金はわかったが、小銭が足りなさそうだったので再度1000Pts札を出したら、また小銭でくれと言われた。”No small change”と言って持っていた小銭を全部見せたら、自分で数えてとってくれた。ギリギリあったようだ。山奥の村へ行くのに一人95ペセタだなんて安すぎる。

ミハスまで20分。とにかく白い、きれいな、そして臭い町だった。観光用のロバの糞尿のにおいが立ちこめているのだ。でも家並みはとてもきれいだし、観光客の多いところをはずれたら家並みはさらにきれいになり、悪臭もしなくなった。(写真は観光コースをはずれたミハスの家並み)

 猫、犬、鳥そして家並みの写真をとり、果物や扇子を買った。扇子は一本300Pts弱、果物類はプラム2個、トマト2個、りんご1個を買って全部で82Ptsだった。日本円で62円にしかならない。町をぶらぶらし、次に闘牛場へ行こうとして道に迷った。(写真はミハスの猫)

Panic:確かに闘牛場の方角に進んでいるのだがいっこうにたどりつかない。坂が急で道を一本ずれただけで隣の道へはいけないのだ。こうなると得意の磁石もほとんど役に立たない。来た道を引き返す途中で、おでかけ直前のおばさんに「ドンデ エスタ プラザ デ トロス ?Donde esta plaza de toros?」(闘牛場はどこですか)と聞くと、「簡単じゃないよ」という答えが返ってきた(と思う)。 そして「モメント」といってお向かいさんに一声かけ、身振り手振りで闘牛場へいく最終の曲がり角まで連れていってくれた。その道だって上下に分かれていて上を指さされなければ別の道に迷いこんでいただろう。おばちゃん、ありがとう!!!

 せっかくたどりいたんだからと、お金を払って闘牛場に入り、記念写真を撮った。小さな闘牛場で、いかにも村の闘牛場といった感じがした。土の上にも降り立ってみた。四角い闘牛場は珍しいのだそうだ。記念写真の後は目の前のカフェで軽食。スーモ デ ナランハ(オレンジジュース)がおいしくておかわりしてしまった。ボーイさんには帰りの道順まで教えてもらった(紙に書いてくれた)。やっぱり田舎の人はやさしい気がする。(写真はミハス名物、四角い闘牛場)
 帰りのバスは今度はしっかり190Ptsにぎりしめて乗った。でも、来るときとは別の運転手だった。残念。フェンヒローラで道を教えてもらった売店で、お礼がてら水をもう一本買った。「アグアビータ、シエン(冷たい水、百ペセタのやつ)」。マラガ着21:30頃。はじめて自宅へ電話した。

Point:国際電話をかけるとき安くて便利なのがVISAなどのカードを使える公衆電話で、次がテレフォンカードの公衆電話。ホテルの電話も直通でかけられますが施設使用料が加算されるため割高になります。日本国内のホテルでは公衆電話の3倍近く請求されることがあるといいます。でも結局便利だからついついホテルの部屋からかけてしまいますが・・・・・。

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