鉄道旅行記
鉄道の日記念フリーきっぷ 2001年10月 (2001/10/23火 公開)2001年10月上旬の連休頃、急遽関西へ帰省する事になった。幸い、下り「快速ムーンライトながら号」の指定券が取れたので、「鉄道の日記念フリーきっぷ」も合わせて購入する事にした。
今回のテーマは、
1.東海道本線
2.房総半島
1.東海道本線
あえて旅程は記さないが、東海道本線の初体験ネタおよび記録しておきたいネタを公開する。
横浜駅
横浜駅北口男子トイレの“大”の方は各個室に列車名が記されている。懐かしの「みずほ」も見える。他には「瀬戸」・「出雲」・「銀河」・「踊り子」もある。現役の特急「東海」や「成田エクスプレス」が無いのがおもしろい。しかし、わざわさ“使用中”を点灯されるのも嫌である。見たら分かるだろうが。さすがにトイレでカメラを取り出すのは気が引けた。また、女性トイレは取材不可能である。
熱海駅
伊豆急行100系熱海駅では引退目前の伊豆急行
100系車両にお目にかかる事ができる。伊東線はJR車両のみならず、伊豆急行車両も走っている。ここで注目すべきは旧グリーン車の格下げ車である。上記186形は元回転クロスシート車で、国鉄サロ111形に準じた設備を持つ。182形はシートピッチも拡大された元回転リクライニングシート車である。現在はどちらも向かい合わせで固定されている。
JR
東海新快速 新聞輸送旅客列車による新聞輸送が行われている。
美濃赤坂駅
大垣
-美濃赤坂間には支線が出ているが、ここも東海道本線である。このような路線の例は他にも山陽本線・山陰本線・東北本線などでも見られる。大垣
-美濃赤坂間の荒尾は正真正銘の一面一線の駅であり、大垣-垂井間の“本線”からでも見る事ができる。私の乗車日には新人の?女性車掌さんの教育が行われていた。下り列車は大垣出発後にきっぷを回収に来る。
美濃赤坂には奥多摩工業のホキがたくさん置いてあった。
米原駅
洗面所米原駅の
5〜8番線ホームは古いホームである。これは7・8番線ホームの写真だが、ホームの嵩は低く、洗面台が蒸気機関車時代に要衝であった事を物語っている。
2.房総半島
きっぷの有効期限の終了間近となったある日、水郡線に乗りに行こうと思っていたが、疲労の為、午後からの出発として行き先を房総半島に変更した。
房総半島を
大原行きの快速はありがたい存在である。茂原を出ると揺れが激しくなった。連結面が激しく音を立て、吊革は大きく揺れていた。
房総半島の先の方ではマナーの悪さが際立って目に付いた。禁煙車なのにタバコを吸いながら酒盛りをするおっさん連中やバカ高校生の傍若無人ぶりは目に余るほどだった。
行川アイランド駅は行川アイランドの廃業した今後も駅名をそのままにするのだろうか? また、房総半島の先の方では特急が各駅に停車していた時代もあった。レジャー形態も変わり行くものである。
183系で運転されている房総特急「わかしお号」と「さざなみ号」は2000年12月からグリーン車が外されている。グリーン車取り外しについては私の苦情も引金ではないかと思っている。私は苦情や投書などを行う人種ではないが、2000年4月にあまりにむかついたので苦情を申し出た事があった。私は「特急さざなみ16号」のグリーン車に乗っていた。この列車は途中の君津まで普通列車として運転されていたが、この区間はあきらかにグリーン券を所持していない連中がたくさん乗っていた。更にバカ女子高校生の騒ぎぶりは目に余るものであった。しかもサロ183には専務車掌室があるのに、そこに車掌は乗務しておらず、なんと木更津から車掌がたくさん乗ってきて検札を開始したのであった。私以外のグリーン客も車掌に苦情を言っていた。そもそも正規の料金を払わずに乗ってくるバカが悪いわけだが、検札すら行わなずに事態を放置したJR側にも私はむかついたのだ。車掌は「私は木更津からなもので…」と言う。その車掌氏が悪くないのは分かるのできつくは言わなかったが、グリーン車の扱いを真面目に行わなかったJR東日本に対して後日書面での抗議を行った。グリーン車の締め切り扱いや乗務車掌をグリーン車に配置するなど、ほとんど無コストでの対策はいくらかあったはずである。ここで誤解の無いように言っておくが、グリーン車に乗っている学生の全てが無札とは言い切れない。総武本線の沿線では、朝ラッシュ時の圧殺事故防止の為に低学年にグリーン定期を持たせている小学校もある。
錦糸町駅乗換え案内。
大原行きの快速まで少し時間があったので、馬喰町や錦糸町をうろついていた。注目すべきは錦糸町駅の乗換え案内板である。総武快速・横須賀線系統は全て
E217系に置き換わっているのに、なんと快速はスカ色の113系が描かれている。