Essay

注意書き

わしの通うジムには風呂屋が併設してある。

ジム利用者だけでなく、一般の人も利用できる

上等な銭湯みたいなものである。

サウナ泡電気露天などなど、様々な風呂があり、

かなりの客を呼び込んでいる。

 

で、その洗い場に注意書きが貼ってあるのだが、

気になったのでここにそれを記したい。

 

 

 

「洗濯・散発・毛染めはご遠慮下さい」

 

「?」と思った人のために。

 

 

 

 

「洗濯・散発・毛染めはご遠慮下さい」

 

 

まだ判らない?

 

 

 

 

「洗濯・散発・毛染めはご遠慮下さい」

 

阪神のような打てないチームは来るなという事なのか?

 

 

 

まあ、三発だと栗の花の匂いが充満しそうで

なかなかメルヒェンな風呂になって

ぶちくそイヤですが。

 

 

で。 更にその下には。

 

 

 

 

 

風呂桶の移動はご遠慮下さい」

 

 

 

・・・・・・・・・・

 

 

アンドレ・ザ・ジャイアントが百人いても無理だと思います。

一般家庭の浴槽ならいざ知らず、

公衆浴場の浴槽は運べないと思います。

しかもそのほとんどはコンクリートです。

重機持って来ないと無理です。

ちなみにこの風呂、五階にあります。

重機持ち込めません。

 

で、ふと思い当たった。

母体がマ○○ルなので借金のカタに

浴槽を持って行かれることを恐れたのか。

どんなところから借りたのだマイ○○

いくら非合法の金貸しでもそこまではしないと思うぞ○○カル

そんなにやばいのかマ○カ○

不安だぞ○イ○ル

潰れないでくれ○イカ○

 

 

 

で、調べて知ったのだが最近では洗面器のことを

風呂桶と呼ぶ風潮もあるようで・・・・・

 

 

2001.2.4

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つれ

今回は宛てのない私信的な文章であることを先にお詫びする。

 

この31と半年の間に。

連れ、正確に言えば連れと呼んでいたヤツが、

何人か姿を消した。

調べる気になれば、調べることもできるのだろう。

住所、電話番号、メアド・・・・

例えば借金抱えて夜逃げしたのでもない限り、

連絡をつける方法など、幾らでもあるだろう。

本当に姿を消したのではない限り。

 

自惚れと思い込みを承知で言うが、

連れ=友人には恵まれていると思う。

わしにとって「連れ」とは、頼れるヤツであり、

頼ってくれるヤツの事である。

そんなヤツらが、両手に足りないほどいる。

学校、サッカー、ネット・・・・・

様々な領域で人間関係を形成し得たと思う。

万人に好かれる人間ではないのはよく理解しているが、

そんなわしに信頼を抱かせてくれる人々には、

常に感謝しているつもりである。

そんな中で。 連れと信じ。

信頼できると信じた何人かには、

既に連絡が取れない状態になった。

 

元々頻繁にコミュニケーションを取ろうという性格ではない。

疎遠になっている内に、連絡が取れなくなっている、という状態だ。

 

いずれかと言えば性悪説を信じている方であり、

自己矛盾と言われても当然のことなのだが、

彼らを一端信じた以上、今後も信じ続けるだろう。

なんらかの理由があって、連絡が取れないだけなのだろうと信じ続ける。

彼らから、もう連絡は取らないと言われない限り、

連絡があり得ないと確信できる事実がない限り。

 

いつか彼らから、ひょこっと電話なり、メールなりがあるだろう。

その時わしは、時の隔たりを忘れるだろう。

彼らの力になれるものならなりたい、という気持ちに変わりはない。

例え、疎遠な期間が10年、20年になろうとも。

 

わしにとって信頼するというのは、このようなことなのである。

 

 

2001.2.8

 

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もう一人の自分

カールさんよりお題をいただきましたので、

ちょっとこの辺でまとめてみたいと思います。

 

いや、別にここで書けとは言われてないけどね(笑)

 

 

もう一人の自分、について書く前に。

 

わしは、自分のことが大好きである。

この好きさ加減と勝負できるのは愛妻ぐらいである。

この辺とかでも触れたけど、

わしを可愛がってくれる人、くれた人がいて、

連れにも恵まれている、

というのは自分がいいヤツに違いないという盲信を与えてくれるし、

こんなにタンクトップが似合って、

甲斐とフットボールを愛していて、

仕事も100%ととは言わないがそこそここなして、

田舎に帰れば山があって、

PCで写真いじれて、

 

可愛いいのに家事も

しっかりこなす

奥さんがいて・・・・・・

 

まあこのぐらいにしといてやりますが、

こんなヤツはそうそういない。

 

もう、自分の中では自分がスーパースターです。

世の男どもがわしに平伏さず、

世の女性がわしを見るだけでパンツ脱いで足開かないのが不思議です

 

自分の中では神様仏様よりえご様です。

はい。

 

・・・・・・バカ丸出しじゃね Y(>_<、)Y

でもまあ、内心の利己的な部分のみを言えば、

完璧にこうです。うん。

もっと褒めてもいいかなってぐらい。

 

自分を好きになるように育ってきたのだと思うし、

わし自身の存在を否定しないように育てられてきたせいだもあると思う。

両親や祖父母に存在否定を受けた憶えはない。

存在することを前提として、全ての躾、教育を受けてきたと思う。

存在が許された以上、存在するものをわし自身で否定することはない。

 

否定されるべき部分ももちろんあるにはあるが、

肯定されるべき部分はそれ以上にあっていいと信じている。

否定されるべき部分のほとんどは妥協しうる部分であっていいと思う。

肯定されるべき部分だけ上のように述べれば、

もうわしは素晴らしき存在かと思える。 ←思わんでもええって

 

 

 

でもね。

もしもう一人、わしと同じ嗜好思考志向施行様式の人間がいたとしたら。

自分では妥協している部分も、否定すると思うね。

肯定している部分も、否定的に捉えるじゃろうね。

自分のネガティヴな部分、挙げたらキリがないもん。

 

マザコンじゃし打算的で計算ばっかりしとるし

優柔不断でイヤって言えんのも打算のせいじゃし

すけべえじゃし100%仕事こなせんし車は親父のお古じゃし

単車は金がないって言い訳でノーマルのままじゃし

汗かきで足短くてがちゃ目で酒煙草好きで毛は抜けるし

口ばっかりで行動は付いてきてないし

口調偉そうじゃし態度でかいし

言葉遣い知らんしすぐどもるし

どもるのも喋りながら計算しとるせいじゃし

 

・・・・ね。

これ以上書くと今にも自分で首締めそうなんでもうやめるけど(笑)、

手に取る以上に解るわけでしょ、同じ嗜好以下略の人間なら。

仮に綺麗事を口にした処で、

その裏にある打算とか計算とか全部見える訳でしょ。

 

それがどのくらいまで打算的なのかも、ね。

 

最低って言い切ってもいいね。

世の中の罵倒用語全て並べても足りないね。

いや、表現する言葉なんか存在しないね。

もう、抹殺するに躊躇いはないね。

うん。

消していいよ、こんな存在。

言葉なんか要らない。

言葉かけるだけ無駄。

 

殴るにしても。

自分の手に傷付くんがイヤじゃけ、

絶対武器持つね。

 

その武器も、一番エグい角度で当たるようにするね。

 

棒系統のモノなら、先で突くな、絶対。

箱系統なら角じゃ、角。

紐系統なら迷わず首締めるよ。

 

 

結局、人間関係の成立は見える部分によって

認知か否認かが決定づけられるんだろうけど、

逆に見えない部分があるからこそ 成り立つものなのかも知れんね。

自分自身ですら、見えない部分がそれでもあって、

だから肯定と否定の間でバランスが取れるんだろうね。

 

上に書いた様に両極端じゃ、どうしようもないでしょ。

 

中途半端って、案外いい言葉かもしれない。

 

んで、こういうもう一人は、もっとイヤです。 (CRY発言より)

 

 

 

2001.2.16

 

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自戒

Profileでも言っていた事だが。

わしらの職業は、ろくなもんじゃない。

 

人の痛みと苦しみ。

これらがなければ成り立つものではないのだ。

 

言うなれば負の部分を0にすれば大成功の職務なのだ。

0まで、元の状態までに戻すことなどあり得ないと言っていい。

マイナス10をマイナス5にする程度が関の山だ。

 

いずれにしろ、正を与えるものではない。

痛い処に付け込んで飯を喰らい、銭を得る。

苦痛を誤魔化して、礼を言われる。

 

卑下するまでもなく、卑賤な職業である。

金を払ってもらい、「有り難うございました」などと

礼まで言われる職業など、この世に幾らあろうか。

 

礼は、通常与えられた事に対する喜びに際し口にするものである。

与えるものなど何もない以上、

礼を言われる筋合いなどないのだ。

 

とは言え、一般的な社会人としては

無言で立ち去ることも出来はしないだろう。

飲食業のように「ごちそうさま」と言うわけにもいかず。

人間と人間の直接的な接触がある、

すなわち純粋な商行為、取引ではない以上、

何かを言って、でなければその場は収束しない。

無言では、いわゆるケツの座りが悪い状態になってしまう。

 

詰まる処、わしらが受ける「礼」は

社会関係を保つ上でのいわば儀礼的行為であり、

本質的な謝意ではないのである。

 

また、そうであってはならないのだ。

何をも与えるものでは無い職務である以上。

 

常に、そう思う。

 

 

 

 

 

そう思わなければ、やっていられないから。

2001.2.27

 

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コンタクトレンズ

 

大学二年以来、コンタクトレンズを使用している。

それまでは、右0.02〜0.05、左0.3〜0.4+乱視という視力なのに

裸眼でサッカーをやっていたという、

今から考えれば無謀この上ない状態だった。

裸眼で、つまりはよく見えない状態でプレーをし続けたため、

距離感が掴めない悪い癖が残ってしまった。

浮き球に異常に弱いのだ。

コンタクトを使用し始めてやや改善はされたものの、

今でも失点の三分の一は浮き球、いわゆるループシュートなのである。

もっと早くから使っていれば・・・と後悔している。

 

使い始めた頃は使い捨てレンズもまだ普及しておらず、

まして上記のような視力に太刀打ちできる

使い捨てなど存在していなかった。

もっとも、使い捨てでなくても仕事に支障無い程度の

視力は得られた試しがなかったが。

結局仕事は眼鏡、サッカーはコンタクトと使い分けていたのだが、

やはり眼鏡は邪魔になる。

 

ある程度の仕事まではコンタクトでなんとかならぬものかと

相談してみたら、最近のなら何とかなるだろうと言われ、

現在試用中である。

 

果たしてこれが結構見える。

眼鏡のように完全に乱視を矯正するところまでは行かないにしろ、

仕事にはほぼ差し支えない。

長時間となるとどうしても乾燥してくるので、

結局は使い分けなければならないようだが、

まあこのぐらいならよかろう、という感じである。

 

で、現在試用レンズを週に3回ぐらいは装着している。

軽めの仕事の時または休日に。

 

休日と来れば周知の通りわしはジムに通っている。

眼鏡無しのトレーニングは非常によろしい。

汗で眼鏡が汚れることもなく、

かえって汗のおかげでレンズの乾燥が防げる。

何より、視野が広いのが嬉しい。

トレーニングしているおねえちゃんを眺めるのに、

首を曲げる必要なく横目使いで十分なのが。

ベンチプレスをする時、特に限界重量の場合、

肘を曲げすぎると上げられなくなってしまうので

どこまで下ろしたか横目で確認できるのだ。

これまでは首を回す必要があり、

限界の重さを支えつつ首を回すのは負担が大きく、

傷める可能性もあったのだ。

コンタクトのおかげで、

安全にベンチプレスできるようになり、

トレーニングも充実してきた。

打倒イチリヤマにまた一歩近づきつつある。

 

しかし、問題はその後である。

ジムに付き物の、風呂である。

以前も言ったが、ここの風呂は一般にも開放してある

ちょっとお高い銭湯である。

ジムで躰を鍛えようとしていない人々も多く利用している。

 

ということで、見事な中年太りの、

いやさ若年太りも含めた

トドの群が浴室に集うのである。

正確に言えば、集っていたのである。

生まれてこの方、風呂に眼鏡をかけて入ったことなどない。

要するに、いたとしても、その存在が視界に入ったとしても

それは湯煙と近眼乱視により茫洋とした存在感であり、

リアルな物体として意識されたことがなかったのである。

そしてこの度、めでたくその人々を明確に視ることができたのである。

 

身長の高い人から低い人まで、

まあよくもそこまで、

と何回言えばいいのか 判らないほどの大コロニーである。

 

ま、もちろん言わんのんじゃけどね(笑)

 

それでも。ここまではまだいい。

少なくとも、漠然とながらそういう人々がいることは判っていたのだから。

 

耐えきれないのは、毛深い人である。

すね毛や胸毛ならまだしも。

 

 

 

 

 

 

 

尻に生えた毛の一本一本

がはっきりと認識されるのである。

 

 

 

・・・・・・

失礼ながら、吐き気をもよおしてしまった。

 

 

 

 

風呂に入るときにはコンタクトを外してはいるべきかどうか、

真剣に悩んでしまう桃の節句であった。

 

2002.3.4

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システム

 

大迷惑なことに、職場のネット環境が変わった。

アウ○ルックを止めたまでは、

マイク○ソフトが大嫌いなわしにとっては良いのだが、

フィルタリングシステムは全くもって迷惑である。

息抜きとして、憩いとして、素よりの趣味としての

エロネットサーフができなくなったのはまだ

許したくはないが社会的公共的に許せなくもない

なにが迷惑と言って、

田中一郎ならびに大森信和両氏のサイトが

職場で観れなくなったのである。

公序良俗に反するものではあり得ないのにも関わらず。

 

もちろん、フィルタから外す事も可能ではあるのだが、

まさか自分の趣味のために

おどれら去年の秋わしがどんだけボランティアで

イベントの仕事したと思うとるんなら

そのわしがネットでエロだけならいざ知らず

1ROや大森さんのページまで観れんとはどおゆう事じゃ

しかもわしゃおどれらがちゃんと教えてないせいで

パラメディカルの研究発表の手伝いまでまさに今やっとるんじゃ

しかもネスケが使えないシステムにしやがって

このわしに喧嘩売っとるんかおどれら

おかげでIEダウンロードする羽目になって

ダウンロードしたら今度はネスケもOKですって

わしのHD無駄に使わせやがって

ノートンかける手間暇も要るようになったじゃろうが

このど畜生めら

わしの趣味の邪魔するな

文句あるんなら今後ボランティア作業から一切手を引くど

それがイヤなら

フィルタを外せなどとは言えない。

 

一介の職員として、泣き寝入りするばかりである。

 

 

しかも、それだけではない。

 

このシステムでは、一部形式の添付書類が壊れてしまうのだ。

マックライトだけならいざ知らず、

simple textで作った書類すら素では読めない。

 

わざわざ忌み嫌うアプリを使わざるを得ないのである。

そう、マイ○ロソフトのアプリを。

 

それを持ってしても、マックライトの書類は読めないのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

と、いう訳で、本来ならUpする予定だった

StoryがUpできないでいる。

Blue Letter並の長編なので、

ぼちぼち連載するつもりであったStoryが。

 

 

 

 

 

2002.3.9

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ホワイトデイ  

冬の風物詩みたいなもんで、

この時季バレンタインのお返しに苦慮する男性は数多いと思われます。

ほんとに多いぃんかどおかは知らん。

 

ま、侍魂じゃないですけど、

見返りを期待している女性も多いかも知れませんね。

 

かく言うわしは愛妻を除けばボランティアの見返り以外に

貰ってないので返す必要もなく、

むしろチョコより酒よこせって感じなんで、

な〜んにも考えずに済んで楽なんですけどね。

ちょっと寂しいよおな気がしないでもない

 

 

でまあ、周りに女性の多い職場事情ではありますんで、

数多く貰う人も中にはいるわけですな。

基本的に毒ッ気のない、柔らかい人物で、

まあ勘違いもされないだろうっていう人物。

要するにわしとは全然違うタイプの人間ね。

 

しかもそういう人に限ってきっちりお返しをする、と。

そんな方が近くにいるんですが、

この人のお返しが凄まじい。

 

 

思えばわしら自身の結婚式でも、

「貰って困る迷惑な物」というコンセプトで

プレゼントを選んだこともあります。

その節はご迷惑をかけた方もいらっしゃるかとは思いますが

m(_ _)m

 

 

まあ、ネタとしてはこういうのもありかなって思うんですが。

それがその人はおそらく真面目にそういう物を

お返しとして選ばれたんだろうと思われます。

ある種真面目な内容の本です。

 

しかしプレゼント系には絶対使えない本です。

先程毒ッ気のない人物、なんて書きましたが。

ある意味。

 

 

毒てんこ盛りです。

 

 

その本のタイトルは 。

 

 

 

 

 

 

 

9.11

アメリカに報復する資格はない!

 

 

 

失礼ながら、笑い転げてしまいました。

 

2002.3.14

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怖い物

 

 

 

 

 

親父

 

 

 

 

人事

 

 

 

 

論文

 

 

 

 

実験

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

マッチョ

(脇毛無し)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「9.11」をホワイトデーに送る人

 

すまん、まだおもろい(爆)

2002.3.23

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音楽

花見するにも暑さを感じる程の午後。

天気は一変し突風と雨が吹き荒れる中、

「ありがとう宝塚朝鮮初級学校」

と題されたイベントが始まった。

 

このイベントに参加する朴保さんのサポートに

松藤さんが入るとの情報を得、宝塚中学校を訪れたのである。

同席するは熱き色侍、Joseである。

 

 

考えなくても「?」と思わずにはいられない。

右翼的思想の持ち主二人が仲良く並んで

このような席にいるとは   (^_^;

 

正直、朴保、セッシー・トモ、松藤英男の三氏が

ステージ上に上がるまでは居心地が悪くてしょうがなかった。

「ケツの座りが悪い」というのはこの事である。

 

 

ただし。

 

一応断っておくが、わしはコリアンのみならず

異国の地に国籍をそのままに住む人々の

民族的意識、感性の発露をも否定、差別するものではなく、

Joseの言葉を借りれば「健全な」ものとして

両手を挙げて肯定すべきものと考えている。

 

国籍を変えたくない民族的感情は認めうるものであるし、

そのような状況に置かれたとき自分自身が同様の行動を取るであろう事は、

推察に過ぎないが おそらく必然的なものであろう。

 

例えば、これからアメリカに永住するとしても、

おいそれとは国籍を変えようとは思わないだろうし、

自分の持つ文化の否定は許さないと思う。

 

わしが否定、批判するものは、

 

民族的活動に名を借りた恫喝や誹謗である

 

これは明言しておきたい。

 

朴保さん、トモさん、松藤さんがステージに上がる。

体育館という場では音響もきっちり、

とはいかず 詩の内容が聞き取れない事も多々あった。

 

朝鮮語で唄うときに判らないのは自明なのだが(^_^;)

 

ただ、三人が気持ちよさそうに演っていることは明確だった。

わし自身、気持ち良かった。

わしが気持ちいい等と言うと誤解されそうなのだが、

そのようないわゆる快感系ではなく

心地良い系の気持ち良さ。

例えるなら日溜まりで眼を瞑ってゆっくり呼吸するような感じ。

三人の音が調和し、音も立てずに躰に浸透してくるような錯覚。

 

正に、音を楽しむ三人。

 

客はというと、大半がエレキギターとは

関わりのなさそうな人々ばかり。

 

その彼ら、彼女らでさえ、

戸惑いながらも音に浸って行くのが判る。

 

幼い子供達には通じなかったようであるが(笑)

 

朴保さんに促され手拍子を始める人々の半分ほどは、

躰を動かしたくてしょうがなかった人達であろう。

もちろん、わしも含めて。

「東京アリラン」という曲の際、

朴保さんは客席とステージの間にあるスペースで

アリランを踊って下さい、と曰う。

 

曲が始まり、気づけば、10人を越える人々が踊っている。

民族、文化に染みついたリズム。

スイッチを入れればもう止めどのない衝動、なのだろう。

 

小さな小さなライヴではあった。

 

純粋に、音に浸るためのライヴではなかった。

しかし、「東京アリラン」これだけで素晴らしいライヴだった。

エイトビートとは無縁の人々がリズムに乗り、踊った。

躰に流れるリズムに任せ、老齢の人々をも乗せた。

純粋且つ健全な衝動に駆られた人々が、そこにいた。

 

それ以上に、何が要るというのだ。

 

微かな、しかし、強い希望。

軋轢を打ち消す、何か。

 

2002.4.10

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