Essay

 

 

新聞

ほんとにどうでもいい事だが、常々むかつくので言っておきたい。

新聞のスポーツ欄におけるフットボール選手の名前の表記である。

確かに数多くの選手がいて、ワールドワイド、

つまり多国籍に選手が存在するスポーツなのであるから、

選手名の表記が容易い事ではないのは認めよう。

しかし某M新聞のように、ある日には 「カシーリャス」と書き、

その翌日には 「カシジャス」と書く、その不統一はなんとかならないものか。

どちらもレアル・マドリッド(マドリー)のゴールキーパーであるが、

前者は英語風読み、後者はスペイン風読みである。

 マスコミ全体で統一しろとまでは言わないが、

せめて同じ新聞であれば同じ表記にしてもらいたい。

英語風読みなら英語風、母国語読みなら母国語読み、と。

正確な発音を日本語表記することなどできないのだから、

どうやっても日本語風になることはしょうがない。

ならばせめて統一するのが選手やその母国に対する礼儀ではないのだろうか。

 もう一つ、これもM新聞に多い事なのだが、

例えばアントラーズの監督は 「トニーニョ・セレーゾ」であるが、

これはフルネームと勘違いしているとしか思えない表記がよくある。

よく「セレーゾ監督」と表記してあるのを見かけるのだ。

少し詳しい人ならご存じだろうが、ブラジル人の名前はほとんど「じゅげむ」状態に長い。

だから、ブラジルの選手はほとんどがニックネーム様の

「フットボール・ネーム」を持つのである。

例えば「ジーコ」が「ちびっこ」という意味であるのは有名な話だ。

これはブラジル以外の国でも同様で、長い名前の選手はフットボールネームを持つ。

 更に、メジャーネームの存在もある。

少なくともキリスト教、イスラム教においてはよく使われる名前と言うものがあるのだ。

聖書など聖典に端を発する名前である。

そういったものがある時、省略するにしても限りがある。

同じ名前がいくらでもあるのだから。

すなわち、トニーニョ・セレーゾ、ロベルト・カルロスいずれにしろ

省略の限りを尽くした名前なのである。

 さてこう考えると、上記の省略が如何に失礼なことか即刻理解いただけると思う。

読む方からすれば、誰か判らないという事にもなりうるのだ。

どこの誰か明記するのがスポーツ選手に対する礼儀であろう。

その明記するための名前であるフットボールネームを省略することは、

その選手の意思を無にする行為であり、

またそのような外国のスポーツ文化に対する冒涜でもある。

 過去において行われた自国の戦争を侵略と非難する新聞が

現在でも他国の文化を無視しているという

自己矛盾を端的に示す事例である。

2001.9.9

 

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閑話休題

 ふと気づいたこと。

 

 

真ん中の髪の黒いねーちゃん

 腰振り過ぎ

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2001.10.12

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