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記憶

 忘れられるものならば忘れたい事、

消せるものなら消したい事など沢山ある。

しかしそう簡単に記憶が消える筈もなく、唐突に甦る事もあり

記憶というものは非常に厄介な代物である。

そんなものは誰しにもあるものなのだろう。

恥ずかしいとしか思えない記憶、

思いだした瞬間に滝のような汗と涙を流さずにはいられない記憶。

 先日の新聞記事を見て、わしは汗と涙を流さずにはいられなかった。

 

 

 

 

横浜銀蠅の嵐、

自由連合より参院選出馬

 

 

 

あぁ・・・・・・

しかも二重・・・・・・・・・・

2001.6.21

 

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変。

「警察呼んだる〜〜〜」

と携帯に向かって叫びながら 通り過ぎた女性

 

 

 

 

「兎飼って運命変える」とのたまい即日兎を購入。

舌の根も乾かぬ一週間後、同僚に向かい、

 

 

 

 

「ウチの兎うるさいから

面倒見て」

等とのたまう女性

 

彼と別れた「決定的な理由」が

「味つきご飯の好き嫌い」 だったという女性

 

 

 

社民党

 

 

 

イントラネットがあるのに何故かフロッピーを持ち歩かねばならない□▽○央B×

 

人の職業を知るや否や質問責めか説教を始める人々

 

 

 

 

職場に於ける存在意義

 

わしが通っているジムで笑顔と独り言を絶やさず鏡に映った

自分の二の腕を見て満面の笑顔を広げる痩せこけた男性

 

 

わしの名前を良い名前だと思いこんでいた母親

 

学会等で顔を合わせるとその晩必ず無言で電話してくるい○う君

 

くっと叫んだ元上司

この意味がどおしても知りたい人はメールしなさい

2001.6.27

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政治的無関心

 参院選が近いらしい。

らしい、というところで既にお解りいただけてると思うが、

はっきり言って関心がない。

とりあえず民主党と社民党が票を伸ばさなければいい。

結局比較的、相対的に信用できそうなのは自民党しかないのが現状だが、

かといって自民党の政策に賛同するものではない。

他の政党はそれ以前の問題である。

  現在の政党に対し、信用がおけない理由は断固としてある。

リアルな数字を見せていないのである。

例えば社民党のように、自衛隊を廃止し、災害救助隊として再編するという政策には一理を認める。

しかし、しかしである。

その災害救助隊の編成時または維持にかかるコスト、

失業するであろう現在の自衛隊員の生活の保障は何も示されていない。

それ以前に、災害救助隊が万が一の軍事的被害〜ミサイル、化学兵器など〜に

対応できるか否か、は論じるまでもない。

「痛み痛み」と馬鹿の一つ憶えを声高に喋る人自体も存分に「イタイ」。

 卑しくも政策というのであれば、かかる費用、起こりうる効果、利益、損失、

それらについて明確に論じるべきではないのか。

そうでなければ「策」とは呼べない。

ただの「見通し」である。

ただの見通しに生活を委ねる気にはならない。

 だから、わしは政治的無関心のまま31になったのである。

 

2001.7.15

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政治的無関心になれない事

 鳩山由紀夫の髪型・・・・・・

 

 

 

 

 

 

 

金正日と同じ

 

2001.7.17

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不毛

 

 というよりむしろ。

わしの眼に入れたくないものが多い。

某公式BBSはもちろん、TVで放送される参院選の無意味な党首会談も。

 

そんな折、一通のDLが我が家に届いた。

そのDLには、

 

 

 

田嶋陽子

 

 

 

 

満面の笑みをたたえている。

 

 一言で言わせてもらうと、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

きちゃない。

 

2001.7.22

 

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思想

 

 正直に告白してしまうが、高校生の頃は左翼的思考だった。

それに至るまで、わしに影響を与えたのは本やTVなどからの情報だったが、

根本的な原因というものは他にある。

 強大な父権である。

絶対君主に思えた父親に反発し、我が身の正当性を自分自身で認めるため、

わしは左翼的思考に委ねたのである。

もちろん、強大と言えどそれは己の卑小さ故にそう思えただけのものであり、

別段親父が傍若無人であった訳ではない。

そう思っていただけの事である。

 前にも書いたが、それはわしを庇護するためにそう振る舞っていただけの事である。

理屈で語り得ない何かを、親父は掌に託しわしに伝えようとしていた。

それを理解し得た時。

人間の繋がりをも理解し得た。

少なくとも、その一部を理解した。

 代々において脈々と続く「教え」というものがある。

所謂縦の関係があるのだ。

更には、横の関係をも理解し得た。

くそガキだったわしを、叱ってくれた人々がいる。

何かを教え、伝えてくれた人々がいるのだ。

 その中で、わしは自分というものを見つめることもできた。

人間は独りで生きるものではない。

幾人かとの関係の中で生きるのである。

独りで生きるものは、人間とはなり得ない。

父祖という縦の関係、友人、隣近所、同僚等という横の関係の中で初めて人間足りうるのだ。

 これに気づいた時、わしは左翼的思考から脱却し、

縦横、更にはその延長上にあるものに対し誇りを持つようになった。

 自分自身で誇りを持てる者は何らかの突出したものを得た特別な存在である。

一般人は、他者からの視点で初めて誇りを持てるのだ。

省みてわしには信頼できる友が、少なからず在る。

卑小なわしを友と認めてくれる人々が在る。

 それ故、わしは誇りを持ち、日々生きながらえているのだと思う。

 

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1945.8.6

 昭和20年のこの日。

広島に原爆が落とされた日である。

広島に生まれ育ったため、この日はほぼ確実に 全校登校日であり、

8時15分には黙祷を行ったものである。

 幾多の書物、映像により原爆の破壊力、殺傷能力を目にしてきた。

願わくば二度と使用されるべきではない兵器である。

しかし核均衡理論を利用し、核兵器所有国は着実に増えていくだろう。  

 長崎以来核兵器が戦争で使用されることはなかった。

実際に使用されなかったのは、核の使用に対する核による報復を恐れたため、

則ち核均衡理論によるものであり、それを与論として支えたのが

核兵器は使用後ですらその土地に悪影響を残す

恐ろしく、いやむしろ忌まわしい大量殺戮兵器であるという認識、

則ち核アレルギーであるとは呉智英氏の弁である。

核は恐ろしいものだという認識が使用される訳にはいかないという論理を生み、

ならば逆に核兵器の作製、所有により、核による報復の可能性を認識させ、

結果として核兵器の作製が核兵器の使用を抑制したという複雑な論理である。

偽りの平和かも知れないが、事実核兵器の使用は無いのである。  

 わしは元来、「巷で用いられる人権思想」を否定する。

無条件に様々な権利を有すると言わんばかりの人権思想に対しては

断固として反対する立場である。

しかし、憲法で言う「基本的人権」が「生存権」であるとするならば

これは両手を上げ、肯定する。

何人も「無条件に」その生を否定される事は認めない。

あくまで、「無条件に」という注釈は付けるが。

核兵器が生存権を無条件に脅かすものである以上、 この存在を認めたくはない。

核均衡理論無くして、平和が保たれるのが理想なのである。

 しかし先にも述べたとおり、核均衡理論抜きにして

核の抑制は保てなかった可能性が高い。

その可能性は皆無と言っても過言では無かろう。

朝鮮戦争においても原爆の使用計画は在ったのだ。

いつ何時、核の使用に踏み切る国が出ないとは限らない。

 

 で、あれば。

核アレルギーは、それが多少なりとも過剰であっても、

必要不可欠なイデオロギーなのではないか。

そしてそれは、普遍の真理として伝え広げるものではないのか。

情報、知識として広げるべきものではないか。

核を使用すれば、どの規模で、どのような被害があり、

更に人体にはいかなる悪影響を及ぼすのか。

核アレルギーは、そういった情報知識抜きに成り立つものではない。

しかし、情報知識があれば、その使用を肯定できる「人間」はいないだろう。  

 プロパガンダの呈を持っても構わないとすら思う。

原爆被使用国という外交のカードとしても構わない。

原爆ドームとともに原爆体験を風化させてしまえば、

核均衡理論の不成立のみならず、 国内の思想のブレさえも起こり得るだろう。

反動的にこの国の態勢がぶれた時。

何が起こり、そしてどういう帰結を迎えたか。

これは歴史が証明している事である。

 

 

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祭り

 八月二十日。 子供の頃は夏休み最大のイベントがある日だった。

廿日(はつか)えびすという祭りである。

だんじりを子供に引かせ、街を練り歩くというものである。

昼は化粧衣装の子供を「吊り人形」としてだんじりに乗せ、

夜はお囃子が乗り、街のそこここで「にわか狂言」なる寸劇を拍って歩く。

 子供の頃は祭りの華やいだ気分と、

遅くまで子供達が遊んでいても許される空気を楽しんでいた。

子供達は手燭(てしょく)に蝋燭を灯し、

これには思い思いの絵を半紙や障子紙に描いて貼る。

いろんな漫画を描き、母親に描かせたものだ。

 高校三年生になり、ふとした勘違いからその祭りに参加することになった。

祭りの稽古の場で当然のような顔をして酒を呑み、煙草を吸っていたが(笑)

子供はだんじりを引き、年長者が吊り人形となるぐらいであるが、

大人になると世話方と若連中に分かれ、若連中はにわか狂言の役者となる。

しつこく繰り返すが、仮装ではないよ(笑)。

時代劇、歌舞伎のパロディや、即席と呼ばれる現代風刺寸劇を拍つ。

 余談だが、昨年は民放と某国営放送局(ともにローカル)がニュースの取材に来た。

民放の方は好感的に捉えてくれ、わしなど大阪からわざわざ帰省して

台本書いて出演するというのが奇特に見えたのだろう、

幼少時の写真、インタビュー(愛妻も含めて)等を受け、

結構長時間映っていた。

しかし問題は国営である。

にわか狂言を評したアナウンサーの一言。

「オヤジギャグばかりだ」と。

わしは一瞬このアナウンサーに殺意を憶えた。

 老若男女、誰にでも判る笑いをオヤジギャグと呼ばれる駄洒落なしで作ってみろ。

わしは誓った。国営放送局のインタビューだけは絶対に受けんと。

もしわしにマイクを向けてみろ。

必ずや罵倒してやる。

ちくしょう・・・・  

  それはさておき。

身内ばかり観ている中でにわかを拍って歩くのは結構恥ずかしくもあるのだが、

一度やるとこれが癖になってしまう。

演じるというほどちゃんとした役者でもないが、

役者さんの気持ちが垣間見えるような気がする。

化粧衣装でにわか狂言を拍つと、妙なテンションがこみ上げてくるのだ。

舞台の上、カメラの前で演じ、

唄う人々のテンションもかくあるか、という感じである。

以前「違う」と一言で否定されたこともあるが

 楽しさは、それだけではない。

わしより年長者が多い中、稽古の場などはどうしても

忘れてしまいたい幼少時の話で盛り上がる。

居心地が悪いと言えば悪いのだが、結構楽しくもある。

郷里という共通項を持つ人々に紛れる安心感だろう。

くだらない話がほとんどだが、夜中まで馬鹿笑いしながら

稽古にもならない稽古が続くのである。  

 そして8/19、祭りがはじまる。

祭りは二日間行われ、8/20がメインであり、

人口8000人に満たない 町の一角に20000人近い人が集まる。

化粧衣装の上、ビールを呑みながら、始まりを待つ。

日が暮れ始めると、囃子が聞こえ始める。

台詞はうろ覚えのままである。

もう一度台本を目にし、

台詞合わせなどもしてみる。  

だんじりが動き始める。

少し進んでは笛が鳴る。

合図。

出番。

台詞。

振り。

そして、オチ。

 だ〜〜〜〜〜〜〜〜〜っっっっ

かえりたいよおおおおおおおおおっっっっっっっっっっっっっっ

 

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