Essay
連休を利用して実家に二日ほど帰ってみた。結婚して以来、三度目になる筈だ。
田舎としか表現しようのない所である。そんな所に15年間暮らし、家を出てから既に16年目だ。
子供の頃は居心地が悪い街だと思っていた。
それ以上に、家の居心地が悪かった。
夕食後、酒を呑みながらの馬鹿話の中、そんな事を思い出した。
酒を呑んでいたのはわしだけであるが(笑)。
わしは高校に進む時、家から出る事、これまで周りにいた同級生や上級生のいない
私立高校に進む事を主張した。 家の中のごたつき、同窓生達との関係不良、いじめ、
そんなものに嫌気がさしていたからだ。 もちろん、家を出る理由としては進学を挙げた。
地元の公立高校の就職率は90%にもなる。 そんな所から大学に行くのは困難だ、そんな事を論った。
本当の理由で説得できる筈もない。
家にいたくないから、この街にいたくないから、そんな理由で父親が納得する筈はない。
父親からしてみれば、自分の出身校を腐されるのは面白くなかったろうし、
また、地元に根付いておいた方が開業医としては有利なのは判りきっている。
元々コミュニケーションが取れていなかった事に加えて、 譲らない性格の親子である。
討論は噛み合うはずもなく、一端は私立校への進学を諦めかけた。
しかし母親は頑として私立校への進学を勧め、翌日再度家族会議、
というより父母わしの三者懇談の上、進路が決まった。
やっとここから脱出できる、そんな事を想ったのを記憶している。
誰が後を継ぐものか、こんな処で働くものか・・・そうも想った。
とっとと親子の縁切って余所で暮らすんだ、とも。
そうやって家から出て数年。
その中で揉まれていては気づかないものも、
外から眺めてみると容易に見えてくるものだったようだ。
いつか殴り倒すつもりでいた。
いつか踏みつぶしたかった。
足元に平伏させたかった。
そんな父親は、まぎれもなくわしの親父であり、庇護者であることに気づいた。
親父が、わしをぶちまわしながら、どれだけわしの事を守ろうとしてきたかに。
そんな事に気がついた頃から。父親の考える事が解るようになってきた。
屈折して、偏向した考えであっても理解できる。
それを是認できるかどうかは別として、解るようになってきた。
家族の他の誰かが理解できなくて陰でとやかく言っても、わしはその擁護にまわることが増えた。
そしてもう五年の内には。一緒ではなくても、ごく近くで暮らすことになるだろう。
いろいろ片付ける問題は山のようにあるが。
父親と馬鹿笑いしながら想った。
これまで何回こうやって馬鹿話ができただろうと。
家が居心地のいい場所になったのはいつからだろうと。
子供の頃から野山を駆け回っとったけえ、生傷が絶えんかった。
お陰で少々の怪我や痛みは気にならん。
フットボールを始めてからは、慢性的な足首の捻挫があった。
少々の痛みならテーピングで解消できたこともあって、苦にならんかった。
我慢できない痛みというものは、そうそう無かったように思う。
そこで今回は、わしが記憶する痛みについて、書いてみようと思う。
こういうのを書く時には、ニュアンスを表現するのに自分の言葉で伝えたいんで、
ちょっと言葉が乱れます。ご容赦のほどを。
1.骨折の痛み。
17歳の時、右足の脛骨腓骨を骨折。足首から10センチほど上の部分じゃった。
今も耳に残る「パキーン」という澄んだ音。
瞬間、そう痛くはなかったんじゃが、車に乗せられて病院に運ばれる時、
車の揺れに伴って骨折したところがずれ、骨折した面が擦れた時。
思わず声出たもんね。
骨の折れた面ってざらざらでしょ。
それが擦れる訳だ。
痛みがね、一カ所じゃないんよ。
骨折面のそこら中が痛いの。
なんかこうね、迫り上がって来る痛みね。
「ザラズリ」って感じで痛みがぐぐぐぐっと来る感じ。
これは痛かったねえ。
2.あそこの痛み。
これはほとんどの男が経験しとる痛みじゃと思うけど、
中でも一番痛かったのを書きます。
中一の時、フットボールの練習中での事。
シュートを打とうとした先輩に向かって突っ込んでった訳ね、わしキーパーじゃし。
距離は1メートルほどじゃったかねえ。
飛び込んでも間に合わずに先輩がシュートを打ったんよ。
その瞬間に、わしゃ躰全体でシュート止めに行くよね。
手足広げた訳だ。
目から火、出た。
目の前真っ赤。
手足広げたその格好のまま、地面に崩れ落ちた。
もう、身動き出来ません、はい。
息するだけでゲロ吐きそう。
世の中全てを呪うよ、ほんま。
なんでこんな苦しい思いが存在するのっていうぐらい。
股間抑えてうずくまったその格好のまま、みんなに抱えられて外に運ばれて。
もう格好悪いもへったくれもないもんね。
そのままの格好で20分、動けんかった。
3.肉離れ
これは一番長期間痛かったね。
大学一年の五月頃に起こして、九月頃まで痛みが続いた。
ちょっと休めば痛みは無くなるんじゃけど、
ボールを蹴るともうダメ。
バシッて刺すような痛みが大腿前方に来て、立っとられん。
他の怪我と全然違うのは、痛みが同じ強さで数十秒続く事ね。
バシッ ジ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ンって感じ。
もう、ぶち苛つく痛み。
で、痛いのに苛つくとそこ叩く事ってあるでしょ。
「なんでこぎゃあに痛いんじゃぁっっ」って叩くヤツね。
そん時、もう痛いわ苛つくわ歯痒いわ情けないわでね。
右の大腿の前面、グーで殴りました。
バカです。
ほんと、バカ痛い。
急所の時は呪うような痛みの感覚なんじゃけど、
これはもう、頭ん中で爆発したような感覚。
音まで聞こえたし。
で、肉離れじゃけ痛みがそのまま続く訳ね。
もう、笑えてくるもん。
痛みで笑い出るって知っとる?
ほんまに笑えるよ。
涙流しながらね。
悟りって、こうやって開くもんじゃなって思ったよ、マジで。
2001.5.30
この6月、なにかと話題になっていた歴史教科書が一般発売された。
「新しい教科書をつくる会」によるものである。
一言で感想を述べると、通史としての歴史物語を説こうとし、
その面白さを伝えようとするその意思は明確に伝わってくる。
政治、経済、文化の潮流を一筋にまとめ上げ、連続的な国としての日本、
そして日本国民を描こうとしているのは間違いない。
ただし中学生に合わせたレベルでの記述となるため、 歴史の深みを示すには至ってない。
これは致し方ない事でもあるのだが。
ところで。 何故にこの教科書が問題とされたのか、について考察する以前に、
歴史とは何かを考える必要があるのではないか。
それだけでこの奇妙な問題は解決されうるものであるとわしは考える。
ここから、歴史とは何か、という事を考察してみたい。
歴史にifはない、とよく言われる。
一言で言えば歴史上発生した事柄には幾ばくかの必然性がある、という事である。
これは自らの過去を振り返るだけでも理解されよう。
自らの行動を思い起こされればよい。
例えば誰かを殴った過去があるとしよう。
なんの根拠も理由もなく他人を殴ったという人はいまい。
もしそんな経験がある、というのであれば、 即刻病院へ行かれた方が良い。
ただし。 歴史上、また自分の過去においても同様であるが、
起こった事柄、行動が絶対に正しく、 また絶対それしかあり得なかった、とは言わない。
他の選択肢があったのは当然の事だ。
殴らなくても叱るだけでも良かったのかもしれない。
叱らなくとも語るだけでも良かったのかもしれない。
逆に言えば、歴史を語るためにはifが必要なのだ。
もし殴らなければ、どうなったか。
もし殴らないとするならば、どうすればよかったのか。
これを考察する事こそが、歴史の存在意義なのではないか。
それこそが歴史に学ぶ事であると断言するのは、井沢元彦氏である。
わしもこれに両手を挙げて賛成である。
要するに、歴史とは事実史実の羅列ではいけないのである。
その事実に至る過程を語らねば歴史とはなりえないのである。
まして虚実ない交ぜの書など歴史と言えるべくもない。
さて。 そのifを語るために何が必要なのかは、もう既に書いた。
ifという選択肢の前に、そこに至る過程というものがあるのだ。
歴史の基礎は、その過程を知ることにある。 史実など、二の次である。
もう一度、自分の過去という観点で考えてみればよい。
またも他人を殴った過去という点で考えてみる。
もちろんその場の状況もあるだろうし、
そこまでの人間関係も影響するだろう。
それに加え、生まれ育った環境により形成された性格、
親から受け継いだ脳内分泌の影響、
そんなものまでも考慮に入れなければ十分に理解されるものではなかろう。
歴史もまた、同様である。
ここで、件の教科書はどうか。 冒頭に書いたとおりである。
日本人と日本人により形成された歴史を描こうとしているのは十分に理解できる。
日本人の潮流を描こうとしているのは明確である。
日本という国がこれまで歩んできた道、そして何故その道を選んだのかを描き、
それをまず伝えようとしている。
歴史、過去には肯定的側面もあれば否定的側面もあろう。
両側面の狭間で歩み続けるのが人間であり、集団であり、国家なのであり、世界なのである。
その道筋を知らなければ、脇道か本筋かも判断できまい。
「つくる会」の教科書に対する批判で、揚げ足取り以上のものはわしの知る限り皆無である。
なぜならば、上記の本質に対し如何なる反論もできないからであり、
その本質を捉えようとする教科書もまた皆無であるためである。
2001.6.11
また、痛ましい事件が起こった。
大阪府池田市で起こった小学生7名を殺傷する事件である。
薬物中毒か精神異常か詳細は現在のところ不明である。
大新聞ではいつもの如く、事件直後は犯人を匿名で扱っていた。
たぶん、責任能力の欠如と言うことで、医療刑務所→数年で娑婆へ、のコースだろう。
馬鹿馬鹿しい。
事件はテロリズムである。
計画的だろうと無計画、発作的だろうと、テロはテロだ。
少年法改正の前に刑法を改正しろと言いたい。
テロリズムと認定され次第、裁判もへったくれもなしに死刑にすべきだ。
事件中の射殺でも飽き足らない。
市中引き回し鋸引きさらし首でもいい。
テロは絶対に許してはならないし、わしは身内が被害にあったら犯人を絶対に許さない。
はっきり言って、殺す。
息の根が止まるのをわし自身の目で見ても気は済まないだろうが。
ついでに酒でも呑んだ上で殺して、無罪を主張してもいい。
根本的なことを言えば、人を殺せるだけで十分に理性のタガは外れているのだ。
一種狂った状態なのだ。
これを論えば全ての殺人は精神異常につき責任能力なしということになってしまう。
百歩譲って、現在の法の規定による重度かつ特殊な精神異常者には
責任能力がないという事を認めるとしよう。
では、誰が被害者に対し責任を負うのだ?
社会に出ることを認めた医者か?
それとも保護者など監督責任者か?
無意味な法律を作った官僚、政治家か?
それを維持する国家か?
考えてみれば矛盾した話であるし、差別的な話である。
他人を殺す能力はあっても頭がおかしいからそれに責任はない?
それをきちがい扱いと言わずに何と言う?
頭がおかしかろうがなんだろうが、犯罪は犯罪であり、殺人は殺人である。
人権の名の下にきちがいの犯罪を容認することは、
義務を果たさずとも権利を得るという事であり、
つまりは特別扱い、則ち人間と認めていないという事に相違ない。
ならば。 その加害者に対し報復、例えば殺したとしても、
殺人にはなり得ないという事で良いのだろうか。
誰でもいい。 わしの疑問に応えて欲しい。
1.無差別殺人はテロリズムではないのか、テロリズムには極刑を下すものではないのか
2.精神異常者に責任がないのであれば、誰が責任を負うのか
3.精神異常者には義務がなく、権利のみがあるという特殊な存在なのか、
またそれは差別ではないのか
4.その特殊な存在である異常者もまた「殺人」の被害者となりうるのか
以上質問に答えられる方、わしに教えて下さい。
2001.6.12
昨夜のこと。
呑んだくれて帰ってきて寝たまではいいが、 朝気づいたら窓が開いている。
記憶はない。 寝苦しくて無意識の内に開けたのだとは思う。
しかし手の届く窓ではない。
歩いて行かなければ開けられる物ではない。
寝惚けたとしかおもえないが、不安なので財布を確認。
減ってない。
扉という扉を全部開けて確認。
怪しい事はない。
ここ数年で寝惚ける事が増えたような気がする。
酔って記憶をなくす男を嘲笑ってる場合ではない
更に。寝ながら服を脱ぐ癖がある。
朝起きたら素っ裸という事も日常茶飯事である。
だからわしは雑魚寝が好きではないのである。
たまにするけど
ってこれが誕生日のネタ甲斐・・・・・
2001.6.14
気配りが苦手だ。
この三日間、イヤと言うほど気を遣った。
ほんとに「イヤ」と何度も口に出した。
聞こえない程度に。
気を遣うぐらいなら躰を使いたい。
しかしそれが許されない立場や位置にいる時。
異常なストレスがかかる。
一昨年までの寝れない生活の方がよっぽどましだ。
今日は早く帰宅してジムでも行って躰を苛めよう。
苛つきは相当なものにある。
2001.6.18
職場での話。
とある人に挨拶と説明をする時の会話。
わし「明日の説明はHの方からしてると思いますので、
もう十分にお解りいただけましたね?」
人 「はい、あの、若い方ですね。
特に解らないこともありませんでした」
そんな事素でゆうなっっっっっ
Hってわしより8つも年上でしかも上司なんですけど・・・・・
2001.6.19