The Flowing Lotus (2)
「ほい、これ」
 月曜日の五分休み。僕の教室――D組にやってきた隼人は、B5版の冊子を窓際の僕の机の上に乗せた。
「この前言っていた部誌だよ」
「ありがとうございます」
 僕は受け取って、早速開くと、目次を見た。
「あ、隼人、これでしょう? 名字そのまんまだ」
「ほっとけ」
「家に帰って、ゆっくり読ませてもらいますね」
 僕はにっこり笑って、冊子を閉じた。
 そうやって笑って顔を上げたら、僕は隼人の向こうに、またとんでもないものを見つけた。
 流蓮さんだ。ぎゃふん。
 どうやら扉のそばにいた人に僕の居場所を聞いてるらしい。
「どうした? 鯨太?」
 突然凍り付いた僕に、隼人が声をかける。
「隼人、流蓮さんが……」
「はい?」
 隼人は僕が見ている方向に、日をやる。それとほぼ同時に、流蓮さんは僕を見つけたようだ。
「二戸〜!」
 この前と同じように片手を挙げて、僕を呼ぶ。何処か嬉しそうに、戸口から僕の席まで歩いてくる。
「二戸、この前言っていた部誌が出来たから……、あれ?」
 流蓮さんはどうやら、僕の机の上にもうすでに部誌が乗っているのを見つけたみたいだ。
「あれ、常盤隼人か?」
 ついでに流蓮さんは隼人を見つけて、キョトンとする。
「二戸と常盤は知り合いだったのか」
「ああ、幼なじみだよ」
 隼人が答える。
「なあ、鯨太?」
「は、はい」
「ふうん、そうなのか」
 僕はなんだかすごく居心地が悪かった。
「これ、持ってきたのに無駄になってしまったな」
 流蓮さんは自分が持ってきた部誌を掲げて苦笑する。その姿がちょっと悲しそうで……。
「あ、あの下さい!」
 僕は思わず立ち上がっていた。
「だって、同じだぞ」
「でも、せっかく持ってきてくれたから……」
「そうか?」
 流蓮さんは部誌を僕に差し出して、僕はそれを受け取る。
「読んだら感想を聞かせてくれ」
「は、はい」
 流蓮さんはにっこり笑うと、教室を出ていった。
 ああ、流蓮さんはやっぱり綺麗だ、後ろ姿の揺れるポニーテールが素敵だ。流蓮さんに部誌をもらってしまった。僕のためにわざわざ持ってきてくれたんだ……。
「……住む世界が違うんじゃなかったのか?」
 隼人がジト目で、僕を見ている。
「なっ! 不可抗力です! 僕は悪くないんだっ」
「すっげー、いい感じじゃん。くそう、鯨太のくせに。うりうり」
「にゃー、隼人、放して下さい!」
 僕の首をぐいぐいと絞める隼人に、僕はなんとか抵抗した。
「何がせっかく持ってきてくれたから、だ」
「く、苦しいです……」
 一通り、絞め終わると、隼人は手を放してくれた。
「でもこれ、アレだな。後でどっちがどっちだか分からなくなるって言う」
「言わないで下さい……」
 嬉しいんだか悲しんだか、でも僕はちょっとドキドキして、二冊の部誌を鞄に納めた。


 隼人の書いた話は、何処か郷愁を呼ぶ、だけれどほんのり元気になる話だった。
 流蓮さんの書いた話は、酷く切なくて、悲しくて、救われない話だった。
 僕は冊子を閉じて、本棚に並べた。薄い冊子が二冊並ぶ様は、何か変だった。

 ベットに寝ころんで、天井を見ながら考えた。
 流蓮さんは、僕をどう思っているのだろうか。何度か話をして、どうやら嫌われていないということだけは分かった気がした。
 流蓮さんは僕にストーカーかって聞いて、しかも僕はその問いに半ばYESと答えたのに、それでも嫌われてないって、もしかして流蓮さんは、そういうことに全然抵抗がないのだろうか? それはそれでどうかと思うけれど。
 でも、流蓮さんが笑う時は、僕は見ほれてしまう。なんだかんだいって流蓮さんは優しいし。昔はもっと意地っ張りで、意地悪だったけど。
 “私はお前が思っていろような人間じゃない”と、流蓮さんは言った。確かに予想外のことだらけで、僕が思っていた流蓮さんとはだいぶ違ったけれど、でも幻滅するようなこともなかったし……。
 寧ろ僕は嬉しかったんだ。僕の一言、一挙動を決して馬鹿にしない流蓮さんに、驚いたけれど、嬉しかったんだ。
 僕はベットから起きあがると、お財布から百円玉を出して、ノートの切れ端で封筒を作ると、そこに入れた。きっと女の子なら、宛名をカラーペンで書いたりするんだろう。でも僕はちょっと抵抗があって出来なかった。当然か。


 次の日の五分休み、僕は流蓮さんがいるA組へ、階段を下りていった。
「あの、桑田流蓮さんはいますか?」
 人の良さそうな男子その一に、僕は尋ねる。
「桑田? 桑田なら一番奥の一番前だよ」
「あ、ありがとうございます」
 僕は教室に入ると、教えてもらった場所に流蓮さんは座っていた。
「流蓮さん」
 次の時間の用意をしていたらしい流蓮さんは、顔を上げて僕を見た。
「二戸か」
「あの、これ」
 僕は百円玉の入った封筒と、あめ玉をひとつ手渡した。
「この前のお礼です」
「ああ、すまないな」
「いえ、助かりました」
 流蓮さんは封筒を受け取り、手触りでコインだと分かったのか、お財布を出して、そこに中身をしまう。
「流蓮さんのお話、読みましたよ」
「そうか? どうだった?」
「悲しい話で……あんなに悲しくなくてもいいかと思いました」
「……そうか。ありがとう」
「いえ」
 流蓮さんは窓の外を見た。一階の窓からは植木の向こうに、テニスコートが見えた。
「二戸って、下の名前、ケイタって言うんだな」
「え、そうですけど」
「知らなかった。昨日常盤が呼んでいたから」
「それが、何か?」
「いや……、何でもないんだ……」
 流蓮さんは僕の顔を見上げて、そして俯いた。
「二戸、そろそろ時間だから」
「……そうですね。おじゃましました」
 時計を見上げて同意すると、僕は教室を出た。 流蓮さんはもしかして、僕のことを覚えていてくれたんだろうか? 僕の、鯨太という名前を。


 抱きしめられて僕は、泣いてはいけないのだと思った。僕を置き去りにしていなくなった母親のために泣くのではなく、新しく僕を抱きしめてくれる母親のために、笑おうと思った。
 迷惑はかけない、心配はかけないと思った。それはプレッシャーではなくて、母さんの厚意に応えたいと思った結果だった。何もない僕を、何でもない僕を、無条件で好きだと言ってくれる、母さんに応えたかったのだ。
 実の母は、僕が小学校二年生の時、僕をおいて蒸発してしまった。僕は伯母夫婦の家に引き取られ、二人は僕にとてもよくしてくれた。中学二年生の時、実母は僕のところへ帰ってきた。交通事故に遭って、手術をしたが、助からなかった。真っ白な死に装束に身を包み、その人は僕のところへ帰ってきたのだ。
 抱きしめられて僕は、泣いてもいいのだと思った。本当に悲しいことなら、泣いてもいいのだと知った。弱音は吐いてもいいのだと思った。また次に、笑えるのなら。歩き出せるのなら。


 土曜日、学枚がないので僕はまた、実母さんのお墓参りに来ていた。
 どうしてか足が向いたのだ。墓参りをすれば流蓮さんに会えるかもしれないという、淡い期待があったのかもしれない。でも誰かに会わないかなあと思っている時は、大抵その人には会わないものだ。そうだ。そのはずだった。のに。
「二戸〜!」
 また片手を挙げて、僕を呼ぶ流蓮さんがいる。ここまで来ると、運命という言葉もあながちありそうな気がしてくる。
「毎週来ているのか? 熱心だな」
 流蓮さんは先週と同じような格好で、駅前の商店街で買い物をしたのか、手提げ袋からネギが覗いている。
「いえ……。今日はたまたま……。お墓参りしたら、流蓮さんに会えるかと思って」
 僕は照れ笑いをして頭をかいた。
「そうか」
 やっぱり、冴えない男に言われたくないような台詞を、流蓮さんは嫌がらない。
「これから行くところか?」
「そうです」
 僕が駅の方からやってきたのを、察したのだろう。
「流蓮さんは?」
「いや、このコンビニの前にいれば、二戸が来るかと思って」
 そう言って流蓮さんは少し笑った。
「なんですか、それは」
 僕は、あり得ないと、受け流した。
「二戸、いっしょに行ってもいいか? 大人しくしているから」
「ええ、別に構わないですよ」
 僕が歩き出して、流蓮さんが後に続く。
「二戸は、誰のお基参りに行くんだ?」
「母です」
「……お母さんが亡くなったのか?」
「はい。二年前です」
「そうか……じゃあ、大変なこととかあったんだろうな……」
「いえ、別に大変じゃなかったです。母と言っても、実の母なんですが、僕はその時はすでに養子に入っていたから……」
「養子? ……すまない、自分で聞いておいてなんだが、結構聞かない方が良かったか?」
「いえ、いいんです。隠してもしょうがないし」
「……そうか」
 でも流蓮さんは、それ以上何も聞かないで、結局僕も何も言わなかった。
 お寺の裏に、墓地がある。お線香を買って、バケツに水をくみ、ひしゃくといっしょに持っていく。
 『青海家之墓』と書かれた墓石。僕は一週間前のお花を捨てて、お水をかけてやった。お線香を立てて、両の手を合わせてしばらくの間目を閉じる。
 どうやら流蓮さんも手を合わせてくれているようだった。
 僕がバケツの水をみんなまいて、ゴミを片づけて立つと、じっと墓石を見ていた流蓮さんが、僕を見た。
「お前、青海鯨太か?」
「……小学校三年生になるまでは」
 青海というのは、母方の姓だった。実母は未婚で僕を産んだので、僕の名字は青海だったのだ。
「流蓮さん、僕のこと覚えていてくれたんですね……」
 少し、笑う。
「気付かなかった……。名前が違うし……」
「転校するとき、今の家に養子に入ったんです。それで名前が変わって……」
「鯨太……。そうか、お前が鯨太なのか」
 流蓮さんが、僕を見る。
「随分大きくなったな」
「それって、しばらくぶりにあった親戚のおばさんとかが言う台詞じゃないですか」
「……そうだな」
 流蓮さんは苦笑する。
「もう、泣かないのか?」
「泣きますよ。悲しいときは泣きますよ。だけど今は、同じくらい笑えるから」
「……やっぱり、大きくなったんだな」
 流蓮さんは少し悲しそうだった。
「二戸が、不思議だったんだ。初めて会ったのに初めて会った気がしなくて……」
 流蓮さんは俯いて、そしてまた僕の方を見た。
「そしたら本当に初めてじゃないなんて……。二戸は気付いていたのか?」
「そりゃ、“流蓮”って名前は珍しいし……」
「そうか、そうだな。何で私は、気付かなかったんだろう……。ちょっと悔しいな」
 流蓮さんは、ため息をついた。
「あいつは、鯨太は私がいなければ、生きていけないんだと思っていた」
 目の前にいる僕と、流蓮さんの言う“鯨太”とは、まるで別人のように流蓮さんは呟いた。
「気にくわなかった。何でも泣けばいいと思っているみたいで、とにかく気にくわなかった」
 流蓮さんは遠くを見るように、腕をクロスさせ自身を抱きしめるようにした。
「ショックだったよ、突然転校すると聞いたときには。私があいつを助けてやらなければ、誰があいつを助けてやるんだ? 私が手を貸してやらなければ、立ち上がることも出来ないのに……」
 僕はじっと、流蓮さんを見つめた。流蓮さんの表情は悲痛で、僕は複雑だった。
「鯨太はもう、私の手なんて必要ないんだな……。自分でちゃんと歩けるんだな……」
 流蓮さんは僕を見なかった。僕は何も言えなかった。言おうとして、何も言えなかった。
 だって僕は、流蓮さんの手を借りて立ち上がったし、流蓮さんは百円も貸してくれた。部誌だって持ってきてくれたじゃないか……。
「……ちゃんと歩けていないのは、私の方か……」
 流蓮さんは、組んだ腕をほどいて、左手を握りそしてゆっくりと開いて、それを見ているようだった。
「二戸、私はお前を失望させただろう……? 私は、何でもない、つまらない人間なんだ……」
 やっと、流蓮さんが僕を見た。いつもはキリッとして、笑えば優しいその瞳が、今は苦しそうに揺らめいている。僕はどうすればいいんだろう? 流蓮さんが何を根拠に自分は何でもない人間だなんて言うのか、僕には全然分からないけれど。
 義母さんは一度だって、僕がつまらない人間だとは言わなかった。僕がへまをしても、馬鹿ねって笑って、抱きしめてくれた。義母さんが笑ってくれるから、僕は価値ある人間になれたんだ。僕は、自分が何もない人間だなんて思わない。何でもない人間だなんて、思わない。たとえ僕が勉強が出来なくても、走るのが遅くても、泣き虫でも、どんなにボロボロでも、僕には家族がいる。僕は幸せだ、恵まれているんだ。だからまた、歩き出せる――。
「……僕は、流蓮さんのことは何も分かりません。流蓮さんがどうして、そんな自分のことを何でもないなんて言うのか、僕には分かりません。だけど僕の見る限りでは、流蓮さんはとっても優しいですよ。格好いいし。僕に百円玉貸してくれたし。部誌を持ってきてくれたし」
「……」
 流蓮さんは沈黙した。僕は少し考えて、そして言った。
「本当に愚かなのは、何もないって思いこんじゃうことじゃないですか? 天は二物を与えないのかもしれないけど、でも誰にだってひとつくらいはあるんです。ただ自分のそれが何なのか、何処にあるのか、気付けるか気付けないかだと思うんです」
 僕だって、自分のそれが何なのか、やっぱりよく分からないけれど。でも僕は自分には何もないなんて思わない。
「流蓮さんのそれが何なのか、僕が探してあげることは出来ません。でもきっと、手ぐらいは貸してあげられると思うんです。立ち上がるのに手が必要なら、僕は手を貸せると思います。でも歩き出すのは、流蓮さんですから」
 そう言って僕は、右手を差し出した。昔流蓮さんがそうしてくれたように。
 流蓮さんは僕の手を見つめて、そして僕の顔を見て、それからそっと、僕の手を握った。
 僕は流蓮さんの手をぎゅっと握り返して、次にぐいとこっちへ引き寄せた。引き寄せて、抱きしめる。
「な……、二戸……!」
 流蓮さんが驚いて、僕の肩に手をついて僕を見上げる。僕は構わず流蓮さんを抱きしめて言った。
「こうやってぎゅってすると、元気が出るんですよ」
 そう言って、にっこり笑ってみせる。
 流蓮さんは赤面して、でも僕に体を寄せた。
 僕は流蓮さんの髪にふれて、その髪は柔らかくて、薄いシヤンプーの匂いがした。
 墓地で二人抱きしめあう男女って、きっと傍目に見たらもの凄くミスマッチなんだろうな、と苦笑する。
「二戸、これはその、下心とかそういうのもあるのか……?」
 多分、僕が髪の毛を触ったのが、気になったんだろう。流蓮さんはまた、僕の肩に両手をついて、距離を取る。
「何言ってるんですか、あるに決まってるじゃないですか。僕はこれでも男の子ですよ」
「……」
 流蓮さんの頬は赤くて、呆れたような何ともいえない表情で、でも僕の肩の辺りにそっとおでこをくっつけた。
 六月の空は曇りで、でも僕はこんな空も嫌いじゃないと思った。
―END―

あとがき
 最後まで読んでいただき、感謝感謝です!
 この話は、青川が高校3年生の時に書いたものです。

 えーと…。この話。穴が多いのです! 穴を見つけても、どうか大目に見て下さい。(オイ)
 お墓参り、って、よく分かりません。(オイ) ので、描写はテキトーです(オイオイ)
 他にも、青川の知識不足と、設定の甘さの所為で、冷静に読むとめちゃくちゃな話ですが、それでも、青川としては、お気に入りな話です。
 鯨太の一人称は、なんか、書いていて楽でした。ヽ( ´ー`)ノ<オイ

 この話は「ラブストーリー」って言っていいのか、時々迷います。実は鯨太、作中で流蓮のことを、一度も「好き」と言っていないのです!(どーん) それでも鯨太の流蓮に対する恋心を感じたら、それは青川の作戦勝ちです!ははは!(何)
 ちなみに、鯨太、隼人のことは「大好き」って言っています。(うわ)

 そんなこんなですが(?)、感想などありましたら、掲示板でもメールでも書いて下されば、跳んで喜ぶので……よろ、よろしくです!(><)

解説
隼人、高1の6月。
ペンタグラムvol.56「Tシャツの巻」掲載。
あとがきは2003年、図書館修復時に書き下ろしたものです。

Back
-月面図書館
-TOP