王女と勇者
 私の名はリュンヌ、青の魔王さまにお仕えする黒猫だ。魔王さまはお優しい方で、捨て猫だった私を拾って、名を下さった。リュンヌというのは月の名だ。私の瞳が夜空に浮かぶ月のような色をしているから、と、魔王さまはおっしゃった。
 魔王さまはお優しい方だけれど、孤独な方でもあった。魔王さまにはどこか人を寄せ付けない雰囲気がおありだ。まだ幼いうちに父君である先王が亡くなり、魔王さまは王位につかれた。母君は父君が亡くなってから、離宮にこもるようになってしまった。
 魔王さまは執権も相談役も置かず、ずっとお一人で玉座を守られている。使用人とも、必要以上の会話をなさらない。私のような猫や、庭にある月下美人(これにもまた魔王さまは名をお与えになった)とばかり一緒にいらっしゃる。
 私はいつも魔王さまのお側に控えている。魔王さまは時々私の名を呼んで、抱き上げて優しく撫でて下さるから、私はいつもそのときを待っているのだ。


 そんな魔王さまの元を訪ねてくる者は、最近では一人しかいない。南海の魔王城に住む、あかの魔王だ。朱の魔王は、我が魔王さまよりも幾分軽薄な印象の方だった。朱の魔王は、魔王さまの城にしばしば足を運び、用でもないうわさ話や新しく後宮に入れた美女の話などをするだけして、お茶を飲んで帰っていく。
 我が魔王さまは、お優しく礼儀正しい方だから、そんな傍若無人な輩も丁重にお迎えする。そのせいか、どうも、朱の魔王は我が魔王さまを無二の友と思っているらしい。相談があればなんでも聞こうとか、そろそろ妃を迎えないのかとか、そんなことを言うが、そういうとき魔王さまは決まって、やんわりと微笑まれるだけである。その笑みを見て、朱の魔王はため息をつき、勝手にも、勿体ないなあなどと呟くのである。

 つい先日も、朱の魔王が、我が魔王さまの元に訪ねてきた。朱の魔王は、聖都で新しく勇者に選ばれた者がいるという話をした。なんでもその者は年端もいかぬ少女であるらしい。朱の魔王が好きそうな話だった。
 私は朱の魔王の膝の上でその話を聞いていた。私は朱の魔王がそれほど好きではなかったが、朱の魔王の方は猫が大好きなのだ。私を見つけると、目を爛々と光らせて、私の身体を掴み、強引に自分の胸元へ押しつける。もがいても無駄なことを経験から知っている私は、大人しくするしかないのだった。
 我が魔王さまは、少女の勇者の話に耳を傾け、ふむと息を吐き、感心したご様子だった。朱の魔王は、魔王さまの興味を引けたことが嬉しかったらしく、聞いてもいないのに勇者についてこと細かく語った。

 それからしばらくして、魔王さまはどこからか人形を一体、お連れになった。人形は、明るいブロンドの髪をした少女だった。空色の瞳はきらきらと輝き、笑い声は軽やかで鈴の音のように聞こえた。纏う衣も、どこぞの姫君かと思うくらい、美しく贅沢なものだった。魔王さまは人形の名を呼んで、話しかけ、朝起きてから夜寝るまでいつも一緒におられた。
 人形はとても礼儀正しく、清楚だった。そしてちょっと、鈍かった。私は魔王さまに大切にされる人形に軽い嫉妬を覚えていたけれど、人形の方はそんな私の気持ちなど気づきもせず、コロコロと鈴が鳴るように笑った。「黒猫さん」なんて、私のことを呼んで、膝に乗せて撫でるものだから、私はすっかり毒気を抜かれてしまった。こんな人形に、何を思っても詮無いことだ。そう思って私は、素直に人形の膝の上に居座ることにした。そこからだと魔王さまのお顔もよく見える。

 ある日、魔王さまは夜のお散歩に出かけられた。夜空には私の瞳と同じ色の月があって、庭の月下美人も綺麗に咲いていた。魔王さまは人形を連れ、華やかな香りが漂う夜の庭を、ゆっくりと歩まれた。私は自分の足で地を歩きたかったけれど、人形が私を抱いて放さなかった。魔王さまは大切になさっている月下美人を人形にお見せになり、人形はそれを見てコロコロと笑った。
 魔王さまの目に映る人形。私はそれを見上げていた。魔王さまの大切な月下美人、そして黒猫の私。人形はそのどちらを見ても、鈴の鳴るような声で笑った。魔王さまも少しだけ、お笑いになった。その笑みは私の中に残って、澱のように、沈んだ。

 次の日、人形は壊れてしまった。どうも夜露が人形を痛めてしまったらしい。人形は魔王さまを前に、コロコロと笑い、ずっと同じことしか言わなくなった。魔王さは、また少しだけ笑って、私におっしゃった。
「リュンヌ、やはり、だめだね。人形は」
 魔王さまの人形を見つめる瞳は、最初からずっと変わってはいない。
「私にはこれしか連れてこられなかった。だけど、私が欲しいのは、これだけじゃないんだ」
 魔王さまは、そっと手を伸ばすと、人形のスイッチを切った。人形は微笑んだ表情のまま、動かなくなった。

 何日か経って、聖都にほど近い小国の王女がさらわれ、捜索中だというニュースが、朱の魔王によって届けられた。どうやらその国は、青の魔王さまを王女誘拐の犯人として考えているらしい。王族の誘拐は大罪だが、こと王女に限っては、魔王の誘いを断れないのが《世界の約束》である。
 「女神の中庭」と呼ばれるこの大陸は、古き神々が奇跡と厄災を込めて造ったとされている。大陸に生きる者には、守らなくてはならない約束がいくつかあり、王女が魔王の誘いを断れないのは、そのひとつである。そして、魔王は必ず勇者の剣でなければ死ぬことが出来ないというのも、大切な約束だった。
「ホントに、君がさらったのかい?」
 朱の魔王は、部屋の隅の壊れた人形を見ながら言った。魔王さまは、ニヤリと悪戯っぽい笑みを浮かべて答えられた。
「どうしても欲しいものがあるんだ」

 程なくして、例の小国から魔王討伐の勇者を送るという書状が届いた。書状から遅れること二日、勇者の方もやってきた。魔王城の門を叩くその勇者は、いつか朱の魔王が話していた、少女の勇者だった。門が開くと、少女はズカズカと城に入り、玉座の前に仁王立ちして、魔王さまを睨みつけた。
「姫を返しなさい、青の魔王」
 凛とした声。短く切ったブロンドの髪と、澄んだ空色の瞳。少女の姿を瞳に納めて、魔王さまは笑みを浮かべられた。
「返さないと言えば?」
「力ずくよ。私の剣ならばあなたの命を奪うことだって出来る」
 勇者の少女は腰の剣に手をかける。剣の柄を握り、右足を半歩下げて構えの姿勢をとる。少女の姿は、勇者に相応しい使い手に見えた。
「勇者よ、私には欲しいものがあるのだ」
「姫をさらっておいて、その上、まだ何か奪うというの?」
「私が欲しいものは、最初からひとつだけだ。欲しいものを手に入れるために、どんな手も使う。それが魔王だ。あの人形は欲しいものを手に入れるために必要だったのだよ」
「どんな事情があろうと、王族の誘拐は大罪。姫を返さないというのなら、魔王、あなたはここで死んでもらうわ」
 そしてついに、勇者は剣を抜いた。魔王を殺すことが出来る剣。父君もそのまた父君も、勇者の剣に敗れた。
 私は怖くなって、ぱっと魔王さまと勇者との間へ飛び出した。魔王さまを見上げ、鳴く。魔王さまはいつものように、優しく微笑んで、おっしゃった。
「リュンヌ、大丈夫だから」
 魔王さまは玉座から立ち上がり、私をのけて、勇者の前に立たれた。
「勝負だ、勇者よ。君の力を見せてみろ」
 そう言って、魔王さまも構えをとる。
 勇者も剣を構え、確認のために問う。
「剣は持たないの?」
「私は無手が流儀だ」
「ならば遠慮なく」
 勇者が斬り込む。その剣は少女の気性そのままに、真っ直ぐで、力強く、嫌味がなかった。
 魔王さまはひらりひらりと、木の葉のように少女の剣をかわされる。少女は何度か打ち込むうちに、だんだんといらつきを見せた。
 太刀筋は悪くない。少女の剣は確かに優れたものだった。しかし若すぎるのだろう。真っ直ぐすぎる剣は、読みやすく避けやすい。魔王さまに一撃も浴びせられないことにいらだって、それが剣にも表れてしまう。少女の剣は鈍り、重くなった。
「そんな剣では私を殺すことは出来ない」
「五月蠅い!」
 少女は叫んで、剣を振り回した。
 魔王さまは、指先に魔力を集めて、振り下ろされる刃を掴まれた。そのままぐいと刃を下に向け、少女の身体を引き寄せられる。少女は突然のことにバランスを崩し、魔王さまの胸に頭を突っ込んだ。
 魔王さまはもう片方の手で少女のあごに触れて、少女の顔をご自分の顔の方へ向けられた。魔王さまの漆黒の瞳、少女の空色の瞳。まるで愛し合う男女のようなその体勢に、少女はカッと頬を染めた。
「バカにしないで!」
 少女はまた叫んで、剣から魔王さまの手を振り払い、そのままそれを魔王さまの胸に突き刺した。私はハッと息を呑んだ。
 勇者の剣が魔王さまの胸を刺す。根本まで刺さった剣、しかし血は零れず、魔王さまは微笑まれたままだった。
「どうして?」
 少女は驚愕の表情を浮かべ、魔王さまを見上げる。
「どうして、魔王を殺すことが出来ないの?」
 剣の柄を握った手が、震え出す。
「私は勇者なのに……聖都に選ばれた勇者なのに、どうして」
「さぁ?」
 魔王さまは、胸に刺さった剣など何ともないご様子だった。私はまだ心臓がドキドキとして、落ち着かなかった。
「どうして、どうしてよ!?」
 少女は、目に涙を浮かべている。
「私が――私が女だから?」
 少女は剣の柄を放し、そのままそこにへたり込んだ。ぽたぽたと涙が床に落ちる。
「私は捨てたのに。強くなるために! 魔王を討てなければ、捨てたものはどうなるの? 私は――」
 少女の悲痛な声が玉座の間に響く。
 魔王さまは胸に刺さった剣を抜きながら、おっしゃった。
「たとえ捨てたものでも、戻るよ。私がちゃんと、君が捨てたそれをとっておいたから」
 血に濡れていない剣を、そっと少女に手渡される。
「今度は捨てたりしないで、両方持って、生きればいいじゃないか」
 いつの間にか、魔王さまの背後には、壊れたはずの人形が立っていた。きらびやかな衣装に身を包み、コロコロと楽しそうに笑う少女の人形。
「半分でしかない者に魔王は斬れない。両方なきゃ、君は私を斬れない。姫を救いに来たのだろう? 自分を救えるのは自分だけさ」
 人形は少女の前に跪く。右に剣、左に人形。それぞれを従えた少女は、魔王さまを見上げた。
「じゃあ、あなたは? 一体何を望んで」
「欲しいものがあると言っただろう」
 魔王さまの微笑み。お優しい魔王さまの、悪戯っぽい笑み。
「私が欲しいのは、君だよ」

 さて、次に朱の魔王が、我が魔王さまを訪ねたとき、朱の魔王はあまりに驚いて、しばらく開いた口がふさがらなかった。それでも朱の魔王が黙っていたのはほんの少しの時間だけで、すぐに目を爛々と光らせて、一体どうやって魔王さまが妃を迎えられたのか、そのいきさつをこと細かく問いつめた。魔王さまはいつもの通りに苦笑いされて、ぽつぽつと質問に答えられた。
 私はその様子を、少女の胸に抱かれながら眺めていた。少女は魔王さまの正直すぎる解答に、頬を染め、時々は魔王さまの背中を叩いて、それ以上言わないようにと睨みつけた。少女の腰には勇者の剣が、髪には白い月下美人の花があり、魔王城には美しい香りが漂っていた。

END

解説
 このお話は、大学のサークルの部誌であるJIBUCA vol.37に掲載した「Double Roles」を改題し手直ししたものです。
 このお話に、朱の魔王のお話「あしたに咲く花」を加えた同人誌『魔王望みは永久より近く』を文学フリマ等で頒布しています。詳しくはオフライン情報をご覧下さい。

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