![]() 魔王さまはお優しい方だけれど、孤独な方でもあった。魔王さまにはどこか人を寄せ付けない雰囲気がおありだ。まだ幼いうちに父君である先王が亡くなり、魔王さまは王位につかれた。母君は父君が亡くなってから、離宮にこもるようになってしまった。 魔王さまは執権も相談役も置かず、ずっとお一人で玉座を守られている。使用人とも、必要以上の会話をなさらない。私のような猫や、庭にある月下美人(これにもまた魔王さまは名をお与えになった)とばかり一緒にいらっしゃる。 私はいつも魔王さまのお側に控えている。魔王さまは時々私の名を呼んで、抱き上げて優しく撫でて下さるから、私はいつもそのときを待っているのだ。 そんな魔王さまの元を訪ねてくる者は、最近では一人しかいない。南海の魔王城に住む、 我が魔王さまは、お優しく礼儀正しい方だから、そんな傍若無人な輩も丁重にお迎えする。そのせいか、どうも、朱の魔王は我が魔王さまを無二の友と思っているらしい。相談があればなんでも聞こうとか、そろそろ妃を迎えないのかとか、そんなことを言うが、そういうとき魔王さまは決まって、やんわりと微笑まれるだけである。その笑みを見て、朱の魔王はため息をつき、勝手にも、勿体ないなあなどと呟くのである。 つい先日も、朱の魔王が、我が魔王さまの元に訪ねてきた。朱の魔王は、聖都で新しく勇者に選ばれた者がいるという話をした。なんでもその者は年端もいかぬ少女であるらしい。朱の魔王が好きそうな話だった。 私は朱の魔王の膝の上でその話を聞いていた。私は朱の魔王がそれほど好きではなかったが、朱の魔王の方は猫が大好きなのだ。私を見つけると、目を爛々と光らせて、私の身体を掴み、強引に自分の胸元へ押しつける。もがいても無駄なことを経験から知っている私は、大人しくするしかないのだった。 我が魔王さまは、少女の勇者の話に耳を傾け、ふむと息を吐き、感心したご様子だった。朱の魔王は、魔王さまの興味を引けたことが嬉しかったらしく、聞いてもいないのに勇者についてこと細かく語った。 それからしばらくして、魔王さまはどこからか人形を一体、お連れになった。人形は、明るいブロンドの髪をした少女だった。空色の瞳はきらきらと輝き、笑い声は軽やかで鈴の音のように聞こえた。纏う衣も、どこぞの姫君かと思うくらい、美しく贅沢なものだった。魔王さまは人形の名を呼んで、話しかけ、朝起きてから夜寝るまでいつも一緒におられた。 人形はとても礼儀正しく、清楚だった。そしてちょっと、鈍かった。私は魔王さまに大切にされる人形に軽い嫉妬を覚えていたけれど、人形の方はそんな私の気持ちなど気づきもせず、コロコロと鈴が鳴るように笑った。「黒猫さん」なんて、私のことを呼んで、膝に乗せて撫でるものだから、私はすっかり毒気を抜かれてしまった。こんな人形に、何を思っても詮無いことだ。そう思って私は、素直に人形の膝の上に居座ることにした。そこからだと魔王さまのお顔もよく見える。 ある日、魔王さまは夜のお散歩に出かけられた。夜空には私の瞳と同じ色の月があって、庭の月下美人も綺麗に咲いていた。魔王さまは人形を連れ、華やかな香りが漂う夜の庭を、ゆっくりと歩まれた。私は自分の足で地を歩きたかったけれど、人形が私を抱いて放さなかった。魔王さまは大切になさっている月下美人を人形にお見せになり、人形はそれを見てコロコロと笑った。 魔王さまの目に映る人形。私はそれを見上げていた。魔王さまの大切な月下美人、そして黒猫の私。人形はそのどちらを見ても、鈴の鳴るような声で笑った。魔王さまも少しだけ、お笑いになった。その笑みは私の中に残って、澱のように、沈んだ。 次の日、人形は壊れてしまった。どうも夜露が人形を痛めてしまったらしい。人形は魔王さまを前に、コロコロと笑い、ずっと同じことしか言わなくなった。魔王さは、また少しだけ笑って、私におっしゃった。 「リュンヌ、やはり、だめだね。人形は」 魔王さまの人形を見つめる瞳は、最初からずっと変わってはいない。 「私にはこれしか連れてこられなかった。だけど、私が欲しいのは、これだけじゃないんだ」 魔王さまは、そっと手を伸ばすと、人形のスイッチを切った。人形は微笑んだ表情のまま、動かなくなった。 何日か経って、聖都にほど近い小国の王女がさらわれ、捜索中だというニュースが、朱の魔王によって届けられた。どうやらその国は、青の魔王さまを王女誘拐の犯人として考えているらしい。王族の誘拐は大罪だが、こと王女に限っては、魔王の誘いを断れないのが《世界の約束》である。 「女神の中庭」と呼ばれるこの大陸は、古き神々が奇跡と厄災を込めて造ったとされている。大陸に生きる者には、守らなくてはならない約束がいくつかあり、王女が魔王の誘いを断れないのは、そのひとつである。そして、魔王は必ず勇者の剣でなければ死ぬことが出来ないというのも、大切な約束だった。 「ホントに、君がさらったのかい?」 朱の魔王は、部屋の隅の壊れた人形を見ながら言った。魔王さまは、ニヤリと悪戯っぽい笑みを浮かべて答えられた。 「どうしても欲しいものがあるんだ」 程なくして、例の小国から魔王討伐の勇者を送るという書状が届いた。書状から遅れること二日、勇者の方もやってきた。魔王城の門を叩くその勇者は、いつか朱の魔王が話していた、少女の勇者だった。門が開くと、少女はズカズカと城に入り、玉座の前に仁王立ちして、魔王さまを睨みつけた。 「姫を返しなさい、青の魔王」 凛とした声。短く切ったブロンドの髪と、澄んだ空色の瞳。少女の姿を瞳に納めて、魔王さまは笑みを浮かべられた。 「返さないと言えば?」 「力ずくよ。私の剣ならばあなたの命を奪うことだって出来る」 勇者の少女は腰の剣に手をかける。剣の柄を握り、右足を半歩下げて構えの姿勢をとる。少女の姿は、勇者に相応しい使い手に見えた。 「勇者よ、私には欲しいものがあるのだ」 「姫をさらっておいて、その上、まだ何か奪うというの?」 「私が欲しいものは、最初からひとつだけだ。欲しいものを手に入れるために、どんな手も使う。それが魔王だ。あの人形は欲しいものを手に入れるために必要だったのだよ」 「どんな事情があろうと、王族の誘拐は大罪。姫を返さないというのなら、魔王、あなたはここで死んでもらうわ」 そしてついに、勇者は剣を抜いた。魔王を殺すことが出来る剣。父君もそのまた父君も、勇者の剣に敗れた。 私は怖くなって、ぱっと魔王さまと勇者との間へ飛び出した。魔王さまを見上げ、鳴く。魔王さまはいつものように、優しく微笑んで、おっしゃった。 「リュンヌ、大丈夫だから」 魔王さまは玉座から立ち上がり、私をのけて、勇者の前に立たれた。 「勝負だ、勇者よ。君の力を見せてみろ」 そう言って、魔王さまも構えをとる。 勇者も剣を構え、確認のために問う。 「剣は持たないの?」 「私は無手が流儀だ」 「ならば遠慮なく」 勇者が斬り込む。その剣は少女の気性そのままに、真っ直ぐで、力強く、嫌味がなかった。 魔王さまはひらりひらりと、木の葉のように少女の剣をかわされる。少女は何度か打ち込むうちに、だんだんといらつきを見せた。 太刀筋は悪くない。少女の剣は確かに優れたものだった。しかし若すぎるのだろう。真っ直ぐすぎる剣は、読みやすく避けやすい。魔王さまに一撃も浴びせられないことにいらだって、それが剣にも表れてしまう。少女の剣は鈍り、重くなった。 「そんな剣では私を殺すことは出来ない」 「五月蠅い!」 少女は叫んで、剣を振り回した。 魔王さまは、指先に魔力を集めて、振り下ろされる刃を掴まれた。そのままぐいと刃を下に向け、少女の身体を引き寄せられる。少女は突然のことにバランスを崩し、魔王さまの胸に頭を突っ込んだ。 魔王さまはもう片方の手で少女のあごに触れて、少女の顔をご自分の顔の方へ向けられた。魔王さまの漆黒の瞳、少女の空色の瞳。まるで愛し合う男女のようなその体勢に、少女はカッと頬を染めた。 「バカにしないで!」 少女はまた叫んで、剣から魔王さまの手を振り払い、そのままそれを魔王さまの胸に突き刺した。私はハッと息を呑んだ。 勇者の剣が魔王さまの胸を刺す。根本まで刺さった剣、しかし血は零れず、魔王さまは微笑まれたままだった。 「どうして?」 少女は驚愕の表情を浮かべ、魔王さまを見上げる。 「どうして、魔王を殺すことが出来ないの?」 剣の柄を握った手が、震え出す。 「私は勇者なのに……聖都に選ばれた勇者なのに、どうして」 「さぁ?」 魔王さまは、胸に刺さった剣など何ともないご様子だった。私はまだ心臓がドキドキとして、落ち着かなかった。 「どうして、どうしてよ!?」 少女は、目に涙を浮かべている。 「私が――私が女だから?」 少女は剣の柄を放し、そのままそこにへたり込んだ。ぽたぽたと涙が床に落ちる。 「私は捨てたのに。強くなるために! 魔王を討てなければ、捨てたものはどうなるの? 私は――」 少女の悲痛な声が玉座の間に響く。 魔王さまは胸に刺さった剣を抜きながら、おっしゃった。 「たとえ捨てたものでも、戻るよ。私がちゃんと、君が捨てたそれをとっておいたから」 血に濡れていない剣を、そっと少女に手渡される。 「今度は捨てたりしないで、両方持って、生きればいいじゃないか」 いつの間にか、魔王さまの背後には、壊れたはずの人形が立っていた。きらびやかな衣装に身を包み、コロコロと楽しそうに笑う少女の人形。 「半分でしかない者に魔王は斬れない。両方なきゃ、君は私を斬れない。姫を救いに来たのだろう? 自分を救えるのは自分だけさ」 人形は少女の前に跪く。右に剣、左に人形。それぞれを従えた少女は、魔王さまを見上げた。 「じゃあ、あなたは? 一体何を望んで」 「欲しいものがあると言っただろう」 魔王さまの微笑み。お優しい魔王さまの、悪戯っぽい笑み。 「私が欲しいのは、君だよ」 さて、次に朱の魔王が、我が魔王さまを訪ねたとき、朱の魔王はあまりに驚いて、しばらく開いた口がふさがらなかった。それでも朱の魔王が黙っていたのはほんの少しの時間だけで、すぐに目を爛々と光らせて、一体どうやって魔王さまが妃を迎えられたのか、そのいきさつをこと細かく問いつめた。魔王さまはいつもの通りに苦笑いされて、ぽつぽつと質問に答えられた。 私はその様子を、少女の胸に抱かれながら眺めていた。少女は魔王さまの正直すぎる解答に、頬を染め、時々は魔王さまの背中を叩いて、それ以上言わないようにと睨みつけた。少女の腰には勇者の剣が、髪には白い月下美人の花があり、魔王城には美しい香りが漂っていた。 END ![]() このお話に、朱の魔王のお話「あしたに咲く花」を加えた同人誌『魔王望みは永久より近く』を文学フリマ等で頒布しています。詳しくはオフライン情報をご覧下さい。 ![]() -TOP |