![]() 考えてみて、彼は一連の作戦を思いついた。 通りを渡り、クレア・ファントムが、路地に入ろうとするところへ、走っていく。走って、彼女に追いつく前に――転けた。かなり盛大に転けた。 彼女は背後の物音に気づいて、振り向き、地べたに座り込んでいる彼へ手を伸べた。 「大丈夫?」 フワフワとした金髪、差し出された白い腕。親切にも問いかけた彼女の瞳は、透き通るような空色だった。会いたかった少女、何故会いたかったのか――。 (この手だ……この手が欲しかったんだ) 家族を喪い、生きる意味を失い、絶望しきった主を救おうと、差し出された手。弱々しく儚い、腕。見上げた少女の姿は、夢の中と寸分たがわない。 欲しかった、この手を。主の望みのためだけに、生きる――下らない楽しみは知っていても、自らのために生きることを赦されない自分。それを、救う、この手を。 「ありがとう」 ニコリと、笑って、差し出された手をとり、立ち上がる。主のとらなかった手。それを、今――自分は。 「よかったら少し――、つきあってくれないかな」 袖口に忍ばせた手から、さっと――無詠唱で、魔道を使い――バラを造り出す。無から有、有から無を生む創成魔道。限られた人間にしか操れぬもの。彼とて自由にこの魔道を扱えるわけではない。彼が造り出せるのは、ごく限られたものだけ。それでもそれは、おのが猛き術者であることの証となる。 そのバラを差し出す。彼女はそれを見て、酷く驚いた様子を見せた。 「ダメかな?」 彼は冷ややかに笑みを浮かべる。彼女が狼狽えるのを見るのは、あまりに心地よかった。 「……いいわ、私もあなたと話がしたい」 彼女は、彼を見つめて、観念するように言った。 「だけどここでは、人が多いから」 「そうだね、移動しようか」 彼が言うと、彼女はうなずき、歩き出す。少女の背中を追いながら、彼は、どのように彼女を殺すか、その算段に思考を巡らせた。 “世界の果て”へ続く死の砂漠。弱い風が吹き抜ける。夜空には街の中からは見えなかった星の光がある。遥か遠くにぽつんと、空を刺さんとそびえる、白い巨大な塔が見えた。 その塔を見据える砂漠の中で、クレア・ファントムは足を止めた。彼も彼女との距離を保ったまま、立ち止まる。手を伸ばしても届かないが、駆ければ一瞬で埋まる、戦いの間合。 じりっと砂を踏んで、彼女が振り返る。ふわりと髪が風に乗る。可憐で弱々しい少女の姿は、夢の中と――彼が生まれるよりも前、彼女と主が出会った時と、これっぽっちも変わらない。 (あり得ないことじゃない) 魔界の住人であり、魔道を究めた者ならば、何十年も同じ姿でい続けることは不可能ではない。逆に、このいたいけな少女の姿こそ、強力な術者たるしるしとも言える。 「あなたには訊きたいことがたくさんあるわ」 彼女の凛とした表情には、薄く恐怖が混じっていた。 「まず――訊きたいのは。あなたは一体、何者なの?」 結局受け取ってもらえなかったバラの花を、手の中で遊ばせながら、彼は少し笑った。 創成魔道を操り、主と同じ青い髪と青い目を持つ、彼。彼女にとっては不思議だろう。 「ファーストと呼ばれる」 少女の欲しがっている答ではないことを知りながら、そうとだけ、答える。 弟はこの呼び名を、ただの番号だなどと卑下していたが、彼はそうは思わない。主が彼をそう呼ぶ以上、それは与えられた名。 「君の名は、知っているよ、クレア・ファントム」 呼びかけると、彼女はピクリと眉を吊り上げた。 「俺の正体は、話していれば、おいおい分かるんじゃないかな」 「では――次は、星の民のこと」 彼女は視線で、遠くにある塔を示した。天と地の間に、傾きながら建つ星の塔。外との交流を持たず、外からの侵入を赦さず、永い間孤高を保っていた星の民。 「昨日、星の民は外部の侵入を受け……多大な被害を出した」 魔界におけるどんな者も、それらを脅かすことは出来ない。誰もがそう信じ、事実あの塔は、不落の塔であった。そう、昨日までは。 「侵入者は、青い髪に青い目の男だったと、報告があったわ」 「へぇ」 彼は感心して、声を漏らした。昨日、彼があの塔を訪れたことを何故この少女が知っているのか、それには少し興味がある。星の民と繋がりのある外部の者など、いないはずだ。ならば情報を得るための手段が別にあることになるが……。 「今の魔界に、その“色”を持つ者は、多くないはずよ」 青い瞳と、青い髪。かつて、魔界の半分を手中に収めたとも言われる、青剣の民。今となっては、滅び行く種族。主はその最後の生き残りであった。そして主に似せて造られた、彼と弟に、青の色は引き継がれている。 「……あなたなの?」 少女の眼差しはまっすぐだ。だが、まっすぐなものほど脆いのも事実だ。彼はまた笑って、答えた。 「それが俺だったとしたら、君はどうするのかな」 「質問に答えて」 彼女は彼の笑みが気に入らないのか、表情を険しくした。 彼にとっては答える義理のない質問だ。けれどせっかくの可愛らしい顔を、歪めたままにするのも勿体ない気がした。 (あんまりひけらかさないように、言われているけれど) 彼は一息吐いて、言った。 「俺だよ。俺がやった」 彼がそう言ってやると、彼女は一瞬、驚いた顔をして、次に非難するような視線を彼に向けた。 (……面白い) 与えた情報と釣り合うとは思えなかったが、彼女の表情が変わる様は、彼を満足させた。 「一体、何のために? 何が目的なの」 彼女の強い瞳が、彼をじりじりと責める。 根負けして、彼はぼやいた。 「俺だって、好きでやったわけじゃない」 覚えている。手に残る感触、ひとつひとつの命を終わりへと導く、その瞬間を。死人の顔は、それがどんなに綺麗でも、もう二度と泣いたり笑ったりしないのならば、それは彼にとっても気の重くなるものであった。 「命令、だったから。マスターが、それを望んだから」 この世の全てを道連れに、死にたいと願う主。主にとっては、世界の全てが敵で、いつかは滅ぼす相手なのだ。 「あなたの、マスターというのは……」 「君は、知っているんじゃないかな」 彼は彼女を見つめた。夢の中の少女。何度も何度も繰り返し、幼い主に手を伸べた、彼女。 「君とマスターとは、昔、会っている。そして――他ならぬ君が、マスターに生きる目的を与えたんだ、そうだろう?」 世界に復讐を、と。それは恐らく、気休めの言葉だったのだろう。差し出された弱々しい手こそ、彼女の本心で、呟かれた言葉には、深い意味などなかったのではないか。 しかし――主は、その呟きにすがった。家族を憎み、家族を自らの手に掛けた主には、あまりに似合いの提案だった。 目の前の少女は、うなだれている。先ほどまでの強い瞳は、もう何処かへ消えてしまった。 「……やっぱり、あなたはエリの?」 エリ。主の名。彼はうなずいた。 「エリの魔道によって、造られた存在なのね?」 「そうだよ」 彼は微笑んだ。自嘲の笑み。 「俺はマスターの下僕だ」 「――自由には、なれないの?」 彼女が彼を見つめる、その瞳には光があった。夢と同じ、憐れみの光。 彼は首を振った。 自分は、自由にはなれない。何故なら、その様に造られたから。主の命令は絶対で、背くならばそれは命と引き替えでなくてはならない。 「まさか――生まれた時から、存在に魔道を組み込まれて?」 「……そうだね」 彼の中にある、ひとつの魔道。生まれた時から刻まれている道すじ。主だけが接近できる特別の法。彼はそれによって、存在を縛られている。その魔道を通してなされた命令には、彼は逆らうことが出来ない。 「そんなのって、非道い」 彼女は痛々しい表情をみせた。彼女にとって、主の彼に対する仕打ちは、とうてい赦されることではないのだろう。けれど、それは。 「私は今――魔王に仕えているわ」 少女は言った。 魔王――世界に愛された子、運命に祝福された者。何十年か前に魔界に降り立った魔王は、魔界を支配する訳でもなく、ただ、君臨しているだけ。 けれど強大な魔力を持つその人物は、世界を滅びに導く上で、最大の敵になるだろうと主は言っていた。その魔王の、部下というのなら、クレア・ファントムも―― 「アイミさまは、とてもやさしい方よ。それに、アイミさまの周りには、私なんか足下にも及ばない術者がいるわ」 ああ、これは誘いなのだと、彼は絶望的に認めた。 「もし、あなたが望むなら――あなたを存在させたまま、あなたの存在に組み込まれた魔道を、封じることだって可能よ」 つまり、魔王の陣営は、彼における主の支配を無効に出来る、と。 「自由になりたいと思わない?」 彼女の空色の瞳――彼は静かに息をつく。 欲しかったのだ、この誘いが。下僕でしかない自分。自らの意志よりも、命よりも、主を優先し、主のためだけに生き、主のためだけに死んでいく。心の隅で望んでいた。夢の中の少女、自由を可能にする相手。望んでいた、確かに望んでいた―― ――けれど、それは。 彼は笑った。自嘲ではない。今は誇りから。心に問うてみて、自らの心に問うてみて、返ってきた答は―― 「あなたにだって、自由に生きる権利はあるはずよ? あなたは、あなただけのために生きればいい」 (俺が俺のために生きるのなら――) 彼は笑っていた。嬉しかった。自らの心に問うてみて、何度も何度も問うてみて、やはり同じ答しか返らなかった。 「あなたを縛り利用するあなたのマスターを、憎いと思わないの?」 「君は? 君はどうなんだ。君は駒として、魔王に仕えることを望んだのだろう? 同じことさ」 「違うわ。全然違う!」 彼女は悲痛に叫んだ。 「アイミさまは、私が嫌だと思うことを、私にさせない。アイミさまは私を尊重してくれる。私は、ひとりの人間として、あの人の力になりたい。そう思うから、仕えているのよ。存在に魔道を組み込まれ、術者の命令を拒否できないあなたとは違う」 (違わないさ) 違わない。 ひとりの、人間として。駒ではなく、下僕でもなく――人として。 「あなたが望むなら、あなたは自由になれるのよ? どうしてあなたは、エリに従うの……?」 何故、主に従うのか――。 (言いはしない) それは、言葉にすればあまりに薄っぺらい。 それは、言葉にすればおのれを縛る。 言いはしない。言えば大切なものを失う。言えば要らぬ枷を得る。 (言いはしない――) 理由など、ひとつしかない。心を挫く魔道は無い。存在に組み込まれた魔道、存在を縛る魔道――それよりも深く、どうしようもないくらいに――知っているから。 家があった。決して幸せではない家があった。それが消えた。跡形もなく消え失せた。ひとりの少女を残して。 ――言いはしない。 少女の震える肩を、さまよう視線を、頬のしずくを、知っているから。見上げた空の暗雲を、その心の闇を、彼は知っているから。 胸に疼く誇り、変わらぬ主への忠誠。彼は笑った。何度心に問うてみても、同じ答しか返らない。嬉しかった。心を挫く魔道は無い。自分は主のために、これからも生きていく。 「………あくまでも、あなたがエリの側につくというなら」 クレア・ファントムは、耐えかねて、低くうめいた。 「私はあなたを逃すわけにはいかない」 「そうだ、そうこなくっちゃ」 彼はまだ笑っていた。 「俺だって、君を逃すわけにはいかない」 右手には花を、左手には魔道を。 彼は彼女に向かってバラを投げた。花が砂地に落ちる、それが、開戦の合図だった。 走って、一気に間合いを詰める。いかに屈強な術者だとしても、か弱い少女の身体を持つ以上、接近戦は苦手だろう。そうふんで彼は、拳に魔力をまとわせ、彼女に殴りかかった。 拳が触れるか触れないかの瞬間、彼は少女の瞳に輝く光を見た。 ぐにゃりと、視界が歪む。頭の奥が痛み……目の前が暗くなった。 ――私の所為なの? 誰かが誰かに問うている。 ――私の所為で……父さんは……母さんは…… (やめろ、違う……) 家族を喪った、青い髪の少女。手をさしのべる、金髪の少女。 ――私が死ねば……? (違う……) ――私が死ねば 呪いの言葉、最初の記憶の中、自らを呪う幼い主。彼はかき消そうと、必死に抗い―― ――俺は死ぬの? 次に見えた主の姿は、最早少女ではなかった。幼い彼が、ベッドの中に身体を埋めていた。両手は自分の吐いた血で汚れている。その血を眺めながら、彼は主に問うていた。 ――ねえ、マスター、俺は死ぬの……? ――ここで死んだら……役立たずだわ 役立たず。ここで死ぬ者は役立たず。暗闇の中、彼を見つめる冷ややかな瞳。言いしれぬ痛み、重く暗い……。死にたくなかった。死にたくは、なかった―― (――俺はまだ、死ぬわけにはいかない!) 彼は覚醒して、目を見開いた。全身が汗で濡れている。肺が絞まり、息が苦しかった。 顔を上げ、殴りかかる直前と、ほとんど変わらぬ位置にいる、クレアを確認する。どうやら彼女は、おのれの術が破られたことに驚いているらしい。ならば今―― 彼は呼吸を整え、即座に魔道を組み立てると、地に手をついて解き放った。 クレアの足下の砂地が爆発し、煙を上げる。砂埃の向こうに、彼女の悲鳴。そして今度は右手のひらに魔道の炎をともし、彼は彼女に接近した。 左手で煙の中の彼女の首を絞め、右手をかざす。砂に涙する少女の顔は、彼が笑みを零すには充分なつやがあった。 彼女は彼から逃れようと藻掻き、しかし彼の手にある炎を瞳に入れると、ひっと引きつって目を見開いた。怯えているのか、彼の腕に爪を立てた両手が震え始める。 「……君は、火が嫌いなのか?」 彼女の反応が、そのまま答であった。全身がガクガクと震え、瞳には涙まで浮かんでいる。彼は、そんな彼女を冷たく見下ろす。 「クレア・ファントム、魔王に与する者。主の望みに邪魔だてする者――ここで、死んでもらう」 彼が右手の炎で彼女を焼こうとしたその時―― また、視界がゆらいだ。 幸せとは、何であったか―― 生きることとは―― 暗闇の中、思い出が像を結ぶことなく――過ぎ去っていく。 (知らない、生きることも幸せも) それ故、人生には苦労が、行く先には闇が、消えることなくつきまとう。 (だけど俺は――) 知っている、さまよう視線、頬のしずく。傷ついたその人の痛みを、深く深く知っている。 (だから俺は――) ゆっくりと目を開いて、見えたのは、ただただ広い砂漠の上の空だった。きらきらと星が瞬いている。どうも今度は完全に術中に落ちて、眠ってしまっていたらしい。 めまいに襲われる前、少女がいたはずの場所には、最早その姿はなく、あたりに気配も感じられなかった。恐らく彼が意識を朦朧とさせているうちに、彼女は移動の魔道で逃げたのだろう。 彼は起き上がろうとして、身体のあちこちが痛むのを感じた。何カ所か軽い打撲、そして右手に火傷のあと。 (クレア・ファントム……) 火傷に手を当てながら、またその名を反芻する。夢で見た少女。魔王に仕える、幻術士。 (君に会えて良かったよ) 心に問うた、何度も何度も。けれど自分にはそれまで、命と引き替え以外に、自由になる手段が無かったから。しかし今、そうでない手段を提示されて――もう一度、問うてみて。 (やっぱり、同じ答しか返らなかった) 心を挫く魔道はない。たとえ存在を縛られていても――心は、心だけは。 未だ明けぬ空を見上げる。街の方に、セカンドの魔力を感じる。彼はそれめがけて、移動の魔道を発動した。 「只今戻りました、マスター」 いつも通り、ニコリと笑う。 「お帰りなさい、ファースト、セカンド」 主は彼の笑顔と相棒の疲れ顔に、無表情で答える。 「それで――なんで、休暇に行って、怪我して帰ってくるのかしら、この子は」 ハァと、ため息をつく主に、知らん顔をする相棒。彼は、あははと、力無く笑った。 「まあ、いいわ。楽しかった? 休暇は」 「ええ」 「それなりに」 楽しかったと言えば、楽しかった。彼も相棒も、少し含ませて、肯定した。 「そう、良かったわね」 主は、その含みには、別に関心を示さなかった。 「ファースト、治療するからこっちに来なさい」 「はい」 彼は返事をして、主の後に続いた。 それは、言葉にすればあまりに薄っぺらい。それは、言葉にすればおのれを縛る。言いはしない。言いはしないが、それでも。 ぐるぐると、火傷に包帯を巻かれながら、彼は主を見つめていた。主に掴まれている腕も、主の伏し目も、まつげも、何もかも嬉しくて、彼はただ静かに、主を見つめていた。 ----First First Memory- --END- ![]() みなさんご存じないでしょうが! 私はこの原稿を、四月からちょっとずつ書いていたのですよ! なのに今、締め切りの日の午前三時半を過ぎていますよ! これは一体どういうことですか! 呪いですか! 呪いと見せかけた愛ですか!(何) この話は、高三の時に書いたお話の別視点モノだったりする訳です。そっちの話はセカンド君が主役です。拾い切れていない複線はそっちで消化されていたり、いなかったり。HPに置いてあるので、良かったら見てみて下さい。 ファーストは困ったヤツで、もうかれこれ5年以上お付き合いしているのに、未だに底が見えません。我が子ながら謎だらけです。意味不明です。天然危険物です。(何ソレ)今回、とっても苦労しました。もう取り殺されるかと思いました。私は、これからもヤツと戦い続けます。負けません。 でも次はクレアちゃん視点の話を書きたいです。(オイ) ![]() あとがきはその時のもの。 ![]() -TOP |