ベトナム旅行記 ('00/8) ・・・ 4/4


5.ソンミ村(ミライ)

(1)ソンミ村へ
戦争中に虐殺事件のあったソンミ村へ行きたかった。しかし、観光地ではないのでツアーバスはなく、列車でクアンガイを目指そうとした。しかし、列車は数日先まで満席。フエの駅で途方に暮れていたら、男が声をかけてきた。カフェの代理店をやっている人だった。この人が、ニャチャン行きのバスでクアンガイ途中下車できるよう、カフェと交渉してくれた。バスは2時過ぎにやってきた。クアンガイ到着は夜10時頃。安ホテルの前まで送ってくれた。

(2)村の記念館
ソンミ村へは、ホテルでバイクタクシーを紹介してもらった。US5$で行ってくれるという。何かの本に、すごい悪路を行くと書いてあったが、道は舗装されていて、約30分で着いた。とても素朴で静かなところ。記念館があり、犠牲者の遺品,写真等が展示されている。

1968年3月、米軍により村人504人が殺された。わずか4時間で。これがソンミ村虐殺事件である。 当初は民間人ではなくベトコンの部隊との戦いと報告されたが、内部告発により事件が明るみになった。発生から18ヶ月後のことだという。
この記念館は、1992年に、最も大規模な殺戮が行われた跡地に建てられた。
記念館にある石像
敷地内には、墓碑があちらこちらにあり、殺された家族の名前と歳が彫ってある。1歳とかの子供も。
記念館に展示されている遺品の一部。
弾痕が生々しいココナツの木
復元された防空壕。隠れていた人達は、引き摺りだされて殺されたり、手榴弾を放り込まれて殺された。

「新聞記事の紹介」
'01年3月18日の朝日新聞に、「ベトナムのソンミ村虐殺事件の時の元米兵が、救出した村人と再会」という記事が掲載されていたので紹介します。
ベトナム戦争中の1968年3月16日、中部ソンミ村で米軍が村民504人を虐殺する事件が起きた。その時、米軍ヘリが村に着陸し、虐殺寸前の11人の村民を救出した。そのひとりで当時9歳の少年だったドー・バーさん(42)と、彼を救った米軍ヘリ搭乗員ラリー・コルバーンさん(51)が16日、ソンミ村で33年ぶりに再会した。
この米軍ヘリは現場上空を飛行中に虐殺に気づいた。機長は「非戦闘員を殺すべきではない」と生存者の救出を決意し、「もし米兵が村人をこれ以上殺すのならすぐ発砲せよ」と射手コルバーンさんに命じた。バーさんの母親や2人の妹も目の前で虐殺されたが、バーさんは死んだふりをして救出された。
現在、ソンミ村には虐殺記念館がある。16日、元米兵や村人らが集まって、犠牲者をしのび50本の木を植えた。


(3)ビーチにて
ソンミ村記念館からバイクタクシーで約10分ぐらいでビーチに着く。とても静かで美しいビーチ。外国人観光客は誰もいない。人々も観光客なれしていないせいか、とても素朴である。ここでなぜか子供達と仲良くなり、地引き網漁を手伝った。

ビーチのあと、米軍基地跡やお寺に連れていかれ、結局US$10払った。バイクタクシーの運転手は、元南ベトナム軍兵士だったという。そうすると、戦後はかなり苦労したにちがいない。

とても美しく平和な村だけに、当時の事件の悲惨さが印象に残った訪問であった。

〔ソンミ村への行き方〕
ソンミ村へ行くには、クアンガイを目指す。
国道1号線上にあるので、フエ〜サイゴン間のローカルバスは必ずクアンガイを通る。また、鉄道駅もある。
あるいは、私がやったように、カフェのオープンバスで途中下車する手もある。

駅,バス停からは、バイクタクシーがお勧め。往復し、記念館見学中は待っていてもらってUS$5。(2000年8月)

〔クアンガイの宿〕
私が泊まったのは、Kim Thanh Hotel という宿で、AC付きUS$12,AC無しUS$6。 他にも Hotel 502, Hoa Vien Hotel 等、いくつかのホテルがある。

[ Kim Thanh Hotel ]
3階建てか4階建てか忘れたが、部屋数は結構ある。部屋の壁が薄くて、隣の人の声がよく聞こえるのが印象的だった。宿の親父に部屋を見せてもらっていると、巨大ゴキブリが現れた。彼はそれをサンダルで叩き潰し、指で摘み上げニヤッと笑って出て行った。シャワーを浴びていると、足の上でなにかゴソゴソ動く。ふと下を見ると、大きな黒い物、巨大ゴキブリ2号だった。大声で叫んでしまった。隣の人はとてもびっくりしたと思う。

6.ローカルバスでの移動

クアンガイからは、ローカルバスでニャチャンを目指した。ソンミ村記念館を案内してくれたバイタク運転手が、ハノイ発サイゴン行き長距離バスをつかまえてくれた。
韓国製大型バスで、乗客満載。バスに乗った瞬間、すべての乗客の視線が私に集中した。外国人がこういうバスに乗るのはとても珍しいらしい。言葉はつうじないが、皆とても親切にしてくれる。超満員だったが私のためにスペースを作ってくれたし、休憩の食事のときは、運転手とそのスタッフに招待されて食事をごちそうになった。(そこのテーブルだけ、すごい量の料理が運ばれた。)
ほとんどの外国人旅行者は、カフェのツアーバスで移動する。安くてそこそこ快適。しかし、地元の人達と接する機会は無い。ロンリープラネットにも書いてあったが、ローカルバスは地元の人達と仲良くなれる絶好の機会である。問題点は故障が多いこと。私も道に止まっているバスを見て、「ああ、大変だあな。」と思っていたのだが・・・・・。

クアンガイでバスに乗ったのは午後3時。途中、休憩しながら、午後10時にクイニョンという町でなぜか止まった。他の乗客がみんな降りていく。食事かと思ったが違った。故障らしい。スタッフが左後輪をジャッキアップしてタイヤを外している。見ると、なんと、ブレーキドラムが3分割にぶち壊れているではないか!!!。目まいがした。これは悪い夢なのでは、思った。しかし、現実だった。でもみんなそんなにあわてた様子はない。しかたがないので、他の人と話(ジェスチャー)しながら時を過ごす。
午前1時頃に別のバスが通りかかり、5万ドンでニャチャンまで乗せてやるといってきたが、この人達を置いて、自分だけ先に行く気にはなれなかったのでやめた。帰国まで2日あったし。
夜2時過ぎには、バイクが部品を積んで現れた。運転手が部品屋に電話したのだ。しかし、その部品はサイズが合わなかったようで、持って帰っていった。しばらく地べたに寝転がり仮眠した後、バスを見に行くと、部品が届いていて修理している。朝7時ぐらいに修理が終わり、ようやく出発。ニャチャンには午後2時に到着。約300kmを23時間かかったことになる。
とてもつらかったが、とても楽しい時間でもあった。彼らが無事サイゴンに着いたのを祈る。

ニャチャンのバス停からバイクタクシーでホテルへ。少し海で泳いで、あとはビーチで休養。翌朝6時にサイゴンへ向けてカフェのツーリストバスで出発。長距離ローカルバスの魅力も捨てがたいが、この日の夜のフライトなので、なにがなんでも帰らねばならない。ツーリストバスといえど古い1BOXカーなのでいつ故障しても不思議ではない。でも無事走り続け、夕方5時に喧騒のサイゴン着。

7.おわりに

一番印象に残ったのは、とにかく食べ物がおいしかったこと。どこで、何を食べてもおいしい。しかも安い。ビールを飲んでたらふく食べても300円しなかった。

残念ながら今回は日数が少なく、ベトナムを知るにはまったく不十分であった。しかし、ベトナム人のたくましさ,したたかさ,そしてやさしさにふれることができた。

ベトナム戦争が終わったのが1975年。その後ベトナムは、凄まじい発展を遂げて今日にいたっている。しかし、ベトナムを旅するうえで、この戦争のことは避けて通れないと思う。それに、戦争の被害はまだ続いているということも。いつまでも過去のことにこだわるつもりはないが、ベトナムの歴史を知り、そして、フランス,日本,アメリカがどんなことをしてきたかを知ったうえで旅すれば、もっとベトナムを知ることができると思う。


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