スリランカ旅行記 - 2/2


4.ヌワラエリヤで馬に乗る
キャンディは大都会。仏歯が奉納されているという仏歯寺は、過去に爆弾テロがあったためセキュリティが厳しい。キャンディやヌワラエリヤは丘陵地帯で、夜は結構冷える。キャンディ,ヌワラエリヤの宿では久々のお湯シャワーを浴びることができた。キャンディ〜ヌワラエリヤ間は道幅の狭い曲がりくねった山道なのだが、車はがんがん飛ばす。追い越しもしょっちゅうである。茶畑がひろがり景色もすごくきれいなのだが彼の運転はちょっと怖かった。ちなみにキャンディ〜ヌワラエリヤ間の鉄道からみる車窓はとくに有名である。

ヌワラエリヤにはスリランカで唯一の競馬場がある。町の中心から歩いて10分ぐらいのところ。さっそく訊ねてみた。一周約1kmぐらいの芝コースである。競馬は開催されていなかったが、コースには入れたので歩いていたら人が現れ、馬に乗りたいなら乗せてやるという。聞けばここの騎手と厩務員とのこと。さっそく値段交渉し、競馬場を一周させてもらうことにした。厩舎に案内され、馬を選び装鞍して出発。まさかスリランカで馬に乗って競馬場を走れるとは思わなかった。

ヌワラエリヤ競馬場騎手(右)と厩務員(左)
競走馬ばかりでなく観光客用の馬ももっていて、外乗コースもあるらしい。興味のある人はぜひトライしてみて下さい。でも看板とかないので、厩舎に入っていって尋ねないといけない。競馬場のすぐ外にも馬がいて、これは本当に観光客目的で、人を乗せてあるくだけなのでおもしろくないと思う。

5.多すぎたサファリ観光客
ヤーラのサファリは期待はずれだった。私達が訪れた日は祭日で地元の人々がたくさん訪れ、動物達はどこかに避難してしまったようだ。ワニとか水牛とかは見れたが、象は見れなかった。

水牛。水中にずっと体をつけていた。

6.再会
西海岸のサーフィンで有名な町、ヒッカドゥワにきてツアーは終了。運転手にチップを渡して、いよいよここから自分の勘で動くことになる。とりあえずヒッカドゥワの町を放浪していたら、宝石店の親父が話しかけてきた。日本人客のために自分の店のことを日本語に訳してほしいという。ちなみにスリランカは宝石でも有名である。店に入り、名刺をもらってそれを日本語に訳した。しばらく世間話しをしていたら、いつのまにか宝石を買わないかという話しになっていた。スリランカで宝石を買って、それを日本で売るといい金になるという。なるほど、和訳してくれというのは口実で、本当は宝石を買わすのが目的だったのか。でも話しを聞いていると、どこまでが本当でどこまでが作り話なのかわからなくなってくる。日本人の名前や住所を書いたノートをみせてくれたり、疑うならいまから日本に電話してもいいという。
私は最終的には買わなかったが、宝石を見せられるとその美しい輝きにすいこまれそうになり、何度か買ってしまいそうになった。実際、宝石は日本よりはるかに安く買える。ただし、保証書は必ずつけてもらうこと。台座やリングは、加工精度が良くないので買わないほうが良い。

ヒッカドゥワの宿で地図を見ていたら、ポロンナルワで出会った家族の住んでいる町と近いことが判ったので、思い切って訪ねてみることにした。ヒッカドゥワからバスでアンバランゴダへ。そこでバスを乗り換えてエルピティヤへ。エルピティヤの町で、その家族の住所を見せて所在をきいた。よくわからないのでトゥクトゥクという3輪タクシーに乗って探す。ようやくのことで彼らを見つけた。とても驚いた様子だったが大歓迎してくれた。水道も電気もない家だったが、昼食をご馳走になり、いろいろ話をした。日本のTVドラマ「おしん」を友人の家でみていたとか。再会を約束して別れる。とても名残惜しかった。

7.コロンボ
その日はアンバランゴダに泊まり、翌日は電車でコロンボへ。この電車といいバスといい、常に満員状態で当然エアコンは無し。ツーリストカーもエアコンは無かったがこれらとくらべれば超快適だった。
コロンボには軍隊があちこちにいて警備にあたっている。全員、自動小銃を持っている。昨日もタミルゲリラが爆弾を運んでいるのを捕まえたそうである。いつのかにか政府関係の建物が多い地区に迷い込んだらしい。出発前に読んだ、外務省がだしている危険勧告に、この地区には近づかないよう書いてあったことを思い出した。まあ、何事もなく宿へ。余談だがコロンボや有名な観光地では、乞食とか体の不自由な人が目についた。経済発展しようとしている国では、やはりこういった社会的弱者が切り捨てられていくのか。
宿は、駅から歩いて約10分、YMCAの隣のThe Sri Lanka Ex-Servicemen's Institute というところにした。ここはシングルルームもあるが、私はドミトリー形式の部屋へ。シャワー,トイレ共同で1泊330円だった。部屋には12(ぐらいだったと思う)のベッドがあり、ここにイスラエル人男性とフランス人女性の3人で過ごした。こういう宿のいいところは、いろいろ旅の情報交換ができることで、私はスリーパーダという山に行きたかったので、このフランス人にいろいろと教えてもらった。

8.スリーパーダの頂上へ
コロンボの安宿をでてバス停を目指す。教えてもらったハットン行きのバスを探し乗り込む。このバスはインターシティバスでエアコン付きである。ハットンまで約3時間、バス代は約120円。とにかく物価が安い。ハットンでバスを乗り換えスリーパ−ダのふもとナラタニヤまで約1時間半。ここでの宿は「グリーンハウス」。地球の歩き方をはじめとする日本のガイドブックには記載されていないが、ロンリープラネットなんかには載っており、欧米バックパッカーには有名な宿らしい。シングルルームと朝夕食付きで約1000円である。宿の主人もとても気さくな人で、スリーパーダを目指す人にはお勧めです。
翌日は朝3時過ぎに起き、山頂を目指す。山道の両脇には店がたくさん並んでいて、飲み物や食べ物を売っている。道は傾斜がきつく、とても疲れる。ようやく山頂へ。日の出前に着くことができた。しかし、山頂は霧がこく、日の出はもちろん、景色は何もみえない。ここでも地元の人達と仲良くなる。彼らはハットンとは反対側のラトゥナプラから登ってきたとのこと。パンや紅茶をご馳走になり、一緒に写真撮影。我々の家に来いというが、荷物を宿に残してあるので戻らねばならない。残念ではあるが、彼らと別れて下山。

中腹から見たスリーパーダ。霧がかかっている。頂上で会った人達

下山中に今度はスリランカ人高校生4人組と出会う。いろいろと話しをしながら下山。
途中、日本の寺に案内してもらった。

ようやく宿に戻り、ボリュームたっぷりの朝食を食べる。この日は天気も悪く、私もとても疲れたのでここにもう1泊することにした。グリーンハウスにシャワーはあるが、川で水浴びすることもでき、こちらのほうがはるかに気持ちが良い。水は冷たいが。
こうして、スリーパーダ登山は終了した。ちなみにナラタニヤという意味は「きれいな水」という意味だと、あの高校生達が教えてくれた。

グリーンハウスを発ち、とりあえずキャンディを目指す。そしてマータレーという町へ。この日は一日移動で終わった。ここにはアルヴィハーラという石窟寺院があり、ここを訪問。そしてキャンディ経由でコロンボに戻り、バスで空港へ。こうしてスリランカの旅は終わった。

9.おわりに
スリランカを旅して、とにかくたくさんの人達に出会った。そのうちの何人かとはまだ手紙のやりとりが続いている。スリランカの人達はとても穏やかで、親日的な人が多く、日本に行くのが私の夢だという人もいた。もちろん、胡散臭い人にもたくさん出会ったが。こういったのも含めて、強烈な旅の思い出として残っている。遺跡とか景色もすばらしかったが、やはり旅をしておもしろいのはこういう人達との出会いである。
不幸な紛争が早く終わり、平和が訪れ、スリランカ全土を旅できる日がくることを祈ります。そして、お世話になった人達との再会を。


ホ-ムへ前のぺ−ジへ