ミャンマー旅行記 ・・・・・ 4/4


6.バガン
いよいよバガンへ。船は朝6時発。例のサイカードライバーが5時過ぎに迎えにくる。しかし、私は前の晩、遅くまで「おやじ食堂」のおやじに付きあっていて、なぜかホテルに帰ってからの記憶がない。シャワーも浴びずに寝てしまったらしく、翌朝モーニングコールで目が覚める。時計をみたら5時半で、大パニック。大急ぎで荷物をまとめ、チェックアウトしてタクシーで船着場へ。(サイカーでは間に合わない。)ぎりぎり間に合った。サイカードライバーには大感謝である。彼がコールかけてくれなければ何時まで寝ていたことか。
船の料金は、船で直接買ってUS$16。前売りで買うとUS$18らしい。約9時間の船旅で、ゆったりできる。

ゲストハウスにて。左がZin Zin。
バガン近くの船着場で人が何人か乗り込んできた。それはホテルの客引きだった。どこへ行っても客引き合戦がすごい。もちろん、すぐに囲まれてしまった。その中で私が選んだのは、ラージ・ゴールデンポット・ゲストハウスというところ。理由は、客引きが唯一女性だったから。彼女は、Zin Zin という名前の、とても気さくな美人ミャンマー人だ。値段は、1泊US$3。ツインの部屋に、バス,トイレ,エアコン付きである。シーズンオフなのでこの値段だそうである。ここに3泊して、バガン観光とポッパ山へ。


バガン(写真をクリックして下さい。)
タラバーゲート。オールドバガンの入口にあたる。アーナンダ寺院アーナンダ寺院
シュエサンドーパゴタタビィニュ寺院タビィニュ寺院
スマラニ寺院に描かれたフレスコ画2体並んだ仏像ダマヤンヂー寺院
夕日に染まるパゴタ群シュエサンドーパゴタからみた夕日

ポッパ山へは、バスで行く。朝の8時、ゲストハウス前のバス停で待っていたら、人を40人ぐらい載せたハイラックスのピックアップを改造したトラックバスがやってきた。まさかこれが・・・とおもったが、まさかであった。運転手が「ポッパ?」とか叫んで、無理やり私を屋根の上に押し込んだ。これで約2時間半、しかし窮屈だがオープンドライブを楽しむことができた。帰りは、同じバスがポッパ山を1時発。

標高737mの岩の上にあるタウン・カラッタウン・カラッに祭ってある精霊

ニャンウーの波止場近くで若い男に声をかけられる。彼の名は、AUNG MYAT THU。旅行ガイドを目指しているという。とても英語が上手だ。船に乗らないかという。値段交渉していたら、もうひとり日本人がとおりかかり、いっしょに行くことになった。1人1300チャットで交渉成立し、小さな船で川を約20分。チョグー・ウメン・パゴタと彼は言った、かなり古い石窟寺院へ案内される。大きいパゴタだがガイドブックには記載されていなくて、ここはおもしろかった。その後、夕日をみながらのサンセットクルーズの予定だったが、突然の大雨でキャンセル。なんとか陸へ戻ったところで土砂降りになった。

7.再びヤンゴンへ
再会した兄弟とその家族
バガンからバスでヤンゴンへ。ホテルの前までバスが迎えにくる。Zin Zin と再会を約束してバスに乗り込みヤンゴンへ。約1時間ほど走ったところでバスがストップ。故障らしい。運転手が降りて修理を始める。しかし、乗客は全然あせるようすがない。私もエンジンではなくエアコンの故障だとわかったので一安心。約1時間後に再出発。その後は何事もなく、無事ヤンゴンに到着。最初に会った兄弟の家を訪ね、再会を果たす。家で休憩させてもらい、昼食をご馳走になった。そして、夕刻にタクシーで空港へ向かい(空港まで500チャット。安い。空港からはUS$3=約1000チャット)、ミャンマーからタイを経由して日本へ。こうしてミャンマーの旅は終わった。

8.おわりに
今回の旅のルートは、ヤンゴン − マンダレー及びその周辺 − バガン のツーリストトライアングルコースという最もポピュラーなルートであった。これはこれでおもしろかったが、パゴタ訪問が非常に多く、ちょっともの足りない。もう少し日程があれば、インレー湖とかシャン高原のトレッキングとかできて、もっとおもしろい旅になったと思うがそれは次回のお楽しみということで。とにかく治安が良くて、人々が親切なので、とてもリラックスして旅ができ、とてもいごごちのよい国でした。

でも、少数民族に対する弾圧,人権侵害,民主化闘争など、観光客の目にはみえないところで問題はたくさん起きているそうである。民族問題は根が深く、軍事政権が民主化勢力に権限委譲したところで問題は解決しないだろうが、軍政よりは民政がいいにきまっている。ミャンマーを旅した者として、今後のミャンマーの変革を見守っていきたい。


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