密教 みっきょう

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■説明

 仏陀(ブッダ)を教祖とする仏教は、普通に私たちが知る仏教を顕教(けんきょう)と言い、その対極にある仏教が密教といえます。顕教が広く民衆に向かって、仏教の教えを説いていくのに対し、密教はサンスクリット語を母体とした呪術(真言(しんごん))を唱え、秘密の教義や儀礼を執り行う秘密的・神秘的な仏教です。
 顕教では、死後の幸せを説き、成仏する為にも、現世利益には否定的なのに対し、密教では、あまたの加持祈祷により、諸仏の力を借り、息災や財福のみならず、相手を呪殺する調伏までも行います。それら呪術を唱える密教僧は、厳しい修行を積むことで、仏の真理を体感し、法力を得るとされます。

 その歴史は、奈良時代頃から一部の密教経典が中国から伝わり、役小角などの山岳修行者の間で呪術の実践がされました。特に役小角は、経典『孔雀明王経法』により、孔雀明王の呪術を会得し、空を飛んだとも言われます。これら草分け的に日本に入ってきた密教を雑密(雑部密教)と言います。この雑密は、日本古来からの山岳宗教と融合し、修験道へとその姿を変えていきます。
 804年、かの空海が唐に渡り、長安青竜寺の阿闍利恵果より、密教の二大系統である『大日経』と『金剛頂経』を学びます。そして、遍照金剛の密号を授けられ、正統密教の第8祖となり帰国します。つまり密教の正統はインドから中国を経て日本に渡ることになりました。
 空海は帰国の後、数々の鎮護国家の呪法を行うことで、国家との関係を強め、816年勅許を得て高野山金剛峯寺を開創、823年には鎮護国家の修法道場とした東寺を賜り真言密教の根本道場とします。この空海を祖とする密教を真言宗・東密(とうみつ)と言います。
 一方、空海と同じく804年に還学生として唐に渡った最澄は、明州に到着し天台山に登り、続いて天台法華宗の道邃(どうすい)・行満(ぎようまん)に正統な天台教学を学びます。帰国の後、最澄は国家に働きかけ、806年に天台宗を設立し、今までの南都六宗に属さない新たなる仏教の宗派の道を開きます。そして、密教の重要性を感じた最澄は、空海との交流を行い、天台宗を密教宗派として発展させようとしますが、空海と決別してしまい、志半ばで死んでしまいます。
 その意思は、最澄の弟子、円仁・円珍らが中国より密教経典を持ち帰ったことで、密教宗派として大成します。こうして空海の東密と拮抗する、天台宗・台密(だいみつ)が出来上がります。
 この東密・台密は、体系付けられた密教であり、雑密に対して純密(純粋密教)と言います。普通密教と言えば、この純密を指します。
 鎌倉時代に入り、奈良・平安時代に栄えた南都六宗の権威が衰退する一方、浄土宗・日蓮宗・禅宗などの鎌倉新仏教が隆盛する中、真言宗・天台宗は共に発展し、現在なお仏教の大宗派としてあり続けています。

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