河童(かっぱ)

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■補記・考察

 河童の起源はの古代の中国(おそらく春秋戦国時代)の呉人では無いかと言われています。もともと河童の童という字は奴隷や囚人を指す言葉で、奴隷たちは目印として入墨をさせられることが多かったようです。つまり河童は、河辺で見た入墨ものと言うことになります。呉人は海や川など水辺で暮らす民で、体に黒い入墨を彫っています。この呉人は呉国が滅亡すると海を渡って日本へ移り住んだと言う話もあります。
 日本の海や川・池などで、呉人が魚を捕っている姿を見たのが河童となっていったのではないかと思われます。
 その後、河童は江戸時代に全盛期を迎えます。全国各地で河童が目撃され博物書に実在の生物と共に書かれるほどです。この頃に今の頭に皿を乗せた姿が定着します。この当時は妖怪というより完全に生物として認識され、もと呉人の姿から発した河童という言葉は1人歩きし、頭に皿を持ち、背中に甲羅を抱えた水棲生物の名前となっていきます。
 現在でも、有数の河童の生息地の1つである岩手県遠野では、近年まで河童の目撃があり、お年寄りの中には毎日のように河童を見ていたと言う話もあります。
 また対馬では川をセメントで整備したその上に三つ指の2足歩行するものの足跡が残っていたそうです。その足跡は最初鳥と思われましたが、セメントのめり込み具合から、もっと重たい生物ではないかということで、その生物を特定できていないそうです。もしかしたら本当に未確認生物として河童が居た(もしくは居る)のかもしれません。
 各地の神社で河童を奉る所も多く、水難避けのご利益があるそうです。
 またある神社では河童の腕のミイラが保管されているそうです。

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