Top Page
日光御成道~序
Next
 
■■■はじめに■■■

  「日光御成道」は、神君徳川家康公を祀った「日光東照宮」へ、歴代将軍らが社参する際、“お成り”になった道であり、その命日(4月17日)には、将軍自ら参詣(または高家等が代参)した。その往復経路は、いわゆる「日光道中」とは少しく異なっている。

<将軍社参のルートと行程概要>

 通常、日光に社参する将軍一行は、命日の4日前(4月13日)に江戸城の「大手門」を出立し、神田橋を渡り、筋違橋から中山道に入り、「本郷追分」で中山道から分岐して、「日光御成道」へと入った。

 そして、王子に到ると「金輪寺」で休息(一時、金輪寺荒廃の時期は飛鳥山の上に設けられた仮休所で休息)した。荒川は江戸防備上架橋されておらず、通常は「舟渡し」だったが、 将軍社参時に限り臨時に幅3間(約5.4m)、長さ65間(約117m)の板橋が架けられ、これを利用した。

 この御成街道に限らず、江戸防備上、五街道ほか主要街道においては通常架橋が原則として禁じられており、通常は「舟渡し」、将軍の社参や鷹狩り時などには臨時の架橋や多数の舟を繫いでの「舟橋渡り」が普通だった。

 譜代大名の岩槻城主が「錫杖寺」で将軍を先ずは出迎え、挨拶の後は城での出迎えに備えて一旦引き上げ、将軍はこの錫杖寺で昼餉を摂った。
 その後、将軍は膝子村の「光徳寺」で休息後、「岩槻城」に入って、一泊目の宿所とした。

 2日目は、幸手宿の手前の上高野村で千住からの「日光道中」に合流し、幸手宿の「聖福寺」で休息をとり、以降は日光道中を通って、譜代大名の守る「古河城」(2泊目)、「宇都宮城」(3泊目)を経て「日光山東照宮」へと向かった。帰路は一部、「日光壬生道」を通った。

 将軍の日光社参は、元和3年(1617)徳川家康の遺体が久能山から日光山へ改葬されると共に東照宮が造営されて以降開始されるが、元和3年(1617)の2代将軍秀忠による第1回社参時には日光道中を通っており、記録上道程が次に明らかなのは元和8年(1622)の秀忠の社参で、この時は、日光御成道を通行したとされている。

 3代将軍家光はその社参回数でも判る通り家康を慕うこと格段で、この家光時代に将軍通行に相応しい道として本格整備され、寛永17年(1640)以降は、慶安2年(1649)家綱(将軍嗣子として)の社参に日光道中が使用された例を除けば、将軍社参は常に日光御成道が使用された。

 ところで、この日光御成道は、中世からの鎌倉街道中ッ道を概略利用して整備された。古くは源義経が兄頼朝の挙兵を聞いて奥州から駆けつけた道と見られている。慶長5年(1600)、会津の上杉討伐に出陣した徳川家康も、鎌倉街道中ッ道を通って「小山」に向かっている。

 日光に社参する歴代将軍が千住~幸手間の日光道中を利用しなかった理由だが、一つにはその往復共に御成街道にある「岩槻城」を宿舎としたためと言われており、北関東の要衝として、徳川譜代の重臣を配した岩槻城が警護上、重要拠点だったと言えようが、もう一点、日光道中は低地を通る部分があり、治水の進んだ現代とは異なって大水で通行不能に陥ることが少なくなく、一方、御成自体が期日絶対厳守の行程であるため、豪雨などによる川氾濫や街道冠水による日程への影響回避のために、比較的高台を通る御成道を利用したのである。

<距離とルート>

 距離は、江戸城大手門から本郷追分まで4.5km、その後、本郷追分(東大農学部前)で中山道と分岐後、岩淵宿・川口宿・鳩ヶ谷宿・大門宿・岩槻宿の5宿を経て、「幸手宿」の南で「日光道中」と合流するまでの5宿12里30町(約47.5km)の道筋が「日光御成道」なのである。従って、江戸城大手門から幸手宿南での日光道中合流地点までは52km程あることになる。

 江戸城大手門-本郷追分─岩渕宿─川口宿─鳩ヶ谷宿─大門宿─岩槻宿─幸手追分
       4.5km   9km   1.4km   4.8km   6.4km   10.9km   15km

 なお、この江戸~岩槻間の道筋は、岩槻藩の参勤交代の順路でもあったため、別称「岩槻街道」とも呼ばれていた。

<将軍の社参回数>

 将軍自らの日光社参は莫大な費用を要したが、それがために、社参の回数は限定的だった。
  ● 二代秀忠は将軍の時に3回、大御所になって3回
  ● 三代家光は世子の時に1回、将軍になって9回
  ● 四代家綱は世子の時に1回、将軍になって1回
   ↓ 80年間の空白
  ● 八代将軍吉宗が1回
  ● 十代将軍家治が1回
  ● 十二代将軍家慶が1回、これが最後で、その24年後に幕府は崩壊した。

<スケジュール>

 街道ウォーク仲間たちと共に東海道や甲州街道・日光街道・大山街道ほかを踏破した今、次は日光御成道を大凡次の様なスケジュールで歩くことにした。

(1) 東京駅---0.8km---大手門---4.5km---本郷追分---4.5km---飛鳥山---3.5km---赤羽駅 (13.3km)

     集合・・・2009.11.01(日)9:30 a.m. JR東京駅:丸の内中央改札口

(2) 赤羽駅---2.5km---川口元郷駅---9.0km---東川口駅 (11.5km)

     集合・・・2009.12.06(日)9:30 a.m. JR赤羽駅:西口改札口

(3) 東川口---5.5km---さぎやま記念公園---6.0km---岩槻駅 (11.5km)

     集合・・・2010.01.10(日)9:30 a.m. JR武蔵野線東川口駅:北口改札口

(4) 岩槻駅---11.0km---和戸---3.0km---幸手追分---1.2km---幸手駅 (15.2km)

     集合・・・2010.02.07(日)9:30 a.m. 東武野田線岩槻駅:東口改札口