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日光街道餐歩
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日光街道(日光道中)の由来など

日光街道は、江戸・日本橋を起点に定められた「五街道」(東海道、中山道、甲州街道、奥州街道、日光街道)の一つで、その行程は「日本橋」から日光東照宮入口の「神橋」迄である。宿村大概帳によれば、その距離は三十六里三町二間とされている。

この街道の道程は、日本橋から武蔵国(埼玉県)下総国(茨城県)下野国(栃木県)を通り、日光に至る間に後記20宿が置かれ、内、千住〜宇都宮間の17宿は「奥州街道」の宿駅をも兼ねているが、家康の廟所が久能山から日光東照宮に移され、将軍の日光社参が行われるようになると、この街道は一段と整備されていった。

なお、日光街道の幕府正式名は「日光道中」である。また、距離は実測147.7km説もある。往時の標準的日程は3泊4日だった。俳人芭蕉の足跡とも符合しそうなので、その句碑なども辿りつつ歩いてみたいものだ。なお、日光街道の宿場は以下の通りで、数え方により20〜23宿ある。

  起点(日本橋)

  千住宿 (東京都足立区)
  草加宿 (埼玉県草加市)
  越ヶ谷宿(埼玉県越谷市)
  粕壁宿 (埼玉県春日部市)
  杉戸宿 (埼玉県北葛飾郡杉戸町)
  幸手宿 (埼玉県幸手市)
  栗橋宿 (埼玉県北葛飾郡栗橋町)
  中田宿 (茨城県古河市) 栗橋・中田を1宿とする説あり
  古河宿 (古河城下、茨城県古河市)
  野木宿 (栃木県下都賀郡野木町)
  間々田宿(栃木県小山市)
  小山宿 (栃木県小山市)
  新田宿 (栃木県小山市) 芋柄新田ともいう
  小金井宿(栃木県下野市)
  石橋宿 (栃木県下野市)
  雀宮宿 (栃木県宇都宮市)
  宇都宮宿(栃木県宇都宮市) ここで奥州道中と分岐する
  徳次郎宿(栃木県宇都宮市) 上・中・下の3宿説あり
  大沢宿 (栃木県今市市)
  今市宿 (栃木県今市市)
  鉢石宿 (栃木県日光市)

  終点(神橋)

なお、終点「神橋」は寛永13年(1636)日光東照宮大造替時に架橋されたもので、それ以前は「山菅の蛇橋(やますげのじゃばし)」と言われていた。奈良期末、男体山(二荒山)を目指す勝道上人が華厳の滝から流れ来る大谷川の激流に行く手を阻まれ、一心に祈ると対岸に赤・青2匹の大蛇が現れ橋となり、滑りやすい蛇の背に山菅を敷いて渡ったと伝えられている。

また、日光社参に使われた街道としては、将軍・大名・武家・公家・庶民の参詣に伴い、幾つかのルートが設けられた。この餐歩記は、その内の日光道中についてのものであるが、いずれ機会を見て「例幣使街道」や「御成道」も散歩してみたいものだ。

     ★日光街道(日光道中)
          前記の通り
     ★例幣使街道
          毎年、朝廷が派遣の勅使が幣帛を捧げるために通った道
     ★日光御成道
          将軍または代行者が日光社参のために通った道
     ★会津西街道
          東北の大名が日光参詣に通った道