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あとがき

 昔日のある日、先人の四国遍路体験記に電撃的啓示を受けた。そして、「自分も1200kmの遍路道を自らの二本脚で歩いて“お遍路”したい!」−そう即断即決した。

 自分にとって、その画期的発願以来8年近い歳月が流れた。 そして、2002年春、遂にその大願を成就することができた。妻や友人・隣人たち、そして何よりも「四国」の人たちに陰に陽に支えられた結果ではあるが、人生晩年に至って、漸くにして一大宿願とした大目標を成就することができた。定年後の新しい生き甲斐というか、それまでの自分と何かしら一歩あるいは一段新たな心のよりどころを得ることができた。

  “何なんだ!これは・・・” 遍路が終わった直後、夜中にふと目覚めたら、一生懸命にどこかの遍路道を歩いている!夢の中で無心になって、ひたすら四国の遍路みちを歩いている自分に気づく。そんな夜が十日・・・半月・・・そして二十日以上続いた。 現役当時、仕事のことで夢を見たことは人並みにはあったつもりだが、これほどではなかった。あの歩き遍路が、それほど自分自身に強烈なインバクトを与えていたという以外、考えようがない。大きな、大きな驚きだった。身体ばかりか心までが“南無大師遍照金剛”の世界にどっぷりと浸りきっていたことを、あらためて実感したのである。そして、わが人生にとってそれほど強力なインパクトを内面に受けたのだと、思わずにんまりしている自分に気づくのである。

 また機会を設けて再挑戦したい、妻を連れて再度やりたい。そう思っていろいろとさらなる研究もした。残念ながらその思いは諸般の事情で未だ実現していないが、あの延べ40日半の歩き遍路は、自分にとっては胸を張って“俺は、やったぞ”と言いうる、実に感慨深い体験だった。

 いつの日か、わが棺を覆う日が来る。そのとき、もし「お前は、この世に生を受けて何をしたか?」と問われたとしたら、迷うことなく真っ先に「私は、四国霊場88ヵ所を歩いて遍路しました」と胸を張って言いたがるであろう自分を想像するに難くない。

 「天に対する慎みの念」をあらためて感じ、「生きとし生けるものへの慈しみの感」を更に強め、「神仏をはじめ先祖や家族・恩師・知友人など、周囲の人々への感謝の念」を一層深めることができたのも、全て“お四国遍路”のお陰と思っている。

 だから、生家の宗派・浄土真宗から弘法大師空海の真言宗に改宗し、真言宗智山派別格本山「高幡不動尊金剛寺」の檀家となり、その境内に墓地も買い、夫婦揃って現世のみならず彼岸までお大師さまを慕い敬い、感謝し、悔い少なき老後生活であるよう祈念することにしたのは、当然の成り行きである。

 毎月一日、夫婦で高幡不動尊にお参りするのが習慣になって久しい。、そしてこれからもわれら夫婦が生きとし生ける間、いや、夫婦のいずれかが先立った後も、いずれかが生ある限り、永遠に続いていくことだろう。

★「如意知自心」

 四国遍路はお大師さまの霊跡をたずねて巡る聖地巡礼で、1番から88番、そして1番へと一回りして出発点に戻ってくる、世界に類を見ない円環的な世界である。これは胎蔵曼陀羅に擬されているので、お四国世界を遍路するということは曼陀羅を歩くことになり、その本質は如実に自分の心を知る努力、すなわち「如意知自心」ということだそうな。

 また、「札所を消して歩け」とよく言われる。遍路は、その過程そのものにこそ意義があり、札所は単なる通過点に過ぎないという意味だろうが、実際に遍路してみて正に同感だ。バス遍路が「点から点」なら歩き遍路は「線」と言えようが、遍路の過程そのものが究極の意味ある世界であることは、実際に歩いた者だけに実感できることなのだろう。

 その歩きの過程で日々行われる“自分との対話”が、自分の弱さ、自分の欠点、自分のこれまでの生き様、そしてこれからの生き方等について、いろいろな“気づき”と“思考”をさせてくれた。もともと自分自身は欠点の至って多い人間であり、そのことを誰よりも知っているつもりではいるが、他人の眼から見れば、自分自身も気付いていない欠点がまだまだあるだろうけど。

 しかし、
* 一匹の虫、一本の雑草の“いのち”ですら、本心から“いのち”そのものと思えるようになり、
* 感謝の気持ち、天に対する慎み、寛容の気持など、人として大切なことが少なくとも遍路する前よりは少しは前進できたと思  うし、
* 周囲の人に対する気遣いや労りの気持も、より自然に出せるようになったように思う
* また、代償を求めない母性愛ではないが、他人の喜ぶ顔を見てわが喜びに、より思える
  等、至らぬ自分にとっては、半歩、一歩の前進になったかなと喜んでいる。


★“動く座禅”?

 歩き遍路で“自分との対話ができた”と書いた。だが、よくよく思い起こしてみると、遍路の過程全体ではそうであっても、夢中になって歩いていたときには、何も考えていなかったように思う。いや。考えられなかったといった方が正しいかも知れない。

 対話云々というのは、歩き遍路行全体を通して言えることだったように思う。著名な人が何かに迷いを生じたり、悩んだりしたときに、よく座禅をしたりするのを新聞その他で話題として知ることがあるが、自分には経験もなければ、目下の処その意思もない。

 だが、自分なりに考えてみると、座禅というのが心の中の雑念を取り去り“無”になることであるとしたら、遍路道を必死に歩いていたその瞬間は自分も座禅、それも“動く座禅”をしていたことになるのだろうか?と思う。般若心経の “・・・一切は空・・・” の教えも、こだわるもののない無心の境地で歩いていたあの時だけは、“空”状態だったと言えるのだろうか? もしそうだったら、自分のような者には日常生活では到底得難い経験ができたことになるような気がするのだが・・・


★しあわせは歩いてこない・・・

 「三百六十五歩のマーチ」だったか、“しあわせは歩いてこない だから歩いて行くんだよ・・”というのがあった。、
歩き遍路にとっての心の支えの1つはこれだったような気がする。ひたすら歩いていくと、その先に何かがあるんじゃないか・・・何かが見えるんじゃないか・・・あたらしい自分に出逢えるんじゃないか・・・そう信じて、ひたすら歩みを進めていく・・・
決して、しあわせの方からやってくるんじゃない、自分の方から歩いて行かないといけない・・・と。

 歩き遍路は決して楽ではない。自分は割合雨に降られなかったし、足のマメで苦しめられたことも少なかったが、多くの遍路さんは自分に数倍する大変なご苦労をされている。だが、よく考えてみると、そんな自分が、自分以上に苦しんだお遍路さん達よりもよかったのかと自問すれば、やはり“否”としか答えようがない。遍路過程で苦労された方々の方が、自分よりもはるかに多くのもの、尊いものを得たのではないかと思う。なぜなら、比較的楽な遍路をした自分ですら、もし遍路をしなかったら絶対に得られなかったであろう多くのものを得られたのだから・・・

 これからも、歩いていこうと思う。“しあわせは歩いてこない だから歩いて行くんだよ・・・”と心の中で口ずさみながら・・


★こんなときに元気づけられた・・・・

 歩き遍路過程で多くの方々から元気づけられた。復習の意味で考えてみた。どんなときに自分は元気が出たのか、疲れがとれたのか、と。

* 登下校途上の小中学生たちからの挨拶(保母さんに引率された幼稚園児・保育園児からも)
  おはようございます。 さようなら。 頑張ってください。など
* 地元の人たちの励まし
  頑張って下さい。 お疲れ様です。 (札所は)もう少しですよ。
  わたしもできることなら歩いてお遍路したいです!お偉いですね、頑張って下さい。
* 数々のお接待
  (車に)乗りませんか。これ(缶飲料など)飲んで下さい。お茶でも一杯いかがですか。
  これ(お金)お接待です。 荷物預かってますから置いて行ってらっしゃいよ
  ちょっと休んで行きませんか。 これ(果物・飴など)食べて下さい。 など
* 遍路宿の心遣い
  早めの風呂の準備。 明日の朝(食)は何時でもいいですよ。 お洗濯しましょうか。
  これお昼のお弁当です(お接待)。 これ(湿布薬など)使って下さい。手書き地図をくれる・・・など
* 自分より弱者だと思える歩き遍路さんの頑張る姿
  自分の弱さを克服して頑張っている歩き遍路さん など

 それらに対して、一体自分はどれほどのお返しができたのだろうかと考えてみると、ほんの少しだけしかご恩返しできていないことに気づく。借りの方がはるかに大きかったように思う。

 お接待にしても、断ってはならないとされているが。車だけは丁重にお断りして歩きに徹したが、そもそもお接待というのは、その人が功徳を積むために行っているものであろう。
 回向文の「願わくは此の功徳を以て遍く一切に及ぼし我等と衆生と皆共に仏道を成ぜん」の文言も、自分1人のための札所参りではなく、お接待して下さる方々と共に仏道を成ぜんと言っていることなのであろう。
 また、「人間正しく生きよう、慈悲深く生きよう・・・と、普通誰しも考えるであろう一方で、小さな過ちもまた日常犯し続けているとしたら、お接待する人とされる側の間だけは、たとえ一瞬の間であっても、仏と仏の世界を見ていたいという願いだってあっていいのかも知れない。それによって、お接待する側もされる側も心安らかになるのだったら・・・」とある歩き遍路経験者が言っていたが、同感できる気がする。


★また、お四国に行きたい・・・

 また行きたいという“聖なる病”に罹った人は数え切れないようだが、自分も例外ではない。当初は2回目を妻との車遍路で考えていたが、それが当面むずかしくなった。

 だからという訳ではないが、ぜひもう一度歩いて回りたい。今、平成18年の秋を考えていたが、おそらく最後のチャンスになるだろうとの考えから、前回の88ヵ寺のほかに別格20霊場も含めた108ヵ寺を回りたい。番外霊場も極力多く回りたい。前回、四国の方々から戴いた数多くの“借”も、少しはお返ししたい。

 しかし、第1回目からは5年後のこととなり、体力的に懸念なしとしない。60代の5年は、若い時代の10年、いやもっと多くの年数に匹敵するぐらい体力が低下するだろうと思う。
幸い、毎週1回は最低でも山歩きのチャンスがあるので、体力低下を最低限に抑えるべく、目下は5年後の想定体力にふさわしい荷物構成や歩き方の研究と並行して、山歩きの方で脚力や心肺能力の維持(向上)を期したい。

 お四国は“不思議の世界” 合理主義では理解できない、我々には判らないが大きな力や導きによって、人生を歩いていることを教えてくれる部分が確かにある。合理主義ではない、何かもっと大きな存在を気づかせてくれる・・・そんなお四国にもう一度行ってみたい。その時が待ち遠しい。

 いま、枕許に数十冊の本−嘗て歩き遍路するために購読した本−を、当時を想い出しながら順次再読しているが、そのうちの一冊に「喜寿の遍路日記」がある。著者は神奈川の方で大正3年生まれというから、現在では90歳だが、その著者が77歳から78歳にかけて3回区切り打ちで徒歩遍路した記録である。88歳の時に2度目の歩き遍路を計画したが、家庭事情で断念したという。自分も負けないように頑張りたいものだ。


★ お大師さまのご招待・・・2004年8月10日(火)記す

 四国遍路の体験をホームページにUPしたが、いまもって不思議に思っていることがある。それは、「お大師さまのご招待」についてである。自分が四国遍路したことをご存じの何人かの方々が、これまでに「私も遍路したいと思っている」とか「行きたい」とか言われたが、実現したという話は寡聞にして聞こえてこない。

 普通40余日かかる四国歩き遍路を実現するには、それなりの条件があるが、まず1つには、通し打ちにしろ、区切り打ちにしろ、それだけの時間が取れる環境下にあることである。

 もう一つは、所要経費も、団体バスや、グループでのハイヤー遍路に比べても割高であり、金のかけ方次第とは言え最低でも往復旅費まで入れれば50万円は下らない(もっとも野宿遍路なら割安だが・・・)。だからこの条件を満足できないと実現は通常不可能である。

 この二つの条件は、大企業の定年退職者なら先ず何とかなると考えて良い。

 三つ目は「健康〜体力」である。全長1200km歩き切るには、それだけの基礎体力、もしくは事前の鍛錬が必要で、自分も3回目の区切り打ちの時に事前の鍛錬を怠ったがために、苦い経験をしたことがある。

 四つ目は、これに関連して大切な「マメ」対策である。自分は体質的なせいかどうかあまり悩まされなかったが、大半の人がこれで苦労し、場合によっては中断やむなきに至っている事例は枚挙に暇がない。この予防・治療のための知識〜智恵と対策が不可欠である。マメの原因の大半が湿気と摩擦であることを考えれば、予防的には「靴の選択」が非常に重要なゆえんである。

 そして最後に、一番重要なのが「お大師さまのご招待があること」である。いくら1〜4番目の条件を満足しても、この「お大師さまのご招待」がない人は、永遠に行けないとされている。そして、これには自分自身100%同感なのである。

 五つの条件のうち、一番重要なのがこの五番目の条件で、ある意味では、この条件さえ満足されれば、あとの四つの条件は不備でもよいぐらい重要なのである。すなわちそれは、「行きたい」「歩き遍路をやりたい」という「自分自身の願望の強さ」なのである。これが全ての原点である。
昔は、足の不自由な人がお大師様のお陰を戴きたいと、木の箱車に乗ってお遍路したと聞いている。現実にどこかの札所でお陰を戴いた人が寄進して行ったという箱車を何ヵ所かで見た記憶もある。金が無くったって、意志さえ強ければ何とかなる。その他の条件も似たり寄ったりである。

 自分の場合は、とある本屋で一冊の文庫本(遍路体験者の体験記)を読んだ瞬間、お大師様からの招待状を頂戴したと思っている。だから、遍路途上での現実上の苦労は精神的には殆ど苦労とは言えない程度のものだった。この不可思議な「招待状」、自分はもう2通目も手中にしたつもりでいる。

 できるだけ多くの方々が一度体験されればよいと思っている身としては、早くそういった方々がこの「お大師さまのご招待状」を手中にされ、素晴らしい歩き遍路体験を体験されんことを祈るや切である。


★ 仏さまの言葉?・・・2004年11月15日(月)記す

 歩き遍路をした人の 紀行本を読んでたら 面白そうなのがあった。一部不明の箇所があり、韻もよくない部分あり。そこで勝手にアレンジし、心覚えに書き留めた。元の題はと問われたら「仏の言葉」と言うそうな・・・

お前はお前でちょうどよい 顔も体も名前も姓も お前にそれはちょうどよい
貧も富も 親も子も 息子の嫁もその孫も それはお前にちょうどよい
幸も不幸も喜びも 悲しみさえもちょうどよい 歩いたお前の人生も 悪くもなければ良くもない
お前にそれはちょうどよい

地獄だろうと極楽だろうと 行った先がちょうどよい
うぬぼれたりすることも 卑下することも さらさらいらぬ 上もなければ下もない
死ぬ日でさえも ちょうどよい ちょうどよくない筈がない
これで良かったと言える日が いつか自分に来たときに はじめてお前は行けるのだ
幸い住むか住まざるか 久遠の彼方おおぞらへ


もう1つ、大幅改竄してみれば 自作か駄作か名作か?

春夏秋冬巡り来る これ皆日本の自然の掟 人の生涯また同じ 冬来たりなば次は春
人にはその人ならではの 秘めたる希いや密かな悩み 数多あろうとこれ全て お四国世界を遍路して星に希いを祈るべし
月に想いを語るべし 幾千万の人々が お大師様に出逢わんと 歩く旅路ぞ浄土なり
いつしか光射し来たり 身丈に合ったのぞみよ叶え 向かう明日に迷い無し