行徳船航路沿いを歩く
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 はじめに−行徳行路船の由来

★ 江戸時代、国内の街道起点である日本橋と下総国(千葉県)を結ぶ主要なルートは、3つあった。


 @ 日本橋から北上し、北千住を経て水戸街道から成田街道(佐倉道)に入る「水戸街道コース」で、これは参勤交代に使われた公式ルートである。

 A 両国橋に出て、千葉街道を経て成田街道に合流する旧公式ルートとも言える「元佐倉道コース」で、水戸街道に比べると近道だった。

 B 日本橋(小網町)から人工の水路を辿って(旧)江戸川東岸の行徳に上陸する「行徳コース」である。

 この三つ目の船旅コースは、物資の大量輸送に加えて、早くて楽な交通手段として「成田詣で」の旅人などにも大変人気の高いコースだった。
 行徳から先は、船を乗り継いで江戸川を遡上し、関宿で利根川に出る水路や、八幡から木下(きおろし)街道、あるいは船橋から成田街道に出る陸路のオプションもあった。

 今回の街道歩きでは、日本橋から(旧)江戸川まで、行徳船航路に沿って史跡巡りをしつつ餐歩することとした。

★ その「距離は?」と言えば

<水路距離>では、日本橋川から旧江戸川に至る間、およそ3里8丁(12.6km)程だが、
<徒歩距離>は?となると、
  ・ 川沿いの道が皆無に近い「クローバー橋」以西で特にそうだが、直線的な歩行が不可能
  ・ 途中の隅田川・旧中川・荒川・中川・新中川に架かる至近の橋を利用せざるを得ない関係 
   上、至近の橋との間が必然的に非直線的になる
 等の理由から、総延長は立ち寄り無しでも推定20kmを越えると目され、何とか1日あれば歩けない距離ではない。

 しかし、その途中での近辺史跡への立ち寄りがなければ、単なるウォーキングにとどまり自宅近郊での日常ウォーキングと変わらないことになり、折角のテーマ設定による好奇心も満足させ得ない。

 そこで、見所たっぷりの都区内史蹟等への立ち寄りを入れると、概算25〜28kmぐらいには充分なりそうなので、所要時間を考慮するまでもなく2分割して歩くのが懸命と判断した。途中、松尾芭蕉ゆかりの地があるのも殊のほか魅力的に思える。

 そもそもこの「行徳船」の水路というのは、徳川家康が幕府直轄地(天領)とした「行徳」の塩田から、大消費地たる江戸へ「行徳塩」を輸送するルートとして人工的に開削させたもので、天正18年(1590)頃、先ず小名木四郎兵衛によって「小名木川」が開削され、寛永6年(1629)には「新川」が開かれて「(旧)江戸川」までの水路が完成している。

 寛永9年(1632)には、本行徳村が幕府の許可のもと、江戸・行徳間の小荷物運搬と旅客輸送の独占運航が認められている。これが、言うところの「行徳船(24人乗り)」で、江戸の日本橋小網町3丁目(当時)の「行徳河岸」と、下総江戸川東岸の本行徳村間を、毎日往復したのである。

 その間3里8丁(12.6km)を、渡し船のように定期運航した訳だが、当初16艘だった行徳船が、嘉永年間(1848〜1854)には62艘に増えており、その便利さと繁昌ぶりが窺い知れる。そして、ご一新後の明治12年(1879)には、行徳船は蒸気船に姿を変えたそうだが、やがて鉄道の普及に伴って行徳船は衰退していったのである。

★ 行徳船の始発点と終着点

 *日本橋側・・・東京都中央区日本橋小網町1番地先(日本橋川縁)。
         高速道路(高架)カーブ内側、ヒロヤという会社(白いビル)の手前の駐車場辺り。
 *行 徳 側・・・千葉県市川市関ヶ島1番地先(旧江戸川縁)。現在も、常夜燈が建っている。

★ 行徳船の航路

 *経由河川・・・日本橋川・隅田川・小名木川・旧中川・荒川・中川・新川・旧江戸川

★ 2分割による行程

 *1回目・・・(東京駅)日本橋行徳河岸跡〜日本橋川〜隅田川〜小名木川クローバー橋(都営新宿線西大島駅)

 *2回目・・・(都営新宿線西大島駅)小名木川クローバー橋〜旧中川〜荒川〜新川〜(新中川)〜旧江戸川〜
      本行徳船着場跡<常夜燈>(東京メトロ東西線行徳駅)