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 五色不動(ごしきふどう)とは、東京の目黒不動、目白不動、目赤不動、目青不動、目黄不動の5種6カ所の不動尊の総称である。

 五眼不動、あるいは単に五不動とも呼ばれ、寛永年間(1624〜43)中頃、三代将軍家光が天海僧正の建言で、江戸府内から5箇所の不動尊を選び、天下泰平・国家安穏を祈願して、江戸市中の周囲・五つの方角の不動尊を選んで割り当てたたことに由来する、等の縁起があるようが、実際には『五色不動』という名称が登場するのは明治末または大正始めのことで、どうやら史実とは考えにくいというのが本当のところらしい。

 江戸時代の資料からはその原型となったと思われる噂話や、元となった不動尊の存在は確認されており、目黒不動・目白不動・目赤不動については当時の資料からも名称が確認でき、江戸の名所として『三不動』の名称で広辞苑等に記載されているし、うち目黒と目白は山手線の駅名にもなって、特に目黒は区名にもなったため、有名である。

 なお、5色となっているのは五行思想の五色(ごしき)からと言われ、五色不動はいずれも天台宗や真言宗の系統の寺院にあり、密教という点で共通しているが、不動明王に限らず明王は基本的に密教の仏像なのである。五色とは密教の陰陽五行説由来し重んじられた青・白・赤・黒・黄でそれぞれ五色は東・西・南・北・中央を表している。

 現在、五色不動の所在地は、明治以降の廃寺、統合などで不動尊が移動しているので本来の結界の役を失ったといえようが、近年では風水と絡めて語られることも増え、五方を五街道と解釈する場合もあるなど、様々な説があるようだ。

 目黒・目白は江戸時代以前に存在している。目黒は将軍家光の鷹狩りに関連して尊崇され、目白は、将軍家光が目黒にちなんで命名したとも、目白押しから名付けられたともいわれているようだ。
 また、江戸時代初期、伊賀の赤目に由来する赤目不動があったが、家光の命で目赤と名乗るようになり現在地へ移ったと称され、以上3不動については、江戸時代の地誌に登場はしていても、天海と結びつける記述はまったくないようだ。

 教学院はもともと青山にあり、「青山の閻魔様」として親しまれていた。ここには近くにあった廃寺から不動像がもたらされている。明治40年代にこの寺院は世田谷区太子堂に移転し、その頃から「目青不動」を名乗るようになった。

 目黄不動は2箇所が同定されているが、いずれも浅草勝蔵院にあった「明暦不動」(後になまってメキ不動と呼ばれたこともある)に近く、その記憶から目黄不動とされたのではないかという推測がある。
 いずれにせよ、江戸時代には目がつく不動が3つしかなく、しかもそれをセットとして語る例はなく、明治以降に目黄、目青が登場し、後付けで五色不動伝説が作られたと思われる。

 なお、2007年11月20日付け朝日新聞(夕刊)でも“お江戸の名所「五色不動」”として紹介された。

江戸五色不動
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目黒不動尊 滝泉寺 目黒区下目黒3-20-26 03-3712-7549 1200年来の独鈷の滝がある不動前駅下車。参拝済。
2008.10.15(水)YSC讃歩時にも参拝
目白不動尊 金乗院 豊島区高田2-12-39 03-3971-1654 当初は中野宝泉寺の末寺でのち護国寺の末寺になる。元は文京区関口にあったが戦災で消失し本尊(不動明王)を金乗院に移して合併。学習院下バス停下車。
目赤不動尊 南谷寺 文京区本駒込1-20-20 03-3942-0706 元は赤目不動尊と称した。本駒込駅下車。
目青不動尊 教学院 世田谷区太子堂4-15-1 03-3419-0108 三軒茶屋駅の裏にあるが、ひっそりとしている。三軒茶屋駅下車。2008.07.06(日)大山街道餐歩時に参拝
目黄不動尊 最勝寺 江戸川区平井1-25-32 03-3681-7857 大正2年に本所から移転した。平井駅下車。
永久寺 台東区三ノ輪2-14-5 03-3801-6328 三ノ輪駅下車。