困った時に現れるランプの精さん
楽しかったのに・・・・
毎日が、忙しいかったけれど楽しかったよぉ。
仕事も順調だったし 職場でもみんなは親切だったし楽しかったなぁ。
この頃が一番充実していて好きな時だったような気がする。
会社のテニス倶楽部にも入ったけれど 上福岡は遠いいよ〜〜

あんなに時間かけて行くのに、「なんじゃぁ〜あの教え方は!!」
納得できなかったので こんな遠くまで行く価値が在るのかと 時間が勿体無い・・・・
2回程参加したのにやめてしまった。

以前から入って居た、近くのスポーツクラブで土曜 日曜はいい汗を掻き 
時には倶楽部の大会にも参加した。
其のうち仲間が増え 倶楽部の他にもサークルを作り 東京都の小金井公園・井の頭公園の 
コート取りをし 又取れないときには、茨城県の友部まで遊びがてら泊りがけで旦那と二人で
友部の仲間に入れてもらい楽しんできた事もある。

そんな時 スポーツクラブの大会で居酒屋「秋」のマスターを紹介され 夫とマスターとでのぺァーを組み、「何としても優勝カップを取る」3度目でヤット念願を果たした。
大会後 例の居酒屋「秋」祝勝会を開いた。
優勝カップで「越の寒梅」を煽った!人事とは言え仲間の優勝だもの。

そんな時
「水曜日の夜のメンバーに入らない?」マスターに誘われ  それと同時に地元の
テニス倶楽部にも紹介され 土日はコートのはしごをして「メンバーが足りないの・・・」
と言われれば、 6時間も時には一日中この生活を数年続けた。
この頃が一番上達したかもしれないネ。

よく考えて見ると テニスの遣りすぎだよなぁ〜〜〜
こんな筈じゃなかった
時々踏み込む時、右の腿が痛くなったりした事良くあって
”伊達直子”の真似じゃないけれど テーピングが好きだったょ!
この頃からおかしくなったのかも知れない。

そんな痛みを我慢してだったからなのか? 
倶楽部でのプレー中 右足のフクラハギにゴルフボールが思い切り当たったような感じがした。
「あれ?? キョロキョロ 誰かが・・・・」何が当たったのかな?のそんな感じ。

コーチが 「足が痛いの?」
「ボールが当たったみたいな感じが・・・・」
これが肉離れだったことをこのとき初めて知った。

急患で杏林大学病院に行ったら 車椅子に座らされて 
即「松葉杖」「え〜〜〜こんな大げさなぁ〜〜」
しょうがないよなぁ〜〜 こんな事初めてのことだし
「最低2が月間はテニスは禁止」
そんな〜〜〜 
仕事は一週間休んだかな? 随分昔のことで忘れた。

それでも大好きなテーピングをして 2週間目にコートに立ったよ。
待ちきれなくて・・・・

ある土曜日の事 まず右の腿が物凄い痛み。
それでもコート出かけたが「足が痛くて来たけれど出来ないよ・・・」
コートのフェンス越に別なサークルの友達と話をする。

テーピングしても 寝ても起きても座っても 伸びても縮まっても、痛くて堪らない。
段々と痛みが右の腿から後ろの下のほうにさがってかかとまで痛くなってしまった。

この少し一年ほど前から、友達に紹介され吉祥寺にある整体に通ってた。
其の先生 ”気功”も心得ているらしく「段々眠くなったでしょ?」
私「全然なんとも有りません・・・・」 胡散臭い先生だった。
その先生の所に、痛い 痛いといいながら行ったのに
何遣っても効かないよ〜〜お金?取ったかなぁ??随分昔のことで忘れたけれど。
「ここでは治療が出来ないから、ペンクリニックがお勧めだよ」と言われた

その日は食事の支度も出来ず 近くの御すし屋さん行こうとしたときに
あ! 「鍼灸」がいいかも・・・・
近くの「鍼灸院」の開業時間と開業日を確認しながらおすし屋に行った。
そこのオヤジさんが
「あそこはヤブだから違う所紹介する・・・」女医さんを紹介された。
そこは、親子で鍼灸院、旦那様は整形外科医だった。
「続けてやらないと効き目が無いから 暫くは毎日来てください」

高いんだよね〜〜〜4500円したよぉ〜
2ヶ月間毎日鍼に通う事となってしまった・・・
毎日5時半の予約を入れた
しかし これ以上仕事は休めず
往きは、会社まで来るタクシーを捕まえ予約時間に急いだ。
帰り? ビッコ引きながら歩いて帰ったよ・・・不便なところで泣き泣き・・・
近所のラーメン屋のオッちゃんに
「障害者みたいだよ」治った後そういわれた。
治ったといっても完全ではなかった。

それも騙しだましでも、テニスが出来るようになったのは嬉しかった。
お祭り騒ぎが大好きな私は「バーベキュー大会だ〜〜」「合宿だぁ〜〜」
山中湖 忍野白海 会社の合宿所・・・楽しかった。

其のうち 何度目かの合宿の時 午前中の2時間がヤット・・・これはやばいよ。
この日のために 一ヶ月ほど小金井公園の練習日はお休み
したのに・・・
この時から、全くラケットを握らなくなったのは 5年も前のことに成る。
八王子の整体と河辺の整体カイロプラティックに気功
ある日の水曜日の夜のテニスの日 
「私も学生時代腰が悪くて自殺まで考えた。そこの整体に助けられた」
と 八王子の整体を紹介され 早速予約を入れた。
具合が悪いと 遠いところでも何処までも追いかけて行くのは私だけではない様子だった。
その頃 暫くぶり人から電話を貰った。
「腰の具合は?」水曜日の仲間からだった。
一緒に遣っていた頃から腰が悪いことは知っていた。
「ボクもね 腰が悪くて桜上水まで行っている。気功だけれど効きそうだよ。
友達が所長しているから もし興味があるのならどう?」
いろいろな人に心配してもらった。

何時もの小金井公園のテニス仲間から 
「あつこさんに良さそうな治療院があるそうよ。どんなところか様子見に行ってくるから」
そう言いながら様子見の治療に行った。

膝が悪くても 腰が悪くても 肩が痛くても 「問題は首だ」
首に治療をするだけだったそうだ。
費用も高いし 「首だけじゃなぁ~~~」乗り気が無くその話があってから 数年たった頃
「送り迎えしてあげるから行ってごらん」 二週間ごとに治療を数ヶ月続け 少し良くなった様に感じた

何時までも送り迎えも申し訳ないし 大分良くなった気がしたしで 送迎はお断りをした。
不便な場所で バスの便も悪い。
それでも仕事は休めず治療に行った日は 何時も昼食抜き。
そんな治療を数年 一人で通った。

以前からも興味があったもの マイパソコンを手に入れた
仕事でも一日パソコンをいじり 仕事の合い間に仕事に関係ないソフトを開き眺めていた
「う?これはなんだろう??」
会社の他の人のPCに入っているのに私には無いソフトが在ると
「何故?私のに入っていないの?入れてよ・・・・」
「仕事に関係ないでしょ?」 そう言われながらもそのソフトでも遊んでみた。

仕事をし 家事をし その後で趣味のパソコンにのめり込んだ。
画像作成に大変興味を示した。
好奇心ばっかり旺盛で、目にしたもの耳にしたことは、兎に角遣ってみたい。
いいことなのか 悪い事なのか分からないけれどパソコンにのめり込んだ数年だった。
この頃は既に睡眠時間は4時間弱の毎日にだっただろう。
このような事をパソコン依存症っていうのかなぁ?

もう年末だよ・・・・・
会社でも納会も済ませ 正月気分になるんだろうなぁ〜〜〜
2001年12月30日 恒例行事築地に行った。
恒例の築地に行く 駐車場の都合で三時に起きるという。寝坊するわけにも行かず 一晩中眠る事なく三時に旦那を起こし 築地に向かった。
9時には家に戻るが 寝るわけには行かない。家事労働が待っているんだ。
女って損だなぁ〜〜
そのまま昼寝もせずに大晦日を迎えるのであった。
よくよく考えてみると 眠らない日って他にもあった様な気がする。
我が家が大変お世話に成っていた 家の近くのラーメン屋さんに「眠れない・・・」
「疲れていないから うんと身体を動かしたら疲れるから」と動きが足りないからだと言われた事を
何時の思い出す。

2001年大晦日 
前日の寝不足にもかかわらず 面白くもないテレビを見て時間を潰し 恒例のPCで年賀状の作成を急いだ
2002年が元旦 大変な事が起きた ここから悲劇の始まりだった気がする・・・
朝目が覚めると[鳴門の渦潮」状態」夫はふざけているのだと思い「ほら!怪獣がおきて来たよ」と囃した。
それどころの話ではない「気持ちが悪い・・・・目が廻る〜〜〜」立ち上がることも出来ない。
そのまま 這いずって トイレに行った」それが2002年の元旦の出来事だった。

夫には正月3日に恒例のゴルフコンペが決まっていた。
私はどうするだろう?
又、置いて出かけるだろうか??数十年前 熱をだして寝ていた。
其の時はりゴルフに行った・・・・・
其の、何十年も前のことを今だに言われて「女房の恨みは一生よ」言われていたことを思い出したのだろう?
「かみさんが具合悪くてもしかしたら ゴルフは行かれないかもしれない・・・」私は黙って聞いていた。
夫は、キット何十年も前の妻の恨み言を思い出したんだろう!

友達に「もしかしたら・・・・」の電話をしてくれたのをきいたら 行かせてあげたいと其の時は思った。
簡単なのよね、一言の優しい心遣いなのよ。
電話をしてしていなかったら 話は別だったと思う。

其の電話で、二日の夕方「五日市街道の昭和病院」を紹介され 急患で連れて行かれた
目を瞑ってもグルグル周り目が開けられない・・・・・

其の時のゴルフの参加不参加は記憶に全く無い・・・・

それでも 正月に達からのメールが届いた。
「あっちゃんおめでとう!!いいお正月している?今年もよろしくね!」

「は〜〜〜い!!おめでとう!!」 
「私はチョット具合悪くて寝正月だよ!」
「早く東京に帰りなよ〜〜寂しいよ!!」

こんなメールを入れていた。
次の日もl「元気に成った?」のメールが届いた。
「は〜〜い! 元気モリモリ大丈夫だよ。

会社の同僚からもメールが来た。
「は〜〜い おめでとう!!
チョット具合悪いけれど 全然ヘッチャらだよ〜〜〜
新年会やろうよね」
こんな返信メールをしている。


初仕事
1月5日 初出勤だ。この日は挨拶回りが主なので、休暇届けをだし昭和病院の外来に行ってきた。
眩暈は耳からだという事で検査をした。
何処も悪くないよ・・・・なぜ?眩暈が・・・
分からない事だらけだった。
それから一週間休暇を取る
1月6日 出勤した。
年末遣り残しの仕事が気になっていたからだった。
メールの相手は、余りの具合の悪さに 「なにあのメール??元気百倍なんかじゃないでしょ?」
ビックリされて その日の午後から一週間休暇を取り 脳の検査もしてもらった。
しかし何処も悪いところはなかった。
思えば 数年前から睡眠時間が少なく何時も疲れた状態で居たことが原因かも知れない。
仕事が終わり 主婦業も終わり それからパソコンの勉強など 趣味にのめり込み過ぎた事が原因だった。
神経が疲れると眠れなくなる・・・・
その結果睡眠誘発剤がないとダメな生活に成った。
休暇も明けてしまったがいっこうに具合は良くならない。
毎日がフラフラ目が廻る。 道路を渡るのに車の確認するのでさえ 振り返ることが出来なくなった。
勿論上も向けない・・・・