困った時に現れるランプの精さん
それでも尚仕事したかったけれど・・・・
腰の痛さよりも眩暈には参った・・・・
頭の回転も鈍ってくるし 毎日が辛かった。
その年の4月 上司に「体調が思わしくないので7月で退社したい」

退社依頼を申し出るには少し早い気がするが 7月に社内の早期退社の噂が耳に入った。
そうなると担当も替わるだろうし 仕事もまず増える事間違いないと感じ
早めに内示して担当から外してもらわないと・・・・ 他の人にこれ以上迷惑掛けられない。
「もう 担当に入っているよ。来年まで延ばしてよ!」いとも簡単に言われた。
少しぐらいの体調不良だったら「そうですね、延ばしますね」と多分返事をしただろうと思う。

「5月の連休に考えておくから。
連休が過ぎても何の話も無く、私の存在は?いささか心配に成った
6月未だ考えていない・・・の上司の返事。
顔見れば「考えてもらえました?」
8月末まで居てくれる? との返事。 夏休みが終っても又出て来る?
シンドイなぁ〜〜 でも8月で我慢するしかないかな?
暫くしたら 希望通りの7月末で退社する事に決まり 引継ぎ書の作成に追われた。

会社の送別会は勿論断りました。
転勤してしまった元相方さんや 同僚は「え〜〜辞めるんだって?」のメールが沢山来ました。
送別会するから どうしても来てもらいたい人居る?のメール等
同僚の有志のみの送別会には 転勤してしまった以前の相方さんたちが集まってくれて
ねぎらってくれた事はとても嬉しかった。
全部私の子供と言ってもいいほどの、20代の若い青年たちばかりだった。

退社の挨拶のリハーサルなどしたり。
翌日 ヤッパリ泣いてしまった お別れの挨拶だった。
パソコン教室に行く。
具合が悪くてPC禁止令が出ていても、「会社を辞めたらPC教室に行く!」
辞める前から「辞めたら行くんだ・・・・」を、決めていたから そこが決まるまではサークルにも
入る訳にもいかづ 昼間の友達の居ない寂しい数ヶ月を過ごした。
パソコン教室に行くにしても 何を勉強して良いのか分からず 場所が選べなかった。
教室により 勉強する事が違うしで 友達に「私は何処の教室に行けばいいの?」
自分で決めることを人に相談していた。
それは PCは出来ても 独学で覚えると初歩が分からず 応用ばかりの頭でっかちの
技能に成ってしまって 「これか情報処理など勉強しても就職しないでしょ? それには初歩を
勉強した方がいいのでは・・・」
そうだよなぁ〜〜
出来ると言っても どの程度の技能なのか知る必要があるぞ!」
そんなわけで 初歩からの勉強に成ったが それが意外としっている事が多かった事には
驚いた。
独学もバカにならないよ。検定も受けた。
「ボランティアでPCを教えます」の団体があったので 修了したその日に団体に登録した。
具合が悪かったのに 3が月毎日6時間 頑張ったのはヤル気だったんだなぁ〜〜

写真展の準備中
一段落してから デジカメグループの募集があり入れてもらい カメラにハマッタ。
5月の神代植物園をはじめ 9月のグループの写真展にも参加した。

その写真展のパネル作りの作業も数回して 出展するパネルも全部出来上がり
今日はお先に失礼します・・・・そういって みんなよりも先にセンターを出た。
 
それは2003年の8月の暑い日だった。
駅から20分くらい歩くところ 普通の人だったら訳の無い道のり
ノートパソコン持って歩いていたら 突然足が前に出ない。
痛い訳ではないけれど そのとき丁度 ”三鷹まつり”だった気がする。
途中の「産業ブラザ」に寄って休憩して バスで家に帰った。
グループに入ったばかりの 超初心者なのに写真なんて無いよ〜〜〜
といいつつも 我が家の愛犬「なっちゃん」のパネルを・・・

みんなはベテランサンばかり マクロで撮ったり・・・
その頃 マクロと言っても意味が通じないくらい 分からない状態。
人と違う題材なので小さな子供さんに人気があったと、後々先生からの言葉でした。

秋 昭和記念公園の撮影会 何とか参加できた。
秋のお祭り  横浜の赤レンガ倉庫  塩船観音のツツジ・・・
どれも参加できず
写真展が最後の参加かもしれない・・・・ このときは未だカメラのかの字も分からず
コンパクトデジカメで頑張ったときだった。
 
江戸川の整体
近くに居た知り合いが総武線の平井に引越しをした。
此方での生活が長い年月30年以上かな?商店街の中のラーメン屋さんだった。
床屋さん 美容院 お付き合いが長かったから 引っ越してもワザワザ此方まで来ていた。
そのときに 我が家にも寄ってくれて 江戸川の整体の話をしていたけれど
軽く聞き流していた。
テレビで 「腰のゆがみは整体が一番よ」番組見て直ぐ彼女に電話して予約を入れた。
遠いいよ〜〜〜
小岩だもの 新宿越えて浅草越えて 2時間くらいかかったよ。
週一通った。 
お尻が二つくっついている感じの私のお尻 終ると軽くなり 「先生 私O脚だから パンツはけない」
それも心配して治療してくれた。
いろいろな治療の仕方があるのだと・・・・
その頃 JR病院を紹介され  
主人は整体ではもぅ治らないよ。 外科は悪いところを取り除けば良くなるんだから。
手術を勧めた。

暫く江戸川の整体はお休みをした。
なんせ運転手さんが行けなくなってしまったら 足が無くては・・・・
2005・3月江戸川にタンポポが咲く季節からのこと。

それでも眩暈が続き 遅い「更年期」か?
何時も何時も具合が悪い。 思い切って夫が行っている先生の所に行って 言いたいこと言ってきた
ストレス解消に主人の悪口並べて・・・・
眩暈の薬を貰ったり 自律神経の薬貰ったり・・・薬漬けの毎日だった。
月に一回の通院でも 行くには一日中かかる積りでノンビリカメラ抱えて
半分遊び感覚で 早めに家を出て 病院近くのベンチで写真を撮りながら時間を潰す。
歩くのが辛いから自然 座るベンチを探し 予約時間を待つ。

井の頭公園のベンチでの会話が衝撃的だった
何時ものように カメラ抱えて井の頭公園に行った。
池の周りの「思い出ベンチ」に座っていたら 初老の男女の会話が耳に入った。
何処か具合が悪そうなそんな会話なので 耳ダンボにしていた。
「整形は何処行ってもlいいわけじゃないよね」
「自分の症状に合ったところに行かないと・・・・」
「私は股関節だから 警察病院に行っている」
「ふ〜〜ん」

その小母ちゃんに、話しかけたくなっちゃいました・・・・・・
それまでは、誰でも整形外科医であれば治せると私は思っていた
何処に行ってもレントゲン シップ薬の整形外科は信用出来ないと思っていた。
 そして直ぐ手術になる・・・ 手術に抵抗があったから整形なんて・・・・と思い込んでいたのかもしれない。
しかし 今この状態ではどうすることも出来ない このままだと何れ車椅子の生活。
誰に言われなくてもそんな状態が近づいて来ていた。
この夏乗りこせないよ〜〜先生
何時もの笹塚の先生の所に行く日だ。
この頃のお出かけは病院の為が多かった。
40分くらいで行かれるところ 2時間も余裕を見ながら出かける そんなお出かけスケジュールだった、
唯一 駅前の花さんのベンチで お花をカメラに収めながら、予約の時間待ち。

この先生の所に来るのも大変な事だった。
前々から先生に優秀な「整形外科医」の紹介をお願いしていた。
6月「先生 このままでは私この夏乗り越えられない・・・」先生に泣き付いた。
先生の尊敬する「K先生の紹介状」をもらった。

この頃と同時に 近くの信用金庫のお母さんも同じ症状で調布の専門医のところで診察している話を
聴き 「同時進行でいくかぁ〜〜」と予約電話を入れてみたら 「初診は再来年2007年になります」
初診が・・・そんなにk待てるわけないよ・・・
本来なら専門医がいいのかもしれないが 大き病院では経験も豊富だし 心配ないよ・・・
自分に言い聞かせた。
姉妹に話すと「腰は・・・」昔腰の手術での失敗の話 よく聞いたから反対されたが、
どっちに転んでも車椅子なら 今は技術も進んでいるし そんなに心配する事ないだろう!

 
JR東京総合病院を紹介される
予約制ではないので 整理番号を貰うために早く出なければ成らない。
電車は丁度通勤ラッシュでそんなところには乗れず 7時に家をでて夫に車で送ってもらった。
紹介された先生は 整形外科副部長だった。 その先生の患者はとても多かった。
そのときはそんなことチットもしらない。
はじめは往きだけで帰りは電車で・・・とんでもない事だ〜〜
それとあわせて小岩の整体に行っていたので 疲れたの何の・・・・
家に帰っても動けない状態だった。
その副部長先生の外来とは なんと一人5分間の割り当て分。
そんなんで 先生と話も何も出来ず その日は「はい」一言発しただけだったような気がする。
案の定血流を良くする薬&神経を・・・・ヤッパリ同じ。
のんでも飲んでも 症状は変わらない。

次の外来で ブロック注射をしてくれた。
少しも変わらない・・・これは時間が経たなければ効かないのかな?
そのくらい 全然効果ないし。
夫は「もう整体は止めて 手術した方がいいよ・・・」 
送り迎えも大変だったんだろう。

私の返事一つだった。
6月13日 「手術します」
副部長先生に手術は金曜日と決まっていた。
「そうなると9月に成ってしまうよ。」「そこまで待てません」
「だったら別な先生に成るけれどいいですか?」
7月11日に即決まった。
6月20日 術前検査とコルセットの採寸
6月27日 コルセッッと出来上がり
その前に笹塚の先生に「手術が決まりました。ここに来るのも大変な状況なのでもう来れません・・・」
「いいよ 手術の準備しなさい」

入院は一ヵ月半の予定 帰ってきても 直ぐには動けないだろう・・
そんなことを考えながら いない間の銀行関係などなど、この時期に頑張った。