U
Uglys, The(グループ名):Steve
Gibbonsがリーダーをつとめたバンド。もとはDominettesという名前だったが、1965年にMusketeers、そしてUglysと名前を変える。他のメンバーはJimmy
Holden(ドラム)、Bob Burnett(ギター)、John
Gordon(キーボード)。その後、Dave Pegg(ベース)、Roger
Hill(ギター)、Jimmy
O'Neil(キーボード)に入れ替え。さらに1968年にKeith
Smart(ドラム)、Dave Morgan(ベース)、Willie
Hammond(ギター)、Richard
Tandy(キーボード)という編成になる。69年2月、Willie脱退後にMoveよりTrevor
Burtonが参加する。同4月、Ballsと名前を改める。
Under Fire(R/曲名):1985年5月、LegacyからリリースされたRoy
Woodのソロシングル。12インチにはMad Mix
1も収録された。「無料で水鉄砲がついてくる」として宣伝されるが、実際には水鉄砲の供給は充分でなく、入手困難であったらしい。ビデオクリップにはRoyの娘Hollyのほか、Bev
Bevan、Rick Priceも出演している。また登場する戦車はJohn
Coughlanのコレクションから借りたらしい。B面はOn Top Of The
World。その後アルバムStarting
Upに収録されたが、この際シングルバージョンのイントロをエクステンドバージョンのものに差し替えて新たなバージョンが作成された。ミックスはTony
TavernerによってMaison
Rougeでなされたとクレジットされているが、これがどちらのバージョンを示すのかは不明。
Under London Skies(その他):199X年、Serena
Torzによって刊行されたElectric Light Orchestra Part 2(その後The
Orchestra)のファンジン。また、彼女が主宰するPart2メーリングリストの名前でもある。言うまでもなく名称は曲名Over
London Skiesに由来する。
Under Open Skies(その他/アルバム):Luther
Grosvenorの1971年のアルバム(Island ILPS 9168)で、Trevor
Burtonが参加しているらしい。
Underture(E-II/曲名):Moment Of
Truthのラストを締めくくるオーケストラ小品。アルバム収録以前に、1993年のライブではイントロダクションとして用いられていた。実際はこのあとにLeavingがクレジットされているが、これはメンバーがスタジオを後にするノイズを収めただけ。
Unexpected Messages(その他):Face The
Music-Germanyが企画した、ELOファミリーに関する書物。3部構成になっており、最初はMove-Roy
Wood-ELO-Jeff
Lynneの歴史をサマライズした読み物、次が在籍したメンバーそれぞれについての独立したコラム(にしてはかなり長いものもあるが)、最後が詳細なディスコグラフィーほかの資料である。たとえていうなら、Move本紀、Wizzard本紀、ELO本紀、列伝、年表、といった具合になる。最も資料的な価値が高いのは、よくぞここまで調べ上げたと思わせるディスコグラフィーで、バンド・メンバーの作品は当然ながら、プロデュース作品、ゲスト参加も当たり前、短期間だけ在籍したメンバーも手抜きしないし、カバーされた作品についても紹介、これをUK、USだけに限らずわかるかぎり各国版について行っているから大したものだ。面白いのは、録音されたがリリースされていないものまで記述してあること。さらに、これ以外のパートについても、Bev
Bevanの本があるからそれをベースにまとめたとかいうものではなく、基本的に別の視点から書き起こしてある。従って、Bevがあえてぼかして書いていたり、あるいは(嘘をついているのではなくて)書いていないことがかなり多いということがはっきりする。ただ、筆者が書いているように、あくまで両書は互いを補完するものであるので、Bevの本はそれで意味があるのだが。この原稿を書くのにあたり、非常に参考になった一冊。
United
Artists(その他):Tonight以降Moveのディストリビューションを行う。アメリカのディストリビュータとしては初めて真剣にMoveをプロモートし、のち唯一のヒットシングルDo
Yaにつなげる。Jet
Recordsができて以降、数回の移籍の後、1976年には世界的なディストリビュータもUAに統一され、On
The Third Day以後のアルバムを再発する。この時にUS以外のOn The Third
DayはShowdownを含まず、またUK盤ではMa-ma-ma
Belleはシングルエディットが収められた。
Useless Information(M/曲名):アルバムMove収録。ボーカルはCarl
Wayne。Repertoire盤ではステレオバージョンも追加収録されている。
Useless Information(その他):Lynn
Hoskinsが主宰するMoveのメーリングリストの愛称。
Utopia(グループ名):Todd
Rungrenがリーダーを務めるユニット。ライブアルバムAnother LiveでDo
Yaをカバーした。
V
Valerie(人名):Valerie Taylor参照。
Valets, The(グループ名):Keith Powell And The Valets参照。
Valium(その他):Out Of The Blueセッション中、眠剤としてBev
Bevanに投与されたが、眠すぎて48時間後に服用中止となった。
Vela, Rosie(人名):Magic Smileで知られる歌手兼モデル。現在Jeff
Lynneのガールフレンドであり、ELO復活にあたって彼女が果たした役割は大きいと思われる。Zoomにおいては多くの曲にバックボーカルで参加しており、ツアーにもバックボーカルで参加する。普通女性ボーカルだと高音のパートを予想するのだろうが、彼女はJeffよりも下を歌うケースも多いように思う。彼女のファーストアルバムZazu(Jeffは参加していない。念のため)は19XX年に発表され、2001年に再発された。現在Jeffとセカンドアルバムの製作中と伝えられている。サウンドトラックStill
Crazyには彼女とJeffの共作曲が2曲収められている。最初彼女について情報が流れたとき、正直なところ「変な女性につかまったんじゃなければいいが」と感じたし、漏れ聞こえてくるJeffの発言、FlashbackやZoomのクレジットを見ていると、危惧のようなものも感じていた。それはStorytellers
Liveにおいても、彼女についてのコメントは多く、とりわけラストのMoment
In Paradiseでは「この曲はこのyoung
ladyについて書かれたものだ」とJeffのRosieべったりぶりが明らかであった。しかし、Zoom
Tour
Liveでのパフォーマンスからすれば、彼女の役どころはコーラスでありながらJeffとの息はかなりあっており、充分な準備がなされたことがうかがえる。特にTurn
To
Stoneでオペラ的なコーラスを無事クリアしたときのポーズや観客とのインターアクションを見るにつけ、現在の私の彼女に対する印象はかなり好意的なものになっている。このときのライブにおいてOne
Summer Dream(場合によるとShine A Little
Loveもそうか)が演奏されたのは彼女のサジェスチョンによるのかも知れない。率直なところ、本気で彼女のソロアルバムは期待している。
Video !(J/曲名):1984年発表。映画Electric DreamsにJeff
Lynneが提供した曲のひとつで、Richard
Tandyとの共同作業による。シングルカットされ(B面Sooner Or Later /
Video !
(Instrumental))、US85位。ビデオクリップはVideodromeよろしくテープにからまってもがく男が出てくるが、Richardも映画の観客として出演しているらしい。映画で使われているバージョンではイントロがextendされている。曲としてはもろエレポップで、「ビヨビヨビヨ」という効果を加えた声がさかんに反復される。アレンジはなんだかなあと思わせるところもあるが、シンセのフレーズなどはさすがRichardである。映画では主人公がヒロインとデート(Alcatraz島など)する場面で使われており、特にバックで花火を写しつつ手前でふたりがキスするシーンはなかなかもうけである。
Violinski(グループ名):Mik
KaminskiがELO在籍中に作ったサイドプロジェクト。1977年結成時のメンバーはMik(バイオリン)のほか、John
Marcangelo(キーボード)、John Hodgson(ドラム)、Bob
Brady(ベース)、Baz
Dunnery(ギター、ボーカル)で、イギリスをツアーした。ファーストアルバムNo
Cause For
Alarmは1979年春発表で、これまでにBobとBazのふたりがバンドを離れ、交替のベースAndy
Brownも脱けていて、発表時のラインアップはMik、J. Marcangelo、J.
Hodgson、Paul Mann(ベース)、Michael De
Albuquerque(ギター、ボーカル)となっていた。このアルバムからはClog
Danceをシングルカットし、販売も好調であった。1980年にはセカンドアルバムStop
Cloning Aboutを発表、ベースは元Starry Eyed And LaughingのIan
Whitmoreに交代している。1980年5月に北イングランドツアーを行うが、このときにはさらにメンバーは減り、Mik、J.
Marcangelo(キーボード、ドラム・ベースのプログラミング)、Ronnie
Carroll(ギター、ボーカル)となっている。この際の曲目にはShowdown、Roll
Over Beethoven、Daytripperの他、MikのバイオリンソロVile
Dinなどが含まれていた。しかしその後バンドは自然消滅した。結成当時はThe
Camden Ratsという名前でボーカルは女性(その次のボーカルはBob
Bradyだった)とかいう話も。
Visconti,
Tony(人名):アメリカ出身で、1960年代末にイギリスに渡り、以後ストリングスを軸にしたアレンジの仕事を多数手がける。Moveの作品にも参加し、Cherry
Blossom ClinicやMist On A Monday
Morningのストリングスを担当した(Beautiful
Daughterではベースも弾いたとのこと)。2001年、突然Jeff
LynneのトリビュートアルバムLynne Me Your EarsでMr. Blue
Skyをカバーした。これに関連した談話によると、彼はELO結成時にキーボードプレイヤーとして誘われたのだという。しかし、Roy
WoodとJeffはTonyがキーボードを弾けるものだとばかり思っていたけれども、実際にはほとんど弾けなかったという理由で彼は参加を断ったらしい。
Vixen
Volkswagen(会社名):説明不要のドイツの大自動車メーカー。2002年に放映した新型のコンバーティブルビートルのコマーシャルにJeff
Lynneによる新録音版Mr. Blue Skyを採用する。
Volume One(J/アルバム):Traveling
Wilburysのデビューアルバム。1988年11月発売。メンバーが全員ギタリストなので、アコースティックギターを中心に据え、ドラムはしょうがないのでJim
Keltnerを呼び、他の楽器はJeff Lynneと一部George
Harrisonが担当して作られた。Jeffのことだから凝るべきところは凝って作られているはずだが、一見ラフに作られている印象すら受ける。これはむしろ、メンバーが楽しくやっているというイメージを与えてくれる。かつてBruce
Springsteenは、「Dylanのような歌詞をOrbisonのような声で歌いたい」と語ったことがあるらしいが、このアルバムの話を聞いたら地団駄を踏んでいたかも知れない。明らかにJeffの作と思われるのはRattledだけで、リードボーカルを担当するのもどちらかといえば控えめ。
volume 3(J/アルバム):Traveling
Wilburysのセカンドアルバム。1990年10月29日発売。録音は1990年夏、Beverly
Hillsの山荘(Wilbury Mountain Studio)で4人に加えてJim
Keltnerでなされた。テープはUKに持ち帰られ、Friar Park
Studioで仕上げが行われた。Jeff
Lynneは最終ミックスで自分のパートを控えめにしたという。どうしてセカンドアルバムなのに3なのかという憶測がなされたが、有力なものとしては、Del
Shannonを迎えて2を作るつもりがDelの死によって流れた、先にブートで2が出てしまったので外した、単なる洒落、などがある。メンバーはRoy
Orbisonの他界後補充はなされていない。このアルバムはRoyに捧げられ、Wilburysの新たな出発を明らかにするため、メンバー全員が名前を改めた。前作に比べてリードボーカルをシェアする曲が増えている。1曲目のBe
My BabyにはGary
Mooreがゲスト参加している。アルバム未収録曲Maxine、Like A
Ship、Runaway。
Volume Two(J/ブートレッグ):Traveling WilburysのブートレッグはThose
Wilburys
Outtakesを元に多数作られたが、ここではこれを代表にあげておく。ただ、曲数が足りないので、各業者はオフィシャルの音質を落としたり、Duane
Eddyやメンバーのソロ作を持ってきたり、果てはTimbuk
ThreeのArshole(これはWilburysと無関係)を黙っていれたりと策を弄している。
Vote For Me(M/曲名):1968年、シングルCherry Blossom
ClinicのB面として発表されるはずが、レコード会社がリリースを拒んだため、Movementに収められるまで公式には聞くことができなかった。Roy
Woodはこの曲をStacksに提供し、Bev
Bevanのプロデュースで録音されるが発表はなされなかった(この話の真偽不明。Stacksの項を参照)。
Voyager(グループ名):1981年のUKでのTime
tourでオープニングアクトを務めた。
W
Waitin At This Door(R/曲名):Roy Wood's Wizzo BandのアルバムSuper
Active Wizzoに収録。シングルDancin' At The Rainbow's
EndのB面になるが、この際にはエディットが施された。
Wake, Roger(人名):Electric Light
Orchestra(アルバム)のエンジニア。
Wakeman,
Rick(人名):元Yesのキーボードプレイヤー(間違ってたら訂正してください)。Roy
Woodとテレビ番組Jim Davidson
Showで共演。1988年に60年代を扱ったテレビ番組にRoyを音楽監督に招くという計画があったが実現せず、Royがシングル曲Custer's
Last Stand(アルバムTime
Machine収録)でリードボーカルを務めるにとどまる。どっちでもいい話だが、Mik
KaminskiがRickのTシャツを着ている写真がある。
Walk Away(J/曲名):Del Shannonの曲でアルバムRock Onに収録。Jeff
Lynneの作曲、プロデュース。ただ、厳密には1989年にオーストラリアでのみシングル(RCA
105046)発売されている。このときのB面はLet's
Danceだが、こちらにはJeffは不参加(アルバム収録にあたってあらためてJeffがプロデュースした)。1991年にシングルカット(Silvertone
ORE 24 c/w Nobody's Business)。B面については、確認必要。
Walk Upon The Water(M/曲名):アルバムMove収録。Fire
BrigadeのB面。ボーカルはCarl Wayne、Roy Wood、Trevor
Burton。ラストの調子外れなホルンはTrevorが吹いている。Repertoire盤ではステレオバージョンが追加収録。
Walker, Colin(人名):Wilf
Gibsonの紹介でELOに参加したチェリスト。1949年7月8日生。1972年5月-1973年8月在籍。Trinity
College and the Academy Of
Music卒業後、進路が決まっていなかったところに誘いがあったという。婚約者に「自分とそのミュージシャン達とどっちを取るのか」と迫られ、結局結婚のため脱退。その後音楽教師の道を志したという(彼自身の談話によると、Covent
GardenのRoyal Opera
Houseの常任オーケストラミュージシャンであったとのこと)。1975年、Starry
Eyed And Laughin(このグループにはIan
Whitmore(その後Violinski)が在籍していた)のアルバムThought
Talkに参加したという記録がある。
Walker, Dave(人名):Jeff Lynneが脱けた後、かわりのRoy
Collumが外れだったのでさらに入れ替えで加入したボーカリスト。以前はRavenにいたという(The
Red Capという説もあり)。1970年4-9月参加。アルバムTime
IsではRitchieとクレジットされる。脱退後はChicken Shack、Savoy
Brownに所属し、後にFleetwood Mac、Black
Sabbathともプレイした。最近のアルバムは1990年のSavoy
Brownのものらしい。
Walker, Noel(人名):Idle RaceがBirthday
Partyに引き続いてレコーディングする際、Libertyが寄越してきたプロデューサー。Days
Of Broken Arrowの仕事を行うが、結局はJeff
Lynneがセルフプロデュースできることを証明することになる。
Walsh, Peter(人名):Idle
Raceの2代目マネージャー。Moveのマネージャーでもあり、Tony
Secundaの後を継ぐ。その他、The
Tremeloes、Marmaladeのマネージメントもしていた。彼はTonyが採用していたギミックをMoveにやめさせた。
Waronker, Lenny(人名):Armchair Theatreがリリースされた頃にWarner
BrosのCEOをしていたらしい。Jeff LynneやGeorge
Harrisonと仲が良かったという。(どのアルバムにクレジットされているかを確認のこと)
Watch This Space(R/曲名):1980年にリリースされたRoy
WoodのシングルSing Out The Old... Bring In The NewのB面。
Waterloo(R/曲名):Doctor And The
Medicsの1986年11月のシングル曲(アルバムKeep Thinking It's
Tuesdayにも収録)で、Abbaのカバー。Roy
Woodがサックスで参加し、Royのトレードマークともいえるロッキングサックスを充分に聴かせてくれる。彼はビデオクリップにも登場したが、このクリップはAbbaが1974年にWaterlooで勝利したEuropean
Song Contestのパロディ。審査員はMotorheadのLemmy、DamnedのRat
Scabies、Captain Sensible。ナポレオンに扮しているのはIRS
England社長のSteve Tannet。
Wave Your Flag And Stop The Train(M/曲名):I Can Hear The Grass
GrowのB面。Monkeesに似せて作られた曲だが、楽器を自分たちでやっているところは違うんだそうだ。
Way Life's Meant To Be,
The(E/曲名):Time収録。邦題「タイムトラベラー」。マリウッチ風味の曲で内容は80年代を懐古するというもの。シングルカットされたが、チャートインせず、これはNightrider以降初めてのこととなる。
Wayne, Carl(人名):Moveの創設メンバーの一人。本名Colin David
Tooleyで、1944年8月18日生(Dudley Road Hospitalにて出生)。元Carl
Wayne & The Vikingsで、家具店で腐っていたBev
Bevanをドラマーのオーディションに呼ぶ。Moveではボーカルを担当(1966年1月-1970年1月)。結成当初はリーダー的な存在であったが、Roy
Woodの才能の前にかすみがちであった。独自色を出そうとしているのは、ShazamのB面でカバーを3曲取り上げていることでもわかる。ここでうかがえるように、Moveを使ってTop
20ソングを小さなクラブで演奏するという活動を行いたかったようだ。Curlyがあまりにもポップソングに過ぎたことに不満があり、またUSツアーが悲惨であったこと、RoyがSheffieldのライブで観客と悶着を起こしたことなどがきっかけでバンドを抜ける。この後任になったのがJeff
Lynneである。ただし、Carl自身はMoveを脱ける意図はあまりなかったし、Royとたもとを分かつ意思もそれほどなかったらしく、周囲の成り行きでそうせざるを得なかったような発言をしている。その後やはりDon
Ardenのマネージメントを受け、Donは彼をLas
Vegasスタイルのシンガー(Tom JonesやElvis
Presleyのような)として売り出そうとする。CarlはDon Black、Dennis
Kingと一緒にMaybe God's Got Something Up His Sleeve(1972, RCA 2032
c/w Rosanna)発表するが、失敗に終わる。また後にNo. 1ヒットとなるSugar
Baby
Loveを録音する機会もあったが、そのオファーも断った。Carlはその後、Imagine(John
Lennonのカバー、1973, RCA 2177 c/w Sunday Kind Of Love)やTake My
Hand For A While(1973, RCA 2257 c/w Sweet Seasons)、You're A
Star(1973, Pye 7N 45290 c/w
Bluebird)を発表した。また1973年2月には、よりヘビーな曲を求めてELOとレコーディングセッションを行い、Your
World、Get A Hold Of
Myself、Mamaの3曲を録音したが、発表には至らなかった。1974年にRCAからDon
PaulのプロデュースのもとソロアルバムCarl
Wayneをリリース。しかしこのアルバムは彼の長所を引き出すようなプロデュースがなされなかったこともあって失敗に終わる。その後San
Diego(1974, Polydor 2058 461 c/w Songs We Sang Together)、Way Back
In The Fifties(1975, Polydor 2058 527 c/w Candy)、C'mon Round My
Place(1976, Polydor 2058 761 c/w It's You That Makes Me Want To
Stay)、A Little Give A Little Take(1977, Target TGT 125 c/w Home
Lovin' Man)、Hi Summer(1977, DJM DJS 10797 c/w My Girl And
Me)、Miss You Nights(1978, c/w
Someday)といったシングルを発表する傍ら、クラブやコマーシャルで歌っていたという。Polydor在籍中にJohnny
Harris(Tom Jonesの音楽ディレクター)と共にEaglesのTake It EasyやLeon
RussellのA Song For YouやRespect
Yourselfを含むセカンドアルバムを録音したが、発売には至っていない。1978年、彼はRoyに協力を求めて作業をしたがこの作品は発表に至っていない。だが、同時期に作成されたRoyのKeep
Your Hands On The Wheel (Said Mary To THe
Driver)にはCarlがバックコーラスで参加している。1979年にはRoyと共にテレビ出演してFlowers
In The Rainを演奏した。1981年、Charlie
Wayne名義でJetからシングルDeeper Than Love(JET/CBS JET 7010 c/w
Midnight Blue)を発表したが、Royがバックをつとめ、Louis
Clarkがストリングスアレンジを行ったらしい。またB面はELOのカバー。さらに翌年のシングルAerial
Pictures(JET/CBS JET 7022 c/w Colorful
Lady)は共にRoyのペンによる曲であった。1982年にはCarl Wayne And
Magnum名義でライブアルバムHeroes And Villians(Dakota TA
1001)を発表し、Flowers In The Rain、I Can Hear The Grass Grow、Fire
Brigadeをカバーしている。1985年にはTandy And MorganのEarth
Riseに参加してPrincetonでバッキングボーカル。また、Mike
OldfieldのEarth Moving(1989, Virgin CDV
2610)で2曲を歌っている。2000年にはBev Bevanと共演し、The
ShazamのメンバーらとともにAbbey Road
Studioでミニライブを行った。現在Holliesにボーカルとして加入し、ツアーなどを行っている。2003年Holliesの新曲How
Do I Surviveを録音した。この他、Lynne Me Your EarsではSteppin'
Outをカバーした。彼の談話によれば、「昔ELOとレコーディングしたけれど、今では自分もシンガーとして成熟してきており、あの時よりももっとJeffの曲を歌いたくなってきている。Jeffはそんなことは必要としないかも知れないがね」と。彼のウェブサイトはLINKにあるので、参考にしていただきたい。
We Are The Boys (Who Make Big
Noize)(R/曲名):1983年1月にリリースされたRockersのシングル曲。UKで79位。12インチバージョンでは6:30にエクステンドされた。B面はRockin'
On The Stage。テレビ出演時はBev Bevanがドラムを担当していた。
We Love
Animals(その他/EP):動物保護団体RSPCAからリリースされたKelly
GroucuttのチャリティEP。曲目はA Little Bit Kinder、Keeper Of The
Key、The Fox。後にMCSから再発されたときはThe Fox、Josephine、Dear
Mommaとなっているらしいがこの再発に関しては詳細不明。ギターでJohn
Canham、コーラスでBlanford Mere Primary Schoolの児童が参加。
Weekend(M/曲名):アルバムMove収録。Eddie
Cochranオリジナル(作曲はB. Post & D. Post)で、ボーカルはTrevor
Burton。ステレオバージョンがRepertoire盤に収録されている。
(We're) On The Road Again(R/曲名):Roy Woodのアルバム、On The Road
Agaiのタイトルトラック。スピード感あふれるイントロに続いて、Royのややロックよりのメロディが繰り広げられ、なんといってもドライブするサックスが印象的な曲。1979年5月、Automaticより先行シングルとしてリリース(B面Saxmaniacs)されるが、売れ行きのこともあってかアルバムはUKでリリースされなかった。
Weston-Super-Mare(地名):Roy
Woodが1970年代初期に新車のレンジローバーを沈めてしまった海岸。
Whale, The(E/曲名):Out Of The
Blue収録。シンセサイザーが印象的なインストルメンタル。この曲の収益は地球の環境保護への基金に寄付された。
What?(M/曲名):Looking On収録。Jeff Lynne作曲。シングルWhen Alice
Comes Back To FarmのB面。
What A Bunch Of Sweeties(その他/アルバム):Pink
Fairiesの1972年のアルバム(Polydor 2383 132)で、Trevor
Burtonがゲスト参加しているらしい。
Whatever(その他/曲名):Oasisのシングル曲。Wilf
Gibsonがバイオリンで参加している。私はOasisの曲を全部聴いているわけではないが、これまで聞いた中ではこの曲がいちばん好きだ。RutlesのShangri
Laにはこの曲のイントロが一瞬使用されているように思うのだが。
Whatever Wilbury Wilbury(J/その他):Traveling WilburysがVolume
Oneをレコーディングする様子を収めた短いフィルム。公式には未発表のままである。
What's The Matter Baby(その他/曲名):Carl Wayne And The
VikingsのデビューシングルでTimmy Yuro(Timmy
Euroというテキストもあり)の曲のカバー。Hollick and Taylor's
Studioで録音された。B面のShimmy Shammy Shingleを書いたRobert
Romainは事務弁護士のHoward Wynschenkの変名らしい。
When Alice Comes Back To Farm(M/曲名):Looking On収録。Roy
Woodはスライドギターのかわりにチェロを演奏した。シングルカットされる(c/w
What?)。
When Time Stood Still(E/曲名):シングルHold On
TightのB面。もともとアルバムTimeに収められる予定であったため、シングル盤にはTaken
from the forthcoming album
'Time'と書かれていたという。その後Afterglowに収められる。
When We Was FAB(J/曲名):George HarrisonのCloud Nine収録でJeff
LynneとGeorgeの共作。ふたりがオーストラリアのAdelaideにグランプリ観戦に行ったとき、ピアノを連弾して作曲したといわれ、ワーキングタイトルはAussi
Fabだった。Cloud Nineからの2ndシングルとして発売された(c/w Zig
Zag。12インチではThat's The Way It Goes (remix)とWhen We Was FAB
(reverse end)追加)。本来B面はHottest Gong In Townの予定だが、Zig
Zagに変更されたという。ビデオはGodley &
Creme監督で、Jeffは長いバイオリンを弾く役で登場している。ビデオついでだが、Ringo
Starrもドラマーで出演しており、セイウチのぬいぐるみを着た左利きのベースとJohn
Lennonの写真でBeatles復活!というネタもあった。
While My Guitar Gently
Weeps(J/曲名):オリジナルはもちろんBeatlesでGeorge
Harrisonの作曲。Eric Claptonがギターで参加しているのが有名。Jeff
Lynneのこの曲への関与は二度あって、一度は86年のPrince's Trust
Concertの際にGeorgeを含むAll Star
Bandの一員として演奏、もう一度はJeff Healey BandのアルバムHell To
Payにおいて、Georgeとともにゲスト参加(ただし、テープでの共演なので、JeffがJeff
Healeyに直接会っているわけではない)。
Whisky Girls(E-II/曲名):Moment Of Truth収録。Bev BevanとPhil
Batesの共作。単純だが乗りの良いロッカー。中盤でMik
Kaminskiが披露するバイオリンソロが非常に気持ち良い。1994年1月のポーランドツアーで、自分たちのことを曲にしろといったふたりの女性のことを題材にした。私が最初にこのアルバムを聞いたとき、ベストトラックはOvertureで2番目はWhisky
Girlsだと感じた。アルゼンチン公演ではBuenos Aires
Girlsと歌詞を変えて歌っている。多分土地にあわせて歌詞を換えていることも多いのだろう。
Whisper In The Night(E/曲名):Electric Light
Orchestra収録。チャーチベルの音を効果的に使い、Roy
Woodが朗々と歌い上げる。チェロの音も他の曲ほど張り切りすぎておらず、底をしっかり支えてくれているという感じ。ワーキングタイトルはVision
In The Night。
Whole Lot Better, A(J/曲名):Tom PettyのFull Moon Fever収録でJeff
Lynneのプロデュース。ByrdsのFeel A Whole Lot
Betterのカバー。たまたまロサンゼルスで開かれていたByrdsのコンサートを見に行ったTomとJeffが興が乗ったために演奏したという。
Whole Lotta Shakin' Goin' On(R/曲名):Dave Lee Traverse
Show参照。
Whos's That?(E/曲名):Flashbackで初めて披露された曲。silly
songとしか言いようがない。バックグラウンドのちょっとした声なんかMoveやIdle
Raceを思わせるし、最後のジャーンという音はなぜかBeatles的に聞こえる(Abbey
Roadの最後だろうか)
Who's That Calling(その他/曲名):OrKestraのBeyond The
Dream収録。クレジットはK. Groucut、M. KaminskiとT. Pardoe。
Widowmaker(グループ名):ELOのUSツアーをサポート。5人編成だったが、メンバー間でも喧嘩が絶えず、顔を腫らして空港にやって来ることはざらだった。
Wilbury, Otis(人名?):Traveling WilburysのアルバムVolume OneでJeff
Lynneが使用した偽名。Richard Tandyの命名であるという。
Wilbury Twist(J/曲名):Traveling WilburysのアルバムVolume
Threeに収録。これもsilly songになるだろう。歌詞の中でWilbury
twistの踊り方を解説しており、Jeff Lynne、George Harrison、Tom
Pettyが出演しているプロモーション用映像では、この3人が踊りの最初のところを一緒にやっている。他のふたりが喜んでやっているのに、Jeffはなんだか恥ずかしそうである。
Wild Tiger Woman(M/曲名):1968年6月発売のシングル曲(c/w
Omnibus、Regal Zonophone RZ-3012)。Bev
Bevanによれば、「Moveが初めて行ったハードな曲」だという。Cheap
Trickにカバーしてもらいたいようにも思う。チャートインせず。
Wild Times(J/曲名):サウンドトラック、Robin HoodにJeff
Lynneが提供した曲。目立たないコーラスでwild
timesと繰り返される以外は歌詞らしい歌詞はなく、むしろインストルメンタルに近い。映画の中ではRobin
Hoodの仲間達がキャンプで夜を迎え、パーティが始まる前のシーンで使用されているが、こちらも何だか影の薄い使われ方だった。
Wild West Hero(E/曲名):Out Of The
Blue最後の曲。馬が駈けるSEで始まる。Sweet Is The Nightと並んで、Jeff
LynneとKelly
Groucuttのハーモニーが最も際立った作品。シングルカットされ、ビデオクリップではカウボーイが出てきてJeffが投げ縄に捉まってしまう演出があった。シングルカット(c/w
Eldorado)され、UK6位。配給がCBSになって初めてのシングルで、ロンドンのラジオ局にはシングル盤が馬車で運ばれた。
Will You Love Me Tomorrow(その他/曲名):Louis ClarkがLondon
Philharmonic
Orchestraと共にリリースした1989年のシングル曲という(Union 4, c/w
She's Not There)。作曲・指揮・プロデュースLouis Clark。
William Chalker's Time
Machine(M/曲名):MoveがBBCでライブ演奏した曲らしいが、いつ収録されたかなどについては情報不足。ブートレッグWhen
The 60's Came Back To The 80'sで聴くことができる。作曲はAce
Keffordで、彼はこの曲をLemon Treeに提供し、1968年にTrevor
Butonとの共同プロデュースでシングルリリース(Parlophone R5671 c/w I
Can Touch The
Rainbow---Aceとは無関係)している。ただ、最近の情報ではプロデュースはTrevor
BurtonとAndy
Fairweather-Lowだとのこと。曲調は充分にポップな内容で、ヒットポテンシャルも持っていると思えるのだが、こういう曲をMoveとしてレコーディングできなかったのもAceの辛いところだったのだろうか。
Williams, Ray(人名):Idle Raceの初代マネージャー。
Wilson, Bob(人名):Tandy Morgan SmithのWestern
Lifeでスライドギターを弾く。
Wilson, Brian(人名):Beach
Boysの元リーダー。1988年、長い沈黙を破ってソロアルバムBrian
Wilsonを発表したが、この際、Jeff Lynneに協力を依頼し、Let It
Shineにおいて共作、演奏、プロデュースを委ねる。1989年、現在に至るまで未発表のままのソロ作Sweet
InsanityにおいてもJeffとの仕事がなされたという噂がある。一部の方に誤解があるようなので注釈しておきます。上記のSweet
Insanityについての情報は、この原稿で何度も引用しているUnexpected
Messagesに記載されている内容をひいてきたものであり、私の創作ではありません。ましてや、このA-Zが海外のELOファンに読まれていることも恐らくないでしょうし、Jeffがプロデュースしたという噂を、私が海外に積極的に広めたことは全くありません。私が海外の有名なファンと交換した音源にも、このアルバムに入っているとされる曲が含まれており、それは日本の某氏から(Jeffのプロデュースであるとして)うかがった曲と同じ曲でした。もちろん正規盤が出ておらず、クレジットもなされていない状況で真相は薮の中なのは事実でしょうが、少なくともこれは「私が創作した」話でも「根も葉もない噂」ではなく、しかも私のサイトを通じて噂を海外に流布したこともありません。メールで情報を交換したことはありますが、それとてUnexpected
Messagesの記載が先にありきです。誤解のなきようお願いいたします。
Wilson, Gale & Co(グループ名):Melvyn
Gale(キーボード、ストリングス、バッキングボーカル、プロデュース)がELOをやめたあと、Frank
Wilson(ボーカル、キーボード、プロデュース)、Alan
Ross(ギター、バッキングボーカル)、Steve Stroud(ベース)、Adrian
Shepherd(ドラム)と結成したバンドで、Hugh
McDowellも協力した。アルバムGift Wrapped、シングルI Wanna Stay(c/w
Fatal Attraction)を残した。
Wilson, Harold(人名):英元首相。Flowers In The
Rainのプロモーションにあたり、Wilson首相が秘書と入浴している姿をコラージュした絵葉書が作られたが、これが首相官邸にまで届けられたためにWilsonはバンドを告発し、逮捕するに至る。裁判の結果、この曲に由来する収入はHarold
Wilson基金に付せられることになり、これまでの累計は200,000ポンドに達する。Wilsonの死去にともない、Roy
Woodは基金の行き先をBirmingham Children's
Hospitalとなるよう要望したが、却下された。
Wishbone
Ash(グループ名):ELOはアメリカで彼らのツアーに帯同し、オープニングアクトを務めた。その後、逆にWishbone
AshがELOのオープニングアクトをすることになる。
Wishful Thinking(グループ名、アルバム):Dave
MorganがHiroshimaほかの曲を提供したグループ及びそのセルフタイトルのアルバム。メンバーはJohn
Franklin(ギター)、Kevin Scott(ボーカル)、Brian
Allen(ドラム)、Tony
Collins(ベース)。1971年のアルバムHiroshimaは全曲Daveの作で、特にシングルカットされたHiroshimaはヨーロッパで大ヒットする。1978年のアルバムWishful
ThinkingにもHiroshimaとDave作のCrush At
Honoluluを収めている。1990年にもHiroshimaをシングルで再発している。ところで、最近Wishful
Thinkingというバンドがあるそうですが、年代からして別バンドではないかと思うのですがいかがなんでしょう。御存知の方教えて下さい。
Wishing(E/曲名):Discovery収録。このアルバムの中では最も印象の弱そうな曲。でも私は、You
and California call me in this songとか、Little darling, I'm wishin',
You know I'm wishin', I know I'm
wishin'の辺とかが妙に好きだったりする。
Wisselord Studio(その他):ELOがSecret
Messagesを録音したオランダのスタジオ。
With A Little Help From My
Friend(J/曲名):もともとは説明するまでもなくJohn Lennon作でRingo
Starrが歌ったBeatlesの曲。この曲とJeff
Lynneの関わりは二つあって、ひとつはサウンドトラックAll This And World
War Twoでカバーしたこと。もうひとつはPrince's
TrustにおいてRingoが歌うこの曲に、George Harrison、Dave Edmunds、Phil
Collinsらと共演したことである。
Wizards, The(グループ名):I Need Your Love参照。
Wizzard(グループ名):私がこのグループについて解説をするのは荷が重いのかも知れないが、なんとかやってみよう。せっかく準備期間の長かったELOを発足させたにも関わらず、Roy
Woodはさっさとこれから脱けてしまった。どうしてこの時期に、という疑問が湧いてくる。もちろん、双頭のバンドが長続きしづらいのは確かだが、これまでにJeff
Lynneと3枚のアルバムを共作し、1971年前後にワーカホリックともいえる「Royの三つ子」を作り出した後、本当に分裂しなければならないほどふたりの音楽的な方向性は異なっていたのだろうか。私が思うにRoyは飽きたのではないか。ロックの中にクラシックを持ち込むという手法は試した、セルフレコーディングで細かく音を積み上げていくことも試した、次はジャズも含めた幅広い音楽にアプローチしていきたくなったのに、ELOというフォーマットはあまりにもクラシックオリエンテッドであり、かといってJeffを自分の思う方向へ引きずっていく自信がなかったのかも知れない。このへん、Electric
Light
Orchestra(アルバム)が、ELOの作品ではなくて、Moveのプロジェクトであるという体裁をとっていたなら、また変わり身もとりやすかったのだろうが。それで、まだ同じスタイルで可能性を求めたがっているJeffを放り出したような形で「一ぬけた」をやり、ついでにBill
Hunt、Hugh
McDowellらを引っこ抜いてしまった。さらにMove以来の朋友であるRick
Priceを再び迎え、結成したグループがWizzardである。その他のメンバーは、Keith
Smart、Charlie
Grimaという二人のドラマー(彼らはRickがMove脱退後に組んだMongrel出身)と、Mike
Burney、Nick
Pentelowという二人のサックス奏者。本当はドラム、サックス、チェロをそれぞれ二人ずつにしたかったらしいが、チェロ奏者は一人しかそろわなかった。バンド名がWizardではなくWizzardなのは、当時アメリカにWizardというバンドがあったためらしく、正確にはアメリカでの呼称はRoy
Wood's Wizzardのようだ。最初のギグは1972年8月5日で、Wembley
Arenaでのロックフェスティバル。ヘッドライナーはBill Haley And The
Comets、Chuck Berry、Jerry Lee Lewisだった。さらに同月にはMungo
Jerry、Status Quoと共にReading Rock
Festivalに参加している。レコードデビューは1972年11月のBall Park
Incidentで、翌年1月にはUK6位を記録する。1973年4月にはセカンドシングルSee
My Baby Jiveを発表、RoyとしてはBlackberry
Way以来のUK1位を獲得する。デビューアルバムWizzard
Brewをはさみ、8月にはAngel Fingers (A Teen
Ballad)を発表し、これもUK1位。11月にはI Wish It Could Be Christmas
Everyday発表、これはUK2位となる。Moveにおいてもそうであったが、Wizzardもアルバムとシングルではかなり曲調が異なっており、アルバムは恐らくRoyがこのバンドでやりたかった「様々なジャンルをクロスオーバーした音楽」をやり、シングルはバンドのポピュラリティとレーベルへの責任を果たすためにポップヒットをやっているように思える。事実、結成当時のシングルは、軒並みビッグヒットを記録し、チャートアクション上はRoy最高の数年間であった。アルバムWizzard
BrewはE.L.O.
2の向こうを張るかのように重厚長大な作品となり、メディアの好評を得た。しかしセールスには直接つながらず、以後にしこりを残すことになる。この段階でWizzardのコンセプトからチェロが外れてきたことに不満を持ったHughが1973年末に脱退(ELOに出戻ることになる)した。続くシングルはRock'n'
Roll
Winterで、1974年春にリリースされ、UK6位。1974年2月にはUKツアーを行う。これは25回のギグからなったが、一部に1日2回のショーを組んでいたところ、既に過労で潰瘍を患っていたRoyは2/10のIpswichの2回公演の後倒れてしまい、2/23のLiverpool公演をキャンセル、以後の2回公演を1日1回に変更した。続いてセカンドアルバムの制作がなされたのだが、初期構想は2枚組でRoyの幅広い音楽性を示す作品となるはずであったが、これに対してレコード会社が難色を示した(ジャズは売れないものという観念があった)ため、結局シングルアルバムとして実現した。なお、このアルバムの録音中にBill
Huntが脱退し、MongrelよりBob
Bradyが加入する。このアルバムはUK30位で、シングルカットされたThis Is
The Story Of My
Loveは34位。そしてWizzardは1974年9-10月にUKツアーを行う。これは12回の公演からなり、その後規模を上げて実施されるはずだったがいくつかの理由で中止になった。1974年12月、Are
You Ready To
Rockを発表。UK8位と前シングルの雪辱を果たす。しかし、この後Wizzardの運命は一気に下り坂をたどる。ひとつはメンバーの経済的な状態で、ELOにおける「Jeff
Lynne大富豪の法則」と同じく、Wizzardにおいてもほとんどの曲を作曲し、プロデュースしているRoyにはレコードの売れ行きに応じて多額の収入が入るが、他のメンバーについてはそのごく一部が分配されるに過ぎない(契約により、RoyはWizzardの作品の90%を作曲することが義務づけられており、シングルB面の曲をメンバーの作にして利益を分配することを目論んだが、充分でなかった)。やむなくライブで収入を増やすことを考えたのだが、前述のようにRoyが倒れてしまうという事態につながり、これにも限りがある。そうするうちにメンバーの離脱を招いてしまった。さらに、これに続くWizzoと題されたアルバムは1976年に録音がなされたが、Jetの意見により発売は拒否された(2000年になってようやくMain
Streetというタイトルで発売に至る)。結局これが引き金になってRoyはJetをやめ、Wizzo
Bandを結成するに至る。これで事実上Wizzardは終焉を迎えたわけだが、実はBathe
Your
FeetというタイトルのWizzardの「4枚目のアルバム」が存在するらしい。というのも、Royが脱けた後のメンバーでアルバムBathe
Your
Feetを完成させたにも関わらず、やはり発売が取りやめになったということだ。なお、1981年12月にI
Wish It Could Be Christmas
Everydayが再発されるに当たって再結成。この際のメンバーはRoyのほか、Rick(ベース)、Paul
Robbins(ピアノ)、Kex Gorin(ドラム)、Richard
Battle(サックス)、Billy Paul(サックス)。
Wizzard
Brew(R/アルバム):1973年に発売されたWizzardのデビューアルバム。クレジット上はプロデュースはRoy
Wood For Move Enterprises, Ltd.とされている。Peter OliffとAlan
Parsonsがエンジニアを務めた。楽曲はRoy
WoodがELOを脱退する直前、イタリアツアー中に他のメンバーから離れてひとりホテルの部屋で作られた。1972年のReading
Festival出演後録音が行われた。アメリカではWizzard's
Brewと呼ばれ、異なったジャケットとMeet Me At the Jailhouseのextended
versionが用いられた。ロック、ジャズ、クラシックの要素を組み合わせた内容で、Royがこれまで経験した音楽を土台に好きなことをやっているともいえる。同時に最高27種の楽器が聞こえるといわれ、Roy流のwall
of
soundであろう。CD化が切望されていたが、Harvestレーベルの30周年企画により、1999年CDとして発売された。音質としては不満も多いが、現在のところリマスターして再発する計画はないようだ。
Wizzard Watcha's Society(その他):Mike
Sheridanが主宰していたWizzardのUKにおけるファンクラブ。
Wizzard's Brew(R/アルバム):Wizzard BrewのUS盤タイトル。
Wizzo(R/アルバム):Wizzardが(Introducing) Eddy And The
Falconsに続いて発表するはずだったアルバム。参加したのはRoy
Woodのほか、Rick Price、Charlie Grima、Mike
Burneyと言われている。既に完成していたが、商業的でないという理由でレコード会社がリリースを拒んだため、未発表のままだった。収録されるはずだった曲の一部はシングルのB面などで聞くことができる。Royはこの決定に不満を持ち、Jetとの契約が切れるのを待って別のバンドRoy
Wood's Wizzo Bandを結成し、Super Active
Wizzoを発表したが、これはWizzoとは異なるものである。さて、そういう状況が20年以上続いていたら、突然Edselからこのアルバムが発売された。但し、タイトルはMain
Streetで、Roy自身がジャケットデザインとライナー、そしてリミックスを行っている。
Wizzo(グループ名):Roy Wood's Wizzo Band参照。
Wolverthampton Wanderers(その他):イギリス中部のサッカーチーム。Bev
BevanやLed ZeppelinのRobert
Plantはこのチームの熱狂的なファンだったらしい。
Wolves(E/その他):チャリティトーナメントに参加したサッカーチーム。Geoff
Palmer、Willie Morgan、Melvyn Gale、Jeff Lynne、Bev Bevan、Trevor
East、Brian Jonesらがメンバー。ELO
Storyの写真にはJeffのジャージを着た女性Britt
Eklandが写っているが、この人は誰なんでしょう。御存知の方教えて下さい。
Wonderful Land(J/曲名):元々Shadowsの曲で、1993年にHank
MarvinがMark Knopflerの協力の元に発表。Jeff
Lynneはプロデュースとアコースティックギター。B面のNivramもJeffのプロデュース。アルバムHeartbeatにも収められている。一方、Bev
BevanはTony
IommiらとともにShadowsのトリビュートアルバムXXXXXXでこの曲をカバーしている。
Wondermints(グループ名):LAのバンドで、Beach
Boysの影響を公言している。Brian
Wilsonのツアーにも参加。ライブでTelephone Lineを披露したらしい。
Wood, Holly(人名):Roy
Woodの娘。サックスを吹いている写真が公開されている。
Wood, Roy(人名):この原稿のもう一人のヒーロー。ただ、Jeff
Lynneが音楽的にはいわば優等生であるのに対し、Royはどっちかといえば変人。才気煥発に見える一方で、もったいないなあ、とか、なんでそんなことするの、と感じずにはいられない。さて、前置きはこれくらいにして。本名もRoy
Woodだという。セカンドネームがAdrian
Ulyseesであるという噂もあるが、出生証明にはそのような記述はなく、ラジオでのジョークだということらしい。1947年11月8日生。両親はFredとElsieで4番目の子供。早くから音楽に目覚め、10歳でクラブや結婚披露宴でドラム、ハーモニカを演奏していた。その後、手に入る楽器はみんなマスターしてやろうという野望を燃やし、そのほとんどを独学ですませた。Moseley美術学校に通っていたが、楽器の練習にかかりきりで学校に行かず、16歳で退学している。その後自営の喫茶店、楽器修理人、庭師などを経て次第にミュージックビジネスに入っていく。彼の最初のバンドは1960年代初めのFalconsであり、The
Dambustersのインストルメンタルバージョンを1枚だけ録音したらしい。1963年にはGerry
Levine And The Avengersに加わり、シングルDr.
Feelgoodを発表するがヒットせず。Royは再びFalconsを結成するが長続きせず、Nicky
James And The Lawmen(後にThe
Lawmen)に参加。しかし充分ギグを行えないことに不満を持ち、Mike
Sheridan And The NightridersがBirmingham Post &
Mailに出した広告に応じてオーディションを勝ち抜いた。その後、クラブで共演したほかのバンドのメンバーとはなしをするうちにMove結成の話が持ち上がり、オリジナルメンバーとして移籍する。Mike
Sheridan's Lot時代に自作曲Make Them
Understandを発表している彼だが、マネージャーのTony
Secundaに見込まれてソングライターとして指名される。そして、実際に数多くのポップチューンを書くわけだが、ヘビーで前衛的なステージをしつつシングルではポップという使い分けは器用さを感じさせる一方でなんだか危ういような気もする。こうしてRoyはファーストアルバムThe
Move、セカンドアルバムShazamに収められた全てのオリジナル曲、さらにシングルでも数曲の例外を除き殆どの作曲を行う一方、Amen
Cornerなど多くのアーティストに曲の提供を行った。しかしCarl
Wayneの脱退にともないIdle RaceからJeff
Lynneを招き、彼は意図してMoveを双頭のバンドとした。以後、アルバムLooking
On、Message From The
Country、そしてELOのファーストアルバムの3枚にわたる期間が、ひとによると「Lennon
&
McCartneyに匹敵する」とすら評する稀代のクリエイティブチームの時期となる。おまけに、彼はバンドとしての活動と並行してソロアルバム用の曲を書きため、一部録音も行っていた。一方、この頃からRoyはステージに立つときメーキャップを施すようになる。初期MoveではあくまでCarlがフロントマンであり、Royはアンプの前からあまり動かなかったというが、Carlの脱退に伴ってフロントマンをこなす必要が生じ、そこで彼が思いついたのが奇抜なメイクと衣装であり、以後の「魔術師」としてのイメージに移行していく。今では派手なメーキャップのロックバンドといえば(既に懐かしき)Kissだろうが、KissがRoyの影響を受けているだろうことは確からしい。さて、そうしてELOという壮大な実験をやりとげたRoyだが、彼はそこでこのバンドに見切りをつける。ひとつにはJeffとの路線をめぐる対立があったのだろうし(作曲のクレジットで揉めたという話がある。そういうことなら実際にはふたりの共作でありながらJeffの名前だけがクレジットされた10538
Overtureのことなのだろうが、詳しいストーリーは明らかになっていない)、またELOのコンセプトにサックスを持ち込みがたい以上、クラシックのみならずジャズも包含していこうと目論んだRoyは新たなバンドを構想する。それがWizzardであり、ELOのイタリアツアー中にRoyは突然脱退を表明して帰英、ELOのラインナップからホルンのBill
Hunt、チェロのHugh MacDowellを引き抜き、旧友Rick
Priceのコネクションでプレイヤーを集めた。これはDon
Ardenの「才能あるミュージシャンはばら売りして収益を上げる」という考えと合致しており、実際に初期Wizzardは同時期のELOが比べ物にならないくらいのヒットシングルを連発した。しかし、「ヒットすればそれでいい」というように自己満足できなかったところがRoyがRoyらしい点であった。実際に当時のWizzardのシングルA面曲をB面曲(この多くは他のメンバーの作曲であるから当たり前かも知れないが)やアルバムWizzard
Brewと比べてみれば、その違いは理解して貰えるのではないだろうか。真意はともあれ、アルバムで自らの目的を追いたいがためにシングルではヒットを狙っているような印象がある。しかもRoyはバンドと並行しながらソロとしての活動も続けている。(この項すら完成していません申し訳ありません)ちなみに最初の妻との結婚立会人はBev。
Woodbe(R/曲名):Music To Commit Suicide By参照。
Woody Recoords(R/その他):Roy Woodが1982年に作ったレーベルで、Speed
Recordsの傘下だった。同年中に維持ができなくなって消滅。
Woolam, Steve(人名):アルバムElectric Light
Orchestra録音にあたりバイオリンで参加したが、ファーストツアー前に屋根から身を投げたという。
Words Of Aaron, The(M/曲名):Message From The
Country収録。ビデオクリップにはBill
Huntが参加してバスーンとリコーダーを吹いている。
Work It Out(J/曲名):Jim Hornのアルバム並びにタイトルトラック。
World Tour 1991(E-II/その他):ELO part
IIがデビューアルバム発表後に敢行したツアー。メンバーにKelly、Mik、Hughを加え、バックにMoscow
Symphony
Orchestraを迎えて8回にわたるUKツアーを成功裡に終えた。ライブは3部構成で、バンドパート、MSOパート、バンド+MSOパートで構成された。テープバッキングは使用されず、従ってEldorado
OvertureにおけるナレーションはBevが担当した。音響的にはELO時代を凌ぐものといえる。この成功に乗じてUSツアーが企画されたが、Hyundai
Night
Liveと呼ばれるテストギグ(1991年6月11日ロサンゼルス)がセールス不調に終わり、このためライブは全てキャンセルされ、最終的にworld
tourはUKツアーのみに終わった。
Worcestershire(地名):ここにあるMalvern Winter
Gardensで1973年3月17日にELOが行ったコンサートは、彼らにとって初めてのソールドアウトとなった。
Wright,
Gary(人名):UK出身のシンガーソングライター(でいいんですか? 詳しい方訂正・補足して下さい)。1970年のアルバムExtraction(A&M
AMLS 2004)にはTrevor
Burtonが参加しているらしい。また、199X年のアルバムHuman LoveにはJeff
Lynneが参加している。
Wurlitzer EP200(その他):Richard
TandyがELOのステージでしばしば使用していたキーボード。
X
Xanadu(E/曲名):サウンドトラックXanadu収録。ボーカルはOlivia Newton
Johnで、ELOの曲でゲストミュージシャンがリードボーカルを担当するのは唯一のケースである。バックコーラスにはJeff
Lynne、Kelly
Groucuttの特徴ある声が聞ける。レコーディングに際し、ELOはカラオケを作成し、これにあわせてOliviaが歌を吹き込んだ。カラオケといえば、日本でカラオケ化されている数少ないJeffの曲のひとつ。イージーリスニングなどでカバーされているケースはかなり多いようだが、ポップエリアでカバーされたといえば、オーストラリアの女性シンガーPaulaのものが有名で、異なるミックスを収めたマキシシングルも発売されている。さて、そのようにELOから離れたところでジャンルを作りつつあったこの曲だが、Jeffが「昔からこんなふうにやってみたかった」というわけで、アコースティックに録音し直したバージョンがFlashbackに収録された。
Xanadu(E/サウンドトラック):映画Xanaduのサントラで、MCAレーベルおよびJet/CBS
レーベルより発売された(レーベルは国によって異なり、日本ではJet/CBS)。LPではダブルジャケットになっており、表はXanaduのロゴ(このロゴは映画中のディスコXANADUのものと同じ)、裏はOlivia
Newton-JohnがELOの円盤マークを両手で掲げている写真。内側には主要スタッフのクレジットのほかに映画のスクリーンショットが配置されている。レコードはインナースリーブに収められていて、片面ずつELO、Oliviaの面の歌詞が書かれ、ELOの側にはメンバー4人(ELOが4人編成になったというのを視覚的に思い知らされたのはこの写真であった)の写真、Oliviaの側にはプロデューサーのJohn
Fahrrerの写真が入っている。実際の盤には、片面にELOの5曲、もう片面にOliviaの5曲が収められているが、どちらがA面という記載はなく、ELOサイド、ONJサイドというように区別されている。正直なところ、セールス面ではOliviaの方がよりメジャーだったのかも知れない(あまり認めたくはないが、ファーストシングルの売れ行きではMagicはI'm
Aliveより上である)が、発売がJet-CBSであることからして、簡単に引き下がるわけにも行かず、どちらがメインでどちらがサブかは判別しがたい。ただ、CDとなるとトラックの順番を決める必要が生じた。CD化についての経緯は後述するが、日本盤とUK盤ではELOサイドが先、オーストラリア盤ではONJサイドが先に収録されている。内容としては、ELOサイドは全曲Jeff
Lynneの作詞作曲プロデュースで、5曲目のXanaduのみボーカルにOliviaを迎えている。ONJサイドはJohn
Fahrrerの作とプロデュースだが、Cliff
RichardやTubesなどの客演を迎えている。{John FahrrerはCliff
Richardのバック・バンドだったShadowsの元メンバーですよね。あと、無理矢理Footlooseと合体させた2枚組CD(豪盤)もある。(mad
eyckさん)}映画に使われた曲としては、ELOによるインストルメンタルDrum
Dreams、OliviaボーカルのメドレーFool / CountryがそれぞれシングルI'm
Alive、MagicのB面として発表されているが、サントラからはもれている。シングルカットはELOサイドからI'm
Alive、All Over The World、Xanadu、ONJサイドからMagic、Suspended In
Time。シングルもCBSソニーの儲けになるため、日本ではSuspended In
Timeに「秋風の誘惑」という邦題を付け、Oliviaの過去のヒット「そよかぜの誘惑」と混同させて買わせようとした、とかいう本当か嘘かわからないような話も伝わっている。ELOファンにとっては、4曲半しか入っていないうえにDiscovery後のスーパーコマーシャルな時期の作品であることから、しばしば継子扱いされているが、XanaduがJeffの曲の中で最もスタンダード化していることを除いても、ELOが商業ポップ(あえて産業ロックとはいわない)の頂点に達したという面では評価は必要と思われる。実際、I'm
AliveにしてもAll Over The
Worldにしてもほかのヒットソングに比して遜色ないし、バラード2曲もいい曲だと思うのだが。さて、CDの件だが、まずこのサントラは権利が複雑になっていた(この点については私も不詳)上に、再発するときには最初のリリースの時のままの形態をとることという断り書きがついていたらしい。このためCD化は長らくなされなかった。日本でCD化されたのが1990年CSCSシリーズでELOの公式スタジオ盤全リリースの時にやっとであり、同年にオーストラリア盤も出たが、本家のUK盤は1998年まで発売されなかった。しかも、最初に流れた情報ではLPに入っていないトラック(具体的にはシングルB面の前述の2曲と、映画で用いられたイントロのextendされたI'm
Aliveは確実で、ほかにも?)が収録されるということであったが、「形態を保つ」ために追加収録はおろか、リマスターも不可という、セールスポイントに欠けるリリースとなってしまった。また、Jeff自身がこのなかの曲を気に入っていないということにもよるのだろうが、Xanaduからの曲はベストアルバムの選曲からもれることも多かった。
Xanadu(映画):Saturday Night
Feverに代表されるディスコ映画のヒットに目をつけたUniversal
Picturesが企画したディスコミュージカル。主役にGreeceでの実績を持つOlivia
Newton John、脇役に往年のビッグネームGene
Kellyを配し、音楽面でのサポートをELOという強力な布陣であった。日本では松竹系で公開され、まずまずの興行だったのではなかろうか。ただ、こういうブームに乗った映画という物自体が時間が経つとなんだか気恥ずかしく思えてくるのに加え、シナリオがなんだかなあというできで、まぎれもなくB級作品(C級ではないですよね)。ストーリーは、壁画に描かれた7人の音楽の女神Museのひとり、Kearaが、I'm
Aliveにのって壁から抜け出し、地上に降り立つ(ここでローラースケートをはいているというのが涙を誘う)。一方、画家志望だがそれでは食べていけないので看板を描かされているSonnyは、自分の絵の中に美しい女性がいつの間にやら入り込んでいるのに気付く。彼女に心奪われたSonnyは、今は使われていないホールで彼女がスケートしているのを発見し、名前を聞く(Magic)。一方、昔有名な音楽家だったXXXとも知りあいになり、彼の家に招かれる(Whenever
You're Away From
Me)。ふたりは世代を超えた音楽の殿堂を造りたいと望み、例のホールに目をつける。そこへKearaが現れ、XANADUという名前を提唱し、3人はビッグバンドとロックを融合させた音楽を夢想する(Dancin')。XXXがこのプランにマッチした衣装を選びに行ったりしながら(All
Over The
World)準備を進めていくうち、SonnyとKearaはお互い引かれあっていることに気付く(Suddenly、Don't
Walk
Away)。しかしXANADUのオープンを目前にして、Kearaの父であるZeusは娘を召還する。彼女を失ったSonnyは街中を探し回り(The
Fall)、ついにMuseの壁画から天界に達する。彼の訴えはZeusにあっさり却下され、人間界に追い返されるのだが、Kearaが歌で(まさしくミュージカル!)訴え(Suspended
In
Time)、心動かされたZeusは再び娘を人間界に送りだす。まさに地上でオープンしたXANADUとは、なんとローラーディスコであり、ビッグバンドサウンドはどこへ行ったのやらという代物だったのだが、スケーター達はDrum
Dreamsにのって滑りまくる。そこへテーマ曲のXanaduが流れ、KearaほかMuse達が降臨する。場内の興奮は最高潮に達し(Fool/Country)、再びXanaduが演奏される中、彼女達は天界に帰っていく。宴が終わり、再びKearaを失ったSonnyだったが、その前に立ったウェイトレスはなんとKearaそっくりであった、というお話。ミュージカル自身が恥ずかしいうえに、流行ものであるので、まともに見ているとどうしようもなく恥ずかしい。あまり悩まずに見るのがいいだろう。まあ、プロット的にはこういう背景を与えたらしょうがないところもあるのだろうが、高校生が書いたみたいなものにすら見える。ビデオ化もされているし、NHK-BSで放送されたこともある。しかし放送時にはなんだかくすんだような画像になっていたのが残念。なお、Xanaduとは元の皇帝フビライの離宮である上都のこと。
Y
Yellow Rainbow(M/曲名):デビューアルバムThe
Moveのオープニングトラック。Move初体験がBest Of The
Moveであった私にとっては、最初に聴いた曲ということになる。ボーカルがRoyでないこともあってあまり評価が高い曲とはいえないが、アルバム最初の曲としてはかなり理想型なのではないだろうか。ちなみに私はこの曲でradio
activityという言葉を覚えた。
You Got The Jump On Me(R/曲名):WizzardのサードシングルAngel
FingersのB面で、Rick Priceの作曲。クレジットにFeaturing Vile Len and
Rhinoと記されている。
You Took My Breath Away(J/曲名):Traveling WilburysのVolume
Three収録。デモではJeff Lynneのリードがあったが、リリースではTom
Pettyのパートが増えている。いい歌詞ができなかったので2番では冗談を歌っている(この項確認必要)。
You're A Star(その他/曲名):Carl
Wayneが1970年代のタレントショー(新人発掘番組でしょうか)New
Faces用に歌った曲。
You're breaking Me Up (And I'm Wasting Away)(R/曲名):1968年にRoy
WoodがCliff Bennett And His
Bandに提供した曲。シングルとしてリリースされるが売れず。
Your World(E/曲名):1973年2月にAIR Studioで録音された。Jeff
Lynneの作曲でボーカルはCarl
Wayne。ストリングスは含まれていない。長らく未発表であったが、Take
2がリマスター盤ELO2付属ボーナスCD、The Lost
Planetに収録された。奇妙なのは、曲名記載上はYour
Worldというタイトルなのだが、JeffやBev BevanのコメンタリーではMy
Worldと言及されていること。
Yours Truly
2095(E/曲名):Time収録。Twilightの余韻の後、電子音などのSEに続いてBugglesばりのシンセサイザーが響き、当時は「いくらELOでもここまでやるか」と感じた。ボーカルもいわゆるtelephone
voiceといわれる深いイフェクトがかかったものになっている。しかしさりげなくバイオリンが使用されていたりするあたりはいかにもELOであるし、私にとって印象深いのは、歌詞の脚韻がしつこいくらいに踏まれていることであった。そのためにIBMやらtelephoneとか唐突な単語が使われていたりするが。ラスト近くのIs
that what you wantという女性の声は、クレジットにもあるようにJeff
Lynneの(当時の)妻であるSandiの声である。この部分、ステージでは誰か(もちろん男性)がかわりに歌っているのだが。バックグラウンドのロボット的な声は、"two
o nine
five"と歌っているらしい。イントロはドイツのスタジオにピンボールの機械を持ち込んで録音したらしいが、どこがそれに該当するのか私にはわかりません。
You've Got Me Floating(M/曲名):Axis: Bold As Loveに収められたJimi
Hendrix Experienceの曲。同じスタジオでレコーディングしていたMoveのRoy
Wood、Trevor Burton、Ace Keffordがゲスト参加。{Noel
Reddingの話だと、どうもRoyは居なかったようです。でも声がするような…。(mad
eyckさん)}
Z
Zacharian Club(J/その他):Jeff Lynneが学生時代にShard
Endの友人達と作っていたクラブ。馬鹿げた言葉を作ることを目的とした。この活動の延長線上にName
Gameが存在するらしい。
Zacharian Club(E/ブートレッグ):ELO及びIdle
Raceのカバーソングを集めたCD-R。2000年に発表された。
Zig Zag(J/曲名):George Harrisonのシングル、When We Was
Fabにカップリングされたアルバム未収録曲。クレジットはGeorgeとJeff
Lynneとなっている。映画Shanghai
Surpriseの挿入歌のようだが、この映画は未見なので詳細不明。シングル収録にあたって再録されたともいう。また、映画使用にあたって(クレジットでは?)Gaslight
Orchestra演奏とされたらしい。曲自体はまさしくB面曲。
Zing Went The Strings Of My Heart(M/曲名):アルバムThe
Move収録。Bev
Bevanがリードボーカルを務めるカバーソング。オリジナルはCoastersとの情報があったが、実際には1939年代にJames
Hanleyが作曲し、最初に録音したのはRuth Etting、その後Judy
Garlandがテーマ曲のように使ったほかDonald ByrdやThe
Spanielsなどのバージョンがあるということだ。Bevは音を相当はずしており、もうちょっとなんとかならなかったのかと思うのだが、他のメンバーが一生懸命サポートしているところがなんだかほほえましい。Repertoire盤ではステレオバージョンが追加収録されている。
Zombie Zoo(J/曲名):Tom PettyのFull Moon
Fever収録。アルバムのラストトラックで、曲自体はsilly
songなのだろうが、コーラスワークが見事。
Zoom(E/アルバム):2001年6月に発売されたELO15年ぶりのアルバム。実は日本盤が世界に先駆けて発売されている。久しぶりにELOの名前を名乗ることになったJeff
Lynneであるが、その理由は様々な憶測がなされているものの、Rosie
Velaの存在が大きいのではないだろうか。彼女から音楽に関する意見を貰ううち、かつての自らのキャリアを見直したJeffが、ELOという名前をこのまま眠らせるのではなく、自らのライフワークであることを再度確立しようと思ったのが名義復活のきっかけであるような気がする。ただ、内容としてはゲストミュージシャンを含めているものの、ほとんどの楽器をJeffひとりで演奏した「実質ソロアルバム」であり、むしろArmchair
Theatreよりソロアルバム的であるかも知れない。当初Richard
Tandyの参加が伝えられていたが、結局Alrightにエレクトリックピアノを追加するだけの協力にとどまっている。ただ、だからといってこのアルバムにELOの名前を冠するのがおかしいかというと、多分人によって意見はまちまちなのだろうが、私自身はおかしくないと思う。つまり、「JeffがELOの名前を頭において作ったであろう作品」であるからだ。
Zoom Tour
Live(E/ビデオ):2001年11月に発売されたビデオおよびDVD作品。Zoom
Tourとうたわれているが、実際にはツアーは行われておらず、5/23、24の両日にLos
Angelesで行われた、PBS用のクローズドライブの内容を収めている。実際には全部で26曲の演奏がなされたが、製品にはSweet
Talkin' Woman、Rock'n' Roll Is King、All She
Wantedを除く23曲が収録された。DVDにはボーナスとしてJeff
Lynneのインタビューやファンの映像なども収めてある。現在のELOによるタイトな演奏を目の当たりにできる好盤であり、Zoomを気に入った人なら買って絶対に損はしないと思う。なお、現時点では日本盤は販売されておらず、入手は輸入盤を手に入れることになる。その際注意しておいてほしいのは、1)UK製品はDVD・VHSともにPALフォーマットなので、日本の通常のテレビでは再生できない。2)US製品はVHSはNTSCフォーマットなので、通常通りに見ることができる。しかし、DVDはリージョンプロテクト(リージョンコード1)がなされているので、リージョン1対応DVDプレイヤもしくはマルチリージョンプレイヤがないと再生できない。一部のDVDプレイヤは、リージョン設定の改変をすることができるようだが、これらの操作については全て自己責任で行う必要がある。納得できている人はネットサーチでもしてみて下さい。「DVD」+「リージョンコード」とかでサーチしたら結構ヒットすると思います。