K

Kamen, Michael(人名):Armchair TheatreにおいてEvery Little Thing、Blown Awayのストリングスを扱う。また、Robin HoodのサントラにJeff Lynneを招き、彼にJuliana Rayeを紹介する。彼はFlashbackでもthanks toの中に名前が挙がっている。

Kaminski, Mik(人名):本名Michael Kaminski。1951年9月2日生。Harrogate出身。On The Third DayでWilf Gibsonに替わって参加したバイオリン奏者で、在籍は1973年9月-1986年9月ということになる。14歳でLeeds Orchestraに参加したのが最初のプロとしてのキャリアで、Leeds School of Music在学中にJohn Hodgson(ドラム)、John Marcangelo(キーボード、パーカッション)とCowというバンドを結成。バイオリンを含むユニークなバンドであったが、この活動に熱中しすぎたために退学になってしまう。その後、Joe Soap、The Grand Stampede Bandに参加後、Melody Makerの広告に応じてELOのオーディションを受け(Lancaster Gate Hotelで開かれイブニングを着た40代半ばの男性も現れ、Fly Me To The Moonを弾いたらしいが無論採用にはならなかった)、全くミスのない演奏を披露してメンバーに選ばれた。彼の青いバイオリンはELO Part 2でBlue Violinという曲があるように、彼のトレードマークとなっている。「世界最高のロックバイオリニスト」の評判もある彼は、ライブでもしばしばバイオリンソロを披露した(The Night The Light Went Onで聴ける)。しかし、セッションオーケストラを使用することによりバンド内にストリングスプレイヤーを常駐させる必要を感じなくなったJeffの方針変更(事実、Face The Music以降はバイオリンソロに関与しているだけだとも言う)により、ほかのストリングスプレイヤーと同様、Discovery以降はクレジットされていない。ただ、Timeから作られたビデオクリップ、Hold On TightとHere Is The Newsには登場しているし(バイオリンが使用されていないため、Hold On Tightではギターのマイムをしていた)、1981年のTimeツアーではステージに復帰して元気なところを見せた(自らのパートがない曲ではシンセサイザーを担当している)。しかしその後はSecret Messagesにゲストミュージシャンとして参加したのみである。一方、ELO以外の活動の場を探した彼は、Cow時代の仲間とViolinskiを結成(その後元ELOのMichael de Albuqurqueも合流)し、1979-80年に2枚のアルバムを残している。1981年のKelly GroucuttのソロアルバムKellyではMidnight Trainでバイオリンを弾き(村上太一氏に言わせると、Mikが一番弾きたいタイプのバイオリンだったそうだ)、1982年にKellyがドイツのテレビ番組に出演したときにはOh Little Darlingでバイオリンのマイムをした。1984年5月のViolinskiラストツアー後KellyのソロプロジェクトPlayerに参加、さらにふたりでOrkestraを結成した。ELO Part IIのファーストアルバムではHeartbreakerにゲスト出演し、ライブへの客演を経てMoment Of Truthでは正式メンバーになる。Phil Batesとのコラボレーションもしており、1995年にライブを行ったり、PhilのソロアルバムであるNakedにもゲスト参加した。数年前にPhil 協力を得てソロアルバムを作成中と伝えられていたが、最新の情報ではEric TroyerとParthenon Huxleyの協力のもと、と話が違っている。boozeとgamblingが趣味で、新聞では競馬欄を最初に見る。彼はかなり恥ずかしがり屋であり、自らのバイオリンソロを短く切り上げたがる癖があった。あるときはソロは1分と続かず、続けてOrange Blossom Specialに移行するはずがBevとKellyの準備が間に合わなかった。ただ、最近では彼のバイオリンソロもかなり長くなっているそうで、Kellyが演奏に加わるのを我慢できずにフライングしかけたという噂も伝わってきている。

Kansas(グループ名):ELO part IIと共に1993年にUSツアーを行う。彼らは、その会場でどちらがポピュラーかによってメインアクトとサポートを分担したという。

Kapelson, Sandi(人名):Sandi参照。

Katayama, Suzie(人名):詳しい経歴は知らないが、セッションミュージシャンとしては有名なチェロ奏者だという。Ringo StarrのDon't Go Where The Road Don't Goに参加したが、その後Zoomの多くのトラックにチェロでゲスト出演している。

Karaoke(その他):国際語となったカラオケだが、ここでは日本の事情のみ。私が確認しているかぎり、カラオケ化されているELOファミリーの曲は以下の通り。Telephone Line/ELO、Don't Bring Me Down/ELO、Midnight Blue/ELO、Xanadu/ELO with Olivia Newton-John、Every Little Thing/Jeff Lynne、I Wish It Could Be Christmas Everyday/Roy Wood(但しScanchのカバーバージョン)、Free As A Bird/The Beatles、Real Love/The Beatles。

Kean And Scott(その他):家具店。Diplomats解散後のBev Bevanが働いていた。

Keep On Rockin'(その他/アルバム):Bill Huntが参加しているSlade 2のアルバム。

Keep Right On To The End Of The Road(J/曲名):Birmingham City Football Clubの応援歌。(詳しいクレジットは知らないので憶測ですが)もともとあったバージョンを更新する依頼がJeff Lynneに対してなされ、彼が録音し直した1分くらいのバージョンが数回スタジアムで流されたが、昔からのファンには受け入れられなかったようで、その後もとのバージョンに戻された。正式には発表されていない。2002年にオランダのファンクラブが出したCD、Face The Memberに突如収録された。JeffおよびCraig Fruinに対するクレジットがあったので、正式な許諾があったのかと思ったが、どうやら未承諾のまま収録してしまったような印象...

Keep Your Hands On The Wheel (Said Mary To The Driver)(R/曲名):Roy Woodのシングル曲(B面はGiant Footsteps)であり、アルバムOn The Road Againに収録。本来Roy Wood's Wizzo Bandの曲としてレコーディングされたが、リリースに持ち込むことができず、WarnerよりRoyのソロシングルとしてリリースされた。また、アルバム収録時に、たまたまRoyと仕事をしていたCarl Wayneがバックボーカルで加わり、さらにイントロをエクステンドして口笛がカットされた。本来はExotic Mixtureに収録されるべきと思われるが、残念なことに漏れている。

Kefford, Ace(人名):Moveのベーシスト、ボーカリスト。本名Christopher Kefford。1946年12月19日生。Move参加前はCarl Wayne And The Vikings。事情はよく知らないが、Move時代にはAce the Faceと呼ばれていたらしい。多分目立たずにはいられない性格だったのだろうが、ボーカルパートが少ないことに不満を漏らし、他のメンバーと疎遠になって、ノイローゼから自殺を図ったこともあって1968年4月にMoveを去る。1968年、Lemon TreeにWilliam Chalker's Time Machineを提供し、Trevor Burtonと共同プロデュース(mad eyckさんよりAndy Fairweather-LowとTrevorのプロデュースと訂正)している。Move脱退後、Ace Kefford Standを結成し、1969年シングルFor Your Loveを発表するが、まもなくリーダーの彼がやめてしまった。1976年にRockstarを結成してシングルを発表、1981年にはMove再結成に加わる。彼はアルコールと薬物の問題があったともいう。現在、ローカルシーンでクラブ活動をしているらしいが、Move時代の曲は演奏せず、75%はオリジナル、残りはSam CookeやJohn Lennonの曲だという。1996年ののFace The Music(ファンジン)に載った写真は20代の彼とは大きく様変わりしており、少し悲しいものがあった。2002年、Carlのラジオ番組にゲスト出演し、2003年にはCarlの助力のもと、30年間放置されていたソロアルバムAce The Faceをリリース予定。

Keith Powell And The Valets(グループ名):Keith Powell, Carl Wayne And The VikingsをやめたKeith Powellが結成したバンドで、The Answer Is No(1963, Columbia DB 7116 c/w Come On And Join The Party)、Tore Up(1964, Columbia DB 7229 c/w You Better Let Him Go)、I Should Known Better(1964, Columbia DB 7366 c/w Too Much Monkey Bussiness)のシングルを残しているらしい。Carl Wayneが参加しているという説があったが、Carlはその噂を否定したため、一応Carlとの関係はなかったと考えていいのだろう。

Keith Powell And The Vikings(グループ名):もともとThe Vikingsというバンドが改名。リードボーカルはもちろんKeith Powellで、ベースプレイヤーが不在の時にCarl Wayneが一時加入した。その後、Keithが休暇を取った際、他のメンバーはボーカルにCarl を迎えてギグを行った。この時の感触がよかったので、Keithの復帰後もCarlはボーカルとして残った。同じ舞台にふたりが同時に上がったのかどうかは不明だが、CarlはKeith Powell And The VikingsとCarl Wayne And The Vikingsの両方のセットが同時期に存在したと語っている。一応、便宜上Carl加入後はKeith Powell, Carl Wayne And The Vikingsとして別項を設ける。

Keith Powell, Carl Wayne And The Vikings(グループ名):形成の経緯についてはKeith Powell And The Vikings参照。メンバーはKeith Powell(ボーカル)、Carl Wayne(ボーカル)、Terry Wallace(ギター)、Johnny Mann(ギター)、Barry Harper(ベース)、Dave Hollis(ドラム)。その後Keithが脱退してCarl Wayne And The Vikingsとなる。

Kelly(その他/アルバム):1982年に発表されたKelly Groucuttのソロデビューアルバム。Kellyのほか、Bev Bevan、Richard Tandy、Louis Clark、Mik Kaminskiと、Jeffを除く主要メンバーのバックアップを受け、製作には1979-81年を要した。全曲Kellyのペンにより、リードボーカル、ギター、ベースを弾く。LouisはストリングスアレンジとRoyal Philharmonic Orchestraの指揮を行う。Kelly独自のポップワールドを展開しており、今から思えばかなりいいアルバムで、これと同じだけのクォリティがあるレコードなら、飛びついて買うと思うが、いかんせんマジックがない。この、マジックがあるかないかが、JeffとKellyの決定的な違いなのだろう。アルバムそのものは1982年3月にRCAからヨーロッパで発売されるが、マスタリングが不良であり、音質は優れなかった。このためリマスターされたオランダ盤がリリースされているらしい。その後KellyはRiva Recordsと契約を結び、USで新譜を発表すべく準備を行っていたが、Rivaは前作の再発を望み、1983年に以下のような変更を加えて発売した。すなわち、Black Hearted Woman、Can't Stand The Morningの2曲を落とし、新録のyou Don't Need To Hold Me TightとYou've Telling Liesを追加。また、Am I A Dreamer、Oh Little Darling、Old Rock'n' Rollerは一部録音を追加してリミックスされた。音質は向上し、ジャケットはトレードマークの髭を剃ったKellyの写真を使用した。シングルカットされたAm I A Dreamerは、Orkestra時代のFly Awayと並んで裏ELOの2大傑作と言える。それ以外ではLouisのストリングスが冴えるSea Of Dreamsも聞き所。2001年にKelly自身と息子のKit GroucuttのリマスタリングでCD化され、PlayerバージョンのAm I A Dreamerなどがボーナストラックで追加された。(本当はフォントサイズを小さくすべきでしょうが、このまま書きます)このアルバム自体はELOファミリーの作品としてはお勧めランクの高いものなので、それがCDで聴けるようになったのは素晴らしいこと。是非みんなに聴いてほしい---と言いたいところが、音質にかなり問題がある。特に最初の数曲がテープにダメージがあるのか、イコライジングが強すぎ、非常に聴きづらいものになっている。購入を検討する方は注意を。ただ、それでもELOが好きな人なら買って損しないアルバムだと思う。

Kiki Dee(J/アルバム):Kiki Deeのアルバム。How Much FunではRichard Tandyがポリムーグ演奏とストリングスアレンジを行っている。

King Biscuit Boy(グループ名):Dave Pritchard、Dave Walker脱退後のIdle Raceがバッキングボーカル及びサポートアクトをつとめたブルースバンド。

King Of The Universe(E/曲名):On The Third Day収録。序曲的なOcean Breakupに続く。

King, Pete(人名):Timeツアーにおいて、一時期(1982年2月14日-3月4日)Bev Bevanが腎結石(一説によると十二指腸潰瘍)のため、休まざるを得なくなった。このとき、サポーティングアクトを務めていたAfter The FireのドラマーであるPeteが代理でドラムを担当した。ブートレッグTwilightでは、BevのかわりにPeteが演奏しているむねの説明がなされているのを聞くことができる。彼はその後、BAP From Cologneというドイツのバンドに参加したが、まもなく精巣癌のため死亡した(1987年7月15日)。

King Pin(E/映画):ボウリングをテーマにした映画。ツアーをしつつ頂点にのし上がっていく映画らしい。ShowdownがBGMとして使用されているが、久保氏情報によると、重要な場面(試合のシーン)で使用されるわりには一風変わった使われ方らしい。ちなみにサントラも出ているが、Showdownは収録されていない。

Kingfish(グループ名):Out Of the BlueツアーでELOのオープニングアクトを務めたバンド。

Kramer, Jerry(人名):Out Of The Blueからのビデオクリップ(Turn To Stone、Sweet Talkin' Woman、Mr. Blue Sky、Wild West Hero)を監督。

Kuiama(E/曲名):E.L.O.2収録。単体としての長さはこれまで発表されている中で最も長い曲。一度クレッシェンドで曲が終わったようにした後で楽器構成を変えて再開するという手法は、Hello My Old Friendなどでも使用している。Jeff Lynneによると戦争で両親を殺された少女と、命令で彼女の親を殺してしまった兵士の歌だという。

Kuys, Peter(人名):1982年以降Kelly Groucuttのexecutive producerを務める。映画Summer Jobの製作に関わることになり、OrKestraに曲を依頼する。

L

Lady Madonna(R/曲名):Beatlesの曲。1983年にRoy Woodがテレビ番組Jim Davidson Specialに出演した際、Jim Davidsonがこの曲を歌い、Royはサックスを吹いた。

Laine, Denny(人名):本名Brian Hinds。1963年にBev BevanらとDenny Laine And The Diplomatsを結成。この頃、彼だけがバンド内で金髪でいたのだが、あるとき他のメンバーが全員ブロンドに染めてきたとき、「そんなことしたら観客が誰がDenny Laineかわからなくなってしまうじゃないか」とかんかんに怒ったらしい。(以下BevのELO Storyから。これによると少し事情が違う。彼らは結成していしばらくしてから全員ブロンドに染めていた。そしてメンバーが二人ずつ兄弟であるという設定にしていた。しかしDennyだけが目立つようにあるときから自分だけ黒く染めた。BevとPhil Ackrillは示し合わせて自分たちも黒く染めたところ、Dennyは激怒してひとりブロンドで残っていたSteve Hortonに「お前だけブロンドだったら観客はお前がDenny Laineだと思うじゃないか」と言った)。バンドは1964年にEMIと契約するところまでいったが、彼がMoody Blues結成のために脱退して以後、失速する。一方Moody BluesはGo Nowの大ヒットを飛ばす(1964年12月。Top Of The Popsに出演しているのをBevは寂しく聴いていたらしい)が、その後DennyはBallsを経てWingsでPaul McCartneyと合流する。なお、後に彼はI Wish It Could Be Christmas Everydayをカバーしたというつながりもある(コンピレーションRockin' Good Christmas収録)。

Land Of Dreams(その他/アルバム):Randy Newmanのアルバム。1988年10月発売。Jeff LynneがプロデュースするFalling In Loveを収める。その他にJeffはIt's Money That Mattersのコーラスにも参加している。

LAst Thing In My Mind(M/曲名)

Last Train To London(E/曲名):Discovery収録。邦題「ロンドン行き最終列車」。Shine A Little Loveと並び、ELOがレコーディングしたディスコソングの代表。この曲の聞き所は押し付けがましいくらいのファルセットコーラス。さらにエンディング近くでのBevの激しいドラム、バックグラウンドでさりげなく使われている"Last Train To London"という駅員(?)の声など。この曲はJeff Lynneに、Idle Race時代にAdvision Studioまで何度もBirmingham - Londonを往復したことを思い出させるらしい。Confusionとの両A面としてシングルカットされたが、チャート上では敗北。JeffはAfterglowの選曲にあたって、この曲をあえてはずした。なんとなくわかるようにも思うが、日本盤では収録されている。そう思っていたら、今度はFlashbackではしっかり収録された。よくわからん。

Laura(人名):Jeff Lynneの長女。母親はSandi。JeffがDiscoveryでツアーを行わず、Bev Bevanがプロモーションで各国を巡るにとどまったのは、Jeffが子供と一緒にいる時間を作りたかったからだともいう。でもって、新譜Zoomにはなんと彼女がバックコーラスで参加。親子二代でELOのアルバムに参加した人は初めてだろう(あ、Don ArdenとDavid Ardenがいるか)。

Lawrence, Chris(人名):1993年、Don Ardenのもとを離れたELO part 2が契約したプロモーター。UK、ドイツ、デンマーク、USA、ラトビア、エストニア、ポーランドのツアーを企画する。

Leahy, Brian(人名):Richard Tandyの旧友で、Tandy & MorganがEarth Riseを録音する際の資金提供を行う。

Lee Longlands(その他):Bev BevanがDiplommats解散後Vikings加入までの間働いていたBroad Streetの家具店。

Lemon Tree(グループ名):詳細不明なのでご存知の方は教えて下さい。1968年にAce KeffordとTrevor BurtonのプロデュースでシングルWilliam Chalker's Time Machineをリリースしています。メンバーはDerek Arnold(ベース)、Mike Hopkins(ギター)、Keith Smart(ドラム)、Mick Taylor(ボーカル)、Gary Wortley(オルガン)だったようで、Mikeは後にIdle Race、Keithは後にUgly'sに参加。

Lennon, John(人名):Fab4のひとり。Beatlesを語るとき、必ず出てくるのはJohnとPaul McCartneyの対比であろうが、Johnと類似した個性を持った人間を探すのは極めて困難なことだと思う。Paulはただの大天才(これはほめ言葉です)だろうが、Johnについては天才とかそういう言葉で語れる問題ではない。芸術家であり、哲学者であり、道化であり、と言葉を並べてもしょうがないのだが。彼の最大の功績といえば、Paulを善導したことではないだろうか。イージーリスニングなどへの転用など見てわかるように、メロディだけとってみればPaulの作品の方がJohnの作品より受け入れやすいものが多いことは間違いないだろう。しかし、身近にJohnという教師ないしはライバルがいることで、Paulは天才から大天才になれたのだと思う。別にここはBeatlesを語る場ではないのだから、こんな話を長くしても無意味だが、要するにJohn-Paulという構図をRoy Wood-Jeff Lynneに持ち込むことはかえって視野を狭めてしまうことになりかねない。確かにJeffをBeatlesにあてはめるとPaulにあたるのだろうが、ではそのパートナーはどうかというと、RoyもやはりPaulになるだろう。破天荒な芸術家としてはRoyはJohn的な面を持っている。それはJeffよりは確実だ。しかし、結局はRoyもentertainerであり、彼が同じようなステイタスを獲得したとしても、メッセージを語ったりはせず、やはり音楽家であり続けただろう。なにを言いたいかといえば、RoyにせよJeffにせよ、Johnに相当する触媒があれば、今以上の姿を見せてくれたのではないかと思うわけだ。私は、RoyがELOに居続ければBeatlesに比肩できる存在になったとは思わない。それは素晴らしい夢ではあるだろうが。また、Anthology以降はBeatlesの再結成はありえない。Jeffを加えての新曲作成もまた夢であるが、それは別の名前のもとでやって欲しい。できればMcCartney, Harrison, Starkey, and Lynneという名前がいいな。あるいは、このラインナップは1曲だけでいい。あとはRoyでもいい、Elton JohnでもElvis CostelloでもEric ClaptonでもNeil InnesでもとにかくBeatleをs「愛する」ことができるミュージシャンを一人ずつ呼んで、全力投球の曲を1曲ずつ作ってアルバムにして欲しいと思うわけだ。全然A-Zになってませんが。(しかしこの夢はGeorge逝去にともない、本当に夢になってしまった)

Let It Run(J/曲名):サウンドトラック、Electric Dreams収録。曲としてはエレポップになるのだろうか。悪い曲だとは思わないが、いかに「好きにしてよいソロの曲」ではあるにせよ、Electric Dreamsという映画なんだからelectricにしてくれという注文がついたにせよ、ちょっとここまでやるのはJeff Lynneにゃ似合わないな、という気もする。映画では、主人公に放っておかれたコンピュータのEdgarが、はらいせに部屋で電化製品を踊り狂わせて「パーティ」をやるシーンで使われているが、最後に怒った隣人から「うるさい!」と一喝されてしまうのがなんだか悲しい。

Let It Shine(J/曲名):Brian WilsonがBeach Boys脱退後に発表したソロアルバム、Brian Wilsonの中に収められている。BrianとJeff Lynneの共作でプロデュースもJeff。曲の主要な部分は既にJeffが作っており、コーラスなどをBrianが追加したという。きっかけを作ったのはWarner Brothersで、Lenny Waronkerの紹介でJeffはMalibuにあったBrianの家に出向いた。Jeffの言葉によると、「まるでブラシのセールスマンのようにギターを担いで彼の家に行ったら、『すぐこの曲を作ろう』と言われて作業をした。非常に奇妙な体験だったが、間もなくよく理解しあえるようになった」とのこと。録音には10日を要し、Brianのピアノ以外の楽器は全てJeffによる。ハーモニーはほとんどBrianが行った。私にとってはJeffの数多いプロデュース作品中でもベストに近い作品だと思う。もう少しこの二人のコラボレーションを聴いてみたい気もする。

Let The Kids Do It(その他/曲名):1984年、ELOを脱退したKelly Groucuttが子供番組The Mini Popsに依頼されて作ったテーマ曲。しかしプロデューサーのMike Mansfieldが発売直前にテーマ曲の使用を取りやめたため、シングル1箱を除いて破棄処分となった。

Let There Be Drums(その他/曲名):1976年5月に発表されたBev Bevan唯一のソロシングル(Jet JET 777 c/w Heavy Head)。Jeff Lynneほか主要3人の協力を得ている。Bevによると、「半ダースしか売れなかった」。カバーだと言いますが、原曲は誰でしょうか。プロデュースはJeff。

Let's Dance(J/曲名):1989年のDel ShannonのシングルWalk AwayのB面として発表された。この時のバージョンにはJeffは関与していないが、後にアルバムRock Onを作る際、再編集を施し、Jeffのプロデュースでアルバムバージョンが作られた。

Let's Party(R/曲名):1989年にリリースされたJive Bunny And The Mastermixersのシングル。WizzardのI Wish It Could Be Christmas Everydayをメドレーの中に使用した。しかし、EMIがマスターテープの提供を拒否したため、Royはオリジナルの代わりにリミックスを提供すると約束した。これによってRoyはオリジナルのトラックの上にキーボードと新録のリードボーカルを付け加えた。またRoyは自らのパートが終わった少し後でも声を出しているという。他にメドレーで使われた曲はSladeのMerry Christmas EverydayやGary GlitterのAnother Rock'n' Roll Christmasなど。この曲はUK1位のヒットとなり、Royの4曲目(現時点で最後)のNo. 1ソングとなった。B面はAuld Lang Syneだが、Royは参加していない。今まで私が確認したかぎりではアルバムには収録されていないようだ。含まれているのを知っている人は教えて下さい。

Letter From Spain(E/曲名):Secret Messages収録。邦題「スペイン通信」。全ての楽器はJeff Lynneひとりによってなされた。

Lewis, Tony(人名):Bev Bevanの学校時代の友人。初めてバンドを組んだとき、日本製のギターを持っていたのでリードギターを担当した。

Lift Me Up(J/曲名):Armchair Theatre収録。2ndシングルとしてカットされた。ゆったりとしたテンポの曲であるが、このアルバムに収められたポップ系の曲の中では一番のできだと思う。のち、Tom JonesがアルバムThe Lead And How To Swing Itでカバーした際にはJeffが自らプロデュースをしたほか、Jim Hornがサックスで参加した以外全ての楽器を演奏した。曲名が思い出せないのだが、Matthew SweetのBlue Sky On Marsにはこの曲を意識したであろう曲あり。

Light At The End Of The Road(I/編集盤):1990年発売のIdle Raceベスト盤。タイトルの由来はEnd Of The Roadである。

Light Shines On(E/編集盤):EMIが保有している音源を様々な組み合わせでコンピレーションアルバムが発売されたが、その中の一枚。CD化もされている。CBS Sonyが全カタログをCD化するまでは、こういう形で曲を集めるしかなかったのだが、不思議なことにこの手の編集盤に収められているRoll Over Beethovenは殆どがシングルバージョンで、フルレングスで聞きたい身としては何度も悔しい思いをさせられた。ただ、In Old England Townのインストルメンタルを収録している点は評価できる。今ではEarly ELOで事足りるのだが。

Light Years(E/編集盤):1998年、ELOレコードデビュー25周年企画の一環として発売された2枚組み。コンセプトはイギリスで発売されたコンプリートシングル集である。結局このようなコンピレーションを組むうえでは選曲などに問題が生じるのは明白なので、シングル曲網羅という形で割り切ってしまったのには好感が持てる。おかげでRoll Over Beethovenはぶつ切りにされたバージョンとなってしまったが、そのかわりにMa-ma-ma Belleのシングルバージョンが聞ける。残念なことに、Secret Messagesのシングルは、マスターが見つからなかったためにアルバムからのエディットになっている。

Lightning Never Strikes Twice(M/曲名):Rick Priceの作品。シングルBrontosaurusのB面だが、Carl Wayne在籍時に録音され、ボーカルはRickとCarl。

Lights(団体名):Steve Lifkin主宰のアメリカにおけるファングループ。LIGHT FESTAなるミーティングを定期的に行っているようだ。

Lights Go Down(E/曲名):Time収録。無難に仕上がった小品ではあるが、こういう作品すらただのfillerになっていないところがJeffのいいところ。聞き直すにつれて味が出てくる。

Lights Shines In Buenos Aires, The(E-II/ブートレッグ):1999年にアルゼンチンで製作されたELO part 2のライブCD-R。公演は1994年及び1996年のものらしいが、確認が必要。ジャケットはBev Bevanの写真。いわゆるブート屋が作ったものではなく、ファンが作ったもの。そのため編集は粗い。残念なのはLouis Clarkが自らのコンサートのために参加できず、かわりにDon Aireyがオーケストラキーボードを担当していること。客席どりで、マイクの隣にいる人間が音程を外しており、ちょっと興ざめ。面白いのはWhiskey GirlsをBuenos Aires Girlsと歌詞を変えて歌っているあたり。

Lily's In The Field(R/その他):1995年11月にAnnie HaslamがNew YorkのIrving Theaterで催したボスニア・ヘルツェゴビナ孤児への慈善コンサート。Cheap TrickのセットにRoy Woodが参加してBrontosaurus / California Man / Blackberry Way / I Wish It Could Be Christmas Everyday / Fire Brigade、Ball Park Incidentを演奏した。これは1979年以来のRoyの海外コンサートであった。

Littbarski, Pierre(人名):ドイツのサッカー選手。1993年5月4日にELO part 2をケルンのS. A. S. Royal Hotelでショーを行えるように招待する。この夜、彼はステージに飛び入りしてRoll Over Beethovenを歌った。

Little And Large Show(R/その他):テレビ番組らしい。1982年にRoy Woodがゲスト出演し、Roy、Little、Jon Camp、LargeでAre You Ready To Rockを演奏した。

Little Feat(グループ名):ELOのUSツアーでサポートを務めたバンド(Face The Musicツアーだという)。ELO側が彼らの出番の時にPAの出力をわざと落としたとクレームを付けた。

Little Town Flirt(E/曲名):2001年発売のリマスター盤Discoveryに収録。Del Shannonのカバーであるが、Traveling WilburysでRunawayをカバーしたときと同様、Jeff LynneはDelをカバーするときはオリジナルに極めて近いスタイルで演奏する。女声コーラスはRosie Velaだという意見もあるが真偽は不明。そもそも、Discoveryのボーナストラックとなっているこの曲が、本当に1979年頃に録音されたのかどうかは甚だ不明。

Live At The Adam & Eve(その他/アルバム):Trevor Burton Band(Richard Tandy参加)の1995年6月Adam & Eveにおけるライブを収めたカセット(RTTB1C)で、ライブ会場でのみ販売された。曲目はHit The Road Again、Call Me The Breeze、Full Moon On Main Street、Lean On Me、Werewolves Of London、Runnin' Out Of Time、Buffalo River Home、Sugar Mama、Does Your Momma Like To Reggae。

Live At Wembley(E/ビデオ、ライブアルバム):Out Of The Blueツアーのうち、ロンドンのWembley Arenaで行われたRoyal Gala Performanceを収めたビデオ及び、ビデオ音源から落としたライブCD。ビデオの監督はMike Mansfield。「動くELO」を充分堪能できるのは有り難いが、このツアーの問題点であるテープバッキングが目立つので、音として楽しむにはつらいものがある。前半は適当に飛ばして終盤のロックンロール連発のへんを楽しむのが良いかも知れない。テープバッキングはStanding In The Rain、Turn To Stone、Mr. Blue Sky、Sweet Talkin' Womanでストリングス、コーラス、ピアノ、バックボーカル、コ・リードボーカル、ギター、シンセサイザーなど12分にわたった。また、Night In The CityとRoll Over Beethovenのイントロにも使用。実際にはテレビ放送にあたってさらにオーバーダブが行われているので、ステージよりもさらにテープ使用が目立つ構成になっているのも問題。なお、3人分のボーカルが聞こえるのは、Jeff Lynne、Kelly Groucutt以外にJake Commanderがステージ外から歌っているせいなので、ボーカルにテープを使っているわけではない。私の意見だが、テープを使用せざるを得なかったのは当時の風潮からすればしょうがなかったかも知れない。でも、せめてミックスを変えるとかして、アルバムとは音ががらりと違っていたなら、もっと印象はよかったのではないだろうか。コンサートを観ることのできた人の話では、ライブは素晴らしいものであったという。だから、テープバッキングが気になるのはビデオやCDでしか聴くことができないファンの不幸なのかも知れないが。有名な宇宙船は幅60フィート、重さ50トンで、製作費250,000ポンドといわれる。組み立てには3日間を要したため、宇宙船を使ったステージ(A-show)と使わないステージ(B-show)が同じ都市で混在することもあった。この宇宙船はときに故障し、せりが動かないためにメンバーがステージまでよじ登ったこともある。また、これはロサンゼルスでの話だが、空を飛ぶ気球に緑のレーザー光線が集中したため、「緑色のUFOを見た」という500本以上の通報があったともいう。メンバーの衣装は今から見れば恥ずかしいものがあるが、Richard Tandyは白いひだの多い衣装が妙に似合って見える。画像は変化を持たせるためか効果を加えてある部分が多く、しょうがないのだろうがファンにとっては興ざめ。一番楽しめるのはやっぱりRoll Over Beethovenで、Melvyn GaleがRichardと背中合わせでキーボードを弾いたり、Hugh McDowellが一瞬マイクに叫んだりするところなど。CDは前述のごとくビデオから落としたもので、ビデオがモノラルなのでこっちもモノラル。画像がないだけに余計につらい。ほぼ同時期にリリースされたLive At Winterlandを聴くのが正解? 1999年にビデオ及びDVDで再発。Discoveryのプロモーションクリップが追加収録された。2003年には日本盤DVDも発売され(残念なことにDiscoveryは別ディスクになってしまった)、この製品には私が作ったMove/ELOのファミリーツリーが付属しているので、よろしければ御覧になって下さい。

Live At Winterland(E/ライブアルバム):EldoradoツアーにおいてXXXXX公演の模様を収めたライブアルバム。この公演の模様は既にThe Night Went On Againというブートで聴くことができたが、ようやく公式盤として発売された。

Live In Concert With The Moscow Symphony Orchestra(E-II/ビデオ):1991年5月28日のBirminghamでのショーの模様を収めたビデオ。観客席の盛り上がりが伝わってくる点では好感が持てるが、数曲がカットされており、その中にはBack In The USSRも含まれている。

Live In London(その他/アルバム):Helen Reddyの197X年のライブアルバム。CD化もされたので入手は容易になっていると思われる。HelenはこのライブでJeff Lynne作曲のPoor Little Foolを歌った。アルバムバージョンにかなり沿ったアレンジになっている。曲の前のトークでもJeffについて言及している。

Live In The Mountains(その他/曲名):もともとBallsがFight For My Countryとして録音、シングルリリースした曲をリミックス・改題してBurton Laine And Gibbons名義でリリースしたシングル曲(データはBalls参照)。

Live In Your Living Room(その他/アルバム):Parthenon HuxleyがP. Hux名義で2001(?)年に発表したライブアルバム。カタログ番号は「ない」。2000年10月13日、Jay Gilbertの家の居間でライブ録音された。Parthenon自身とGordon Townsend、Rusty Andersonが参加しているのは確実だが、他の演奏者については未確認。Parthenonのプロデュース。曲目はBuddha, Buddha、Bazooka Joe、Simple Things、Rubble、Belief、California、Every Minute、Jewel & Johnny、Stay Where You Are、Double Our Numbers、Junkies、Red Eyeliner、My Sweet Nothing、Happy Heavy Metal Boy、Shoebox、Nowehersville、Chance To Be Loved、Can't Wait To See You、Come Clean、Yet To Say、Playing Her Guitar。興味深いのは、The Orchestraで発表されることになるJewel & JohnnyとCan't Wait To See Youを披露していることだろう。

Livin' Thing(E/曲名):A New World Record収録。邦題「オーロラの救世主」。この邦題はなんだか無理やりつけたみたいであまり好きではないが、「リビン・シング」とされても困っただろうから、しょうがないところか。シングルカットされる。ストリングスのピチカートでリズムを刻み、テンポはどちらかといえばゆっくり目。Kellyのコーラスも効果的に入り、ちょっと狙いすぎの感もあるが、左右のチャンネルを使ったイフェクトでも遊んでいる。初期の歌詞はスペインの休日を扱ったものであるという。映画、Boogie Nightsに使われ、サントラにも収められている。

Lizard Love(J/曲名):1994年にJeff LynneがAerosmithのプロデュースを行った中の1曲と言われている。未リリースであったが、2003年に発売された映画Rugrats Go Wildのサウンドトラックに同名の曲が収められた。作曲にはJeffの名前が共作者(Tyler/Perr/Lynne)としてクレジットされている。ただ、Steve Tylerのインタビューによると映画の話が来たので1993(とのことです)年に作りかけた曲を書き換えて完成させたということであり、サウンド的にもプロデュースにJeffが参加している可能性は少ないのではないだろうか(この曲そのものに対するプロデュースクレジットは記載されていない)。

Loads(その他):Bev Bevanがタバコの中に仕込んだ火薬(?)。当時ELOのメンバーの中で非喫煙者はBev、Mik Kaminski、Melvyn Galeであり、Bevはメンバーの健康のために禁煙を呼びかけていた。しかし、タバコをcancer stickと呼んだりするだけでは効果がないので、Jeff Lynneのタバコにloadsをしかけ、案の定Jeffはテーブルのロウソクで火をつけようとしたところ爆発してしまった。しかしそんな努力にもかかわらず、ツアーが終わるころにはMelvynがスモーカーに宗旨替えしてしまったという。

Lockwood, Neil(人名):1958年2月23日生。ウェールズ出身。1979年に最初のグループElement 98に属し、1983年にはソロシングルTell Tale Heartをリリース。1986年以降、Box Of Frogs、Peter Bardens、Jeff Glixman、Jagged Edge、Elaine Paige、Mica Parisとセッションを行う。80年代に元10ccのDuncan Mackayとソロアルバムを作成するがリリースはされていない。またAnnie HaslamのLet It Be Me(unreleasedかも知れません)を作曲した。1990年にELO Part 2に参加したが、既にアルバムはほとんど完成しており、ボーカルで一部に加わるにとどまる。ステージではセカンドギターとEric Troyerがフロントにでたときのピアノを担当した。1992年に脱退し、しばらくパブでピアノを弾いていた。Louis ClarkがRoyal Philharmonic Orchestraとのコンサートで不在の際、ステージで一時的にストリングスシンセを受け持ったこともある。その後ドイツ人アーティストなどに曲を提供するなどの後、Alan ParsonsのOn Air、Time Machineに参加、ツアーメンバーにも含まれ来日も果たす。妻はSarah。Bevの新バンドに参加するという噂が流れたが、その後続報がない。

Locomotive(R/曲名):ソロアルバムBouldersのB面に収められたメドレーの1曲。WizzardのEddy And The Falconsツアーではフルレングスでプレイされた。

London Marathon(その他):Carl Wayneが過去に22回(?)走っているマラソンレース。

London Sessions(R/アルバム):Bo Diddleyの1973年のアルバム。Roy Woodがベース、Keith Smartがドラム、Charlie Grimaがコンガで一部の曲に参加している。

Long Black Road(E/曲名):アルバムZoom日本盤のボーナストラックとして収録された。ELOの曲としては全くnovelな曲がこのような形でリリースされることはなかったため、日本盤には海外からも相当な注文が寄せられた。曲としてはQueenのWe Will Rock Youに似ているという意見がある。

Look Thru' The Eyes Of A Fool(R/曲名):Roy WoodのソロアルバムMustardに収録された曲。多重コーラスが印象的な曲でシングルカットもされた正統派ポップチューン。B面はStrider。

Looking On(M/アルバム):1970年10月発表のMoveのサードアルバム。メンバーはRoy Wood、Bev Bevan、Rick Priceと新規加入のJeff Lynne。ジャケットは2種類あり、はげ頭の男性を上から見下ろしたデザインと、4人のメンバーの写真を配したデザイン(Jeffはドラムを演奏している)。これまでそれぞれ2枚の優れたポップアルバムを作ってきたRoyとJeffが合流したことにより、いかなるスーパーポップが繰り広げられるかと思いきや、Royが実験的な音楽へと舵をきったのがはっきりとあらわれている。曲の構成も複雑化しているし、いわゆるポップソングの物差しでははかりえないものになっている。Brontosaurusをシングルカットした。

Lord, Cary(人名):Roy Wood Big Bandの女性ベーシスト。Phil Treeに代わって参加。
Los Angeles Rams(その他):199X年までLos Angelesに本拠を置いていたフットボールチーム。チアリーダーがELOのAnaheimでのコンサートの前座で登場。ちなみにAnaheim StudiumはRamsのホームフィールド。現在はSt. Louisに本拠を移してしまっており、2000年1月にはSuper Bowlを制した。

Loser Gone Wild(E/曲名):Secret Messages収録。邦題「落日の王国」。ブラス(これはシンセサイザー?)が印象的な悲しげな曲。Secret Messagesの曲では、この曲といい、Trains Of Goldといい、これまでのELOらしくない曲が散見される。歌詞の中に"I don't care if violins don't play"と歌われているのも悲しい。

Lost Planet, The(E/その他):ELOがセカンドアルバム用に計画していたコンセプト名。このアイデアは早期に放棄され、ライブ感覚たっぷりのE.L.O.2がレコーディングされることになるが、このコンセプト名称はその後、E.L.O.2がリマスター発売された際のボーナスディスクのタイトルとして復活する。

Love Is A Strange Animal(R/曲名):Roy Wood Bandが1993年ごろに構想していたアルバムに予定されていた曲。当時Belinda Carlile(Unexpected MessagesにはCarlisleとありますが、もとGo-Go'sのBelindaのことでしょうか)がLove Is A Big Scary Animalという曲を出したことにふれて、「本当に困ったものだ。彼女の曲は屑でひどいものだし、自分のはずっといいのに」と述べたらしい。

Love Jobs(R/曲名):1980年にRoy WoodがプロデュースしたParanoidsのシングル。Royはサックスとバックコーラスでも参加している。B面曲Theme From Gravity RainbowもRoyのプロデュース。(曲名はThe Love Jobかも知れない)

Lunchtime With Wogan(その他):1972年に Terry Woganがホストを務めていたテレビ番組で、Carl Wayneがレギュラー出演していた。Carlの初めてのレギュラー番組だそうだ。

Lynne, Jeff(人名):この稿を読んでおられる人には説明不要かも知れないが。1947年12月30日生。本名Jeffrey Lynne。青少年時はBirminghamのShard Endで育つ。父Phil、母親はNancy。大のBeatles freakとして知られるが、この他にもRoy OrbisonやDel Shannonなど、後に彼がプロデュースすることになるアーティストの信奉者であることに加え、Armchair Theatreで垣間見られるように、スタンダード、ロカビリー、ロックンロールなどもベースに持っているようだ。小学生の時にAlderia Boys School Choirに加わるが、ここでは音楽に興味を示さず、13歳でDel Shannonのコンサートに行ってから人生が変わった。弦が1本しかないプラスチックのギターで練習を積んだ彼に、両親はスパニッシュギターを買い与えた。彼は家の玄関を占拠して「電子の要塞」を構築したが、学業には不熱心になり、結局セールスマンなどの仕事につくようになる。彼が最初のギグを行ったのは、1963年でShard EndのCommunity Centreでのことだった。当時イギリスをツアー中だったノルウェーのThe WizardsというバンドがJeffのペンによるI Need Your Loveを録音し、シングルVery Last DayのB面として発表した(1966年)らしいが、詳細は不明。さて、1966年「若くてきれるギタリスト募集」に応じてNightridersに参加後、急速に頭角を現し、まもなくバンドの主導権を握る。その才能はIdle Raceの同名のセカンドアルバムで既にプロデュースを任されていることでもわかる。この時代はサイケデリックな要素を多く含む「ストレンジポップ」を展開していたが、このまま彼らがブレイクしていたら、今ごろのXTCは「第二のIdle Race」と呼ばれていたかも知れない? しかし残念なことに商業的には恵まれず、Roy Woodの最初の誘いは断ったものの、二度目の誘いに応じてMoveに加わり、3rdアルバムLooking On以降でプレイしている。驚きなのは、Idle Race(アルバム)とLooking Onは、Jeffにとっては連続するアルバムのはずなのに、自作曲の曲調・アレンジが大きく異なることで、Royという極めて強い個性に影響を受けた姿を感じさせる。次作Message From The Countryではアルバム全体の方向性もありややポップに回帰が見られ、続くELOのファーストアルバムではアレンジ上Royのカラーが濃いものの、Jeff本来のメロディを展開している。以後、数枚のアルバムを経てサウンドスタイルの確立を得たJeffには、商業的な成功を目指す道があり、結果としてELOはチャート上での活躍とレコードセールスを得た。この辺が、全英No. 1ヒットを連発しておきながら同一趣向にこだわらず、結果としてメインストリームから外れてしまったRoyとは対照的ではある。しかし結局は70年代の成功を80年代に持ち越すことができなかったELOは失速し、契約を満たすための(にしては贅沢な作品ではあるが)アルバムを作成後、自然消滅の形をとることになる。しかしこれによってJeffにはソロアーティストとしての道とともにプロデューサーとしての道が残された。かつて村上太一氏が、「今後Jeffは西鉄ライオンズの中西のような、プレイングマネージャーを目指すのではないか」と述べておられたが、今にして思えばこれこそ正鵠を射ていたといえる。そして2001年、満を持してELO名義の新譜Zoomを発表、私生活でもパートナーとしてのRosie Velaを得て、これからどのような方向に向かうかが興味深い。

M

Mack(人名):本名Reinhold Mack。Musicland Studioのエンジニア。ELO以外にQueenなども手がける。彼のweb pageでは、Balance Of Powerをプロデュースしたと書かれているが、これは大嘘。ただ、Phil SpectorがLet It Beをプロデュースしたのなら、彼のやった仕事が「プロデュース」に相当するかどうかは受け止める人間によるだろう。

Mackie, Pete(人名):Roy Wood's Wizzo Band末期のドラマー。以前にFableでPaul Robbinsと一緒だった。その後Rock Brigadeにも参加。

Magic Christians(グループ名):Come And Get It参照。

Magnum(グループ名):Birminghamのバンドで、1972年におけるメンバーはBob Catley(ボーカル)、Tony Clarkin(ギター)、Richard Bailey(キーボード)、Kex Gorin(ドラム)、Dave Morgan(ベース、バックボーカル)。1975年のシングルSweets For My Sweets (c/w Moving On)がある。A面はDaveのリードボーカルだが、作曲は別人? Carl Wayne And The MagnumはDaveが脱けてからのバンドがCarlをバッキングしたワンオフのユニットだったらしい。さらに、HelicoptersにいたRobin Georgeもその後短期間このバンドに在籍したという。

Main Street(R/アルバム):1976年に録音されながら発売されずにいたWizzardのサードアルバムで、これまでWizzoという名前で知られていたが、2000年のEdselからのリリースにあたりMain Streetとして発売された。当時Wizzardは事実上解散状態にあり、録音は殆どRoy一人でなされ、Wizzardのメンバー数人が手助けするに留まった。

Make Them Understand(R/曲名):Roy WoodがMike Sheridan's Lot時代に書いた曲。Take My HandのB面として発表された。

Malcolm Stents Brummie Christmas(R/その他):1990年末にBirmingham Town Hallで開かれたクリスマスチャリティコンサート。Roy WoodはTerry Bean(サックス)とThe Poor Boysのメンバー(Phil Tree、Mike Lavender、Roger Bromley、David Griffith)をバックに登場し、California Man、Flowers In The Rain、I Wish It Could Be Christmas Everydayを演奏、またコンサートの最後に全員でFirst Noelを歌った。収益の一部はルーマニア孤児に寄付された。

Malibu Studio(J/その他):Bob Dylanが自らのガレージに作ったスタジオで、Handle With Careが録音された。

Ma-ma-ma Belle(E/曲名):On The Third Day収録。邦題「いとしのベル」。ハードなギターリフと、これに張り合うチェロが特徴的。ギターはJeff LynneとMarc Bolanが弾いている。シングルカット(c/w Oh No Not Susan、US盤のみDaybreaker)されたが、シングルバージョンでは中盤に効果音(rising cello)が入っている。これはLight Yearsで聞くことができる。UKで22位のヒットになるが、USではB面のDaybreakerが流されることが多く、チャートインしなかった。

Mama(E/曲名):ELO2収録。Harvest盤ではMomma、UA盤ではMamaとタイトルが違っているようだ。どっちが正しいかとなるとそれは問題なのだろうが、私はずっとMamaで覚えているので。Jeff Lynneのコメントによると「孤独な若い女性の悲しいお話」。最近になって様々なバージョンが公開されている。Flashback収録のショートバージョン(インストルメンタルパートを短縮して、メロディがより端的に伝わるようにはなっているが、私としては長いインストルメンタルを含んでこそのMamaだと思っているので、アルバムバージョンの方が好み)、The First Light収録のBBCセッションバージョン(タイトルはMomma)、さらに1973年2月にCarl Wayneをボーカルに録音された未発表のTake 2バージョン。

Mambo(E/曲名):リマスター盤ELO2にボーナストラックとして収録。Marc Bolanがゲスト参加したElizabeth Lister Observatory Sessionsの一曲で、On The Third Day収録のDreaming Of 4000のアーリーバージョンである。

Manchester University(その他):1970年1月、Jeff Lynneが参加した最後のIdle Raceのライブが催された。

Manhattan Ramble (49th Street Massacre)(E/曲名):Electric Light Orchestra収録。ピアノを基調にしたインストルメンタル。イントロでガラスの割れる音がするが、「ガラスのニューヨーク」ではない。でも、その割にはManhattanだが...... なお、ワーキングタイトルはManhattan Concertoだった。

Mann, Marc(人名):Jeff Lynneの友人で、Anthologyプロジェクトの際に、John Lennonのボーカルトラックからノイズを取り除く作業に協力した。この頃のエピソードからすれば、理系の純粋なエンジニアであるのかと思っていたのだが、Flashbackで発表された曲の一部でギターやキーボードを弾いていたりしており、さらにZoom Tourではギターを担当している。

Marathon Man(R/曲名):WizzardのシングルAre You Ready To RockのB面。作曲はKeith SmartとMichael Tyler。

Marquee Club(その他):1966年、The WhoのあとをうけてMoveがレギュラー出演したロンドンのクラブ。Moveは木曜日のレギュラーだった。ステージがワイルドであることをアピールするため、Tony Secundaは前の通りに消防車を待機させたこともある。

Martin, George(人名):Beatlesのプロデューサーとして非常に有名な人物。Anthologyプロジェクトでは、過去の音源のプロデュースは引き続いて担当したが、新曲Free As A Bird、Real Loveのプロデュースは聴力が衰えていることを理由に辞退し、Jeff Lynneの手に委ねられることになった。また、ELOがELO2を録音したのは彼が所有していたAir Studioであり、ちょうどその頃Paul McCartneyがLive And Let Dieを録音していた。Georgeはこの曲のプロデュースの傍らELOのレコーディングも覗くことがあったらしく、Roll Over Beethoven(この曲はGeorgeのプロデュースでBeatlesもカバーしている)を聴いてうなずいて帰っていったらしい。

Marvin, Hank(人名):Ace Kefford脱退後のMoveに、(話題作りのために)加入を誘われたが断った。

Masters, Greg(人名):1945年1月1日生。

Matthiesen, Mette(人名):Miss B HavenのドラマーでJeff LynneのArmchair Theatreに参加した。Jeffは彼女を評して「まるでRingoのように叩くんだ、凄いよ」と話した。

Macine Nightingale(グループ名?):Wilf GibsonとMichael De Albuquerque参加。Michaelがベースを弾いていることを、Wilfはしばらく知らなかったらしい。

Maybe God's Got Something Up His Sleeve(その他/曲名):Carl WayneがThe Move脱退後、1970(?)年に発表したシングル。Don BlackとDennis Kingが手伝っている。この曲はCarl自身も失敗作だと認めており、彼の友人であるAnnie NightingaleはRadio 1の番組で「Carlは冗談でこの曲を作った」と紹介したほどだった。

McCartney, Paul(人名):Fab 4の一人。AnthologyプロジェクトにJeff Lynneを招くことに抵抗を示したというが、結果的にはJeffの仕事を認め、さらには自らのアルバムFlaming Pieの共同プロデュースを依頼する。2000年発表のカバーソングMaybe BabyもJeffのプロデュース。なお、Denny Laine And The DiplomatsがBeatlesの前座を勤めた際、Bev Bevanに「素晴らしいドラムソロだった。うちのドラマーは君の5/4の時間をかけても同じようにはできないよ」と励ましの声をかけた。Bevは感激して半年間幸せだったという。

McDonald's(その他):世界的に有名なハンバーガーチェーン店。2003年アメリカでオンエアされたCMソングをCarl Wayneが歌っていた。

McDowell, Hugh(人名):ELO、Wizzardのチェロ奏者。1953年7月31日生。Wilf Gibsonの紹介で1971年、ELOのファーストアルバム発売後のツアーメンバーとして参加した。4歳半でチェロを始め、10歳でYehudi Menhuin School Of Musicのスカラシップを獲得した。Wilfにリクルートされたときは18歳で、教師にfuck offと言ったり注目を集める行動(14歳の時に12歳のバレリーナとベッドに入っているところをつかまった)が原因で音楽学校を退学になっていた。その後Royが脱退したときにBill Huntと一緒にWizzard結成に加わった。当初WizzardではチェロとMoogを担当していたが、次第にキーボードばかりやらされるようになったためOn The Third Day(実際にはUA盤の写真セッション)からはELOに復帰し、以後Out Of The Blueまでストリングスパートのベースを支えた。彼の復帰に関してはColin Walkerが脱退し、USツアーのためにチェロ奏者が必要になった故の緊急措置だったが、長くは居着かないだろうと思われたが、結局長期在籍することとなったようだ。ステージではThe Fly Of Bumble Beeでソロを披露した。Out Of The Blueツアーでは反射性の衣装と鏡をはったチェロを使用し、ソロパートではレーザー光線が彼に集中したため、人間ミラーボールと化していたという。在籍中のセッションとしては、David Carradineの1975年アルバムGrasshopperへの参加、Melvyn Galeと共にKiki Deeの1977年アルバムKiki Deeへの参加などがある。また、Rainbowの録音にも参加したらしいが、アルバムへのクレジットはなされていない。彼は正式にELOを解雇されたわけではないが、Jeff Lynneが彼を必要としなくなったため、1979年のDiscoveryビデオクリップ以降は姿を消す。1980年、同僚Melvynが結成したWilson Gale & Co.のGift Wrappedにゲスト参加。その後音楽学校でのパート教師、再結成されたRadio Starsへの参加、室内楽グループQuorumへの加入などを経て現在に至っている。その他、ELO part IIの最初のUKツアーに参加後脱退、Orkestraにもゲスト参加した。最近ではBoo Radleysのボーカル、サイス(スペルわからない)のプロジェクト、Eggmanでチェロを弾いたりしていたらしい。Wizzard時代にはBend Over Beethovenを作曲している。また、コンピュータプログラミングにも興味があるようで、1992年にはFractal Music Composerほか4つからなるプログラムを発表している。一方彼はパイロットのライセンスを持っているが、一時ELOがツアーに専用機をチャーターした際、操縦をかわれとパイロットに言うため、メンバーから恐れられたという。また、起きるのが苦手で遅く帰ってくるとホテルのドアを壊して中に入ったらしい。このため、Bev Bevanは彼の隣りにならないようにしていた。

McGregor, Mary(人名):Torn Between Two Loversのヒットを持つ少女歌手。ELOがホストしたMidnight Specialにゲストで招かれた。

Me And You(R, J/曲名):1989年にRoy WoodがJeff Lynneにプロデュースを依頼して録音した曲。今のところ未発表。どこにどんな問題があるのか知らないが、さっさと発表してほしいものだ。不測の事態が起こって、ドラムにBev Bevan、ベースにRick Priceの演奏をかぶせてMove再結成なんていう冗談みたいな形だけは決してとってほしくない。---というものを書いていたらJim HobanのサイトでのMP3ファイルや、ブートレッグInto The Lightが出て、聴くことができるようになった。Move再現というよりはRoyのソロキャリアの延長線上にある曲だろう。Starting Up収録の曲が印象としては近いかも知れない。あまり手の込んだ録音ではなさそうなので、リリースされるまでにはさらに編集を加えなければいけないようにも思う。私の好みではfirst verseは今のままでいいからsecond verseはストリングス(できればLouis Clarkの。なんだか思い浮かべられそうなんですよ)、third verseはサックスを加えてほしい。録音はJeffの家でなされたらしい。

Melvyn Gale Arm(E/その他):Melvyn Galeが女性に話しかけるときの武器。すぐに肩に手を回したらしい。

Message From The Country(M/アルバム):4枚目でラストアルバムで、Bev BevanによるとMoveのベスト作品。このほかにSplit Ends、Shines On、California Manと題され、シングル曲であるChinatown、Tonight、California Man、Do Ya、Down On The Bayなどを含むアルバムも発売されている。同じMessage From The Countryでもジャケットが2種類あり、道の向こうに鳥が飛んでいく絵柄(Royの絵)と箱から音が流れ出てきている絵柄がある。面白いことにCDでもこの2種類を入手することが可能である。ヨーロッパではRoyのイラストが用いられたのだが、それ以外の国(オーストラリアを除く)ではdistributorが嫌がったためだという。メンバーからはRick Priceが脱け、Roy Wood、Bev、Jeff Lynneのトリオとなっているが、Rickが一部に参加している可能性は高い。{前者が英Harvest盤、後者が米Capitol盤でそれぞれのフォーマットのCD化です。ジャケと曲順が異なります。Rick Priceの話は、確か4枚目期まではメンバーだったという記述がどこかにあったと思います。しかしレコーディングに参加したかは不明。(mad eyckさん)}このアルバムはELOのファーストアルバム、RoyのソロであるBouldersと重なる時期(1970年7月-1971年6月)に録音がなされており、これは私の命名だが、「Royの三つ子」と呼ばれてしかるべきであろう。しかもそれぞれに手抜きを認めない、立派な作りである。彼らはこの時期に録音した曲のうち、サックスを含むものをこのアルバムに、ストリングスを含むものをElectric Light Orchestraに収めるようにしたともいう。前作Looking Onで見られた実験的なアプローチはElectric Light Orchestraで実現されつつあったため、サイケデリックな雰囲気も漂わせたポップソング満載であり、JeffもIdle Raceへの回帰を垣間見せていて両者が微妙にマッチしている。演奏的にはあまり凝ったことをやっているふうには聞こえないのだが、他の2枚で散々マニアックなことをやっているのでやむを得ないのかも知れない。

Message In A Bottle(R/曲名):オリジナルはStingの作によるPoliceの曲で邦題は「孤独のメッセージ」。Policeの曲をオーケストラ+ハードロック系アーティストがカバーするという1983年の企画アルバム、Arrestedにおいて、Roy Woodがボーカルをつとめる。終わりがけで、Sendin' outのあと一拍おいてan SOSと続けるところが好みだ。

Mew, Peter(人名):1970年前後にHarvestレーベルのエンジニアを務めており、アルバムElectric Light Orchestraをquadraphonic mixにする作業に参加する。30周年記念リマスター作業についても中心的な役割を果たす。

Midnight(その他/映画):1991年、Tony Curtis主演の映画。OrkestraのThis Is The Night、Crazy Crazy(後にWho's That Callingと改題された曲)を使用した。サウンドトラックは発売されていない。

Midnight Blue(E/曲名):Discovery収録。ELOのバラードの中でも最も甘くコーティングされた曲かも知れない。後半のファルセットのverseが興味深い。後にCarl WayneがCharlie Wayne名義でカバーする。

Midnight Special(その他):ELOがホストを務めたテレビ番組。ゲストでMary McGregorが来ていたが、Bev Bevanは彼女の頬にキスしようとした。

Mike Sheridan's Lot(グループ名):Mike Sheridan And The Nightriders参照。

Mike Sheridan's New Lot(グループ名):Mike Sheridan's Lotを脱退したMikeが結成したバンド。ColumbiaよりシングルI Can't Get Used To Losing Youを発表。

Mike Sheridan And The Nightriders(グループ名):1958年にBilly King And The Nightridersとして発足、その後Mike Sheridanがフロントマンとなる。当時のメンバーはMikeのほか、Dave Pritchard(リズムギター)、Greg Masters(ベース)、Roger Spencer(ドラム)、Big Al Johnson(リードギター)。Columbiaと契約し、シングルTell Me What You Gonna Do / No Other Guyを発表するが売れず。次のシングルはBeatlesにあやかってPlease Mr. Postman / In Loveで、これはまずまず売れた。しかしBig Alが脱退することになり、代わって新聞広告に応じたのがRoy Woodだった。彼の加入により4つ以上のコードを使ったりハーモニカを導入し始めたNightridersはBirminghamを代表するバンドとなっていく。さらにシングルWhat A Sweet Thing That Was / Fabulous、Here I Stand / Lonely Weekendをリリースしたが、もう一つ売れ行きが良くないので、名前をMike Sheridan's Lotと改めた。そしてTake My Hand / Make Them Understand(初めてのRoyの自作曲)、Don't Turn your Back On Me, Babe / Stop, Look And Listenと2枚のシングルを出したが、共にヒットに恵まれず、RoyがMoveに脱けることになる。穴埋めとしてCarl Wayne And The VikingsからJohnny L. Mannを迎えたが、Mike自身の脱退により、Nightridersと姿を変えた。以下Idle Raceを参照。

Miller, Jimmy(人名):Blackberry Wayをプロデュース。Move幻のインストルメンタルアルバムをプロデュースしているという噂あり。

Milton Keynes(その他):Moment Of Truthのラストトラックを締めくくる大砲の音を録音した場所。

Minister, The(M/曲名):Message From The Country収録。Jeff Lynneの曲であるが、実質的にはRoy Woodとの共作曲であるという。オーボエはRoyにより、ムーグはみんなでよってプレイしたとのこと。

Miss B Haven(グループ名):Jeff Lynneが1989年にアルバムNobody's Angelをプロデュースした女性ばかりからなるデンマークのグループ。ドラムのMette MatthiesenをJeffは絶賛し、Armchair Theatreに招いた。

Mission (A World Record)(E/曲名):A New World Record収録。邦題「ミッション」(副題は付けられていない)。イントロで喋られているフレーズは"This is JEFF LYNNE from planet Earth"(但し、JEFF LYNNEはテープの逆回転)という。副題から察するにアルバムのタイトルトラック的な色彩も帯びているのだろう。Flashbackに別ミックスが収録された。

Mist On A Monday Morning(M/曲名):Move収録。ボーカルはRoy Wood。

Mister Kingdom(E/曲名):Eldorado収録。BeatlesのAcross The Universeから影響を受けているのは有名。

Mixture(R/曲名?):Nixture参照。

Moathouse Club(その他):EMIが企画したBirminghamのバンドのオーディションが行われた場所。Mike Sheridan And The Nightridersが1位を獲得し、Columbiaと契約した。ちなみにMoody Bluesは落選した。

Model Citizen(その他/EP)1993年夏発売のEric TroyerのファーストソロEP。

Moment In Paradise(E/曲名):アルバムZoom収録。ピアノが印象的なバラードソングで、UKおよびUSではZoomからのファーストシングルとしてカットされた。Ringo Starrがドラムで参加している。

Moment Of Truth(EII/アルバム):1994年発売のELO part 2のセカンドアルバム。プロデュースはStephan Galfas。edelレーベルから発売されたCDは、砂漠をバックにELO part 2のシンボルである電球がはじけ飛んでいる(はじけていいのか、という突っ込みはおいといて)ジャケットで、CDケースもシースルーであり、裏ジャケット、マウント下ともに砂漠のイラスト。ピクチャーディスクで絵柄はジャケットを縮小したものになっている。これに対し、翌年に発売された日本盤ではなぜかジャケットが差し替えられており、二本の柱の間から地球が見えるというイラストが使用されている。また、CDもピクチャーディスク仕様ではない。これに限らずリリースは各国でまちまちであり、94年6月ポーランド、7月ドイツ、9月UK、95年3月オーストラリア、6月US、8月日本という具合で、ジャケットも4種類存在するらしい。メンバーは前作からPete HaycockとNeil Lockwoodが脱け、代わりにKelly GroucuttとMik Kaminskiが再加入、Louis Clarkが正式メンバーとなり、また新メンバーとして元TricksterのPhil Batesが迎えられた。Hugh McDowellの参加は得られなかった。LouisはLondon Session Orchestraを指揮しており、このメンバーの中にWilf Gibsonがいた(このセッションはWhitfieldで行われた)。アルバムの構成としては、Louis指揮によるオーケストラ曲、Moment Of Truth (Overture)に始まり、Undertureに終わる(実際にはこのあとにThe Leavingという曲がクレジットされているが、これを曲と呼ぶのはちょっと)。さらに一部の曲間にInterludeを挿入する(それはそうとどうしてInterlude 3が最初にあって、最後にInterlude 1があるのだろう)ことで、Louisの存在を強く感じる。録音は1994年3月にUSコネティカット、次いでUKで行われ、プロデュースはStephen Galfas。

Momma(E/曲名):Mama参照。

Mongrel(グループ名):1970年、Carl Wayneがキャバレーアクトをする際にバックバンドが必要となり、呼びかけたことにより結成されたバンド(Dave Prithcardのインタビューによれば、Carl Wayneではなくて、Mike Sheridanの名前が挙がっています。しかし、結成時には既に名前がないのは同じ)。但しCarlは結成時には既におらず、メンバーはRick Price(ベース)、Richard Tandy(ギター)、Dave Pritchard(ギター)、Keith Smart(ドラム)、Robert Brady(ピアノ)。しかしその後RichardはElectric Light Orchestraに脱け、Daveは契約問題で参加が許されなかった。結局代わりにCharlie Grima(パーカッション)、Stuart Scott(ギター)を加えてアルバムGet Your Teeth Into Thisを録音する。全曲Robertの作で、ストリングスをフィーチャーしたプログレッシブなアルバムだったが、1972年にRick、Keith、CharlieがWizzardに移ったことによりTom Farnell(ドラム)、Megan Davis(ベース)、Roger Hill(ギター)を加えてBobが完成させ、同年4月に発売した。

Moog Cookbook(グループ名、アルバム):元JellyfishのRoger Manningが結成したプロジェクトおよびそのデビューアルバム。Tom Petty / Jeff LynneのFree Fallin'をカバー。
Moore, Gary(人名):UKのハードロックギタリスト。Phil LynottとのユニットThin Lizzyで有名。Traveling WilburysのVolume ThreeにおいてShe's My Babyでギターを弾く。George HarrisonによってKen Wilburyと命名された。

Morgan, Dave(人名):本名David Scott Morgan。1981年8月-1986年9月、ELOのライブサポートメンバーとして参加し、バックボーカル、ボコーダー、アコースティックギターを担当する。The Chantellesなどのバンドでベース、ギター、作曲をしていた。Carl Wayneが彼の才能を見込んでPenny Music Publishing Companyにスカウト、この関係でMoveはSomething、This Time Tomorrowを録音している。1968年には再びRichardと組んだStacksでVote For Meをカバーするがリリースされず(この話に、少なくともDaveは関係していないらしい)。その後The Uglysに加入してシングルAnd The Squire Blew His Hornを録音、さらにRichardを加えてI See The Lightを発表するが、Trevor Burtonを迎えてBallsと改名してからはテストギグに参加したのみでシングル発表前に脱退している。1971年にはLou ReiznerのプロデュースでアルバムDave Morganを発表。また彼の紹介でWishful Thinkingの作曲を担当する。彼らのアルバムHiroshimaは全曲がDaveの作曲で、タイトルトラックはヨーロッパ数カ国でNo. 1ヒットになる。1972年にはMagnumに参加して、1975年のファーストシングルSweet For My Sweetではリードボーカルも務める。1977年、Jim ClearyとMorgan Cleary Bandを組むが、アルバムは発表されなかった。1981年、Richardの紹介でELOに参加し、Timeツアーにおけるボコーダー、バックボーカル、ギターを演奏する。1982年、Kelly Groucuttが自らのソロアルバムのプロモーションでテレビ出演した際、ベースのマイムを行う。1983年、ELOのSecret Messagesセッションでバックボーカルを担当。1984年、RichardとのR & D名義でシングルBerlinをリリース。さらに1986年にはTandy And MorganとしてEarth Riseを発表。The Tandy Morgan Bandと名前を改めてシングルActionを発表。1986年にはMartin Smithと共にELOのBalance Of Powerライブに参加。テレビ出演の際にはチェロのマイムをしているが、アルバムの録音には関与していない。1987年にはTandy - Morgan名義で映画Distortionsに参加。1990年、Wishful ThinkingがHiroshimaをシングルで再発するのにあたり、Hiroshima 90er Mixを提供した。また、JeffのArmchair Theatreセッションにも参加している。1991年、クリスチャンミュージックを録音し、教会で11曲入りのプライベートカセットAll Gods Blessingを販売した。この中にはJeffがプロデュースしたGod's Good Timeも収録されている。このカセットは後に16曲入りに改められてFace The Music-UKより発売、またチャリティシングルBethlehem Townもリリースした。1992年にはEarthriseがCDで再発、さらにTandy Morgan Smith名義でのThe B. C. Collectionも発売された。1998年にGod's Good TimeをCDに収録したCallをプライベートでリリースし、1999年、Long Way Home Step 1、2000年Long Way Home Step 2を発表している。

Morgan Cleary Band(グループ名):1977年にDave MorganとJim Clearyが組んだバンド。Jet Recordsと契約し、Richard Tandyのプロデュースでアルバムを録音し、Richard談では非常にいいできだったが、リリースされず。

Moscow Symphony Orchestra(その他):1991年、ELO part IIと共にツアーを行う。ツアーに先立ち、ロンドンのロシア大使館で記者会見が開かれ、MSOからストリングスカルテットが参加してロッククラシックメドレーが演奏された(Eleanor Rigby、Air On A G-String、Purple Hazeが含まれていたという)。ツアーではKonstantin KrimetsおよびLouis Clarに指揮され、オーケストラパートではAlso sprach Zarathustra/March Of The Toreadors-Toreadors Song/In The Hall Of The Mountain King/Prelude To Act 3 Of Lohengrin/Flight Of The Bumble Bee (Hugh's Solo)/Pomp And Circumstance/1812 Overtureを演奏した。結構それらしい選曲ではないだろうか。ただ、1週間に450,000ポンドを要したため、スケールダウンしたUSツアーでは契約されなかった。

Move, The(グループ名):Beatles以降、Liverpool出身のバンドが一大ムーブメントを形成していたが、Londonに次ぐイギリス第二の都会としてのBirminghamにも新たな動きが見られていた。これら(の一部)はまとめてBrum beatと呼ばれたが、全国的に成功を収め、何らかの形で継続していったバンドが、Moody Blues、Black Sabbathと、Moveである。Moveは、Birminghamで既に活躍していたグループの中心となるメンバーが集まることで形成され、その意味では結成時からスーパーグループとなるべくして生まれたバンドということもできる。当時Cedar Clubに出演していたバンドが母体となり、結成時のメンバーはCarl Wayne(ボーカル、元Carl Wayne & The Vikings)、Roy Wood(ボーカル、ギター、元Mike Sherridan's Lot)、'Ace' Kefford(ベース、元Carl Wayne & The Vikings)、Trevor Burton(ギター、元Mayfair Set)、Bev Bevan(ドラム、元Carl Wayne & The Vikings)。結成にあたって、各バンドの若手メンバーを集めてというプランもあったらしい(AceやTrevorの意見)が、CarlがよいPAの機器を持っていたのでこのような形になった。バンド名は、「古いバンドから移ってきたからThe Move」と言われるが、もともとこの名称を発案したのはMike Sheridanだという説もある。しばらくクラブ(ファーストギグは1966年2月、Belfry Hotel)で活動するが、当時はMotownのカバーが中心だったが、リードをとれるメンバーが多く、4-5層のハーモニーを歌える能力で頭角を現した。Tony Secundaをマネージャーに迎え、Tonyはバンドをギャングスターイメージで売り出すことと、Royをソングライターにすることを決める。当時のステージは舞台に置かれたテレビを滅茶滅茶に壊すという派手なものであり、ギグの度にメンバーはジャンクショップで古いテレビを買っていた。デビューシングルはいきなりRoyの自作曲であるNight Of Fearであった。オリジナル曲を提供しうるRoyの才能と、各メンバーがそれまでに培ったキャリアにより、Moveは早速一線バンドの仲間入りを果たし、シングルヒットを連発した。さらにデビューアルバム Moveも数曲のカバーを含むもののオリジナル曲が過半を占め、しかもそれらのクォリティは高い。しかし、出発がスーパーグループであったことからメンバー間の軋轢は避けられないものであったと考えられ、リードボーカルの分担、音楽性の相違などの問題をはらんでいた。結局まず1968年4月、アルバムMove録音中にAceが他のメンバーから浮いてしまい、脱退する。そうして4人編成になったMoveは、ライブでは相当に各パートを前面に出したアプローチをするようになり、この時期に行われたMarqueeでのライブを集めたEP、Something Else From The Moveをシングルやファーストアルバムと比べるとその差がよくわかる。実は1968年秋にアメリカをターゲットにしたアルバム(インストルメンタルという説もあり)をJimmy Millerのプロデュースで録音(未発表)していたとも伝えられている。商業的にはRoyのポップチューンを演奏していることが成功していたため、マネージャーのTony Secundaはこの路線を続けることを要求していた。しかし、成功とは言うものの、ナンバーワンヒットに恵まれておらず、この状況を打破するためにRoyが書いた曲がBlackberry Wayであり、「次のシングルがナンバーワンになれなければ解散する」と大見得を切ったのに応えるように、チャートを極めることになる。ところがついにポップチューンばかりに傾くことに嫌気がさしたAce、Trevorが相次いで脱退し、かわりのベースにRick Priceを迎えて4ピースバンドとして活動を継続する。この時にJeff Lynneにも誘いがかけられているが、Jeffはこれを拒絶している。こうして製作されたアルバムがShazamであり、ポップだけではなくサイケやプログレッシブな雰囲気も漂わせるRoyのペンによるA面と、キャバレーミュージックにこだわるCarlが主導権をとってカバー曲を収めたB面が危ういバランスをとっている。しかしアルバムではCarlに譲ったRoyもシングル曲では相変わらずのヒットメーカーぶりで、ついにCurlyで我慢できなくなったCarlが脱け、ようやくIdle Raceに絶望したJeffを迎えることとなった。サードアルバムLooking OnはRoy、Bev、Rick、Jeffの4人で作られ、幅広いRoyの嗜好を反映した作りとなり、演奏もよりハードさを増している。このアルバム発表後、本格的にElectric Light Orchestaプロジェクトが発足し、Rickが構想より外れたなどの理由でソロに転身する。以後、Moveはツアーをやめ、ELOを続けるための資金集めバンドとなる(シングルのプロモート目的のテレビ出演は行った)。最終作となるMessage From The CountryはRickを除く3人がクレジットされており、一転してポップチューンが多く含まれているが、初期Moveのもののようなストレートポップではなく、変化球をまじえたものである。これは恐らく、当時の彼らは数枚のレコード製作を同時進行で行っていたことに起因すると思われる。すなわち、実験的・前衛的な作品はELOへ、Royのパーソナルテイストを含む作品はBouldersへ収められたために、このアルバムに入ることになる作品はポップでなおかつ前作よりもJeffの色彩が濃いものになっているのだろう。結局MoveはELOに発展的解消するという形をとるが、現在Moveの名義を名乗る権利がある人間は3人だという話。以後何回か「再結成」を果たしているが、一度は1980年にBBC 1の番組でFlowers In The Rainを演奏。この時のメンバーはRoy、Carl、Jon Camp(ベース)、Kex Gorin(ドラム)。1981年にはRoy(ボーカル、ギター)、Bev(ドラム)、Ace(ベース)、Mike Hopkins(ギター)で数曲を演奏。1982年にはRoy、Carl、Bev、Aceで再結成する計画があったが実現せず。2000年、CarlとBevがThe Shazamのバッキングを得てI Can Hear The Grass GrowをBBCで演奏した。

Move, The(グループ名):Trevor Burtonが1994年にドイツのOldie Festivalに参加したときのバンド名。メンバーはTrevorのほかGeoff Hammond(元Easybeats)、Colin Drummond(元Merseybeats)、Simon Dean(元Wayne Fontana)、Peter Barton(同)で、全然関係ないなあ。どんな曲をやったんでしょう。

Move(M/アルバム):1968年5月(?)発表。Moveのデビューアルバム。プロデュースはDenny Cordell。ジャケットはThe Foolで、写真はBobby Davidson。1967年春から録音が行われ、最初Move Massというタイトルが予定されていた。Roy Woodのポップ感覚すぐれた作品が多数聞けるほか、カバー曲の中にはBev BevanがリードをとったZing Went THe Strings Of My Heartもあるし、Tony Viscontiがストリングスアレンジを行ったGirl Outside、Misty On A Monday Morningもそれなりに面白い。Royの作品としては素直すぎるともいえるが、単純にポップアルバムとして捉えるのなら名盤といえよう。publishing companyはカバー曲が違うのは当り前として、オリジナル曲がWestminster Music Ltd.とOnward Music Ltd.とに分かれている。この理由を御存知の方は教えて下さい。1998年にRepertoireからリマスターされ、シングル曲に加えてVote For Me、The Disturbance (alternate version)、Fire Brigade (alternate version)、Second Class、そして(Here We Go Round) The Lemon Tree、Weekend、Flowers In The Rain、Useless Information、Zing Went The Strings Of My Heart、The Girl Outside、Walk Upon The Waterのステレオバージョンを加えて発売されている。

Move Enterprises Ltd.(その他):アメリカではDo Yaの成功に乗じてELO、Wizzardをプロモートすることになり、これらのグループのアルバムに、Move Enterprises Ltd. present.....などの言葉を冠した。

Movement(M/編集盤):1997年、Westsideから発売されたThe Move結成30周年の3枚組ボックスセット。内容としてはThe Move(なんでHey Grandmaだけオリジナルの曲順と変えて最後に置くのかとても不思議)、Shazam、Looking Onのオリジナルアルバム全曲とこの時代に属するシングル全曲、EPであるSomething Else全曲、未発表オリジナル曲であるVote For Me、アウトテイク集などからなる。

Mr. Blue Sky(E/曲名):Out Of The Blue収録。Concerto For A Rainy Dayの締めくくりの曲で、LPではC面のラストにあたる。これまで激しく雨が降っていたのがやんで、青空が現れたのを象徴するような元気あふれる曲。気象ニュースのSEからはじまってA Day In The Lifeばりのベースライン、エンディングはこれもA Day In The Lifeを意識したのか、分厚いコーラス(これはいくら何でも雇いでしょう)が一旦終わってからカーテンコールのような小品を演奏して終わる。シングルカットされ(c/w One Summer Dream)、UK6位、US27位。Out OF The Blueのなかで、Jeff Lynneが最も作曲に苦心した曲といわれ、満足できるベースラインを作るのに1週間を要した。Zoomのプロモーションライブでも演奏されているが、消火器が楽器として登場した(これだけ読んでもほとんどの人はわけわかんないだろうなあ)。2002-2003年にはVolkswagen社のコマーシャルで使用(このバージョンはCM用に新しく録音され直されたもので、Rosie Velaもコーラスで参加している。名義はJeffになっている)、Delgadosによるカバーバージョン発表をはじめ、しばしばラジオエアプレイがなされたという。

Mr. Radio(E/曲名):Electric Light Orchestra収録。Idle Raceばりのスローポップなメロディにオーバーダブを繰り返したストリングスを重ねている。テープの逆回転でクラシック作品を挿入している(私はこの曲名がわかりません。ご存知の方教えて下さい)。アルバムのほかの曲と同様にquadraphonic versionが作成されたが、1972年9月に完成したバージョンのエディットに問題があったため、1973年4月12日に最終ミックスがなされた。

Murakami, Taichi(人名):元CBSソニー社員で、その昔ELOの担当であられた。ファンクラブ時代には大変お世話になった。CBSソニーがELOカタログを通しで再発(CSCSシリーズ)したとき解説を書いたが、9割まで全アルバム共通で、アルバムに関する解説は20行くらいというのはいかがなものでしょうか? Afterglowの解説も書いておられる。現在は外部からCBSソニーのELO関係をサポートするように働いておられ、雑誌Strange DaysでELO特集が組まれたときには、担当時代の思い出たっぷりに長文を寄せられた。ちなみに現在発売中のリマスターCDの解説も村上氏。

Music To Commit Suicide By(R/曲名):1973年リリースのソロシングルForeverのB面。USではUnited Artistsがsuicideという単語を嫌ったため、Woodbeというタイトルに変更される。Rick Priceが電話で参加している。

Musicland Studio(その他):ミュンヘンにあるスタジオで、ELOはFace The MusicからTime、およびBalance Of Powerの録音を行う。エンジニアのMackがおり、独特のサウンド構成に寄与する。ELOはUSでDeep Purpleのサポートをつとめた際、Musiclandを紹介された。他にこのスタジオを使用した有名なグループとしてQueenがある。その後、スタジオはMackの所有になったらしい。{元々はGeorgio Moroderのスタジオだった筈ですが、弟子に譲ったのかな? Electric DreamsにはMoroderがJeffを呼んだ?(mad eyckさん)}

Mustard(R/アルバム、曲名):1975年12月に発売されたRoy Woodのセカンドソロアルバム及びそのタイトルトラック。1975年録音。(これもスクラッチというのかな)レコード針がレコードをこするSEのあとに回転数を変えたボーカルで歌われるのが曲の方のMustard。サックスが印象的な小品。このアルバムは前作Bouldersよりも短期間で仕上がっているはずだが、作曲プロデュースはもちろんのこと、ほとんど全ての楽器の演奏からジャケットアートまでこなしたのは同様で、こちらもやはり文字通りのソロアルバム。事実、再発された際には一部でOne Man Bandというタイトルも付けられた。Bouldersとどっちがいいかは人によって意見が分かれるだろうが、個人的には先に買ったこともありこっちが好み。内容としてはタイトル曲も楽しいできだがAny Old Time Will Do、シングルになったLook Thru' The Eyes Of A Foolという強力無比なポップチューンが収められており、これだけで買う価値はある。Why Does Such A Pretty Girl Sing Those Sad Songsは叙情的で美しい曲だし、Annie Haslamが参加したThe Songもきれいな曲。また、ポップ一辺倒だったBouldersと比較すると、Royのジャズ的な面や実験的な面も含まれているのが特徴。最後のGet On Down Homeでは1分以上にわたるドラムソロを有している。AnnieのほかRick Price、Dick Plant、Phil Everyが参加している。チャートインはしなかった。The Great Gold Fushという曲も録音したらしいが、アルバムには収録されていない。CDでの再発盤では冒頭にボーナストラックをもってきたりしているが、それではアルバムの意図が薄れてしまうので、やめていただきたい。1999年にボーナストラックを増やしてMustard Plusとして再発。

My Father's Son(J/曲名):シングル(Here We Go Round) The Lemon TreeのB面。コンピレーションによってはJeff Lynne作とされているものもあるが、Dave Pritchardの作。

My Marge(M/曲名):Message From The Country収録。これまでの公式音源としては唯一、Roy WoodとJeff Lynneがco-writerとしてクレジットされている。リードボーカルはJeffでRoyとBev Bevanがコーラスしている。楽器をプレイしているのはRoyとJeffのみで、ドラムを叩いているのもJeffという話がある。

My World(E/曲名):Your World参照。

Mystery Girl(J/アルバム):1989年2月発売のRoy Orbisonのアルバム。Roy Orbisonのオリジナルアルバムとしては遺作となる。

Mystery Song(R/曲名):Roy WoodのソロシングルOTTのB面。もとは1977年のRoy Wood's Wizzo Bandがライブで演奏したもので、実際にはCalifornia ManとBrontosaurusのメドレーであった。

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