G

G-Men(グループ名):Carl WayneがSaltley Grammar School時代に結成したバンド。Carl以外のメンバーは彼の親友だったChris WheelerとChrisの兄弟のRalphらしいが、パートなどについては不明。

Gale, Melvyn(人名):1952年1月15日生。Face The MusicからOut Of The Blueにかけてチェロを担当。Mike Edwardsの脱退に伴って、Hugh McDowellの紹介で加入。加入前にはLondon PalladiumのピットオーケストラとしてCarpentersのバッキングをしていた。これまでスタジオアルバムにおける演奏はないという説があったが、Wild West Hero冒頭のホンキートンクピアノが彼の演奏であるという話が本人の口から明かされた。またこれは残り二人のストリングスプレイヤーについてもいえることだが、Discoveryにおいてはアルバムにクレジットはされていないがビデオには登場したり、日本盤の帯には顔写真がでていたり、この時期には協力メンバーと考えておいたほうがいいのかも知れない。ただ、彼の場合問題になるのは、レコーディングされた曲の中でプレイしたことはないという話であり、そうであるのならメンバーにカウントすべきかどうかということになってくる。とはいえライブではHughほどではないが活躍するし、WembleyコンサートビデオではRoll Over Beethovenでピアノを弾く彼の姿を見ることができる。恐らくDiscoveryツアーがあればこれにも彼は参加したのであろうが、Timeの時期になると彼の姿はなかった。ELO在籍中には1977年、Hugh McDowellとともにKiki DeeのInto Eternityに参加している。ELOをやめた後、Frank WilsonとWilson, Gale & Co.なるバンドを結成、1980年にアルバムGift Wrappedを発表している。ここでMelvynはキーボード、ストリングス、バックボーカルを担当している。しかしヒットには結びつかず、その後転身して家具のセールスをやっているという話(CD工場を経営しているという話もある)。話をするのが好きで、SydneyではBob Hopeをつかまえて長々と話し込んだこともある。Jeff Lynne、Bev Bevanがラジオ番組をホストしたとき、彼に捧げる曲としてYou Talk Too Muchをかけた。彼はゲイではなく、Melvyn Gale Armを駆使してすぐに女性に声をかけていたという。

Galfas, Stephen(人名):ELO part IIのアルバムMoment Of Truthのプロデューサー。
Gang Bang(R/曲名):Wizzardが1974年のEddy And The Falconsツアーで演奏していた曲。Bob Bradyがリードボーカルだった。今日まで未発表。

Genesis Of Darwin(その他/曲名):Dave Morganの未発表曲で、オランダのELOファンクラブが作ったメンバー用CD、Afterlight Interimに収録される。結構面白い曲だと感じた。

Genius Of, The(R/ブートレッグ):

George, Robin(人名):Helicoptersに途中から参加したギタリスト。彼の参加によりRoy Woodはリードギターからリズムギターにシフトした。後にMagnumのツアーに参加したり、ソロアルバムを発表したりしている。

Get A Hold Of Myself(E/曲名):1973年2月にAIR Studioで録音された。Jeff Lynneの作曲でボーカルはCarl Wayne。ストリングスは含まれていない。長らく未発表であったが、Take 2がリマスター盤ELO2付属ボーナスCD、The Lost Planetに収録された。

Getting To The Point(E/曲名):Balance Of Power収録。邦題「悲しみの地平線」。ELOとしては初めてサックスを導入したパワーバラード。ほとんどJeffひとりによると思われる分厚いコーラスが聞かれる。シングルカット(c/w Secret Lives + ELO Megamix(12インチのみ))されたがヒットには至らず。おまけに配給会社がストライキで小売り店にまで行き渡らず、ドイツでのリリースはイギリスでの不振のため中止となる。従って特に12インチは入手が困難だという(とすれば簡単に手に入った日本は恵まれていたということですね)。

Ghost, The(J/曲名):Distant Ghost参照。

Giant Footsteps (Jubilee)(R/曲名):Roy Wood's Wizzo BandのアルバムSuper Active Wizzo収録。Jubileeの項参照。

Gibb, Andy(人名):Bee GeesのGibb3兄弟の弟でソロミュージシャン。AtlantaでELOと同じホテルになったとき、ELOを「パーティ」に招待する。しかし、そのパーティにはお客は他におらず、ドリンクはコカコーラとセブンナップだけで、かわりにドラッグを提供してくれたがELOはそれを辞退した。「パーティ」の間、みんなでMonty PythonやFawlty Towersのビデオを見ていたという。Bev Bevanはこれがジェネレーションギャップなのかと思ったらしい(Bevは当時32歳で、Andyはティーンエイジャーだった)。

Gibbons, Steve(人名):1959年にDominettes結成後、Musketeers、Uglysとバンド名を変え、Trevor Burtonの参加を得てBallsを結成。しかしBallsは宿命づけられていたスーパーバンドたりえず、しばらくソロやTrevorとの作業を続けた後、1970年10月にJeff Lynne脱退によりタレント不在で汲々としていたIdle Raceに参加。彼ら(Steve、Mike Hopkins(ギター)、Dave Pritchard(ギター)、Greg Masters(ベース)、Roger Spencer(ドラム))はしばらくJeffの曲を演奏していたが、Steveは人の曲をいつまでもやっているほどお人よしではなく、いろいろあったのだろう、Dave、Roger、Mikeが相次いで脱退。Tea And SymphonyからBob Wilson、Bob Lamb、Dave Carollを迎える。71年11月にバンド名をSteve Gibbons Bandと改め(1971年に'Steve Gibbons'名義でアルバムShort Stories(Wizard SWZA 5501)をリリースしているらしいが、この辺の詳細は不明。このアルバムにはBalls時代に録音された曲も含まれており、Trevor Burtonも参加している)、72年2月のGreg脱退に至った(後任はBob Griffin)。ちょうどRoy Wood脱退に見舞われていたELOへのベースでの参加を、Balls時代の旧友Richard Tandyに打診されるが、断る。さらに75年、Trevorと合流し、パブ活動をしばらく続けた後、Goldhawkレーベルから数枚のアルバムをリリース(Any Road Up 1976 Polydor 2383 381、Rollin' On 1977 Polydor 2383 433、Caught In The Act 1978 Polydor 24718 112、Down In The Bunker 1978 Polydor SUPER POLS 1001、Get Up And Dance 1980 Polydor 2384 110、Streetparade 1981 RCA 5005、Saints & Sinners 1981 RCA 6017)、シングルTulane(1977、Polydor 2058 889 c/w Now You Know Me)はUK12位のヒットとなり、The Whoのヨーロッパツアーのサポートもつとめる。附記:シングルも数多くリリースしているので、アルバムのみしかもTrevor在籍時のものにとどめた。

Gibson, Wilf(人名):初期ELOのバイオリンプレイヤー。1945年2月28日生。ELOに属したのは1972年2月から1973年7月まで。ELO2およびOn The Third Dayの録音に関与しているが、On The Third Dayのクレジットからははずれており、実際どの曲に参加しているかは明かされていない。7歳からバイオリンを始め、Royal College Of Musicで教育を受ける。14歳から社交クラブ等でプロとして演奏をしており、バイオリン以外にはピアノやアレンジャーとして、後には多くのテレビジングルの作曲も手がけた。1971年にはCentipedeというジャズロックバンドのアルバムSeptober Energyに参加し、バイオリニストのリーダーをつとめた。ELOに雇われたころにはセッションミュージシャンとして活動していたが、ELOが出した広告に応じたのは彼だけだという話もある。ELOのメンバーとしての初めてのギグはCroydonのGreyhound Pub。ELO2への参加やツアーでの演奏はあるものの、結局彼の立場はセッションミュージシャンにとどまったようで、その一因は彼が毎日15ポンドの日当を要求したことにもあるらしい。The First Lightには未発表曲として彼のバイオリンによるインストルメンタルWilf's Soloが収録された。この演奏はOn The Third Dayに収録すべく録音されたが、最終的にはIn The Hall Of Mountain Kingのイントロ部分に置き換えられ、未使用のままである。Barnstaple Town Hallでのギグの後、メンバーに「自分以外はみんな音が外れまくっている」と言ったのをきっかけに脱退。その後、セッションミュージシャンとなったようで、Marti Jones、Everything But The Girl、Swing Out Sister、Geoffrey Williams、Terence Trent D'arby、Beloved、His Latest Flame、Hothouse Flowersなどに参加している。Unexpected Messagesは記載が漏れているが、Because We Love You/Stephen Duffyにもクレジットされている。{Steve Harley And Cockney RebelのLove's A Prima Donnaにもクレジットされてます。(mad eyckさん)}その他クレジットされていない作品も多数ある模様。この中でもいちばん有名なのはLondon Session Orchestraの一員として参加したOasisのWhatever(個人的にはOasisのベストトラックだと思うのだが、皆様いかがでしょう)で、共演でステージにも上がったし、ビデオにも出演したという。意外なところではMoment Of Truthに起用されたオーケストラの中にも参加していたという。彼の談話によれば、ELOを離れたのはその時失望を味わったからだという。また、その後10000曲にものぼるセッションをこなし、編曲・作曲などで成功を遂げているので、ELOを抜けたことには後悔はないとのこと。ちなみに生まれついての Geordie(スコットランド人という意味みたいですね)で、Newcastle Unitedの大ファンだと語っています。

Gift Wrapped(その他/アルバム):Wilson, Gale & Co.のアルバム。Melvyn Galeがキーボード、ストリングスアレンジ、プロデュースなどを担当している。先日ようやくこのアルバムを聴く機会を得たが、なんか時代を感じさせるアルバムだった。キーボードに比重を置いた、70年代後半のポップバンドと行った趣で、ELOを期待しないほうがいいと思う。ストリングスもかなり正直なアレンジがなされている。

Ginger Baker's Airforce(グループ名):詳細不明。1970年にAirforce One(Polydor 2662 001)、Airforce Two(Polydor 2383 029)の2枚のアルバムを発表しており、これにはTrevor Burtonが参加しているという。

Girl At The Window(I/曲名):Idle Race収録。歌詞の中にBeatlesの4人が言及されている。ちょっとほのぼのとした雰囲気も漂わせる佳曲だと思う。

Girl Outside, The(M/曲名):アルバムMove収録。ボーカルはTrevor Burton。レコーディングの際、風邪をひいていたので若干音が外れている。Moveのメンバーで楽器を弾いているのはBev Bevanだけで、Roy Woodはアコースティックギターを弾いていたが、ミックスの段階で削られた(この件ですが、mad eyckさんからダウトがかかりました。ちゃんとアコースティックギターが鳴っているじゃないかとのことで、それは間違いありません。ネタもとはBevが書いたBest Of The Moveのライナーなのですが、彼の勘違いの可能性が高そうです)。Repertoire盤ではステレオバージョンが追加収録。

Glixman, Jeff(人名):ELO Part IIの二代目プロデューサー。過去にBlack Sabbath(Bev Bevanが参加したThe Eternal Idolをプロデュースしている)、Gary Moore、Heart、Cinderellaとの仕事があるというので、HR/HM畑の人か。Jim Steinmanとの録音で煮詰まっていたグループを引き継ぐ。

Gloucester, Duke Of & Duchess Of(人名):Wembley ArenaでのELOのRoyal Gala Performanceに来場した。

God Within(グループ名):LAのロックグループで、1995年にThe Phoenixという曲をプロモリリースした。この曲にはFire On Highのサンプリングが多用されていたが、Jeff Lynneがクレームをつけて使用を許さなかったため、回収となる。(この曲はMP3で流出しています)

God's Good Time(J/曲名):Dave Morganのソロ曲で、DaveがArmchair Theatreセッションに参加した返礼にJeff Lynneがプロデュースを行った。11曲入りカセットAll God's Blessingに収録。その後CD、Callに収められた。Jeffの特徴的な音を期待して聴くと裏切られる。

Goin' Down The Road (A Scottish Reggae Song)(R/曲名):Roy Woodが1974年6月にHarvestから発表した4枚目のソロシングル。オリジナルアルバムには収録されていない。Scottishという言葉からわかるようにバグパイプが大々的にフィーチャーされているが、ソロパートを録音する際、Royは息切れしてしまい、操作だけしてエンジニアに吹くのを手伝ってもらったという。B面はThe Premium Bond Theme。UKで13位。

Goin' Down To Rio(J/曲名):Jeff Lynneのソロシングル、Doin' That Crazy ThingのB面。A面にもましてとほほなできである。

Going Home(I/曲名):Idle Race収録。ストリングスをフィーチャーしたバラード。タイトルだけ聞くとこれでアルバムが終わりそうなのだが、ラストトラックではない。

Gold Diggers(E/その他):Wembleyで開かれたチャリティサッカートーナメント。Jeff Lynne、Bev BevanほかがFive-a-Side Football Teamとして参加。

Good Golly Miss Molly(J/曲名):映画King Ralphの挿入曲でLittle Richardの演奏、Jeff Lynneのプロデュース。あまりどうということのないアレンジ。私は知らなかったのだが、独・米でCDシングルが少数発売されたという。映画のビデオ自体は日本でも出ていたし、最近はワゴンでも投げ売りされているので、手に入れるにはビデオをあたるほうがいいだろう。

Good Good Lovin'(その他/曲名):Taffy's Big Time Roll Bandの幻のシングル曲。

Gordon. Martin(人名):Sparks、Jet、Radio Starsなどに在籍したギタリスト。2003年発表のアルバムThe Baboon In The BasementでTonightをカバーした。

Got My Mind Set On You(J/曲名):George HarrisonのCloud Nine収録。邦題「セットオンユー」。元曲はRudy Clarkの作で、プロデュースはJeff。Georgeの復帰シングルにカバー曲を使うのは実に意外だったが、彼の息子がこれをカットするように勧めたのだという。元曲はGeorgeのブートレッグSomewhere In Utopiaで聴くことができるが、なんだか盆踊りにかけたら似合いそうな曲であった。全米1位のヒットとなり、これはJeffにとって初めてのアメリカシングルチャート制覇であった。余談だが、この曲がチャートを上昇しているのを初めて見たとき、composerには単にR Clarkとしか記載されておらず、私はRはLの間違いではないかと思ったものだ。

Grammy Award(その他):1989年、Traveling WilburysはBest Rock Group Performance of the Yearを受賞する。Jeff Lynneは妻のSandiと授賞式に出席した。

Grandee Ballroom(R/その他):MoveがIggy And The Stoogesとデトロイトで公演した会場。

Gravy Booby Jam(その他/曲名):Ace Kefford StandのシングルFor Your LoveのB面。その後、(Ace脱退に伴って)バンド名をBig Berthaに改めた後、再度シングルThis World's An AppleのB面に収録されるが、内容は同じものらしい。

Great Balls Of Fire(E/曲名):オリジナルはJerry Lee Lewisで、作曲はOtis BlackwellとJack Hammer。ELOはLong Beachでのライブにおいても、In The Hall Of The Mountain Kingに続いてこの曲を披露している。ELO結成以前にも、たとえばMoveの1971年10月のギグでもプレイしている。リードボーカルはJeff Lynne。Long Beachでのものはこの曲の部分だけがFlashbackに収録された。また、30周年記念ファーストアルバムのボーナスCDには、Roy Wood在籍時のライブが収められており、Long Beachの頃とはかなり異なったアレンジを聴くことができる。途中、One, Two, Three, Fourという掛け声が2回聞こえるが、これはRoyの声らしい。

Great Gold Rush, The(R/曲名):Roy WoodがソロアルバムMustard用に録音した曲。曲自体はFire Brigade以前に作られていたらしい。しかしアルバムには収録されなかった。

Greatest Hits(事項):ELO関係でGreatest Hitsといえば、まずJet移籍後のOn The Third DayからOut Of The Blueまでを収めたELO's Greatest Hits Vol. 1があり、解散後にその後の代表曲を集めたVol. 2が発売された。これ以外にもコンピレーションのサブタイトルにGreatest Hitsと銘打たれたものや、MoveのGHなどがあるので、ここではあまり立ち入らない。Vol. 1についていえば、Jeff Lynne自身のライナーがついていることもさることながら、単にヒット曲を並べただけなのにきちんと「当時のELO」の魅力を伝えるものになっているところが不思議。個人的な好みは別にして、「初心者にもこれがELOなんだよ、ということを知ってもらう」という目的では過不足ない選曲になっているようだ。これに10538 OvertureとRoll Over Beethovenを加えればOTTBまでのベストとして最小限のものはできるだろう。ただ、この後のアルバムからの曲をどのように入れていくかとなると、人によって意見も分かれると思われ、Vol. 2の選曲がベストかどうかは私にも良くわからない。

Green Glass Window(R/曲名):1981年、EMIからリリースされたHelicoptersのシングル曲。B面はThe Driving Song。

Green, Jack(人名):元T. RexのメンバーでKelly Groucuttとは旧知の仲だという。1983年にソロアルバムMystiqueを発売しており、これにはBev Bevanと共作したAnother Day Another Dollarが収められている。またYou're WarmにはキーボードでKellyが参加している。さらに、1986年発表のLatest Gameでは、Right NowにKellyがベース、リズムシンセで参加している。

Greyhound Pub(その他):ロンドンCroydonにある。ELOが最初のライブパフォーマンスを行った。ただし、不評だったという。

Grieg, Edvard(人名):In The Hall Of Mountain Kingの作曲者。また、Mik Kaminskiがステージでソロを披露したHungarian Dance No.5の作曲者でもある。

Griff(人名):Roy Wood Big Bandのドラマー。1995年5月脱退。

Grima, Charlie(人名):Wizzardのドラマー。恐らくもとはRichard TandyがいたCombined Actionのメンバーで、その後Mongrel経由でWizzardに至ったものと考えられる。

Grimm Doo Studio(その他):Dave Morgan、Richard Tandy、Martin Smithらがレコーディングを行った「スタジオ」。その成果はB. C. Collectionに収められているが、スタジオとは名ばかりで、実際にはDaveの家の前に機材を並べただけのものだったという。

Gravy Booby Jam(その他/曲名):Ace Kefford StandのシングルFor Your LoveのB面曲。作曲はBall-Powell-Ballで、すなわちDave Ball、Cozy Powell、Dennis Ballであるが、要するにジャムナンバー。

Groucutt, Kelly(人名):ELOのベース、バックボーカル、リードボーカルで、1974年10月-1983年10月在籍。1945年9月8日生で本名Michael William Groucutt。StaffordshireのCosely出身。身長は5フィート6インチしかなく、ステージではかかとの高い靴を履いていた。14歳で学校をやめ、金属細工の工場で働きながら、スピーカーの音楽に合わせて歌を歌っていた。それを工場主の子供であるGraham Cartwrightが聞きとめ、彼の友人が組んでいるバンドにボーカルが必要だからということで誘われ、Rikki Stormを名乗り、Rikki Storm And The Falconsを結成した。当時、ギタリストは3種類のコードしか知らなかったし、ドラムセットは半分しかなかったらしい。Falconsが分裂した後、Rikki Rurns And The Vibrasを結成。このバンドにはJim Groucuttというベースプレイヤーがいたが、Kellyとの関係はないらしい。15歳で最初のバンド活動(当時はボーカル)を行い、その後17歳でギター、19歳でベースを覚える。本来彼は左利きだが、左利き用の楽器があることを知らなかったので、今でも右利き用の楽器を使っている。1965年にGreenwich Villageに参加する。メンバーはKelly(ベース、ボーカル)、Pete Watkins(ギター)、Chris Cook(ボーカル)、Chris Sparks(ドラム)。1967年Marble Arch(Kelly(ベース、ボーカル)、Alan Clemants(ドラム、ボーカル)、Tony Lake(ギター、ボーカル))に移り、1970年代初にはかつてRick Priceらが在籍したキャバレーバンドSight And Soundに参加した。ここでKellyはNancy SinatraやGilbert O'Sullivanの物まねをしていたらしい。1974年春にはBarefootを結成(Kelly(ベース、ボーカル)、Nevil Chamberlain(ギター、ボーカル)、Joe(ドラム)、名前不詳のキーボードプレイヤー)、Snobsで行ったギグでJeff Lynne、Bev Bevan、Richard Tandyにスカウトされた。このスカウトツアーは「お忍びで」された筈だったが、そう思っていたのは当人達だけで、Jeffが楽屋に入って「Michael、君に会いたいという人が外にいるよ」と言ったときには他のメンバーに大笑いされたらしい。EldoradoでMichael de Alburqurqueが脱退した後を埋める。当時ELOにはMik Kaminskiがいて、旧メンバーにMike Edwards、Michael de Alburqurqueがいるから紛らわしいという理由でKellyを名乗る。最初の仕事はUSツアーで、それはKellyにとって初めての飛行機搭乗であり、海外旅行であった。以後、ベース、バッキングボーカルを主に担当し、一部の曲ではリードも受け持ち、Out Of The BlueなどではJeffとのハーモニーを聞かせてくれた。ただ、Jeffと彼との契約は雇用関係で、1年で15,000ポンドという報酬の払われ方しかなされていなかったという(Barefoot時代には週給30ポンドで働いており、Jeffがその10倍を支払うことを約束したため)。つまりELOがいかに多くのレコードを売っても、収入のほとんどはJeffに入り、Kellyの実入りは最初に決められている金額通りということになる。結局その後ELOがスターダムにのし上がるにしたがって、この点がわだかまりとなったらしい。1979年より、Bev、Richard、Louis Clarkらのサポートを受けてソロアルバムKellyを録音し、1982年に発表している。リリース時、ELOのTimeツアーでヨーロッパにいたKellyは一緒にプロモーションも行い、ドイツではテレビ番組Musicladenに出演してOh Little Darlingを演奏した。1982年からはSt. John's WoodにあるRegents Park StudioでBev、Louisとセカンドアルバムを録音し、この中にはその後Orkestraで発表するRock'n' Roll Feverも含まれていたが、USで契約を結んだRiva Recordsは、このアルバムをリリースするのではなく、前作Kellyに手直しを加えて再発することを選んだ。一方、Jack Greenのセッションに参加し、You're Warm(アルバムMystique収録)でキーボードを弾いているが、このときOrkestraで一緒になるMac PooleやSimon Foxに出会っている。その反面、ELOでの彼の役割は徐々に縮小され、Secret Messagesでは彼のベースやバックボーカルは数曲でしか聴けない。JeffがELO解散を打ち明けたとき、KellyはJeffに対して報酬不支払い、その後収入の1/4を要求する訴訟を起こす。Jeffは訴訟になったら勝てないよと言っていたらしいが、結局は300000ポンドの支払い命令が下り、Kellyはバンドを抜けた。1/4はあんまりじゃないかと思う一方で、ELOサウンドの魅力の一部を担っていたプレイヤーに対する扱いにしては軽すぎるものであった印象はぬぐえない。脱退後、ソロに転じるが、いきなりシングルLet The Kids Do Itが発売中止になるという不運に見舞われる。1985年にはチャリティEP、We Love Animalsをリリース。1986年にはPlayer(実質的にはKellyのソロ)名義でAm I A Dreamerを再発。またJack GreenのアルバムLatest Gameでベース、リズムシンセを演奏した。1986年Mik Kaminskiと共にOrKestraを結成し、オリジナル曲に加え、ELOのヒット曲を演奏するコンサートを行った。BevがELO Part IIを結成するに当たり、当初はライブでサポートするにとどまっており、1991年にはマネージメントへの不満から一旦バンドを離れていたが、1992年10月より正式メンバーとなる。一方、これ以外にもソロギグを開くことがあり、英中部で50-60年代の歌を歌っているらしい。このような時にはKelly GまたはMichael Groucuttと名乗っている。1993年秋のギグではThe Fox、Dear Mama、Josephineの3曲入りカセットを販売した。現在、アルバムKellyに新曲を加えてreissueする計画があるらしいが、一時Kelly自身が喉頭炎を患って歌うことを止められていたのが不安。通なリリースとして、Martin KinchのアルバムAndy's Dinerに参加してEverlastin'でリードボーカルを務めたのが最近の話題。さて、ELOにおけるKellyの魅力といえばハイトーンで張りのある歌声であるが、A New World Record、Out Of The Blueの頃のJeffとのハーモニーは特筆に値するものといえる。Nightrider、Do Ya、Sweet Is The Nightなどでリードを取っている部分も、Jeffとの比較が面白いし、ステージではさらに彼がフロントにでることが多い。現在のELO Part 2のライブでも、多くの曲のリードを聞かせてくれる。控室の壁によじ登る癖があったり、ひとと騒ぐのが好きらしいが、実はひとりになるのが嫌いだという。おもちゃを集めるのが好きだが、他人には「子供に買うんだ」と言い訳した。妻はCarolで3人の息子(Christopher、Steven、Robin。ミュージシャンのKitとはChristopherのことか)と娘(Jenny)がいる。ELOに加入したころには子供は一人で、babと呼ばれていた。1980年頃はStaffordshireの田舎町に住んでいた。家族思いでも知られ、USツアーの合間に1週間ほど中休みができたとき、他のメンバーはカリブなどのリゾートに出かけたのに、彼はひとりで自宅に帰った。

Groupie(その他):ロックバンドと「個人的に親しく」なりたがる女性。ELO Storyには日本人の「最低の」グルーピーの話が載っているが、品がないので省略。真偽のほどは定かでないが、ELOのメンバーは寄ってくる女性はローディにpassしていたらしい。

Grunt Futtock(グループ名?):音も聴いたことがないのでよくわかりませんが、Roy Woodがセッションミュージシャンとして協力したバンドで、1972年にRock'n' Roll Christian (c/w Free Sole)を発表。

Guildford:ELOの現存する最も古いライブ音源は、1972年5月7日にここで行われたもの。公式録音はされていないが、オーディエンステープが残っている。

Guts(その他/アルバム):John Caleの1977年のアルバム(Island ILPS 9459)で、Trevor Burtonがゲスト参加。

H

H-Bomb(E/その他):Hugh McDowellの考案したカクテル。double permod、double tequillaとオレンジジュース。もちろん元来の意味は水素爆弾。

Haines, John(人名):Moveが初めてレコーディングを行ったスタジオの所有者。4トラックの録音機を有し、カレーハウスの向かいにあったらしい。

Hall And Oates(グループ名): ELOのTimeツアーに同行するが、チケットのセールスが思わしくなかったことと、むしろ彼らのKiss On My ListがUS1位になるヒットを示していたため、co-headlinerとして取り扱われた。

Hall Green Youth Club(その他):Bev Bevanの最初のバンドを時々ただでプレイさせてくれていた(スクエアダンスの合間に!)。その後、初めて彼らにギャラをくれた。

Handle With Care(J/曲名):Traveling Wilburysのデビューアルバム、Vol. 1収録。デビューシングルともなった(12インチ、CDシングルでも発売され、extended versionも収録されている)。1988年、George HarrisonのシングルThis Is Loveの「C面」(12インチB面の2曲目で、extended versionか未発表曲が用いられた)が必要になったのがきっかけ。まずRoy Orbisonを除く4人がBob DylanのMalibu Studioに集合し、Georgeが「たまたまそこにあった段ボール箱」からタイトルを決め、(Bobを中心に?)最初の1行が決められた。その後、4人は各自部屋に散ってそれぞれ歌詞を作ってきたため、29通りの歌詞ができ上がったという。Royの到着を待って録音が行われた。構成はまさしくWilburysの曲の典型で、5人のメンバーが交代でリードをとっている。Warnerはこの曲のできに大変喜び、C面に使うのはもったいないと判断し、さらにアルバムを作ることを要望した。私にはRoy Orbisonのパートが好みである。ビデオクリップは古いホールで5人が1本のマイクを囲んで歌うもので、ドラムでJim Keltnerも出演している。トリビュートアルバムLynne Me Your EarsではJamie Hooverがカバーしているが、この曲を「Jeffの曲」としてカバーしてしまってよかったものなのだろうか。

Hang On(J/曲名):Dave Edmundsの1984年アルバムRiff Raff収録。作曲はFeat/GouldでプロデュースがJeff Lynne。このアルバムのJeff絡みの曲の中では最も弱いように感じる。

Happy Birthday(I/曲名):アルバムBirthday Party収録。Skeleton and Roundaboutが終わった後、The Birthdayが始まるイントロとして用いられている。作曲者はMildred J. Hill/ Patti S. Hillで、よく誕生日に歌われる例の曲のことである(こうとしか書きようがない)。

Happy Christmas (War Is Over)(その他、R/曲名):もともとはPlastic Ono Bandの曲だが、Royal Philharmonic Orchestraが1982年のBeatles20周年コンサートで演奏する。指揮・アレンジはLouis Clarkで、Roy Woodがボーカルで参加している。

Harrison, George(人名):Fab4のひとり。また、Jeff Lynneが最初に共演し、最初にプロデュースしたビートル。二人を引き合わせたのはDave Edmundsで、1985年の暮れにJeffとDaveが食事をしていた際、GeorgeがJeffにプロデュースを依頼したがっている話を伝えたという。当時GeorgeはShanghai Surpriseのサントラを作成中であったが、この中に含まれるはずだったZig Zagを二人で共作したのが最初の仕事になる。その後Heartbeat 86、Princes Trustでの共演を経て、Cloud Nineで全米シングル1位を含む見事な復活に至る。また、Cloud Nine録音中には共にDuane Eddyのアルバムに参加している。GeorgeがJeffに言及したコメントは極めて好意的なものが多く、なかでも「自分の経歴をリスペクトしてくれる相手でないと一緒に仕事したくなかった」というのは、最高級の賛辞ではないかと思う。その後、ベストアルバムDark Horseに収めたCheer DownではRichard Tandyのピアノも交えていい味を出しているし、もちろんTraveling Wilburys結成にはGeorgeの人脈が欠かせなかった。(この間の記載は誤っていましたので吉澤さんの指摘のもと削除します)二人の会話の中に、ELOのラストナンバーとしてのROBの話題が出てきて、「自分も今度のツアーではラストにそれをやるよ」というような話があったのではないだろうか。さて、Jeffがこれまでプロデュースした3人のビートルのアルバムを比べると、Georgeのそれが最もJeffくさく感じられる。時代的なものなのか、「ある程度自分の色を塗ってやることがかえってGeorgeを活かすことになる」と判断してしたことなのかが興味深い。彼の新譜の噂がささやかれているが、それにはJeffは参加していないとされていた。このアルバムについて、Georgeは「Jeffが私のアルバムをELOみたいにするのに耐えられなかった」と語っていたそうだが、真相は不明。ELOの新譜ZoomにGeorgeが2曲のスライドギターを弾いているのは確か。2001年11月28日、数年間にわたる喉頭癌・肺癌との闘病の末、永眠された。前述の新譜の件だが、Jeffが数曲に参加している可能性もあるが、確認されていない。

Harvest(その他):EMIのプログレッシブレーベルで、Regal ZonophoneからMoveが移籍した。初期のELO、Roy Woodも在籍していた。

Haslam, Annie(人名):プログレッシブバンド、Rennaisanceのボーカリスト。70年代後半、Royの恋人であったといい、ソロアルバムAnnie In Wonderlandでは全面的なRoyのバックアップを受けるほか、RoyのMustardにはゲストボーカルで参加したりもしている。意外なところではSuper Active Wizzoの裏ジャケットのメンバー写真を撮影していたりもする。その後Royとの生活は中断している。Rennaisanceが活動を中止していた期間、Rennaisance時代にLouis Clarkのストリングスアレンジを受けた(アルバムA Song For All Seasons)縁か、アルバムStill LifeにおいてLouis、Royal Philharmonic Orchestraと共演し、クラシックの名曲にボーカルを加えている。またソロアルバムではMike OldfieldのMoonlight Shadowをカバーしており、ELOとは全然関係ないがいいカバーである。Rennaisanceは一時、彼女以外のボーカルを迎えて活動を再開していたが、オリジナルメンバーでレコーディングを行い、2000年にアルバムTuscanyを発表した。Roy Woodも演奏・プロデュースで4曲に参加している。

Hatton, Phil(人名):(よく調べていないので嘘だったらいけないのですが)Jeff Lynneの旧友で、Armchair Theatreにもコーラスで参加している。また、Tandy Morgan SmithのHiroshimaにもコーラスで参加している。

Haycock, Pete(人名):1951年3月4日生。10歳頃からハーモニカ、ギターを覚え、他にシークエンスドラムとベースにも通暁する。最初のバンドはMason Dixon Laneで、その後Gospel Truth、The Climax Chicago Blues Band、Climax Blues Band、Pete Haycock's Climaxに属す。1987年ソロアルバムGuitar And Sonを発表。70-80年代にはTarney Spencer Band、Chicken Shack、Gary Numan、Animal Logic、Darryl Wayとのセッションがある。1988年以降、10枚以上のサントラに関与しており、うちOne False LoveはIndependent Spirit Awardを受賞している。ClimaxがHarvestに属しており、70年代にはELOとギグを行ったことからBev Bevanとは旧知の仲であり、1989年から1992年、マネジメントの問題でバンドを離れるまでPart IIでリードギター、ベース、ボーカルをつとめる。現在はテレビ・映画音楽に携わっている。妻はTerryで、Rebecca、Lucienneのふたりの娘。既に10歳の孫がいる。

Hazel Eyes(R/曲名):1974年、Neil Reidのシングル曲。Roy Woodのペンによる。Royは演奏にも参加しているという噂。

Healey, Jeff(人名):カナダ出身の盲目のギタリスト。アルバムHell To PayにおいてBeatlesのWhile My Guitar Gently Weepsをカバーしたが、George HarrisonならびにJeff Lynneにギターでの共演を依頼した。ただ、彼がJeffに直接会うことはなく、テープの上でミックスしたというのが真相らしい。

Heartbeat 86(その他):1986年3月15日、Bev Bevanの発起により、小児病院Birmingham's Children's Hospital救済のために催されたチャリティコンサート(Birmingham National Exhibition Centre)。ELO、Roy Wood、Moody Blues、UB40、Robert Plantのほか、多くのミュージシャンが参加した。この際のELOのラインアップはJeff Lynne、Bev Bevan、Richard Tandy、Mik Kaminski、Louis Clark、Dave Morgan、Martin Smith。コンサートのフィナーレではDave Edmundsの客演によるLucille、George Harrisonの客演によるJohnny B. Goode(バックはELOとMoody Blues)が演奏された。HeartbeatのロゴはRoyのデザインによる。チャリティアルバムActionも発売された。本来はRoyのソロアルバムStarting Upもこのコンサートをプロモートするために発売されるはずだったが、アルバムのほうの発売が大幅に遅れた。結局チャリティの収益は70000ポンドとなり、1987年9月にBevとRoyにより屋根付き歩道が贈られた。

Heartbreak Radio(J/曲名):Roy Orbisonの死後、企画されたアルバム、King Of HeartsにおいてJeff Lynneがプロデュースした曲。仕上げにあたってスピードを上げるなどの処理がされたらしい。ビデオクリップではJeffがリードギター、Don Wasがドラムを務め、その他Pierce Brosnan、Sean Youngが出演している。

Heartbreaker(E-II/曲名):Electric Light Orchestra Part II収録。ライブではBev BevanとPete Haycockによるドラム-ギター対決が見物であった。

Heaven Only Knows(E/曲名):Balance Of Powerのオープニングトラック。rohiさんに「You Won't See Me (The Beatles)にメロディが似ている」といわれ、目から鱗が落ちた曲。この曲は嫌いではないのだが、初めてアルバムで聴いたときにはがっかりした覚えがある。それまで厚く積み重ねられたELOの曲になれ親しんでおり、同じような音を期待して針を落とした(当時はアナログでした)のに、聞こえてきたのはタイトでめりはりのきいた音。これはほめ言葉にもなるでしょうが、それまでの音と音との境目がぼやけるくらいのELOサウンドからはかなり予想外のものだったのでした。シュークリームだと思ってかぶりついたらプレーンのパイだったくらいの驚きでした。この曲には、アレンジがかなり異なる別バージョンが存在し、既にかなりのファンが耳にしている。その感想によると、どうして現行のバージョンをアルバムに収めたかわからないくらい素晴らしいものらしい。予想通りに行けば、リマスター盤のBalance Of Powerに収録されるだろう。

Heavy Head(J/曲名):Bev Bevan1976年のソロシングル、Let There Be DrumsのB面。プロデュースはJeff Lynneだが、クレジットが示すところによると、Lynne-Bevan-Groucutt-Tandyの作。また、サックスはRoy Wood。コンピレーションFriends And Relativesに収められたので、容易に聴くことができるようになった。クレジットを見て身を乗り出す人もいるかも知れないが、まああんな曲です。

Heavy Head Records(その他):1970(1?)年、Bev Bevanがバーミンガムに開いたレコード店の名前。ELOがRoll Over Beethovenを録音した際、Jeff Lynneは歌詞を覚えておらず、Heavy Head Recordsの店員にレコードをかけて歌詞を聴き取ってもらい、それを電話で教えてもらって歌った。結局その歌詞は間違っていたらしいのだが。

Heavy Head Records Eleven(その他):Bev Bevan、Rick Price、Carl Wayneらが属していたサッカーチームの名前。

Helicopters(グループ名):1980年にRoy Woodが中心になって組まれたバンド。結成時にはHelicopters featuring Roy Woodと名乗っており、メンバーはRoy(ボーカル、ギター、バグパイプ)、Paul Robbins(キーボード、ギター、バックコーラス)、Jon Camp(ベース、バックコーラス)、Mike Deacon(キーボード)、Kex Gorin(ドラム)。JonはRenaissance、MikeはThe Darts、KexはMagnumに属しており、それぞれのバンド活動があるため、1980年11月Cheapskateより発売のデビューシングルRock City / Givin' Your Heart AwayはRoyとPaulによりレコーディングされた。同年UKツアーを行うが、ソロやMoveの曲に加えて10538 Overtureもプレイし、またPaulがボーカルのBacktown Sinner(オリジナルはOn The Road Again収録)やDartsのピアノ曲One Off The Wristsも演奏された。12月にMarqueeで行われたライブは録音されたが、結局ライブアルバムとしての発売は見送られた。1981年、バンドはEMIに移籍し、以降Roy Wood's Helicoptersを名乗る。4月にAerial Pictures、Airborneの2曲を録音しているが、シングルとして発売されたのはGreen Glass Windowであった。ただセールスとしては奮わず。1981年7月にReading Festivalへの参加が予定されていたが、Royによりキャンセルされる。1982年に再度ツアーを行うが、このときのメンバーはRoy、Jonの他、Robin George(ギター。彼の加入によりRoyはリードギターからリズムギターにシフトした)、Tom Farnell(ドラム)、Telly Rowly(キーボード)、このツアーではRoyの3曲のNo. 1ヒットを連ねたメドレーを演奏するほか、次のシングルとして予定していたOn Top Of The Worldも披露された。このバンドは、一時ジャズに行き過ぎていたRoyがポップサイドに回帰しようと企画したものだと思われ、レコードセールスを狙っていたのだろうが、結果的に失敗に終わっている。本来はこの辺のレコードがヒットしてくれて、ライブアルバム発売につながってくれたらよかったのだが。

Hell To Pay(J/アルバム):The Jeff Healey Bandの1990年4月のアルバム。Jeff Lynne(およびGeorge Harrison)参加のWhile My Guitar Gentry Weeps収録。

Hellfire(R/曲名):Tempestが1985年にリリースしたシングル。Royはプロデュースのほか、バッキングボーカルなどで参加している。B面にはRoyは参加していない。

Hello Hello(E-II/曲名):Electric Light Orchestra Part II収録。オープニングトラック。よくも悪くもイントロダクション的な小品。最初にこの曲が聞こえたとき、私はこのアルバムに非常に期待した。Honest Menを聴いて、「ここまでやらなくても」と思った。最後まで聴いたとき、少しがっかりした。あまり力を入れすぎず、Hello Helloみたいな感じでやってくれたらよかったのにと思ったものだ。一時期のJeffと同じ土俵で勝負しちゃ駄目ですって。

Hello My Old Friend(E/曲名):コンピレーションアルバム、Afterglow収録。本来ならSecret Messagesに収められるはずだった曲。個人的にはこの曲1曲のためだけにAfterglowを買ってもいいと思えるほどの曲。これまでJeffはBeatlesに対する憧憬を様々な形で表してきていたが、それを最も端的に示したアルバム、Secret Messagesのなかでこの曲が占める位置はA Day In The Lifeにあたるだろう。これまでMr. Blue SkyやThe Diary Of Horace WimpでA Day In The Lifeのベースラインを使用したJeffであるが、この曲においては構成を見事に借用した。特に後半、ストリングスのクレッシェンドから力強い歌声に移る付近が聞き所。終盤の子供の声はオランダ人児童による。リマスター盤Secret Messagesに収められなかったのが極めて残念。

Hello Susie(M/曲名):アルバムShazam収録。本来Roy WoodがAmen Cornerに提供するために書いた曲(Amen Cornerバージョンもしばらく前に再発されたのでうまくすれば入手可能か)。しかしRoyはこのできに満足できず、自分たちで録音し直し、Shazamに収めた。

Here Is The News(E/曲名):Time収録。時報の音に続いて華麗なシンセサイザーが響き、さだめし未来のニュースショーといった構成。ブリッジの部分に未来的なアナウンスフレーズが効果音として用いられている。ビデオクリップではJeffがニュースキャスター、それ以外のメンバーがテレビ局の職員に扮している。Hold On Tight同様、Mik Kaminskiもビデオには参加している。

(Here We Go round) The Lemon Tree(I, M/曲名):本来は、Idle Raceのデビューシングルとして意図された曲。作曲者はIdle Raceの前身、NightridersのメンバーであったRoy Wood。Idle Raceはレコーディングを終え、ジャケット写真の撮影まですんでいたが、困ったことにMoveもこの曲をレコーディングし、Flowers In The RainのB面として、本来Idle Race盤が出る筈の週に発売してしまった。これは意図してぶつけたのではなく、Moveとしては単に楽しみのために録音してアルバムトラックに使うつもりが、Regal ZonophoneがB面にと執着したらしい。ここで用意したシングルを出しても、カバーバンドとしての烙印を押されてしまう、というわけでイギリスでの発売は急遽中止され、海外のみでの発売となった。今ではIdle Raceの編集盤には必ず収録されているので聞くのはそう困難ではない。ギターはRoyによるという噂もあったが、これは嘘らしい。B面はMy Father's Son。MoveのバージョンはアルバムMoveに収められており、こちらはもっと簡単に聞くことができる。全体の構成は同じであるが、アレンジが異なることにより、ピュアポップなMoveバージョンに対し、サイケデリックなIdle Raceバージョンといえる。どっちがいいかは人それぞれか。

Hey Grandma(M/曲名):Move収録。オリジナルはMoby Grape(作曲はJerry Miller & Don Stevenson)。Trevor BurtonとCarl Wayneのボーカル。Nicky Hopkinsがピアノでゲスト参加。歌詞の中にRobitussin and elderberry wineというフレーズが出てくるのだが、Robitussinはアメリカの咳止めシロップの名前で、Birminghamでは手に入らなかったため、バンドはここの部分を変えて歌っているらしい。しかしどう歌っているのかはよくわからない。

Hi Summer(その他/曲名):Carl Wayneのシングル曲らしい(c/w My Girl And Me)。ええと、サーフミュージックみたいな曲です。

Higher And Higher(M/曲名):アルバムSomething Else From The Move Plusにボーナストラックとして収録された。オリジナルはJackie Wilson。

Hiroshima(その他/曲名、アルバム):Wishful Thinkingのアルバムならびにタイトルトラック。アルバム所収曲は全曲Dave Morganの作品。飛行機のプロペラ音(Enola Gayのつもりか?)のSEと「ひーろしま」という暗いコーラス。印象的ではあるが。1971年にシングルカットされ、ヨーロッパで大ヒットする。その後、1978年のアルバムWishful ThinkingにもHiroshimaほかDaveの曲が再度収められたほか、1990年にさらにシングルHiroshimaが再発された際にはB面Hiroshima 90er MixをDaveが提供している。

Hiroshima 90er Mix(その他/曲名):1990年にWishful ThinkingがDave Morgan作曲のHiroshimaを再発した。その際にB面に収録されたのがこの曲だが、DaveとRichard Tandy、Martin Smithが演奏とプロデュースを行っている。90er Mixだが、実際の録音は85年になされていた。

Hodgson, John(人名):1960年代にMik KaminskiらとCowを結成。その後ミュージカルTight In The Blackのバックバンドに加わる。後年、Violinskiに参加。

Hodgson, Michael(人名):Balance Of Powerおよび12インチシングル(7インチは私は知りません)Calling AmericaのアートディレクションをClive Piercyと共に担当。

Hold On Tight(E/曲名):Time 収録。シングルカットされ、全米10位のヒットとなる。個人的にはこのロックンロールスタイルの曲は好きなのではあるが、いかにもDon't Bring Me Downの再来を狙ったようなこのシングルカットはいただけない。2nd verseでフランス語で歌われているのは、1st verseの前半と同じ意味らしい。ビデオクリップはB級映画の予告編を模した作りになっており、これまでの(弾いているだけの)クリップとは違って非常に面白い。途中、バイクがバーに闖入する場面ではMik Kaminski(彼はアコースティックギターのマイムをしている)を含めたメンバーが演奏をしているが、この演出は当時公開されていた007シリーズのFor Your Eyes Onlyにヒントを得たものだという。ジャングルでの怪しい儀式のシーンでは日本語の字幕が入るのだが、入れる順番を間違っているうえに「は」という平仮名の真ん中で左右に切ってしまっているので、全くもって意味不明になっている。このクリップは数年後のMTV全盛時代に持っていっても遜色ないと思うのだがいかがだろうか。ただ、レコード会社はこのクリップのよさが理解できなかったらしく、Twilightでは従来の弾いているだけのクリップに戻してしまった。続編にしていたら大ヒット、と思うのは私だけ? Part 2のライブでもこの曲はしばしば演奏されているようだが、ライブでのイントロはアルバムとは趣が違って面白い。しかしどうやらTimeツアーのELO自身が、後にPart 2が使うのと同じイントロを使っていたようだ。

Hold On Tight(E/ブートレッグ):1981年12月のELOのロンドン公演(Wembley Arena)の模様を収めたライブ。2枚組みになっており、Mik Kaminskiのバイオリンソロを通して聴くことができる。

Hold On To Love(その他/曲名):OrKestraのBeyond The Dream収録。クレジットはK. Groucut、M. KaminskiとT. Pardoe。

Holder, Noddy(人名):イギリスのグラムロックグループSladeのボーカリスト。HelicopersのThe Driving Songにバックコーラスで参加。

Holmes, Maureen(人名):1969年にRoy Woodが結婚した相手。当時18歳。

Honest Men(E-II/曲名):Electric Light Orchestra Part II収録。邦題「レッド・アラート」。1991年4月15日、ELO100というカタログ番号のもとシングルカットされる。このアルバム中、最も「典型的なELOサウンド」を再現しようとした曲である。いい曲だとは思うが、狙いすぎていてなんだかなあと思う。ビデオクリップではバンドがオーケストラに囲まれて演奏しているシーンが収められているが、オーケストラは実は偽物だという。USで流されたクリップはメンバーの同意が得られなかったので、ヨーロッパバージョンでは特殊効果がかぶせられたという。USバージョンでは「正直な人」のショットが多数含まれているらしいが、私は正直言ってこのクリップを見たことがあるかどうかさえあやふやなのでよくわかりません。

Hooked On Australia(E-II/曲名):1995年のオーストラリアツアー、ファーストアンコールで、Louis Clarkが指揮するAustralian Rock Orchestraによって演奏されたメドレー。Walzing Matilda、Advance Australia Fair、Click Go The Shears、I Still Call Australia Homeからなる。

Hooked On Christmas(その他/曲名):Louis Clarkの1982年のシングル(Jet 7031, c/w Motif)。I Wish It Could Be Christmas Everydayもメドレーにされている。

Hooked On Classics(その他/曲名、アルバム):1980(?)年、オランダのStars OnがStars On 45というビートルズメドレーを大ヒットさせた。これと同じことをクラシックでやろうと目をつけ、これをLouis Clarkに頼んだK-TelのDon Reedmanは会心の企画を立てたといえよう。Louisの話によると、慣れ親しんだ曲のキーを変えるのは大変だったという。なお、制作にあたってはこれまでテープ操作によったと思っていたのだが、「前半のセッションは曲を普通にやり、休憩を取って戻ってきたら"Classical Medley"と名付けられた楽譜をやった」と書かれているので、ひょっとしてあの通りに演奏してレコーディングしたのだろうか。1981年秋に発売されたシングル、Hooked On Classicsは、これまたコラージュ風のビデオクリップを伴って大ヒット、もたつくTwilightを尻目に全英1位を獲得した。続いて発売された、同じくLouis Clark指揮するRoyal Philharmonic Orchestraによるアルバム、Hooked On Classicsには、前述のシングルもextendされたHooked On Classics Part 1 & 2として収録され、これまた大ヒット。味をしめたK-Telは同じ構成でHooked On Classics II、Hooked On Classics IIIを製作、その後再発を繰り返しながら今でも売っている。さらに姉妹品としてHooked On Rock Classics、Hooked On Baroque、Hooked On Swing以下連発。この中には日本のレコード会社が邦題に勝手に「フックトオン」とつけたものもあるが、全部でいくつあるのかよくわからない。ともかくLouis Clarkとしては最大のヒット作となったわけで、一般的な紹介としては「ELOを初めとする多くのレコードでストリングスアレンジを行った」とするよりは「Hooked On Classicsの指揮でおなじみの」というほうが通りがいいだろう。最近、Louis ClarkはHooked Onした曲を実際にオーケストラに演奏させるコンサートを日本を含めた世界各地で開いている。

Hopkins, Mike(人名):Jeff Lynne脱退後のIdle Raceに参加。以前はThe Avengers、The Diplomatsにいたという。1981年のBrum Beat Re-Union ConcertにおいてGerry Levine And The Avengersの一員としてプレイ。また、Trevor Burton、Jeff Lynneが不参加のため、代役としてMoveでもギターを弾く。

Horn, Jim(人名):アルバムWork It OutでJeff Lynneプロデュースのタイトル曲とRichard TandyとJim自身の共作曲Take Away The Sadnessを発表。また、2002年のアルバムThe Beatles Tribute付録のCD-ROMにはムービーにJeffも登場している。

Hoskins, Lynn(人名):ELOおよびMoveのメーリングリストの管理人。南カリフォルニア在住(らしい)。フレームを防ぐためにかなり積極的に口を出す。

Hot Love(J/曲名):1988年頃に録音されたDel Shannonの曲であり、Jeff Lynne、Tom Petty、George Harrison(確認!)が参加している(作曲はDelでよかったか? プロデュースは?)。しばらく未発表のままであったがDel ShannonのAnthologyに収録された。1991年にシングルCallin' Out My Nameに(Silvertone 45013, Germany)カップリングされたという説もある。

Hottest Gong In Town(J?/曲名):George Harrisonが音楽を担当した映画Shanghai Surpriseの挿入曲。Zig Zaggers演奏とされた。When We Was FABのB面に予定されたが、発売前にZig Zagに差し替えられた。

How Do I Survive(その他/曲名):Holliesが2003年のベスト盤Greatest Hits用に録音した新曲。ボーカルはCarl Wayne。作曲はPaul Blissで録音はAbbey Road。

Hughes, Glen(人名):ELOのベースとして参加するよう、Roy Woodに誘われるが、2週間のリハーサル後、加入を取り止める。替わって参加したのがRichard Tandyである。彼はのちにDeep Purpleのメンバーとなる。

Human Love(J/アルバム、曲名):Gary Wrightの1999年のアルバムおよびそのタイトルトラック。Jeff Lynneがコーラスで参加している。ただし、Jeffの存在感が強いわけではないので、「参加している」以上の意義を求めるべきでもないだろう。

Hungarian Dance No.5(曲名):Griegの曲。Face The Musicツアー以降、Mik Kaminskiはこの曲かOrange Blossom Specialをソロで演奏することが多かった。

Hunt, Bill(人名):Electric Light Orchestra、Wizzardに参加したキーボード、ホルン奏者。1947年5月23日生。ELO在籍は1971年春-1972年7月。Birmingham出身で、Wingwood Brothers Comprehensive School及びBirmingham School of Music出身。Hannivalというプログレッシブバンドで1970年にセルフタイトルのアルバムをリリースしている。ELOには「他に誰も参加してくれないから」という理由で参加した。また、多分同じ時期に作られたMoveのビデオクリップWords Of Aaronではリコーダーを吹いている姿が見られる。Royが脱退した際、共にWizzardに移り、ピアノ、ハープシコード、チューバ、フレンチホルン、ハンティングホルンのほか、トランペット、フリューゲルホルン、テナーホルン、ビューグル、ユーフォニウム、グラストランペット、バッキングボーカルとブラスアレンジを担当した。The Carlberg Specialを作曲したが、後にWizzardの路線変更にともないピアノしかプレイできなくなったことから音楽教師になるため1973年10月に脱退した。その後、1989年にBlessing In Disguise Featuring Noddy Holder And Dave Hillに参加してシーンに復帰。シングルCrying In The RainのB面Wild Nights作曲にも参加したが、セカンドシングルには参加していない。1991年、SladeのアルバムWall Of HitsからRadio Wall Of Sound、Universeがシングルカットされた際、それぞれのB面、Red Hot、Lay Your Love On The LineをDave Hillと共作した。Red Hotはその後2回録音し直されているが、Noddy Holderがボーカルを務めた91年バージョンがベストだという。その後、Noddyの脱退にともないSladeが改名したSlade IIの正式メンバーとして参加(と書いたが、アルバムKeep On Rockin'には作曲クレジットで複数の曲に名前が登場するが、メンバーのところには名前がない)。現在はGroove Reportというバンドに在籍しているらしい。

Hurst, Mike(人名):MoveのCurly、This Time Tomorrowをプロデュースした。1981年にMichael De AlbuqurqueとSundanceを結成。彼の作品は2001年にリイシューされ、Sundance名義の曲も収録されている。

Hutton, Phil(人名):Jeff Lynneの友人。Armchair Theatreのコーラスに参加している。

Hypo Haus(その他):ミュンヘンにあるBavarian Mortgage Bankのビル。Timeのinner sleeveでメンバーが見上げているビルだが、どうしてこの建物が使われたかというと、Musicland Studioの向かいにあったからだという。

I

I Am A Rocker(R/曲名):1975年発売のChas And Daveのシングル曲。Roy Woodがバックボーカルを務める。なお、この曲はXXXXがカバーした際にLouis Clarkがストリングスアレンジを行った。

I Call Your Name(J/曲名):1990年、John Lennonへのトリビュートコンサートに参加できなかったRingo Starrが、会場で上映されるように作成したビデオクリップ。もちろん原曲はJohnの作曲。Ringoのほか、Jeff Lynne、Tom Petty、Jim Keltner、Joe Walshが参加し、Jeffはプロデュースも行った。

I Can Hear The Grass Grow(M/曲名):1967年、The Moveのセカンドシングルとして発表された(Deram DM 117)。B面はWave Your Flag And Stop The Trainで、全英4位(The Moveのライナーでは4月に5位。Unexpected Messagesでは7位)のヒットとなる。日本でも発売され、邦題は「緑の草原」。前作Night Of Fearがミディアムテンポの曲であったのに対し、アップテンポでドラムも連打しており、よりポップソングに純化している。Moveのメンバーも極めて気に入った曲であったらしく、ライブでもしばしば披露されたという。しかし案の定麻薬の歌だといって攻撃されたらしい。ただ、Roy Woodはいまだかつて麻薬を使用したことがないと言明している。しばらく前になるが、Jellyfishもライブでこの曲を演奏することが多かった。しかしこのカバーバージョンは現在のところ発売されていない(ブートでは確認。オーストラリアのラジオ局用に演奏されたアコースティックバージョン)。

I Don't Care(R/曲名):Dave Lee Traverse Show参照。

I Drove All Night(J/曲名):1992年1月13日リリースされたRoy Orbisonの曲でJeffのプロデュース。生前に録音されたボーカルトラックの周囲にJeffが演奏を付け加える形で完成した。元々Steinberg / Kellyの作曲で、その数年前にCyndi Lauperがシングルヒットさせている(その他2003年にはCeline Deionもカバーした)。RoyのバージョンはUKチャートで7位にランクされた。ビデオクリップも作成されたが、Jeffは登場しない(electronic press kitには多少登場する)。

I Hear You Rockin'(J/アルバム):Dave Edmundsの1987年発売のライブアルバム(Arista 208228)。Jeff Lynne作曲のSlipping Awayのライブバージョンが収録されているが、このライブそのものにはJeffは関わっていない。キーボードパートはテープを使っている。

I Need Your Love(J?/曲名):The Wizardsの1966年のシングルVery Last Day(Fontana TF 721 254)のB面曲で、Jeff Lynneが作曲しているという噂がある。

I Never Believe In Love(R/曲名):Annie HaslamのAnnie In The WonderlandにRoy が提供した曲。

I Wish It Could Be Christmas Everyday(R/曲名):1973年11月にWizzardがリリースしたシングル。UK4位まで上昇。バックボーカルはThe SuedettesとThe Stockland Green Bilateral School First Year Choir、またadditional noiseとしてMiss SnobとClass3 Cがクレジットされている。録音は同年8月にロンドンのPhonogram Studioでなされているが、夏の録音だったのでクリスマスのようにスタジオを飾り付けたという。B面はRob Roy's NightmareでHarvestからのラストシングルとなるが、同年にWarnerから再発される。この曲はその後、クリスマスシーズンにチャートインする(1981年に41位、84年に23位)こともあり、VirginレーベルのNow Christmasはじめ、多くのクリスマスソング集に収められている。1984年の再々発時には12インチシングルが作られたが、これはRoy Woodにとってはじめての12インチで、Extended D. J. Party Mixも収録された。この時の23位はRoyにとってほぼ10年ぶりのトップ30ヒットであった。1995年末にはRoy Wood Big Band名義でCDシングルとして再発、併録曲はSanta Claus Is Coming To Town (Live)、I Wish It Could Be Christmas Everyday (Soundcheck Version)と新曲のLion's Heart。また、Scanchが日本語歌詞でカバー(邦題「もし毎日がクリスマスだったなら」)したこともあり、最も多くの日本人が知っているRoyの曲ではないだろうか。ちなみに、現在情報が入手できているかぎりでは、カラオケで歌うことのできる唯一のRoyの曲である。「グラムロックの歴史」などのビデオソフトにもこの曲が収められているほか、何度かテレビ放映された画像を見ることができるが、最後に子供たちが出てくるというパターンが決まっている。しかも、Royがそのうちの一人の子供を抱き上げて、頬にキスさせるというのもパターンである。

I Won't Back Down(J/曲名):Tom PettyのFull Moon Feverに収録。1stシングルとしてカットされる(c/w Don't Treat Me Like A Strangerで、こちらもJeffのプロデュース)。ギターとコーラスが心地よい。この頃のJeffのプロダクションスタイルの典型ともいえるだろう。ビデオクリップにはJeff、George Harrison、Ringo Starrが出演。

Idle Race, The(グループ名):1967年、The Move結成のためにRoy Woodはそれまで所属していたMike Sheridan & The Nightridersを離れた。残されたメンバーはMike Sheridan's Lotと名を変えて活動していたが、Royの穴を埋めることは困難で、結局フロントマンのMikeがバンドを抜けてしまった。残るDave Pritchard(リズムギター)、Greg Masters(ベース)、Roger Spensor(ドラム)はJoenny L. Mannを迎えてIt's Only The Dog、Love Me Right Nowを録音したが、不満足なできでしかなかった。そこで新たなギター、ボーカルを求めて広告を出したが、これに応募したのが当時19歳のJeff Lynneであった。彼らはバンド名をNightridersと改めてシングルIt's Only The Dog (Wayne-McCracken、ボーカルはRoger) / Your Friend (Wayne、ボーカルはDave)を発表したが失敗に終わり、心機一転バンド名をThe Idle Raceとして再出発をはかった。この名前はDaveの発案で、最初The Idyll Raceとされていた。まずデビューシングルとしてかつてのメンバーでありMoveでヒットを飛ばしているRoyに曲の提供を受けた、(Here We Go Round) The Lemon Tree (c/w My Father's Son (Dave Pritchard))を録音したが、MoveがシングルB面で先に発表してしまったために、イギリスでのデビュー作はJeffの曲であるImposters Of Life's Magazine / Sitting In My Treeとなった。引き続いて彼らは1968年、アルバム、Birthday Partyをリリース、そのサイケデリックポップな楽曲はcriticsには極めて好評を博したが、しかしながらセールスは不調であった。曲の殆どはJeffのペンによるものであり、この時点で彼は作曲・演奏両面でバンドリーダーとしての揺るぎない地位を築いていたが、レコード会社はまだ不安があると考え、プロデュースはGerald Chevin & Edward Offordに任せた。しかし1969年発表のセカンドアルバム、Idle Raceでは既にその不安は払拭されており、Jeffは委ねられたプロデュースの役割を充分にこなしている。ちょうどこの頃、MoveはAce Kefford、Trevor Burtonの脱退に見舞われており、RoyはJeffの才能を見込んでMoveに加わるように声をかけたが、Jeffは自らが全てをコントロールできるバンドで腕を振るいたいと考え、この誘いを断っている。ところが、このアルバムも評論家には好評であったにも関わらずやはりリスナーに受け入れられることはなく、ここに至ってJeffはMoveに加わることを決意する。かようにしてまたも取り残されたメンバーは、Jeff在籍時にも数曲を作曲していたDave Pritchardを中心に結束し、新たにDave Walkerを加えてサードアルバムTime Isを発表したが、南米などで小さなヒットを記録したにとどまり、結局Dave Pritchard、Dave Walkerが相次いで脱退した。彼らのDon Ardenをマネージャーは最初Ray Williams、次にPete Walshであったが、Jeff脱退後はDon Ardenになっていた。DonはMove、Amen Cornerの面倒を見るのに忙しく、Idle Raceはいわば3軍であった。その後新加入のSteve Gibbonsのもと、バンド名をSteve Gibbons Bandと改めた。結局1972年、Greg Mastersの脱退により、Idle Raceは名実ともに消滅することとなった。

Idle Race(I/アルバム):1969年8月発売。アルバムのクレジットに、初めて"Produced by Jeff Lynne"と記載されたアルバムである。Birthday Partyよりはややサイケデリック色が薄れ、ほのぼのとした曲が目立つような印象がある。しかし曲のクォリティは高く、両アルバムでは甲乙つけがたく感じる。

Idle Race Football Team(その他):Jeff Lynne、Roy Woodらが属していたサッカーチームの名前。

If This Love Is Magic(R/曲名):Roy Woodが1991年のビデオOff The Recordで発表した曲。ベーシックトラックから順にファイナルミックスができるまでを公開している。レコード化はされていない。曲自体はいかにもRoyというできばえで、オフィシャルで公開してもらいたいものだと思う。

If You Don't Get What You Want(R, J/曲名):1989年にRoy WoodがJeff Lynneにプロデュースを依頼して作られた曲のうちの1曲。ロカビリー風。Me And Youも参照。

If You Know Sousa (And Friends)(その他/曲名):Hooked On Classics 2 (Can't Stop The Classics)収録で邦題は「フックト・オン・マーチ パート2」。Sousaによるマーチのメドレーで、シングルカットされた。B面はIf You Know Sousa(邦題は「フックト・オン・マーチ パート1」)。この曲名だが、どうやらスタンダードナンバーにIf You Know Suzieというのがあるらしく、そのパロディではないだろうか。

Ikemoto, Kazuhiro(人名):日本におけるELOメーリングリストの管理人。音楽的知識の豊かなこともさることながら、ELO解散後にファンになったのに主な音源はコンプリートされているという、敬服すべきである。(これ、書いてまずかったら消しますので教えて下さいね)

Iggy And The Stoges(グループ名):Moveのツアーの際、Detroitで共にショーをする。後にIggy Popとなる。

I'll Never Forget You(その他/曲名):Player参照。

I'll Cry For You Tonight(その他/曲名):Player参照。Kelly GroucuttのアルバムKellyがCDで再発された際にボーナス曲として追加された。

Illusion In G Major(E/曲名):Eldorado収録。邦題「ト長調の幻想」。単純なロックンロールタイプの曲であるが、ELOとしては珍しいハードなギターとストリングスの掛け合いが面白い。

I'm Alive(E/曲名):サウンドトラックXanadu収録。Magicと共に第1弾シングルとしてカットされた。私見であるが、「最もELOらしい曲」といえばこの曲ではないかと思う。ポジティブな歌詞、覚えやすいメロディ、曲自体はミディアムテンポなのにそれを感じさせないアレンジ、踊るようなシンセサウンドと裏をしっかり固めるストリングス、ファルセットも絡めたコーラス、などである。映画ではオープニングまもなく、壁画に描かれたMuse達が次々と壁から抜け出して歓喜の舞を演じるところで使用されている。但し、映画で使用されたバージョンは、サウンドトラックとして聴けるものとは微妙に異なり、イントロがextendされており、また随所にジェット音のような効果音が足されている(イントロはELOの手によるものだろうが、この効果音は映画制作サイドが足したものの可能性もある)。このバージョンは本来ならreissueされたXanaduで聴けるはずだったが、今のところ果たされていない。この曲に私が思い入れがあるのは、「ファンになってから初めて聴いたELOの新曲である」からかも知れない。

Imposters Of Life's Magazine(I/曲名):Idle Raceのイギリスにおけるデビューシングル。1967年発売。Jeffの曲としては名実ともにファーストシングルということになる。効果音の使用など、silly songのように聞こえなくもないし、その後の曲を見ていくとまだまだ完成度は低いが、ピアノの間奏などマッチしておりいい曲だと思う。B面はSitting In My Tree。しかし、Idle Raceの他の曲と同様、ヒットには至らなかった。

In Old England Town (Boogie No.2)(E/曲名):Electric Light Orchestra II収録。サブタイトルにBoogie No.2とある理由はJeff's Boogieの項目を参照。ファンの中では評判も高い曲ではあるが、個人的にはあまり好きではない。他の曲に比べて、ということではあるが。しかしこの曲にはinstrumental versionがあって、コンピレーションアルバム、The Light Shines OnやEarly ELOで聴くことが可能だが、ボーカルをシンセサイザーで代用したこちらのバージョンの方が面白い。これは1973年に「ミキシングデスク上で」作成された。また、Boogie No.2というタイトルで30周年記念盤Electric Light OrchestraのエクストラCD、First LightにRoyが在籍しているころのライブバージョンが収録されている。中盤に唐突にハモンドオルガンが入ったりして、かなり興味深いバージョンと言えるだろう。

In-Laws, The (E/映画):2003年公開の映画。挿入曲としてDon't Bring Me Downを使用。

In The Hall Of Mountain King(E/曲名):On The Third Day収録。邦題「山の大王の広間にて」。元曲はKriegの「山の魔王の宮殿にて」。クラシックの名曲をロックバンドが演奏するという形式ではELO唯一の曲ではあるが、前アルバムでRoll Over Beethovenをやっているので(勿論これはクラシックの曲ではないのだが)、インパクトとしては劣る。パフォーマンスとしては充分スリリングなできで、当時はライブでも演奏していた。ライブアルバムThe Night The Light Went Onでも聴くことが可能で、曲の後半はGreat Balls Of Fireに雪崩れ込む。

In The Summertime(曲名):1970年7月にリリースされたIdle Raceの曲だが、既にJeff LynneはMoveに去っており、ボーカルはDave Walkerがつとめている。イギリスでは発売されていない? オリジナルはMungo Jerryで、ドイツではオリジナルよりも先に発売するという姑息な手段をとったが、オリジナルの前には歯が立たず。ただ、アルゼンチンではNo. 1ヒットとなる。B面はTold You Twice。しかし「政治的な理由」により、海外のヒットではバンドに収入が入らず、これがIdle Race終焉の原因となる。

Indian Queen(E/曲名):On The Third Dayのアウトトラック。レコーディングが終わってメンバーが帰宅した後、Jeff LynneとRichard Tandyがスタジオで録音した曲と伝えられる。曲調としては、同じくOTTDのアウトトラックであるBaby I Apologizeと同じく、Jeffのポップ面が素直に現れた曲であり、アレンジによってはIdle Raceや後期ELOの曲としても違和感がない。こういう曲が当時のストリングスアレンジを加えられるとどうなるかというのは非常に興味深いのだが。残念なことに、これまでリリースされる機会を逸している。ブートレッグInto The Lightで聴くことができる---とか書いていたら、FlashbackにIndian Queenが収録された。デモと書かれていたので、どう違うのかと思っていたら、テンポから何から全く違うバージョンだった。まさしくインディアン音楽のような雰囲気も漂わせる。このバージョンはJeffがテープレコーダーで録音したもので、別のバージョンが将来発表される計画もあるそうだ。ちなみに、Into The Lightに収録されているバージョンは最後が少しだけ欠けており、実は「○○○」の音で終わっている。

Indiana Rainbow(R/曲名):Wizzardが1976年3月にリリースしたシングル曲。B面はThe Thing Is This (This Is The Thing)。レーベル面にはRenaissanceへの謝辞が書かれており、Annie Haslamを始めとするRenaissanceのメンバーが協力したことがうかがえる。この曲自体はWizzardのサードアルバム(現在のMain Street)に作られたものだが、アルバム自体が発売中止になってしまったのでシングルでのみ聞けるようになっていた。当時のWizzardの曲としては妙にポップ。

Information(J/アルバム):1983年発売のDave Edmundsのアルバム(Columbia FC 38651(US-LP), Arista 25RS-196(JP-LP), Arista BVCA-5006(JP-CD)---とすると、UKではLPもCDも出てないんでしょうか。オランダ盤というのがUK盤のかわり?)。JeffはタイトルトラックとSlipping Awayをプロデュースしている。次のアルバム、Riff Raffでもそうだが、Jeffのプロデュースは極めてELO的なアレンジで以前のDaveの音楽とは水と油に聞こえる。

Information(J/曲名):Dave EdmundsのアルバムInformationのタイトルトラック。作者はDave自身で、Jeffはプロデュースを手がけている。Richard Tandyも演奏で参加。シングルカット(Arista ARIST 532 c/w What Have I Got To Do (To Win))される。邦題は「恋のインフォメーション」。なんかなあ。

Interlude 1(E-II/曲名):Moment Of Truth収録。Louis ClarkがAbbaphonic作成時、I Have A Dreamのオープニングで使用したメロディを用いた。

Interlude 3(E-II/曲名):Moment Of Truth収録。Louis ClarkがAbbaphonic作成時、Does Your Mother Knowのミドルで使用したメロディを用いた。

Into The Great Wide Open(J/アルバム、曲名):1991年にリリースされたTom Petty And The Heartbreakersのアルバム及びそのタイトルトラック。プロデュースはJeff Lynne、Tom Petty、Mike Campbell。バンドフォーマットとはなっているが、路線としてはFull Moon Feverの延長線上にある作品で、Jeffのカラーが強く反映されているアルバム。曲の方はJeffとTom Pettyの共作で、ロックバンドのサクセスストーリーを歌っている。ビデオクリップ(Johnny Deppが出演したらしいが、私にはこの人がどんな人なのかわからない)用にInto...(曲)のエクステンドミックスが作られたが、ビデオ以外のフォーマットではリリースされていない。



Into The Light(E/ブートレッグ):1999年に出た2枚組みブート。最近ELO関係のブートといえばTendolarからのものが多く、内容としてもレアなものとそうでないものが中途半端にミックスされて消化不良のようなものが目立っていたが、このリリースはかなり特徴的なものであった。曲目などの詳細については全てを羅列するのは避けるが、ライブやラジオショーといった「いかにもブート向けのレア音源」はここにはなく、ELO前夜からごく最近にかけての「CD化されていない、または入手困難な正規録音」を中心にまとめてあり、一部を除けばその選曲に関してはポリシーが感じられ、これを作ったのがいい加減なブート屋ではなくELOのファンであることがうかがえる。まずCD1はMoveのトラックで幕を開ける。Down On The Bayは私が既に所有しているものとくらべると最後の処理が少し違うように感じるので今後確認するつもりだが、これ以外は公式録音そのものであり、全体の流れからすれば違和感を覚える。Lynn Hoskinsがリストで憤っていたのも特にこの点であり、入手容易な曲をそのまま収録することは問題だという論調であった。この「ファンとしての良心」を言い出すときりがないので単に選曲として論じるにしても、少なくともDown On The Bay以外は不満。私に選ばせてもらえるなら、Idle Raceから1曲(できればボーナストラック)とGreat Moveに入っていたコマーシャルを入れるくらいが適当ではなかったか。Baby I Apologizeは今更レアとも言えないが、妥当な選曲。Great Balls Of FireはLong Beachライブからだが、In The Hall Of Mountain Kingがカットされているのはむしろ残念。Indian QueenとB-sideはこのブートの目玉のひとつ。B-sideは一部しか紹介されていないのが残念だが、是非フルバージョンで聴きたいものだ。このあたりにIn Old England Townのインストなどを入れる方法もあったと思うが。続いてWorld War IIからのBeatlesのカバー。そして悪評高いJeff Lynneのソロ。しかしこうして続けて聞くとあまり違和感は覚えない。ひどいひどいと思っていただけに「精々こんなものだったか」という印象。それからXanaduのビデオから落とした曲が2曲。Drum Dreamsはシングルバージョンでも値打ちはあると思うが、あえて映画バージョンを使う辺りが芸が細かい。XanaduのスペシャルCDがなかなか出ないことへの皮肉とも取れる。Electric DreamsからのJeffの曲はVideo ! (instrumental)とSooner Or Laterがこれまで未CD化。Video !とLet It Runを入れてあるのは中途半端だが今となってはCDを入手しにくいことを考えると理解できるところか。After All、Caught In A Trap、Matter Of Fact (alternate lyric)はAfterglowにももれた未CD化曲。というわけでCD1はELOの歴史をなぞるような曲順となっている。CD2に移って、オープニングにKelly GroucuttのAm I A Dreamerをもってくるなど、メンバーのソロ活動を中心とした選曲。Am I A Dreamerはえらく高音がきんきんした印象。意外にBev Bevanのドラムが目立たないのが新しい発見だった。有り難い選曲ではあるが、Kellyが再発されるまでの運命か。OrKestraはCDが見つかりにくいからしょうがないかも知れない。BevのLet There Be DrumsはFriends And Relativesが出た後だけにレア度が下がって惜しかった。Tandy And MorganのAction !も未CD化なので嬉しいプレゼントだが、やっぱりDave Morganの声はこういう曲にはちょっと不向き。もうひとつの目玉であるRoy WoodとJeffとのコラボレーション。これを手に入れるためだけでも価値はあると思われるが、Royにどれだけ親和性があるかによって評価は異なるだろう。WilburysのRattledはデモのようだが、恐らく他のブートで聞けるものと同じだろう。Every Little Thingのextendedは結構あちこちで聞けるのであまり新鮮味がないが、最低限の押さえか。その他Jeffのソロシングルからの2曲。これらはCDで発売されたが現在では入手困難なもの。Wild Timeはこれ1曲のためにサントラを買うのがばかばかしい人向け。Jim HornとDave MorganはいずれもJeffがらみ。共にCDにはなっているが、前者は入手困難で後者は通販だけなので初めて聞いた人も多いだろう。そしてELO Megamixも未CD化。恐らくこのミックスは最後の最後までリイシューされることはないだろうから、案外ここにこのブートの価値が出てくるかも知れない。Hold On Tight (ECO)はなんなのか私にはよくわからない。ボーカルは本当にJeffなのだろうか。Electric Computed Orchestraとかいうしゃれなんだろうか。
ずいぶん長くなってきたがもう少し。アートワークはあまり手は込んでいないが良心的。音質はテープやアナログから持ってきたものが多いので良好とは言いがたいが、スクラッチノイズが目立つわけでもなく、許容範囲内。Tendolarのブートのように、無神経なエディットもなされていない。選曲としては上述の通り、超レア(これの代表はBeatles Forever)といえるものはなく、聞いたことはあるのだがというものが多いものの、CDになっていないものや廃盤になっているものなど、ファン心をくすぐるものといえる。ブート屋の仕事に納得がいかないファンが作った品だと思われ、その心意気は評価したいし、私自身これを手に入れたことは幸福だと感じている。しかしその反面、ファンの全てが共有すべきである音源を集めただけの(この「だけ」は厳しい言葉であるとは思うが)ものを販売して利潤を得ようという人間がファンの中から出てきたということには複雑な心境である。

Intro(R/曲名):Wizzardの(Introducing) Eddy And The Falconsのオープニングトラック。自動車が止まり、誰かが歩いていく足音のSEに、「あれを見て、エディよ、いかすわね」「あいつのシャツは俺のと似てるぜ」という男女の声(男はRick Priceだという)がはいり、ドアが開く音とともにEddy's Rockが始まるという構成になっている。

(Introducing) Eddy And The Falcons(R/アルバム):1974年発売のWizzardのセカンドアルバム。当初は2枚組みで企画され、それぞれの面がジャズ、ポップ、カントリー、ロックという構成になるはずだった。このうちジャズ作品4曲の録音は完了していたが、その後ロックンロール作品の作業中、会社からアルバム全体をロックンロールとすることを指示された。結局完成した作品は1枚もので、Eddy & The Falconsという架空のバンドのライブを収録したという体裁になっており、その意味ではBeatlesのSgt. Peppers Lonely Hearts Club Bandと類似している。内容的には50-60年代のロカビリーを中心としたミュージシャンのパスティーシュとなっている。なお、パーソネルとしてはHugh MacDowellがELOに出戻っていた以外にBill Huntがこのアルバムの録音末期に脱退している。そのかわりにMongrelでボーカルを務めていたBill Bradyが加入しており、We're Gonna Rock'n' Roll Tonightでco-lead vocalを果たした。エンジニアはPete Olliff、Steve Brown、Roger Wake(いずれもPhonogram)、Bill Price(Air)、Dick Plant(De Lane Lea)。カッティングエンジニアはArun Charkraverty。デザインはSeabrook/Graves/Aslett。ジャケットはパブのチェック柄のテーブルクロスの上にバンドメンバーの写真が乗っているもの。ゲートフォールドの内側も同趣向で、一部の写真ではメンバーが「喧嘩している」シーンが写っている。Roy Woodは当時パブの客と口論したあげくに髪の毛を固く結ばれてしまっており、どうせ切らないといけないのなら、と50年代風のヘアスタイルにした。個人的にはRoyのアルバムとしてはベストだと思っているので、聞き所は紹介しきれないが、Duane Eddyに倣ったEddy's Rock、Runaway (Del Shannon)そのもののEveryday I Wonder、シングルカットもされ、サックスがうなるバラードの傑作This Is The Story Of My Love (Baby)、Cheap TrickもカバーしたWe're Gonna Rock'n' Roll Tonightなどを挙げておきたい。なお、Crazy JeansではDon Ardenのことも歌われている(らしい)。長らくCD化がなされずにいたが、1999年秋、ボーナストラック付きでCDとしてリリースされた。このアルバムのプロモーションパーティにはJeff Lynneも招待され、ジャムセッションを行ったという。

Is It Alright(E/曲名):Balance Of Power収録。このアルバムには(うがった見方をすれば)男女の間のコミュニケーションがとりづらいことに起因する曲が多いが、この曲もその中の一つ。プライベートで悩んでいたJeffの心の揺れを表すのかも知れない。

It Wasn't My Idea To Dance(M/曲名):Messae From The Country収録。Bev BevanによるとZappa風の曲。

It'll Be Me(M/曲名):EP Something Else From The Move収録。オリジナルはCliff Richard。

It's Not Easy(R/曲名):1982年2月にリリースされたRoy Woodのソロシングル。チャートインできなかった。B面はMoonriser。

It's O.K.(R/曲名):Beach Boysの1976年のシングル曲で、アルバム15 Big Onesに収録されている。Roy WoodとWizzardがサックスで参加。本来はもっと音が大きかったが、プロデューサーによってボリュームが絞られてしまった。

It's Over(E/曲名):Out Of The Blue収録。このアルバムからの4枚目のシングルとしてカットされる。バラードであるが、コーラスワーク、ストリングスアレンジ、ピアノソロなどが見事に溶け合い、去りゆく夏の日の思い出を見事に描写している(なんという説明だ)。

It's Over (J/曲名):Roy Orbisonのヒット曲。Jeff Lynneは1990年(確認必要)のRockline Showでこの曲をアコースティックで演奏した。

J

Jailhouse Rock(その他/曲名):Elvis Prelleyの曲。Bev Bevanの人生を変えたらしい。

Jeff Healey Band, The(グループ名):Jeff Healey参照。

Jellyfish(グループ名):アメリカ西海岸出身のバンド。Redd Kross、Posiesと並んで西海岸ポップを代表したが、この3組の中では最初に解散した。ソングライターティームとしてのAndy SturmerとRoger Manningのコンビが絶妙であり、わずかに2枚のアルバムを残したのみで解体したことは非常に残念である。これもリーダーを二人抱えるバンドの宿命か。私は最初ファーストアルバム、Bellybuttonを聴いたときには少しがっかりしたのだが、それは期待が大きすぎたためであろうと思われるし、実際しばらくしてから聞き直したときには改めて完成度の高さを認識したものだった。ところでELOの話に戻すと、彼らはステージにおいてMoveのI Can Hear The Grass Growをよく演奏していたという。しかしこの演奏はこれまでのところ発表されておらず、今後の展開が待たれる。

Jensen(R/その他):Roy Woodが1972年ごろに乗っていた車。ピンク色をしており、ナンバープレートはTOP 20 Hだった。

Jesamine(R/アルバム):1991年にCDでリイシューされたCasualsのベスト盤。Roy Wood作曲・プロデュースのCaroline、プロデュースのNaughty Boyが聴ける。

Jet Records(その他):ELOのマネージメントをしていたDon Ardenが設立したレーベルで、レーベル名の由来はWingsのJetだという。Face The MusicからSecret MessagesまでELOが所属した。distributionは最初Warner、Face The MusicからPolydor、A New World RecordよりUnited Artists、DiscoveryからCBS Sonyとなる(Island、WEAでPolydor?)。日本では短期間だけLibertyに属し、その後United Artists/King、以後は欧米と同様。Don Ardenの一族会社であり、レーベルメイトにはGirl、Tricksterなどがあった(後者にはPhil Batesが所属していた)が、メジャーアーティストはELOとOzzy Osbourneだけであった。ELOが離れてから没落し、最後のメジャーリリースはA Perfect World Of Music (ELO)で1985年。

Jewell & Johnny(O/曲名):アルバムNo Rewind収録。Parthenon Huxleyの作曲によるオープニングトラックで、Mr. Blue SkyやThe Diary Of Horace Wimpを思わせるリズムにLouis ClarkのLouis節全開のストリングスが絡む佳曲。Parthenonはこの曲をLive In Your Living Roomでも披露しているが、実は歌詞をもろに間違えて歌っている。

Jig A Jig(E-II/曲名):1994年ツアーにおいてMik Kaminskiがソロで演奏した曲。本来は「エデンの東」の曲らしい。

Jimi Hendrix Experience, The(グループ名):Moveがサポーティングアクトを勤めた関係で親しくなり、You Got Me Floatingの録音にMoveのメンバーを招待。また、RoyはスイスでJimiとジャムしたことがある。

Jive Bunny And The Mastermixers(グループ名):Let's Party参照。

Joe Soap(グループ名):Tennet Morrisonのバンドで、1973年のアルバムKeep It CleanにはMik Kaminskiが参加している。プロデューサーのSandy RobertonはMikをAndy Robertsに紹介した。

John, Elton(人名):こっちは正真正銘のエルトン・ジョン(なんのことかわからない人はElton, Johnの項目を参照)。1977年頃にJeff Lynneと何曲かレコーディングをしているというが、これまでは未発表。George HarrisonのCloud 9セッションにも参加した。

Johnny Carson Show, The(その他):Richard Tandyの好きなテレビ番組。彼はホテルの部屋でテレビを「研究」することで、平気で数時間「行方不明」になったという。

Johnson, Big Al(人名):本名Alan Johnson。Mike Sheridan And The Nightridersのギタリストだったが、大柄であったためギターがスプーンのように見え、これからBig Alとあだなされた。彼の脱退にともなってRoy Woodがリクルートされたが、彼のプレイは若きJeff Lynneにとって印象深いものであったらしく、Jeffのヒーローの一人であるという。1972年にJeffのプロデュースで録音を行ったらしいが、これまでリリースされていない。(この件についてだが、First Lightのライナーにおいて、Philips StudioのアーカイブからMove、ELO、WizzardのマルチトラックのほかにBig Al Johnsonのものも出てきたとも読み取れる記載がなされており、現物が手の届く範囲に存在する可能性がある。今後のリリース計画が待たれる)

Jolly Cup Of Tea(R/曲名):WizzardのWizzard Brew収録。アレンジはまさしくマーチなのだが、こんな曲を堂々とアルバムに含めるというのはWizzardの懐の深さを思わせる。

Jones, Brian(人名):ELOのローディ。1971年春ごろに参加する。1975年にはチーフになっており、Fire On Highのイントロで彼の走る音が使用されている。Missionの特殊効果を担当した。Out Of The BlueでJeff Lynneが山ごもりしていたときに付き添った。LAでツアーの合間ができたとき、黒人女性にちょっかいを出して、ベッド内で全身傷だらけにされた。他にもいろいろエピソードはあったはずですが、思いだしたら書きます。

Jones, Tom(人名):1995年のアルバムThe Lead And How To Swing ItでJeff LynneのLift Me Upをカバー。プロデュースもJeff。

Journey(グループ名):バンドの説明は省略。Out Of The BlueツアーでELOのオープニングアクトを務める。Bev Bevanは彼らの演奏に影響されそうになって困ったと書いている。

Joyride(E/サウンドトラック):1977年発売。映画の内容は見たことがないのでわからないが、ジャケット写真から見るからに、青春映画であると思われる(最近得た情報では、カリフォルニアで車を盗んだ10代の若者たちがアラスカまで逃げるという話らしい)。ELOとBarry Mann、Jimmy Haskelの曲を収めており、ELOの曲はTightrope、Can't Get It Out Of My Head、Boy Blue、So fine、Telephone line、Rockaria!が使用されている。ELOの曲はハードアクションのシーンで使用され、ELOのイメージをよりタフにするために意図されたという(そういうシーンに似合う曲といっても、TightropeとRockaria!くらいしかないんじゃないか?)。

Jubilee(R/曲名):Roy Wood's Wizzo Bandの1977年のシングルThe StrollのB面。Roy Wood、Annie Haslam、Dave Donovanの共作。アルバムSuper Active Wizzoに収録されるときにはイントロがカットされ、曲名もGiant Footsteps (Jubilee)と改題された。

Julie Don't Live Here(E/曲名):シングルTwilightのB面として発表されたがアルバム未収録で、その後コンピレーションアルバムAfterglowに収められたため、聴くことができるようになった。但し日本においてはB面から外されていたため、Afterglowが初めてのリリースということになる。これは、「あまりにいい曲なのでB面にしておくのには惜しいから、ここは別の曲と差し替えておいて、これをA面にしたシングルを出そう」というCBSソニーの意向による処置だったが、Twilightが予想を遥かに下回る成績に終わったため、このもくろみは見事に裏目に出た。ただ、当時のファンクラブ会員にはテープ録音で聴けるという特典があった。さて、曲としてはアルバム1曲目の「典型的ELOポップでヒットを狙った作品」とは異なり、派手さはないものの心躍るようなできで、Livin' Thing、Sweet Talkin' Woman、The Diary Of Horace Wimp、The Way The Life's Meant To Beといった系譜に属するように思える。しかし歌詞は去ってしまったJulieという女性を懐かしむというセンチメンタルなもので、この落差も面白い。Richard Tandyによるチャーチベル(?)も気持ち良い。リマスター盤Timeでクリアなバージョンを聴くことができるようになった。

Jungle(E/曲名):Out Of The Blue収録。ジャングルの中での動物達のパーティを描いた遊び心にあふれた作品で、効果音もふんだんに用いられている。ターザンの雄叫びはJeff Lynneによる。タップダンスのSEはMusicland Studioの廊下で収録された。ドイツ語のコーラスが使用されており、Mackによって訳された歌詞は"Im Dschungel, da tanzen die Tiere herum"で、ジャングルの中で動物達が踊り回っている、という意味。ドイツ語でコーラスを入れるというアイデアはミュンヘンのオーケストラ・合唱団から出されたという。

A-Zトップへ

ホームへ