A
A Better Life(I/曲名):Idle Race収録。
A Matter Of Fact(E/曲名):1986年発売のシングルSo
SeriousのB面。Afterglowに収録されたのでこちらで聞くことができる。12インチシングルではalternative
lyric
versionも収録されているが、これはCD化されていない。良くも悪くもB面的な曲である。
A New World
Record(E/アルバム):1976年10月発表。ジャケットに初めてELOの特徴である「円盤マーク」が登場した。これはWurlitzerのジュークボックスデザインに由来しているという。裏面には7つの星が円形に並び、7人のユニットであることを示している。inner
sleeveには7人が並んでいる写真。邦題は「オーロラの救世主」。ジャケットで摩天楼都市の上に浮かぶ円盤のさらに上にオーロラが配置されていることを意図したのか。原題は、モントリオールオリンピックの中継でアナウンサーが「世界新記録」と連呼していたことによる。ミュンヘンのMusic
Land Studioを使用し、エンジニアはMack。Telephone
Line、Rockaria、Livin' Thing、Do
Yaをシングルカット。アルバム構成はかなりセールスを意識しており、大仰なイントロからのりのいい曲、渾身のバラード、ロックンロール、といった曲の配置、最後に再びロックソングから長めのバラード、と曲順に関してはELOの典型といってよいと思われる。Louis
Clarkのストリングスはいよいよ冴えてくる一方で、ELOのストリングスプレイヤーは一部のパートのみに起用されるにとどまる(Mik
KaminskiがLivin'
Thingのイントロで用いられるなど)。UK6位、US5位を記録した。なお、ELOのストリングスセッションがイギリスで録音されたのはこれが最後となった。
A Perfect World Of
Music(E/編集盤):1985年、Jetから最後に発売されたELOのコンピレーション。Xanadu収録曲も収められており、ヒット曲網羅ということでいえば、初心者にも勧めやすい内容になっている。LPバージョンではDo
YaとAll Over The
Worldが編集されているということだが、私はCDしか持っていないので未確認。後に発売されたAll
Over The Worldというコンピレーションと同じ内容。
A Song For All
Seasons(R、その他/アルバム):Renaissanceの1978年のアルバム(邦題「四季」)でLouis
Clarkがストリングスアレンジ。Roy WoodがNorthern
Lightsに参加していると言われている。
Abba(グループ名):ELOが一部のレコーディングをAbba
Studioで行ったり、Jeff LynneがAgnetha Falskrogにne Way
Loveを提供したり、またDoctor And The
MedicsがWaterlooをカバーした際にRoy
Woodが参加したりというつながりがある。
Above The Clouds(E/曲名):A New World
Record収録。曲自体はおとなしい小品ではあるが、コーラスワークやキーボードなど聞き所は多い。一部のCDでは省かれているという話。Sparkle
Jets* UKがカバーバージョンを発表しており、トリビュート盤Lynne Me Your
Earsにも収録された。
Academy Of Music(その他):1973年、ELOがライブを行ったNew
Yorkの会場。ELOは英国バンド特集に参加し、ヘッドライナーはSavoy
Brownでその他Manfred Mann's Earth Band、Status
Quoが出演していたが、ELOは一番の好評を得た。
Ace Kefford Stand(グループ名):Ace
KeffordがMove脱退後に結成したバンド。メンバーはCozy
Powell(ドラム)、Dennis Ball(ベース)、Dave
Ball(ギター)。1969年にシングルFor Your
Loveを発表するが、Aceがやめてしまったので代わりにPeter
Frenchを迎え、名前をBig Berthaに改めてシングルThis World's An
Apple(1969, Atlantic 584 298。B面はFor Your LoveのB面であるGravy
Booby Jamと同じで、クレジットはBig Bertha featuring Ace
Keffordとされた)を発表する。
Ace The Face(その他/アルバム):Ace
Keffordが1969年頃に製作していたソロアルバム。当時のプロデューサーはTony
Viscontiだったらしい。その他録音にはJimmy
Pageも参加していた。長らく未完成のまま放置されていたが、Carl
Wayneの協力を得て2003年にリリースされることになった。
Acid Gallery(グループ名):1969年、Roy Wood作・共演のDance 'Round
The Maypoleを発表。後にChristieと改名してYellow
Riverでヒットを飛ばす。
Ackrill, Phil(人名):もともとBev
Bevanの友人で、Bevの最初のバンド(The
Senators)でリズムギターを弾いていた。その後Denny Laine And The
Diplomats、The
DiplomatsまでBevと行動を共にする。Duolomatsが解散した後はEllis Travel
Agencyに勤めた。
Across The Border(E/曲名):Out Of The
Blue収録。本来のA面ラストの曲。エンディングのスピード感が楽しい。イントロでは走りすぎる列車のサウンドエフェクトが聞かれる。
Action(アルバム、曲名):1986年Birmingham
Heartbeatの際、発売されたチャリティアルバム。この中にはRoy
Woodが提供したGreen Glass
Windowsも収録されている。タイトル曲のActionはThe Tandy Morgan
Bandの作品で、プロデュースはJeff Lynne。録音はWoecesterのThe Old
SmithyとBirminghamのThe Abattoir。ミックスもThe
Abattoirでなされた。エンジニアはColin OwenとAlan Cave。B面はTequila
Moonshot、Paradise Garden、Action
(Instrumental)(フォーマットにより異なる)。12インチ、7インチシングルのジャケットは参加アーティストのサインで埋められている。ところで、7インチは2枚組みで12インチと同じ曲が収められていたらしいが、誤ってRough
Tradeの曲が収録されてしまったミスプレスがあるらしい。曲調はハードポップとでもいうか、あまりJeffプロデュースで儲けている印象はない。
Adaptation(その他):2003年に公開された映画のタイトル。テレビスポットでMr.
Blue Skyが使用された(本編では使用されていないという)。
Adrian(人名):Bev Bevanの長男。母親はValerie。1981年生まれ。
Adrian Ulysees(その他):Roy
Woodが彼の本名を尋ねられて答えた偽名。当時(今ではどうか知りませんが)芸名を名乗るミュージシャンは多く(例えばMike
Sheridanは本名Mike
Tylerであるなど)、Royもしつこく本名を尋ねられ、同じ質問に飽き飽きしてこう答えたのが流布されたという。この件についてはRoyがBBCの番組に出演したときに自ら経緯を語っている音源(希望者には差し上げますので連絡下さい)が存在し、これにて一件落着(というわけで間違っている記述はみなさん直して下さいね)。
Advision(その他):The Move、Birthday
Partyが録音されたスタジオ。ロンドンのNew Bond
Streetにあった。毎週日曜日にエンジニア達が新しい録音手法の勉強会をやっていたが、Roy
Woodはファーストアルバムのプロデューサー、Gerald Chevin、Edward
OffordにJeff
Lynneを紹介した。Jeffはこれに応じて毎週Birmingham-Londonを往復し、このため他の新人バンドよりずっと長くのスタジオ時間を確保することができた。
Aerial Pictures(R/曲名):1982年発売のCarl
Wayneのシングル曲(名義はCharlie Wayne)。もともとはRoy
WoodがHelicopters用に書いた曲で、録音までなされたがリリースに持ち込むことができず、結局Carlに提供してボーカルトラックを取り直すことで発売された。録音はDick
Jamesミュージックスタジオでなされた。この曲は、ほんとにRoyらしい曲で、Carlのボーカルも悪くないのだが、Royのボーカルで聞きたいと本気で思う。B面はColourful
Lady。
After All(E/曲名):1983年に発売されたシングルSecret
MessagesのB面として発表されたインストルメンタル。一応この曲はfillerと呼んでも間違いではないだろうが、それなりにいい曲。Afterglowからももれていたが、ついにFlashbackでCD化された。一説によると、この曲には長さの違う別バージョンがあるらしく、未発表のままである。
Afterglow(E/コンピレーションアルバム):1990年発売。数年前から流行していたアンソロジー形式の3枚組み。それぞれのディスクは概ね時代順に曲が配されており、ディスクE、L、Oと名付けられている。US盤は12インチのボックスセットで、日本盤はCDサイズのボックスセット。選曲はJeff
Lynneが行ったので、一般的なヒットソング網羅とはやや趣が異なる。一部「Jeffが入れたくなかった」曲はシングル曲でも除外されているが、日本盤ではしっかり収録されている。ただ、Xanaduからの曲は収録されていないのが惜しい。発売当時、Face
The
MusicのCDでカットされていた部分を(一部)聞くことができるのが有り難かった。中でも価値の高いのはディスクOで、シングルのB面、アウトテイクが数多く収められている。未収録曲といってもレベルは高い。音質がひどいと言って毛嫌いするファンもいるが、これがないと私は困ってしまう。{私も出来たら聴きたくない。レコードで聴きたい。日盤は米盤に増して音が悪いです。特にELOの1st・2nd収録曲は最悪。あと1st収録曲は左右のチャンネルが反転してます。(mad
eyckさん)}
Ahh... Laine!(その他/アルバム):Denny
Laineの1971年のアルバム(Wizard SWZ 2001)で、Find A Way
Somehow、Baby CarolineはBallsとして録音された曲。
Air
Canada(その他):ELOのツアーに際して、規則より3インチ長いことを理由にMik
Kaminskiがバイオリンを手荷物として持ち込むことを拒否した。
AIR Studio(E/その他):
Airforce One(その他/アルバム):Ginger Baker's Airforce参照。
Airforce Two(その他/アルバム):Ginger Baker's Airforce参照。
Alan Parsons Project(グループ名):ELOとの関わりはAlan
Parsonsの項を参照。Alan Parsons
ProjectそのものとELOファミリーとの関係はないが、一応項目としてあげておきたかったので。
Albuquerque, Michael de(人名):1947年7月24日生。ELO
IIからEldoradoまでの3枚(1972年7月-1974年9月)に参加したベーシスト。苗字は「アルバカーキ」と読む。名前は一般には「マイク」と呼ばれていることが多かったようだ。それまでベースはRichard
Tandyが担当していたが、Roy
Wood脱退により、玉突き式にベーシストが必要になった。彼をリクルートしたのはDavid
Arden。初めてのステージは9歳の時で、Royal Albert Hallにおける28
Choir。プロとしてのキャリアは1970年のMarqueeが最初。ELO加入前には1971年、Ricotti
And Albuquerque名義でアルバムFirst
Windを発表、ギターとリードボーカルを務める。その他のメンバーはFrank
Ricotti(サックス、パーカッション、ビブラフォン)、John
Taylor(ピアノ)、Chris Lawrence(ベース)、Trevor
Thomkins(ドラム)で、ジャケットはMichaelの妻Janeによる。またEd
WelchのClownsではCozy Powell(ドラム)、Alan
Gorrie(ギター、バックボーカル)、Ed
Welch(ギター、ピアノ、ボーカル)らとプレイする。また彼らのセカンドシングルIt
Ain't Easy (c/w
Fridays)はMichaelのプロデュース。ELOの発展期を支えるが、バンドが成長するに連れ、ツアーが続くことで家庭が疎かになることを恐れ、妻Janeの妊娠をきっかけにバンドをやめる。EldoradoにおけるベースのほとんどはJeff
Lynneの演奏であるという。ELO以外の活動として、在籍中にソロアルバムWe
May Be Cattle But We're All Got
Names(RCA、1973)を発表、このアルバムでは旧友Frank RicottiとChris
Lawrenceの協力を得、全曲の作曲及びピアノ、ギター、共同プロデュースを行っている。曲調はブルース・ジャズ的であるという。シングルDo
Right (c/w Lonely)をカットしたがヒットには至らず。その後Maxine
Nightingaleの1976年のアルバムRight Back Where We Started
Fromにゲスト出演、Wilf
Gibsonと再会した。1976年にはセカンドソロStalking The
SleeperをAlbuquerque名義でWarnerから発売、Michaelは共同プロデュースを務め、ELO的なストリングスを大いに含んでいるという。同年、20th
Century Steel BandのアルバムYellow Bird Is
Deadのセッションに参加。さらに3年後Violinskiに加入してリードギターとボーカルを務める。セカンドアルバムStop
Cloning
Aboutには彼の曲も収録されている。1981年にはSundanceを結成、2枚のシングルを発表した(後にアルバムもCDで発売された)。公開されている写真の多くでは、チェックのジャケット(2着持っているものの片方らしい)を着ている。「英国人たるもの常に上着を着ていなければならない」として、30℃を超えるアメリカツアーでも脱がなかった。特にイギリスにいるときには常に傘を持ち歩いており、「私は英国人だが、君たち(他のメンバー)はとんだ外人だ」と語った。まじめそうなルックスだが、実は冗談が好きらしい。また、彼の伯父はD'Albuquerqure侯爵で、彼自身BBCのアナウンサー以上に正確なアクセントで喋ったという。また、ELO加入前にはワインのテイスターをしていたともいう。
Alive But Dead(J/曲名):1973年にDel Shannon、Jeff
LynneとELOのメンバーにより録音された曲。現在まで未発表。新たなDelのアンソロジーで日の目を見るという噂があったが、どうなったのだろうか。
All Gods Blessing(その他/アルバム):Dave
Morganが1991年に発表したカセットアルバム。Daveはクリスチャンシンガーと化しており、タイトルから示されるように内容は神を讚えるものとなっている。当初11曲入りで教会で販売し、後に5曲を追加してFace
The
Music-UKから通信販売された。現在はCallと改題されてCDで入手が可能。
All Over The
World(E/曲名):サウンドトラックXanadu収録。映画ではGene
Kellyが衣装を捜しに行くシーンで使われている。中盤で世界の主要都市が歌い込まれているが、その中に混ざっているShard
EndとはBirminghamの中にある地名で、Jeff
Lynneが昔住んでいたところ。ちなみに、ELO Part2のライブでは、Shard
Endを別の地名に置き換えて歌っているという。大人げないようにも思うが。なお、ここで歌われる都市名は3rd
verseのバックでリピートされているが、Hong KongのかわりにNew
Yorkと歌われている。また、Gay
Pareeというフレーズの後のコーラスは"C'est la vie avez vous coup of
tea"と歌っているそうで、これは"Such is life, so have a bit of
tea"という意味。シングルカットされ、B面はMidnight
Blue。UKで11位。USで13位。
All Over The World(E/曲名):コンピレーションアルバムEarly
ELO収録。Showdownのearly versionである。
All She Wanted(E/曲名):アルバムZoom収録。George
Harrisonがスライドギターで参加しているほか、Rosie Vela、Laura
Lynneがコーラスで参加している。ただ私としては、面子は豪華な割に影の薄い曲だと感じていた。
All This And World War Two(アルバム):Lou
Reiznerによる映画のサウンドトラックらしい。内容は第二次世界大戦の際の映像をBeatlesの曲(のカバー)にのせて見せるものだそうだ。特筆すべきは、錚々たるミュージシャン(Bee
Gees、Status Quo、Keith Moon、Peter Gabriel、Helen
Reddyなど)がBeatlesのカバーを行っている点で、Jeff LynneのWith A
Little Help From My Friend、Nowhere Man、Roy WoodのLovely
Rita、Polythy Pamほか、どうしてこれがCD化されていないのか不思議。
ALO(その他/曲名):Asiaのアウトテイクで、Archiva
1に収録された。フルタイトルをAsiatic Light Orchestraという。John
Paineの作曲でもともとはQuest For The
Keyというタイトルだった。ELO的なアレンジではあるが、結局Jeff
Lynneのソングライティングがすぐれていたという印象を抱かせる。だから、彼がELO
Part
2に加入していたとしても、だいたい同じような内容にしかならなかったのではないだろうか。
Alright(E/曲名):Zoom収録でオープニングトラック。ファーストシングルとしてカットされ、ELO名義では初めてのCDシングルとなる(c/w
Love Changes All, Do Ya (alternate
version))。ただ、USでは早々に、UKでもリリース直前に発売が中止され、これらの国ではプロモのみのシングルとなった。ヨーロッパ各国ではAustriaでプレスされたシングルが発売されている。それにもかかわらず、BBC2で「Single
Of The
Week」に選ばれたりしているのが皮肉。さらにUSでも結局シングル発売は見送られた。バッキングボーカルとしてRosie
Velaが参加する以外は全ての楽器をJeff
Lynneが担当している。しかし、日本盤を含めてアルバムバージョンはremastered
versionとうたわれ、Richard
Tandyのエレクトリックピアノが加えられている(あまり大きな音ではないので、すぐには気づきにくいだろうが、細かいリズムを刻んでいる)。とはいえ、本当にこれを「リマスター」と呼ぶべきなのかどうかは、「オリジナルバージョン」が市販されるかどうかで変わってくると思うのだが。
Alright
Now(その他/シングル):もともとBallsとして録音された曲だが、1971年にSteve
Gibbons名義でシングル(Wizard WIZ 102 c/w Lay Some Lovin'
Down)リリースされる。
Am I A Dreamer(その他/曲名):Kelly
GroucuttのKelly収録。Jeff
Lynneほどのフックはないものの、ポップソングとしてはかなり気持ちがいいし、Richard
Tandyのキーボード、Louis
Clarkのストリングスも冴えている。シングルカットされた(c/w
Anything Goes With
Me)。なお、1983年にKellyが再発された際、エレクトリックドラムなどを加えてリミックスされ、また1986年にはPlayer名義でリミックスされている。このときには新たにドラムトラック、キーボードトラック、Louis
Clarkが「よりワイルドに」アレンジし直したRoyal Philharmonic
Orchestraのストリングス(あまり変わっている気はしないが)、Mik
Kaminskiのバイオリン(なんだか素っ頓狂です)が加えられた。B面には未発表のセカンドソロからI'll
Never Forget You(Bev Bevanとの共作)、I'll Cry For You
Tonight(Royal
Philのストリングスを含む)を収めた。しかしこちらのシングルはヒットせず。
Amen Corner, The(グループ名):Andy
Fairweather-Lowをリーダーにするブリティッシュポップバンド。Roy
Woodに作曲を依頼し、Hello Suzieを録音、発表する。
Andy Roberts And The Grand Stampede(その他/アルバム):Andy
Robertsの1973年のアルバム。Mik
KaminskiがELO加入前に参加している(但し、当時はMick
Kaminskiと名乗っている)。1500枚しか生産されなかった。
Andy's Diner(その他/アルバム):1998年にDJ/musicianのAndy
Kinchが発表したアルバム。Kelly GroucuttのボーカルによるEverlastin'
Loveが収録されている。普通はこの曲だけ目当てに買いそうなものだが、他の曲にも佳曲が多い。タイトルの由来は、dinerでいろいろな料理が食べられるようにいろいろな曲を楽しめるように、という思いが込められているそうだ。ただ、今のところレーベル契約はなされておらず、プライベート盤となっているので、希望者はAndyに直接申し込むこと。
Angel Fingers (A Teen
Ballad)(R/曲名):1973年8月にリリースされたWizzardのサードシングル。バックボーカルはThe
Swedettes and The Bleach Boysとクレジットされているが、実際にはRoy
Wood自身の多重録音。このクレジットからも伺えるように、RoyがBeach
Boysへのリスペクトをこめた曲と言っていいのだろう。See My Baby
Jiveに続きUK1位となるが、Top Of The Popsに出演した際にDon
Ardenはバンドもちでシャンペンをふるまった。B面はYou Got The Jump On
Me。
Angel Light(その他/アルバム):2002年にDave
Morganがリリースしたクリスマスソング集。Martin
Smithが参加している。
Annie In Wonderland(R/アルバム):Renaissanceのボーカリスト、Annie
Haslamのソロアルバム。1977年。当時共同生活を営んでいたRoy
Woodが全面参加。作曲(I Never Believed In
Love、Hunioco、Rockalise)、プロデュース、アレンジ、演奏(ギター、ベース、チェロ、バラライカ、サックス、ドラム、トランペット、バスクラリネット、ムーグ、ピアノ、クラビネット)はもとより、ボーカル、ジャケットアートまでも手がけた。他にはRoy
Wood's Wizzo BandのドラマーDave DonovanやRenaissanceのベーシストJon
Campが参加。最近CDでリイシューされており、入手は比較的容易。
Another Day Another Dream(その他/曲名):1983年、Jack
GreenのアルバムMystiqueに収められた曲で、JackとBev
Bevanの共作。その後映画Summer
Jobにも使用された。でも映画を見ていてもどこで使われているのかよくわからない。
Another Heart
Breaks(E/曲名):Time収録。A面ラストの曲になる。カウントとAnother
heart
breaksという声が入るだけのインスト曲。となると、Time収録曲の中で、timeという単語が歌われていない唯一の曲ということに?
Another
Live(その他/アルバム):Utopiaの(何年のライブか書くこと)ライブアルバム。Do
Ya収録。
Anthology(J/アルバム):1995年から1996年にかけて、(Beatles解散25周年記念として?)企画発売された2枚組み3セットからなる作品集。内容はこれまでブートでしか聞くことのできなかったライブ、デモなども多く含まれており、当時のメディアには「Beatles初心者向きではあり得ないので、最低公式アルバムを全部持っている人間が買うように」という記事が再々載った。さて、Jeff
Lynneが関与しているのはAnthology
1(1995年11月21日リリース)およびAntohology
2であり、目玉中の目玉として、このふたつのセットの冒頭には、生前にJohn
Lennonが残したデモテープに他の3人のメンバーが演奏を重ねて完成させた、「オリジナルBeatles4人による25年ぶりの新曲」であるFree
As A BirdおよびReal
Loveが収められている。この2曲のプロデュースを任されたのがJeffであり、彼はエンジニアのGeoff
Emerickと共にJohnのデモからノイズを取り除く作業を行い、Fab
4によるファン待望の曲を作り上げた。本来はGeorge
Martinがプロデュースを行うことをファンもメンバーも期待していたはずだが、聴力が衰えていることを理由に辞退したため、Geroge
Harrisonの強い推薦によりJeffが大任を引き受けることになった。最初Paul
McCartneyはJeffと仕事をすることに抵抗を感じていたというが、結局出来栄えには満足したということもあり、その後Flaming
PieのプロデュースにJeffを招くことになった。その他、Grow Old With
Me(アルバムMilk And
Honeyにも入っている曲ですが、恐らく別バージョンでしょう)、Now And
Then / Miss
You(インストルメンタルで、曲名は仮に付けられたもの)についても作業が行われたが、リリースは見送られた。
Anthology(J/DVD):上記のアンソロジープロジェクトの一環をなすリリースで、1996年に発売されたVHSビデオを画質音質を劇的に改善させてDVD収録し、さらにSpecial
Featuresと題されたボーナスDVD1枚が追加された。このボーナスDVDにはFree
As A BirdとReal Loveのビデオクリップ(後者にはJeff
Lynneの映像が短時間だけ映る)のほか、これらの曲のメイキングビデオが収められており、こちらにはJeffのかなり長いインタビュー映像が含まれている。
Any Road(J/曲名):George
Harrisonの2002年アルバムBrainwashed収録。プロデュースはGeorge、Dhani
HarrisonとJeff
Lynne。アルバムのオープニングトラックである。2003年にシングルカットされ、CDシングルにはプロモーションクリップが収録された。ビデオ内容はGeorgeのキャリアを振り返るもので、Jeffも短時間ながら登場する。
Arabella House(その他):Out Of The
Blueセッション中、ELOのメンバーが宿泊した21階建てホテル。
Archaeology(その他/アルバム):1997年発表のRutlesのアルバム。無論BeatlesのAnthologyのパロディなのだが、クレジットのThanks
toの中にJeff
Lynneの名前がある。単にAnthologyにJeffが関わったからだけなのかも知れないが、深読みをすると、Shangri
Laという曲でHey
Judeのパロディをしていることとも関係しているのかも。
Arden, David(人名):Don Ardenの息子。Jet Recordsで働いていた。
Arden, Don(人名):Tony
Secundaのあと、Moveのマネージメントを担当する。その後、自らのレーベルJetを設立し、Moveの子孫を中心に据える。その営業手腕は剛腕で強引。Godfatherとも呼ばれている。彼のせいでELOはビッグになったのかも知れないが、凋落にも関与しているだろうし、Roy
Woodがキャリアのピークにいたときに充分なサポートがもらえなかったのは残念に尽きる。Jetの重役に一族をおいたこともあり、なかなかの嫌われ者ではある。彼の言葉に、「なんらかの20%と、なにもなしの100%とどちらがいいんだ?」というものがある。また、Angel
FingerでWizzardがTop Of The
Popsに出たとき、シャンペンを注文したのだが、その際の請求をバンドに回したとも言う。
Arden, Sharon(人名):Don Ardenの娘。後にOzzy
Osbourneの妻となる。Jet
Recordsの重役として働くが、酒癖が悪く、AtlantaのPeach Tree
Hotelでは湖に投げた靴をMelvyn Galeに取りに行かせたり、OhioのStouffers
Hotelでは酒を満たしたバスタブにKelly
Groucuttを突き落としたりする。2002年よりアメリカのテレビドラマOsbournesに出演し、好評を博していたが、同7月に大腸癌の手術を受ける。
Are You Loving Me Too(J/曲名):Del
Shannonの1991年シングル曲(Silvertone Ore 26 c/w One Woman
Man)で、Jeff Lynneのプロデュース。
Are You Ready To
Rock(R/曲名):Wizzardが1974年12月にWarnerから発表したシングル曲。バグパイプのソロを含んでいる。UK8位のヒットを記録したが、Wizzardとしてはこれがチャートインした最後の曲となった。B面はMarathon
Man。バグパイプを吹きたいからかも知れないが、Royは最近のライブでも時々この曲を演奏しているらしい。各楽器がソロをとっていく展開なのだが、ひょっとしたらRoyがバグパイプに持ち替える時間を稼いでいるのかも知れない。
Armchair Theatre(J/アルバム):1990年発表。Jeff
Lynneの初のソロアルバム。Theterでないところがイギリス人である。タイトルの由来は、安楽椅子に座ってテレビを見ているように、好きな音楽が次々に流れてくるイメージだったらしい。ジャケットはJeffが湖畔(ですか?)で安楽椅子に座って陸側を向いている写真。参加アーティストは有名なところではGeorge
Harrison、Tom Petty、Richard Tandy、Dave
Morganなど。コーラスに架空のグループ名を付けるのは当時のJeffの趣味なのだろうか、The
Ordinairs、The Olton Orioles、The Warwickshire
Wobblersなどが命名されている。Jeffには珍しく数曲のカバーを披露しているが、September
SongとStormy
Weatherは亡くなったJeffの母親が好きだった曲だったという。アレンジにそう多様性があるというわけではないが、「自分の演奏したい曲」を「バンドの構成にとらわれず」、「自分が適当と思われる構成で」演じたアルバムだと思われる。なかでもインド楽器及びコーラスを用いたNow
You're GoneはJeffの新境地だろう。Every Little ThingおよびLift
Me
Upをシングルカット。メディアの評価は高かったが、セールス的には振るわず(USで92位)、その後Jeffのマテリアルがリリースされない原因になっているといううわさもある。今から思えばBlown
Awayとかはすごくいい曲であり、アルバム全体の完成度も相当なものだと思う。カバーソングが迫力不足なのが難点か。
Arrested(R/アルバム):1983年、Royal Philharmonic
OrchestraがPoliceの曲を演奏したアルバム。しかし完全にクラシック風にしたわけではなく、ハードロック系のアーティストをゲストに招いて、多くの曲でボーカルが入っている。RPOではあるが、Louis
Clarkは関係していない。彼が関与していたら、多分ELOにかなり近いストリングスの使われ方になったのではないだろうか。さて、この中でMessage
In A Bottleを歌っているのがRoy
Woodである。当時のLPの解説では「見事にポリス・ボイスを再現」とか書かれていた。
Asia(グループ名):デビュー前、Roy
Woodがボーカルをつとめる計画があり、リハーサルでAsiaのオリジナル曲やRoyの曲を録音するが、結局John
Wettonがボーカルをすることになって話は流れた。それ以後についてはAstra、Archivaを参照。
Ask No Questions(その他):Yorkshire Televisionの番組で、Carl
Wayneがレギュラー出演していた。
Astra(その他/アルバム):1985年発売のAsiaのアルバム。この時期にはまだJohn
Payneは参加していない。Rock And Roll
DreamのストリングスアレンジをLouis Clarkが担当している。
Atlantic City(地名):ここで行われたELO Part 2のコンサートで、Bev
Bevanはバンドをやめることを明らかにした。
ATV Allstars(E/その他):Bev
Bevanもメンバーであったサッカーチームの名前。他にRobert
Plantも参加していたらしい。
Austin Powers In Goldmember(E/映画):Mike
Myersの人気シリーズ3作目。Evil
Womanが映画中に挿入されている。なお、Evil
Womanはサウンドトラックにも収録されているが、これはカバーバージョン。
Australian Rock Orchestra, The(その他):1995年3月のELO part
IIオーストラリアツアーにおいて、バンドは全曲に44人からなるオーケストラの共演を得ることにした。しかし全行程を同行させると出費がかかりすぎるため、次善の策として24人の奏者を帯同し、残り20人は現地調達するという方式をとった。このため毎日3時間のリハーサルを要したという。
Automatic(その他):Roy
Woodが1979年ごろ属していたレーベルで、Harvest時代からのRoyの友人、Nick
Mobbsが創立した。シングル(We're) On The Road
Againをリリースするが、アルバム発売には同意せず、結局アルバムOn The
Road
AgainはUSとドイツのみという、Royにとっては極めて変則的なリリースがなされた。
Avendon, Richard(人名):写真家。On The Third
Day(UA盤)のジャケット写真を撮影、メンバーに臍を指さすように指示する。
Avis, Meiert(人名):Jeff Lynneのビデオクリップ、Every Little
Thing、Lift Me Upを監督する。
Ayshea(人名):本名Ayshea Brough。Roy
Woodの恋人で彼にシタールの指導を行う。1973年、Royの協力でシングルFarewellを発表する。当時のRoyの写真で彼が額にAの文字を付けているのは、彼女のイニシャルである。
A*
Teens(グループ名):詳しくは知らないのですが、コンピレーションアルバムRadio
Disney Holiday Jams 2でI Wish It Could Be Christmas
Everydayをカバーした。
B
Baby Blue(その他/曲名):伊藤銀次の曲。Baby
Blue収録。サビのメロディがXanaduである。ただ、決して隠れてこそこそやっていないようで、その後発表したアルバムPerson
To
Personの最初に、ラジオでチューニングしているSEがあるのだが、ここでXanaduが一瞬かかった後Baby
Blueがかかり、それから本来の曲が始まるという憎い工夫がある。
Baby I Apologize(E/曲名):On The Third
Day時代のアウトトラックで、Early ELOおよびRoll Over
Beethoven(同じ題名のCDが複数あるのでややこしいが)で聞くことができる。OTTD時代というとかなり重いイメージがあるかも知れないが、Jeff
LynneのボーカルはIdle
Race時代を髣髴とさせるかなり軽い歌い方で、曲調もIdle
Race的。よくぞ発掘していただけたものだ。
Bachman, Randy(人名):もとBTO。トリビュート盤Lynne Me Your
EarsでLast Train To Londonをカバーするという話があったのだが。
Bachman, Tal(人名):BTOのRandy
Bachmanの息子で、1999年にデビューアルバムTal Bachmanを発表。Thanks
toの中にJeff
Lynneの名前を挙げるとともに、彼のデモテープをJeffに送って感想を求めたりしたらしい。トリビュート盤Lynne
Me Your Earsに参加してOn With The
Showをカバーするという噂があったが、実現しなかった。
Bachman Turner
Overdrive(グループ名):ELOが最後にサポーティングアクトとしてライブを行ったのはBTOで、1975-6年のこと(はて、Balance
Of Powerのあと、Rod Stewartのサポートをしているはずだが)。
Back In The USSR(E-II/曲名):ELO part IIがWorld Tour
1991で演奏したBeatlesの曲。バックをMoscow Symphony
Orchestraが務めていたのと関係があるのだろう。
Back From Rio(J/アルバム):Back From Rio Interludeの項を参照。
Back From Rio Interlude(J/曲名):Roger
McGuinnの1991年のアルバムBack From Rio収録。McGuinnとTom Petty、Jeff
Lynneの共作となっている。しかし、メロディのようなものは殆どなく、back
from
Rioという微かな声が繰り返されるのみである。ブックレットにはexcerpt
from Back From Rioと記してあり、Back From
Rioというちゃんとした曲があり、それが何らかの理由(契約の問題でJeffがそれ以上クレジットされることが許されなかったなど)でお蔵になって、一部のみ使用したのではないかという考えが成り立つが、詳細不明。ただ、Jeffはクレジットされないものの他の曲にも参加しているという噂がある。
Back Street Crawler(その他/アルバム):Paul
Kossoffの1973年のアルバム(Island ILPS 9264)で、Trevor
Burtonがゲスト参加しているらしい。
Back To The
Light(その他):私が作ったFlashback日本盤の私家製ライナーノーツ。表紙のみカラー、中モノクロで正味28ページ。書いてあることはここと大して変わらないが、2000年までのELOファミリーの年表は是非見ていただきたい。まだ残部ありますので、どうぞお申し込み下さい。表紙が実はみっともないのは秘密。タイトルはお察しの通り、Back
To The Storyのもじり。
Back To The Story(I/アルバム名):Idle
Raceのキャリアアンソロジーアルバム。1996年発売。ファースト、セカンド、シングル曲のみならず、Jeff
Lynneが抜けたあとのTime Isやシングル曲も含まれており、またearly
take(Lucky Man、Follow Me Follow、Days Of Broken Arrowsのalternative
version)が収められている点も評価できる。さらに、Idle
Raceと名前を変える前にNightriders名義で発表したシングル、It's Only
The Dog (c/w Your
Friend)はボーカルも作曲もJeffではないが貴重な音源である。Idle
Raceに関しては、この2枚組みさえ手に入れればほぼ充分といってよい内容になっている。今後入手困難が予想されるので、見つけたら買うべきである。
Bagpipe(その他):マルチミュージシャンであるRoy Woodが1975年のAre
You Ready To
Rockで披露したスコットランドの民族楽器。さすがにこれでロックするところまではいっていないが。後、RoyはBeatlesの20周年トリビュートコンサートにおいてMull
Of Kintyreのバグパイプを演奏した。
Ball Park
Incident(R/曲名):Wizzardのファーストシングル。B面はCarlsberg
Special。1972年11月にリリースされ、最高位6位を記録。Wizzardのお披露目みたいな曲なのだろうが、個人的にはこの曲はあまり好きではない。
Balance Of
Power(E/アルバム):1986年発表。ELOのラストアルバムとなる。公式アルバムの中では最も収録時間が短い。ジャケットは赤一色をバックに、E、L、Oのシンプルなデザインが並んでいる。見ようによっては顔のようにもみえる。Timeにおいてもシンプルなジャケットに驚かされたものであったが、今回はそれにも増して飾り気のないものだった。この新しいELOのロゴは、それまでの円盤マークに代わるものとして、シングルのジャケットにも使用された。メンバーからはKelly
Groucuttが外れ、Jeff Lynne, Bev Bevan, Richard
Tandyの3人がクレジットされているが、実際にはJeffひとりで録音された部分がかなり多いという。LPではインナースリーブに、CDではケースの裏面にメンバーの写真が入っているが、Richard
Tandyまで短髪にしてしまっており、やや違和感を覚える(何だかある種怪しい人のようにもみえる)。既にJeffはELOのフォーマットで活動する限界を感じており、契約履行のために作ったともいわれている。このためJeffは皮肉を込めてBalance
Of
Paymentと呼んだこともある。本来のニューアルバムは1985年2月に発売すべく、Compas
Point StudioでBill
Bottrellをエンジニアにレコーディングが試みられたが、うまくいかなかった。その後ドイツで作業を続けるが、Secret
Messagesのときのわだかまりもあるため進捗は遅く、1985年夏にJetとの契約が切れるに至った。結局Jeffは48トラックのテープをMusicland
StudioのMackに託し、リミックスが行われた。楽曲面ではすぐれたものも多いのだが電子楽器の使用が目立つためか起伏に欠け、また全体として散漫な印象を感じるのが残念。このキーボードの多用は、TimeとSecret
Messagesのセールスを比較した会社側の要望であるともいう。ストリングスパートは全てシンセサイザーで処理された。Calling
America, So Serious, Getting To The
Pointをシングルカット。UK9位と健闘したが、USでは49位。
Balls, The(グループ名):Steve Gibbonsのバンド。1969年Trevor
Burtonが参加してまもなくUglysから名前を改める。Tony
Secundaがマネージャーをつとめており、結成時のラインナップはSteve、Trevor、Denny
Laine、Richard Tandy、Keith Smart、Dave
Morganである。既にビッグネームであったDennyが参加していることからわかるように、Tonyの企画した新たなスーパーグループであったが、1969年中に数回のギグを行った後分裂。Richard、Dave、Keithはバンドを離れ、Steveはソロアルバムを始めた。TrevorとDennyはGinger
Baker's Airforceに加入したが、アルバム2枚作成後再びBallsを結成、Alan
Whiteをドラムに招いて唯一のシングル、Fight For My Country (Wizard WIZ
101 1971、c/w Janie Slow DownまたはHound Dog
Howling)を発表した。70年12月にSteve
Gibbonsが出戻ったが、結局71年2月に解散となる。その後、Burton, Laine
And Gibbons名義でシングルLive In The Mountains(Wizard/Bird's Nest
NEST BN 3, 1972 c/w Janie Slow
Down)をリリース。B面はBallsのものと同じバージョンで、A面はFight For
My
Countryを改題してリミックスを加えたものだったが、ヒットには至らず。Ballsが録音した曲はばらばらの形で、Magic
ChristiansのB面やSteve Gibbons、Denny
Laineのソロアルバムに収められており、シングルもリリースが複雑になっているので私にはよくわかんないです。
Band Age(R/曲名):1983年頃にテレビ番組Jim Davidson TV
Showで組まれたバンド。Roy
Woodがギター、バグパイプで参加し、その他のミュージシャンはZack
Starkey(ドラム)、Rick Wakeman(キーボード)、Denny
Laine(ギター)、Chas Hodges(ピアノ)、Dave Lee(バンジョー)、Carl
Wayne(ギター)、Hank Marvin(ギター)、John
Entwistle(ギター)、Georgie Fame(キーボード)、Eddie
Hardie(キーボード)、Rick Parfitt(ギター)、Robert
Plant(ギター)、John Paul(ベース)、Joe Farnell、Jess
Konradで、Band Ageという曲を演奏した。
Bandit(グループ名):70年代のバンドで、最初Dragonflyという名前だった。メンバーはDave
Prithcard(ギター)、Greg Spencer(ベース)、Roger
Bromley(ギター、後にBig Band)、Paul
???(ドラム)で結成。Gregの脱退後Phil TreeとDave
Griffith(共に後にBig Band)を加える。また、Elmer Goodbody Jnr.(Mike
Sheridanの変名)も加入した。レコーディングもしているが、どれだけがリリースされたかはDaveも知らないらしい。
Banqueting House,
The(その他):ロンドンのWhitehallにあり、アルバムElectric Light
Orchestraのフォトセッションが行われた。アルバムジャケットもそうだろうが、最近よく見かける、Roy
Wood、Jeff Lynne、Bev
Bevanが中世風の格好をしている写真もこの時のものなのだろう。
Barclay James
Harvest(グループ名):ELOがEldorado発表後のヨーロッパツアーを行った際、サポートをつとめる。しかし、彼らは特にドイツで評判が高かったため、サポートの方に注目が集まり、メインアクトが始まると観客が帰ってしまうという悲惨な結果につながる。(確か、BJHのTitlesという曲がBeatles
Foreverと偽ってネットで出回ったんですね)
Barcus-Berry
Pick-Ups(E/その他):結成当時のELOのステージではストリングスセクションの音が小さくて全く聞こえなかった。これを改善するためにDon
Ardenがこのピックアップを導入した。
Barefoot(グループ名):Kelly GroucuttがELO参加前に(Michael
Groucuttとして)在籍したバンド。
Barnados Band
Wagon(E-II/その他):1992年10月8日、HIV、若年のホームレス、子供の性的虐待に対し、Bev
BevanとDes Bleeが企画したチャリティギグ。ELO part IIのほか、Roy Wood
Band、Edwin Starr、Ian Gillan、Jasper
Carrottらが参加した。なお、このしばらく前にMik
Kaminskiは愛用のバイオリンを落として壊してしまっており、白いバイオリンでプレイしたという。ヘッドライナーはELO
part IIだったが、Roy Wood Bandが好評を博した。Bevはこの時にRoyをELO
Part 2のライブに招待し、10月12日のゲスト出演につながった。
Bates, Phil(人名):1953年3月30日生。Electric Light Orchestra Part
IIのボーカル、ギター。数枚のソロシングルやDuane
Eddyとのツアーの後、Tricksterで1976-80年の間活動した。解散後Duran
DuranのエンジニアやTony Viscontiらとのセッションを経験し、しばらくAbu
Dhabiでパブのマネージャーをやっていたらしい。Moment Of TruthよりELO
part IIに参加。1997年にはMik
Kaminskiをゲストに迎えてソロアルバムNakedを発表。1998年、ソロに集中するためにELO
Part IIを脱退。Eleanor Rigby
Experienceでも活動している。ソロアルバムAgony &
Ecstasy、サンプラーWriting On The Wallなどを発表。
Bathe Your
Feet(その他/アルバム):1977年に録音されたWizzardの未発表アルバム。既にRoy
WoodはJetを去っていたため、Rick
Priceが中心(リードボーカルも務めたらしい)になって製作された。Mike
Sherridanが作曲などで協力したほか、メンバーはCharie GrimaやMike
Burney、Bob Bradyが参加したのではないかと言われるが不明。
Batt, Mike(人名):Liberty
Recordsで働いていたキーボードプレイヤー。Idle RaceのMr. Crow And Sir
Normanにおいて、アコーディオンを演奏。ただし、Dave PritchardとRoger
Spencerが開閉の操作をして、彼はキーだけをプレイしたらしい。下記のMike
Battが同一人物かどうかは不明。
Batt, Mike(人名):UKの子供番組(?)出身のバンド、The
Womblesの音楽的リーダー。2000年12月、Roy Woodと連名でシングルI Wish
It Could Be A Wombling Merry Christmas Every Dayを発表。
Battle of Marston Moor (July 2nd, 1644)(E/曲名):Electric Light
Orchestra収録。Roy Wood作。科白(RoyがOliver
Cromwellの役を演じている)が入っている以外は歌詞はない。ファーストアルバム中、最もクラシカルな曲。私見だが、この曲をやってしまったのでRoyはELOのフォーマットにそれ以上の魅力を感じなくなってしまったのではないだろうか。{確かBevがドラムを叩くのがいやで、Royが自分でやったんですよね。でもエンディングの部分だけか?(mad
eyckさん)} 30周年記念盤のElectric Light
Orchestraには、ボーナストラックとしてTake
1が収録された。短いからこっちの方がいいという人もいますけどね。
B. C. Collection, The(その他/アルバム):1992年に作られたTandy
Morgan Smithによる(発表当時)未発表曲の編集盤。参加メンバーはRichard
Tandy、Dave Morgan、Martin Smithと一部でBob
Wilson。またDennisという名前のOberheim
DMXがドラムでクレジットされている。このアルバムの企画は、Face The
Music-UKがRichardとDaveにインタビューしているときに、1985-87年頃の未発表曲を聴きたがる人はいないだろうか、という話題からできあがったものだという。Dave自身によるHiroshimaのカバーなどが聴きどころか。現在Paradise
Gardenを聴くためにはこのCDを入手する必要がある。
Bear(人名?):ELOのボディガードのニックネーム。
Beatles,
The(グループ名):一般的な説明は不要と思われるので省略。Jeff
Lynneは昔からBeatlesに憧れており、White
Albumセッション時にはスタジオを訪れたりしている。曲の上での影響も多く、Mister
KingdomとAcross The Universeなどの対比も興味深い。また、Idle
Race時代にGirl At The WindowでFab 4の名前を歌い込んだり、Shangri
LaでBeatlesの名前を出したりしている。カバー曲ではライブにおけるDaytripperがあるし、ソロとしてもサウンドトラックAll
This and World War Twoに参加してカバーを行った。ELO解散後はGeorge
Harrisonから始まって、Ringo Starr、Paul
McCartneyと生存する全てのメンバーのプロデュースをしてしまったし、ついにはJohn
Lennonのデモテープをもとに2曲の「新曲」をプロデュースするに至った。一方、Jeff以外にもRoy
Woodが前述のWorld War IIに参加したり、Louis
Clarkが20周年記念コンサートでタクトを振ったり(このコンサートにはRoy
Woodも参加)、ということが挙げられる。
Beatles Forever(E/曲名):Secret
Messagesのアウトトラック。2枚組み構想ではB面3曲目に入るはずだった。まだ聞いたことがないので細かい内容は紹介できないが、Beatles
forever, Rolling Stones
neverというフレーズ(これは事実ではないということが判明しました)と、ストリングスが使われていないという噂がある。歌詞でFab
4の名前が挙げられ、Beatlesの曲の抜粋も含まれるという。この抜粋の中にGeorge
Harrisonの曲が入っていないことが、Jeff
Lynneがリリースをためらっているひとつの理由ではないかという憶測もある。Hello
My Old Friendとこの曲を備えることで、Secret
Messagesは本来Jeffが意図したBeatlesへの賛歌として結実しただろうと思われるだけに残念。Kelly
Groucuttのコメントによると、「あの曲はビッグヒットシングルになるべき曲だった。レコーディング中にスマッシュヒットになる曲というのは予感がしたりするのだが、まさにそんな曲だ。みんながあれを聴くことができるように、曲が仕上がるのを待てないよ」という。最近になって、一部のファンミーティングで流される機会があり、聴いた人の話では「スローなパートとアップテンポのパートがあり、後者はVideo
!に似ている。悪い曲ではないが、傑出した曲とも言えない」との意見だった。なお、歌詞についてはShowdownメーリングリストで公開され、現在はDefinitive
ELO Home Pageで読むことができる。
Beatles Tribute, The(J/アルバム):Jim
Hornの2002年発売のアルバム。タイトル通り、Jim
HornがBeatlesの曲をカバーしている作品だが、付録のCD-ROMに収められているビデオにはJeff
Lynneが出演しており、Jimについて10秒程度喋っている。なお、このアルバムにはDuane
Eddyも参加している・
Beautiful Daughter(M/曲名):Shazam収録。ストリングスはTony
Visconti(ベースも弾いているという話である)。冒頭にCarl
Wayneが街頭で行ったインタビューの声が入っている。作曲はもちろんRoy
WoodでボーカルはCarl。このアルバムの曲中では最もポップな曲。コーラスはyour
beautiful daughter made me younger
yesterdayだが、私は文法に気づかず、made me anger
yesterdayだと思っていた。
Beehive, The(その他):Bev
Bevanが学校卒業後働いていたデパート。Jasper
Carrottも同じ職場だった。
Beethoven, Lynne &
Co.(E/ブートレッグ):1973年のLondonおよび1976年のPortsmouth公演の内容を収録。
Beethoven's Fifth(その他/曲名):1989年に発売されたLouis Clark &
the Royal Philharmonic Orchestraのシングル。12インチ(ARISTA
AD1-9796)は同曲のAcid House Mix、Single Version、Ludwieed
DubとPachelbel's Canonを収録している。オリジナルプロダクションはJeff
JarrattとDon Reedmanで、リミックスはPhil HardingとIan Curnow、Tony
King。ナレーションはGary Martin。
Belch(グループ名):Bev
Bevanが1992年に遊びで組んでいたバンド。Jasper Carrott、Phil
Ackrill、Tony Iommi、Phil Treeがメンバーで、当初Richard
Tandyの参加も予定されていた。冗談かも知れないが、名称の由来はBevのB、ELOのEL、Jasper
CarrottのC、あとそれにHをくっつけて作った名前だという。1992年末のテレビ番組One
Jasper CarrottでCome On Sweet Caroline、White
Christmas(それぞれStatus Quo、Bing
Crosbyのカバー)を演奏した。TonyとBevはPiece Of The
Actionを作曲したが、Jasperの作詞が未完成のためお蔵入りになった。現在もJasperはこのバンドを復活させる計画を持っているらしいし、ELO
Part
2を解散させたBevが本格的に関与するという噂があったのだが、既に数年が経って続報がない。
Belfry
Hotel(R/その他):Birminghamにあるホテルで、1966年2月、Moveのファーストギグが開かれた。
Believe(その他/曲名):1999年発売のCherのシングル曲だが、ELOのEpilogueがサンプリングされて使用されている。大ヒットしたらしいが、私はこういう曲は苦手だなあ。
Believe Me Now(E/曲名):Out Of The
Blue収録のインストルメンタル。ボコーダーによるBelieve me
nowという声が入っている。
Ben Crawley Steel Company(M/曲名):Message From The
Country収録。Bev Bevanがボーカルをつとめている。
Bend Over Beethoven(R/曲名):Wizzardのシングル、See My Baby
JiveのB面。Hugh McDowellの作曲(正確にはHugh 'H' Mc
Dowell)。ELOのRoll Over
Beethovenに対する皮肉という説もあるが真偽は不明。曲自体はあまり面白くない。
Berlin(その他/曲名):1984年リリースのR & Dのシングル(c/w This
Is The Day)。12インチにはBerlin
(extended)と1985を追加収録。プロデュースはRichard TandyとDave
Morgan。
Berry, Chuck(人名):Roll Over
Beethovenのオリジナル。また、Heartbeat '86で演奏したJohnny B.
Goodeのオリジナル。Jeff
Lynneはレストランで彼を見かけたことがあるが、「私の曲をあんなにめちゃくちゃにして」と言われるのが怖くて声をかけられなかった。
Best Of Dark Horse 1976-1989(J/アルバム):George
Harrisonのベストアルバム。Cloud Nineから3曲と、Lethal Weapon
2からCheer DownがJeff Lynne参加作。その他の未発表曲としてCockamine
BusinessとPoor Little
Girlが入っているが、これらにはJeffは不参加(後者にRichard
Tandy参加)。
Best Of The Move,
The(M/編集盤):A&Mから出たMoveのベスト盤。コンサート用のトレーラーにThe
Moveと書かれた、なんともやる気のないジャケットで売られていた。内容は2枚組みで、1枚はファーストアルバム、2枚目はシングル集となっている。他のベスト盤同様、EMI移籍前についてしか権利が獲得できなかったらしく、シングルはBrontosaurusまでしかカバーされていない。音としてはもはや珍しい品でも何でもなくなってしまったが、Bev
Bevanの長文のライナーがついているのが興味深い。その後CDでも再発された(ジャケットは異なる)。当時の日本盤では初発時と違った邦題を付けていた。以下に邦題(初発と共通しているものもあるが)を列挙すると、キルロイはここにいた、レモンの木、無用の情報、心の弦が歌いだす、恋の炎をかき消そう、霧のような友、恐怖の夜、不安、自然の音が聞こえる、僕の乗合馬車、ブラックベリーの道、たった一度の稲妻に、といった感じである。
Bevan,
Bev(人名):1945年11月25日生(その後47年生と訂正したという話がある)。本名Beverley
Bevan。日本のメディアではまともに読んで貰えない時期もあったが、もちろん「ベブ・ベバン」と読む。Moseley
Grammar School出身。父親もドラマーで、Charles
Bevan。母親はAdaで、BirminghamのSparkhillにあるStratford
Roadで商店を営んでいた。16歳の時からバンドメンバーとして活動し、1962年にはSenatorsを結成。翌年にはDenny
Lainらと共にDenny Laine And The
Diplomatsを結成した。彼らはBeatlesのサポートも経験し、EMIの契約にこぎつけてレコーディングまでしたが発表しないままにDennyの脱退(Moody
Blues結成)に至る。これにより残されたメンバーは求心性を失い、Bevも一旦引退して家具のセールスマンとなった。しかしCarl
Wayneに誘われてCarl Wayne And The
Vikingsに加入(VikingsのドラマーであるDave
HollisがやめるためにBirmnigham
Mailに広告が打たれ、Bevはどこからかその噂を聞きつけてCarlの家の近くにあるBrumford
Laneの教会でのオーディションに参加したという)、その後Moveの創立メンバーの一人となる。創造性という点では評価はしにくいが、ユニットのケミストリーを高め、堅実にプレイをするタイプ。その後ELO結成にも加わり、Roy
Wood脱退後もJeff
Lynneをサポートした。決して並のドラマーではないのだが、ELOのアルバムでは地味にリズムを刻んでいるイメージが強い。これはJeff
Lynneの音造りの上で、ドラムのダブルトラックを行い、全く同じ演奏を重ねて厚みを出そうとしたため、あまり凝ったドラミングをさせてもらえなかったのも理由らしい。事実、後述のBlack
Sabbathのツアー参加時には「たたきつぶすような」ドラミングをしていたという。声は低音で、バスコーラスに加わる。Move時代に数曲リードをとった経験がある。ELO以外の活動では、1976年のソロシングルLet
There Be Drums (c/w Heavy Head)のほかにKelly
Groucuttのソロアルバム(1982)やRoy
Woodが呼びかけたRockersへの参加(ただしテレビ出演だけにとどまり、シングルWe
Are The Boys (Who Make All The Noise)のドラムはJohn
CoghlanでBevではない)、そしてSecret
Messages発表後の開店休業時にBlack
Sabbatに一時加入して1983-4年のツアー、そして1987年のやはりBlack
SabbathのアルバムThe Eternal Idol参加、さらに1998年のThe
ShadowsへのトリビュートアルバムでTony
Iommiと共演したりといったところが目立つ。音楽以外では、(人付き合いがあまりよくない?)Jeff
Lynneに代わってメディアとの接触を行い、プロモーション来日したこともある。また、バーミンガム小児病院が経済困難に陥ったとき、Birmingham出身のミュージシャンに呼びかけてチャリティコンサートを行った(Heartbeat参照)。ELO解散後は創設メンバーとして法廷闘争の結果、バンド名使用権を勝ち取り、ELO
Part2を結成した。作曲にも数曲クレジットがなされている。Part
2が精力的にツアーを行っているのも、Bevが望んでいたことなのかも知れない。
追記:Bevは1999年11月のAltantic Cityでのライブを最後にELO Part
IIを脱退した。その理由について、一定の年齢になったらやめて好きなことをしようと思っていたという説明があり、バンド内での問題があったわけではないということになっている。現在彼は新しいバンドを組むつもりでバンド名を募集しているが、メンバーの一人はNeil
Lockwoodだという。
Bevan, Charles(人名):Bev
Bevanの父親で、パートタイムのドラマーをしており、ニックネームはBev
Bevanだった。Bev(息子の方)が11歳の時に死去。
Bev's Trouser(E/曲名):コンピレーションアルバム、Early
ELO収録。Ma-Ma-Ma Belleのearly take。
Beyond The
Dream(その他/アルバム、曲名):1991年11月に発売されたOrkestraのデビューアルバム(Alfa,
ALCB-625(J))ならびにそのタイトルトラック。プロデュースはFreddy
Haayen & OrKestra。ミックスはDewssy HaayenとHan
Nuyten。日本盤ライナーは矢口清治、対訳AKIYAMA SISTERS
INC.。収録曲はFly Away、Everybody's Got To Need Somebody、Beyond The
Dream、Don't Give Up、Some Kind Of Magic、Don't You Read My
Letters、Hold On To Love、This Is The Night、Don't Turn Away、Bring
On The Dancing Girls、Who's That
Calling。タイトルトラックの方のクレジットはK. Groucut、M.
KaminskiとT.
Pardoe。ELOと似てはいるが少し傾向の違ったポップソングにMik
Kaminskiのバイオリンが絡む。申し訳ないが私にはPart
IIよりもこっちの方が面白かった。あと、あまり話題にならないが、Kelly
Groucuttの曲はよく似たタイトルが多いのがちょっと問題。このアルバムで言えば、Don'tで始まる曲の多いこと。なんとかならなかったんだろうか。Some
Kind Of Magic、Fly Away、Don't You Read My
Lettersをシングルカット。ファーストシングルFly
Awayはオランダで好セールスを示した。現在は入手困難だが、一部の曲を差し替えたセカンド(?)アルバム、Roll
Over
Beethovenは2001年にリイシューされており、こちらなら入手可能と思われる。
Big Bertha(グループ名):Ace Kefford Stand参照。
Big Wheels(E/曲名):Out Of The Blue収録。Concerto For A Rainy
Dayの2曲目にあたる。Flashbackに収録されているが、なぜか前の曲Standin'
In The
Rainのおわりがイントロにくっついている。意図的なものかどうか不明。ワーキングタイトルはBad
Saladで、sad
balladであることに由来する。昔はあまり気にするでもなかった曲だが、今になったらこれもいい曲だということに気付いた。
Binbags(R/曲名):Roy WoodがChas And
Daveほかふたりとテレビ番組Staybackに出演して演奏した曲。1983年頃らしい。
Birch, John(人名):EMIのプロデューサーでFreddie And The
Dreamersをプロデュースしたことがある。EMIと契約したDenny Laine And
The Diplomatsをプロデュースすることになっていた。
Birmingham(地名):イングランド中部の工業都市で、ロンドンに次ぐ人口を抱える。Liverpool
soundに触発されたグループを輩出し、Brum
rockと呼ばれた。Moveもこの中に属する。ELOファミリー以外ではMoody
Bluesが有名。ELOはBirmingham Blues、Hello My Old
Friendなどの曲でBirminghamを歌っている。Last Train To
LondonもBirmingham発の列車なのかも知れない。
Birmingham Blues(E/曲名):Out Of The Blue収録。Rhapsody In
Blueのフレーズを引用している。なお、Rhapsody In BlueはLouis
ClarkがHooked On Classicsの中でもしっかり使用していた。
Birmingham City Football Club(その他):Jeff
Lynneがひいきのサッカーチーム。ニックネームはBlues(だからBirmingham
Bluesなんですね)。Jeffは一時このチームの応援歌を録音したが、(不評だったため?)現在は使われていない。
Birmingham Evening Mail(その他):1988年11月、Jeff
Lynneはこの新聞のインタビューに対し、「ELOは終わった」と正式に宣言した。この新聞はメンバーの近況などについても時々記事を載せているようだ。
Birmingham Post And Mail(その他):1964年、Mike Sheridan And The
Nightridersは2枚のシングルを発表後であったが、ギターをつとめていたBig
Al Johnsonがバンドをやめることになった。そこでBirmingham
P&Mに広告を打った。曰く、"Wanted: Lead Guit. for prof. group.
Must have Fender Guitar, Vox Amp. and Binson
Echo."。これに応えてバンドに加わったのがRoy
Woodであった。しかし、歴史は繰り返すとはよくいったもので、その後RoyとMikeがバンドを去り、代替メンバーのJohnny
L.
Mannに満足できなかったNightridersのメンバーは再び広告を出した。曰く、"Wanted:
Keen Lead Guit. for prof. Group"。これに応じたのがJeff
Lynneであったことは言うまでもない。
Birthday Party(I/アルバム):1968年発表。新生Idle
Raceのデビューアルバムである。プロデュースはGerald Chevin &
Edward Offord。ジャケットにはパーティの招待状が飾られ、Inner
sleeveには招待されたゲストの写真がコラージュされているというが、私は見たことがないので御存知の方補足してください。私が持っているのは再発された、4人のメンバーの写真がそっけなく並べられたジャケットです。内容としては、穴埋めメンバーとして加入しながらあっさりとグループを牛耳ってしまった若きJeff
Lynneの才気煥発といったところで、今なお新鮮なポップ名曲がちりばめられている。名盤。ところが当時の聴衆はこのようなサイケデリックポップはちっとも受け入れてくれなかったため、ヒットせず。
{表ジャケは、CD『Back To The
Story』ジャケ裏に載ってます。コラージュはインナーじゃなく、中ジャケ(ジャケの中面見開き)です。パーティーの出席者の顔の部分にミュージシャンなどの顔がコラージュされているもので、The
Idle RaceはもとよりThe Move、The Beatles、The Rolling
Stonesなどのメンバーや、 Elvis
Presleyなどの米オールディーズのロッカー、プロデューサーのGerald
Chevin、Edward
Offordの顔もあります。裏ジャケにはその写真の輪郭のイラスト(顔部分に番号が書かれている)と番号に対応した名前のリストがあります。89年に英C5がLP再発したときに、このコラージュがシングル・ジャケの表裏に使われました。(mad
eyckさん)}
Bissonette,
Greg(人名):1959年6月9日生。Detroit出身らしい。Zoom発売前に行われたELOのライブにおいて(そして恐らくはその後のツアーでも参加が予定されていたはずだが)、ドラムを担当した。もともとはハードロック方面では有名なユーティリティプレイヤーらしく、時々ドラムクリニックなども開いているらしい。ベースのMattとは兄弟。コーラスの一部にも参加していた。ELOというバンドの性格上、あまり派手なドラミングはしていないが、正確にリズムキープしていたように思える。それと忘れてはならないのは、Mr.
Blue Skyで消火器を楽器代わりに使用していたことで、Zoom Tour
Liveではその模様がはっきり収められている。
Bissonette, Matt(人名):Greg
Bissonetteの兄弟で、Zoom発表にあたり、ライブでベースを演奏する。コーラスにも参加。
Black Sabbath(グループ名):UKメタルの大御所。一時Ozzy
Ozbourneが在籍したことでも知られる。Birmingham出身であることもあり、ELOとは個人的な友好もあったようだが、Secret
MessagesとBalance Of
Powerの間、ELOが活動を休止している期間、ドラムのBill
Wardが病気になってしまったため、Bev
Bevanがドラム・パーカッションでBlack
Sabbathに参加した。ライブでの演奏(1984年のBorn Again
Tour)のほか、1987年のアルバムThe Eternal
Idolにもクレジットされている。このアルバム後のツアーにも参加するというプランがあったが、彼らがSun
Cityでコンサートを行うというオファーに同意したため、Bevは参加を取りやめた。また、確認はしていないが、Kelly
GroucuttがBlack Sabbathのアルバムに参加しているという話もある。
Blackberry
Way(M/曲名):1968年12月(一説には1969年)発売のMoveのシングル曲(c/w
Something、Regal Zonophone
RZ-3015)。邦題は最初「黒いちご」で、1978年のA&M盤では「ブラックベリーの道」。プロデュースはJimmy
Miller。オリジナルアルバムには収められていないが、アルバムThe
Moveのボーナストラック他、各種コンピレーションで聞くことができる。Moveはデビュー以来ヒット曲は多かったが、ナショナルチャートで1位になることがなく、1位を取るべく満を持して発表され、「トップになれなければ解散する」との発言もあり見事に1位を獲得した。Move唯一のチャート制覇曲となる。しかしあまりにもヒットねらいであったため、Trevor
Burtonは嫌悪感を持ったらしく、彼の脱退の引き金になる。この曲のデモはJeff
Lynneの自宅で録音され、Jeffの両親を起こさないようにRoy
Woodは顔に枕を押し付けて歌ったという。ハープシコードを弾いているのはRichard
Tandyである。なお、1992年、ELO Part
2のコンサートにRoyがゲスト出演したときにはこの曲が演奏された。Carl
WayneはHolliesのステージでもこの曲を歌っているらしい。
Blessing Disguise Featuring Noddy Holder And Dave
Hill(グループ名):要するにSladeのサイドプロジェクト。元ELO、元WizzardのBill
Huntがキーボードで参加。その他のメンバーはNoddy
Holder(ボーカル)、Dave Hill(ギター)、Craig Fenny(ベース)、Bob
Lamb(ドラム)。Every BrothersのカバーCrying In The
Rainをシングルリリースするが、B面のWild
NightsにはBillもクレジットされている。バンドはセカンドシングルも発表しているが、このときのメンバーからはBillとNoddyは抜けている。
Blight, Ted(人名?):Colin Walker脱退後、ELOにはチェリストはMike
Edwardsひとりになってしまった。On The Third
Dayの録音は6人でなされたのだが、ステージアクトも含めると、ELOはチェリストふたりを含む7ピースバンドであるべきだという考えから、架空のメンバーをひとり加えることで対応しようとした。このためTed
Blightなる人名が作られ、チェロでクレジットされた。メンバー写真ではJake
Commanderが代理で写り、ぼやけた姿を見せている。ただ、Jake自身はその記憶がないと語っており、真相はまだはっきりしない。
Bloated
Bliss(E/その他):(言葉本来の意味がわからないので、どういうもじりなのかよくわからないのですが)ELOが結成当時のギグでしていた習慣。会場に着いてからステージが始まるまで近くのパブで酒(Jeff
Lynneはビール、Roy Woodはウォッカ、Bev
Bevanはブランデーとジン)を飲み、アルコールを薄めるためにカレーを食べて舞台に上がっていたことを指す。
Blown Away(J/曲名):Armchair Theatre収録。作詞はTom
Pettyとの共作。コーラスにDel ShannonとPhil
Hattonが参加している。発売当時はあまり印象に残らなかったのだが、最近特にこの曲が気に入っている。恐らくB面に入っているカバー曲を聴いている間に集中力が切れて、この曲の良さに気がつかなかったのだろう。
Blue Beyond The Grey(J/曲名):Jimmy Nailの1999年のアルバムTadpoles
In A Jar収録で、作曲はJimmy NailでJeff
Lynneプロデュース。いかにもJeffらしい、Wilburysを思わせるプロデュースだが、曲そのものに展開が乏しいためか、聴いていて長く感じる。
Blue Moons(その他/アルバム):1999年に発表されたTrevor Burton
Bandのアルバム。自作曲とカバーソング。Richard Tandy作曲のMississippi
Nightも含む。blue
moonとは、辞書を引くと「長い間」とかしか書いていないのだが、このアルバムのブックレットを読むと1カ月の間に満月が2回ある月のことを指すらしく、Trevor
Burtonはそのような月に生まれたという。そのようなblue
moonが1年に2回あったのは、Trevorが生まれた年から1999年が2回目だったのでこのタイトルになったのだとか。私の解釈が間違っていたら申し訳ありません。
Blue Violin(E-2/曲名):Moment Of Truth収録。Mik
Kaminskiのバイオリンソロで始まり、Kelly
Groucuttの「青いバイオリンよ、僕のために悲しいメロディを奏でておくれ」と歌が始まり、さてこれからいいところというところで唐突に終わってしまう。もともとはOrKestraの未完成曲を1分の小品に仕立てたものらしいが、フルバージョンで聞きたいものだ。もちろんblue
violinとはMikのトレードマークである青いバイオリンのこと。ちなみに、彼のバイオリンは盗難に遭ったことがあり、今使っているのは2(?)代目。
Bluebird(E/曲名):Secret
Messages収録。シングルカットはされなかったが、Secret
Messagesの中でも1、2を争うELOらしい曲。終盤にスローダウンする前後なんて本当にスリリングな展開だと思った。
Boffin(人名):ELOのローディ。髪の毛が薄いことを悩んでいたが、ある日ガールフレンドができて結婚したいと思っていると打ち明けた。しかしその相手は過去にELOのツアーにつきまとったグルーピー、Tullulahであり、彼女はRod
Stewartそっくりの容貌で、胸も同じくらい低かったという。
Bolan, Marc(人名):T. Rexのリーダー。Idle Race時代からJeff
Lynneと知己であったらしく、1973年4月10日、Watford Town
HallにおけるELOのライブにおいて、ギターでゲスト参加する。この時のRoll
Over
BeethovenはXX分にわたって演奏し続けられたという。それはともかくとして、ShowdownとMa-Ma-Ma
Belleにおいて、Marcがギターを弾いているという話があり、もちろんクレジットには何も記載されていないのだが、それは当時の契約事情からして許可されにくい環境だったからだという。この噂は、FlashbackにおけるJeff
Lynneのコメントで明らかなものとなった。また、リマスター盤ELO2では、彼が正式にクレジットされたアーリーテイク、Auntie
Take 2、Mambo、および未発表曲Everybody Is Going To
Dieも収録されている。JeffはShowdown録音時に彼のGibson
Firebirdを借りて演奏した。一方、Roy
Woodと一緒に録音したプライベートテープも残されている。
Bluebird Is Dead(E/曲名):On The Third
Day収録。邦題「青い鳥は絶えたのか」(どっちでもいいですが、この邦題かっこいいですね)。トリビュート盤Lynne
Me Your EarsでTodd Rundgrenがカバーした。
Boogie(その他):Electric Light Orchestra II収録のFrom The Sun To
The WorldおよびIn Old England Townには、それぞれBoogie No.1、Boogie
No.2とサブタイトルが付けられている。これは、アルバム録音以前にツアーを行っている際、曲名がまだついていない曲にJeff's
Boogie No.
Xとして演奏していた名残である(全部で13曲あるという噂もある)。ちなみにこの2曲は確かにELO
IIに収められている曲なのだが、Roy Woodが演奏に参加している。
Boogie Nights(M, E/映画):1997年アメリカ。Livin' Thing (ELO)、Feel
Too Good
(Move)が挿入曲として用いられた。映画自体は成人向けショービジネスを舞台にしたもので、RだかX指定を受けていたはずだが、試写に招かれたJeff
Lynneは終了後喜んで曲の使用を認めたという話。先日ようやくCSで放映されたフィルムを見たので補足。映画の内容は70-80年代、青年がポルノ映画のスターになったがドラッグに染まって没落して...というもので、娯楽映画にしてはちょっと重い。トータル160分近くあるが、後半はだれずに見ることができた。Feel
Too Goodはパーティのシーンで控えめに流れていたので印象は薄い。Livin'
Thingはエンドロールで使われている。サントラも2枚発売されていて、1にLivin'
Thingが、2にFeel Too Goodが収められている。
Bottrell,
Bill(人名):1980年以降、ELOのデモや曲の一部でエンジニアを担当していた(完成にあたってはMackに委ねられた)が、Musicland
Studioを離れたSecret Messagesでは彼がエンジニアを務めた。その後もJeff
Lynneのプロジェクトにしばしば参加し、独特のサウンド作りに一役買った。Los
Angeles出身で、1990年にToy
Matineeを結成、同名のアルバムを発表。その後Sheryl
CrowをバックアップしてアルバムTuesday Night Music
Clubを発表。1995年にはKevin
GilbertのアルバムThudをプロデュースした。2000年にはShelby LynneのI Am
Shelby
Lynneにも作曲も含め大きく関与している。Flashbackセッションには参加していないらしく、献辞からも漏れている。トリビュートアルバムLynne
Me Your Earsに参加するという情報が流れたが、実現しなかった。
Boulders(R/アルバム):1973年6月発表のソロデビュー作。Roy
Woodのマルチプレイヤーとしてのタレントをいかんなく発揮したアルバム。ジャケットはRoyの自画像(ちなみにHarvestがリリースを急いだあまり、この絵は未完成のまま印刷に回されたらしい)であり、すなわち作詞作曲演奏プロデュースアートワークまでも一人でやってのけたことになる(Song
Of Praiseの最初のハーモニウムはJohn
Kurlander)。サウンド的にもテープの回転数操作やサウンドエフェクトに始まる工夫が多数なされている。彼は実に1968年からMoveともELOともコンセプトにあわない曲をストックしており、1971年にはHarvestでRockin
Show(後にRock Down Lowと改題)、Locomotive、She's Too Good For
Me、Going Back To Siam、Hey Sweet
Babyを録音している。このうち後2者はこれまで未発表のまま。実際の録音作業は1968年9月から1971年12月まで断続的に行われたという。1972年2月には先行シングルWhen
Grandma Plays The Banjoがリリースされる。UK15位。
Bouncer(E/曲名):Afterglow収録。もともとTimeセッションで録音されたが、アルバムからは外され、Hold
On TightのB面で発表される予定をWhen Time Stood
Stillに奪われ、結局Secret MessagesからのシングルFour Little
DiamondsのB面として発表された。この際にギターが付け足されたという。なんだか、以前のELOとは少し違って聞こえる、「変な曲」だが、私は嫌いではない。Afterglowに収録されたので、手軽に聴けるようになった。リマスター盤Timeにもボーナストラックとして収録された。
Boy
Blue(E/曲名):Eldorado収録。邦題は「ボーイブルーの帰還」。イントロにTrumpet
Voluntaryが用いられており、Louis ClarkはこれもしっかりHooked On
Classicsに使用している。アメリカ、カナダでのみシングルカット(B面Eldorado)され、大胆な編集の結果、6分27秒が2分53秒になった。
Boyle,
Bernie(人名):1974年頃にELOのツアーマネージャーになる。踵までのwolfのコートを着て、指にはごついダイヤモンドの指輪をしていたという。ELO
Storyに彼が誕生パーティをしている写真がある。
Brady,
Bob(人名):Wizzardのピアニスト、ボーカル。元Mongrel。(Introducing)
Eddy And The Falconsの録音中に加入し、Rock'n' Roll
TonightではRoyと共にリードボーカルをシェアしている。Eddyツアーの後脱退し、Fairport
Conventionを経て1977年にViolinskiに入るが、レコードデビュー前に脱退。
Brainwashed(J/アルバム):2002年発表のGeorge
Harrisonの遺作となるアルバム。1999年頃から製作が始められており、この頃の作業にJeff
Lynneが関与していたかどうかは今のところ不明。一時Georgeは新たなソロアルバムにはJeffは参加していないことも匂わせていた。しかし彼の死後1年近くたってもたらされたプレスリリースによると、アルバムのプロデュースはGeorge、Dhani
HarrisonとJeffの3人であることが明らかとなった。Georgeのコメントが「はぐらかせ」であるのか、George親子が作っていたマテリアルをJeffがファイナライズしたのかは興味が持たれる。
Breakin' Down The Walls(E-II/曲名):Moment Of
Truth収録。セカンドシングルとして1994年9月発売。クリップが作成されたが、これまで放映されたことがないらしい。バンドは参加せず、覗きショーの観客が妄想するエロティックなフィルムだという(てことは、ビデオの最後に壁が崩れるんでしょうね)。
Brendan(人名):1980年ごろにELOのローディを務めていた人物。
Brian
Wilson(アルバム):長期にわたる沈黙を破り、1988年7月に発表されたBrian
Wilsonのアルバム。Jeff Lynneはこのうち、Let It
Shineを共作し、プロデュースしている。これ以外にも佳曲は多い。ちなみに、Brianはこの後再び沈黙に入った。2000年にリマスターされて再発。このリマスタリングはかなり大胆なもので、音は全然違うとすら言える。もとのアルバムが気に入った人なら買い直すだけの価値は充分ある。
Brighton(その他):1972年3月3日、BrightonのThe
DomeでELOのコンサートが開かれる。この日メンバーはMoveとしてTop Of The
Popsに出演後の当日移動で、ヘリコプターを使用した。ところが着陸地とされたレース場が見つからず、ヘリコプターは上空を1時間以上旋回、地上移動したクルーの方が先に到着した。しかも2000人の会場内に観客は150人しかいなかった。
Bring On The Dancing Girls(その他/曲名):OrKestraのBeyond The
Dream収録。クレジットはK. GroucutとT. Pardoe。
Brontosaurus(M/曲名):初めてJeff
Lynneが参加した曲で1970年3月(Movementsのライナーでは4月)発売(c/w
Lightning Never Strikes Twice)。UKで6位獲得。Looking
On収録。邦題「怪獣ブロントサウルス」。ヘビーなギターリフ、後半でのピアノとギターのバトルがスリリング。このリフは、Cheap
TrickがCalifornia
Manをカバーしたときに流用したが、その後彼らはBrontosaurusそのものもカバーして発表した。日本盤アルバムCheap
Trick(199X年)にボーナストラックとして収録されている。ちなみにこのときの邦題には「怪獣」は含まれていない。ELOのZoom収録曲State
Of Mindのギターリフがこの曲によく似ているのだが。
Brussel(地名):Roll Over
Beethovenのヒットで軌道に乗りかけたELOは、大陸でも成功を収めるためにベルギー公演を企画した。この公演にはRadio
Luxemburgで生放送され、ヨーロッパ中にELOの名前が広まるはずだった。しかし、プロモーターはオープニングアクトを用意しておらず、ホテルから会場までに4つの交通事故を起こした揚げ句、自分で前座を務めようとして会場を静寂に陥れ、しかもラジオ局の姿もないという惨憺たる公演となった。
Burney, Mike(人名):
Burning Bright(E/編集盤):1992年発売のコンピレーション。Night In
The City、Fire On High、Strangerなど少し変わった選曲。
Burns, Rikki(人名):Kelly Groucuttの二番目の芸名。Rikki Burns And
The Vibras参照。
Burns,
Robert(人名):スコットランドの英雄的な詩人(? 間違っていたら訂正して下さい)。Roy
WoodはRobert Burns
Dayにバグパイプを演奏し、Burnsの詩を朗読したことがある。
Burton,
Trevor(人名):Move創設メンバーの一人(1966年1月-69年2月)。1944年3月9日生まれ。リズムギター、ボーカルであったが、Ace
Keffordの脱退にともないベースに移る。Move加入前はEverglades、Danny
Burns And The Phantoms、Danny King And The Jesters、Danny King And
The Mayfair
Set。Move初期のボーカリストとしては重要な位置を占めているが、「金もうけの音楽」をやることに嫌気がさしていたらしく、スウェーデンのショーではBlackberry
Wayの途中で「こんなの、間違ってる」と途中で楽器をおいて出ていってしまった(Bev
Bevanが仕返しにハイハットを投げつける)。1969年2月、Moveから脱け、Steve
GibbonのバンドであるUglysに加入、その後身であるBallsで活動を行う。Balls解散後、Gary
Wrightとの作業を経験する。映画Magic ChristianにおいてDenny
Laine、Paul McCartneyと共にMagic Christians名義でシングルCome And Get
Itを発売したが、映画及びサントラにはBadfingerが演奏したバージョンが使用された。その後Dave
Edmundsへの曲の提供(Down, Down, Down)などに続き、1973年にはTrevor
Burton Bandを結成するが結局76年Steve Gibbons
Bandに合流する。いくつかマイナーヒットを作った後、1983年にはTrevor
Burton Bandを結成、限定版アルバムDouble
Zeroを発表した。セカンドアルバムは録音されたもののリリースされず、しばらく音沙汰がなかったが、94年にはMoveとしてドイツでオールディーズフェスティバルに出演する。このときのメンバーはTrevor以外はMoveと無関係。現在、メンバーを一新してTrevor
Burton Bandを再結成、クラブでブルースの演奏をしており、Richard
Tandyがピアノで参加している。1999年にはアルバムBlue Moonsを発表。
{Ace
Kefford在籍中もベースを弾くこともあったようです。映像が残ってます。Ballsの唯一のシングルをクレジットだけ彼に替えて同時期に出してます。あとBalls後はSteve
Gibbons Bandですよね。(mad eyckさん)}
C
California Blue(曲名):Roy Orbisonのアルバム、Mystery
Girlに収録。Jeff LynneとRoy
Orbisonの共作、Jeffのプロデュース。ストリングスはLouis
Clarkによる。
California Man(M/曲名):1972年発表のシングル曲(B面はDo Ya / Ella
James)。Moveのラストシングルとなる。但し、アメリカでは他の3曲と一緒にMessage
From The CountryとカップリングされてShines Onとして発売された。Roy
Woodのトレードマークともいえるロックするサックス、RoyとJeffのダブルボーカルなど聞き所は多い。RoyはSAS
Bandのライブにゲスト参加したとき、この曲を演奏、ビデオ・CD化された。後にCheap
TrickがアルバムHeaven Tonightでカバーし、Live At
Budokanでも披露している。一般にはCheap
Trickバージョンの方が有名なんだそうだ。UKで4位。
Call(J/アルバム):1996年にリリースされたDave
Morganのアルバム。基本的に旧作All Gods
Blessingをリバンプしたものだが、Jeff LynneがプロデュースしたGod's
Good
Timeが入っており、その他も曲が追加されている。プロデュースは前述のGod's
Good Timeと、Richard Tandyとの共同プロデュースであるThis Is The
Day以外はDave本人。Richard のキーボードも楽しい。曲目はThis Is The
Day, The Stains Of Yesterday, Psalm 139, Lords On High, Done It All,
Looking, God's Good Time, This Is My Prayer, Jesus Knows, Outside
Jerusalem, Me And The Lord, Oh My Lord, Rise And Stand, The Jeremiah
Tree, All For Love, Call。
Call Me(J?/曲名):Ringo StarrのアルバムTime Takes
Timeのアウトテイクだという。Jeff
Lynneがプロデュースしているとの噂。
Calling America(E/曲名):Balance Of
Power収録。歌詞の中に747が出てくるのだが、確か日航ジャンボ機墜落の前後だったような気がする。シングルカットされ(B面はCaught
In A Trap、Destination
Unknown)、UK28位、US18位。当時UKで企画されたコンピレーション、Now
That's What We Call
MusicかHitsかのどちらかにラストトラックとして収録されたが、他の曲の中に埋もれるとよけいに地味な曲に聞こえてしまってがっかりした思い出がある。悪い曲だとは思えないが、この曲をファーストシングルとしてカットせざるを得なかったところが末期ELOの苦しいところだろう。ビデオクリップも作成(John
Beug & Jane Simpson監督)され、パリのCentre
Pomipeuでロケが行われた。
Campbell, Mike(人名):Heartbreakersのギタリスト。Tom
Pettyの相棒で、Full Moon Fever、Into The Great Wide
Openでは作曲・演奏に大きく関わる。Del ShannonのRock On!においてはI Go
To
Piecesを含む数曲のプロデュースをしており、この頃のプロダクションスタイルはJeffとかなりの共通点を感じさせる。
Can't Get It Out Of My Head(E/曲名):Eldorado収録。Eldorado
Overtureに続き、事実上組曲の最初の曲ということになる。邦題は「見果てぬ想い」。典型的なJeff
Lynneのバラードである。Louis
Clarkのストリングスアレンジはかなりクラシックの雰囲気を残しており、ポップになり切らない絶妙のバランスを保っている。後半で参加してくるシンセサイザーのリズムも面白い。シングルカットされたが(B面Illusions
In G
Major)、シングルバージョンはかなり大胆な編集が施されている。US9位(UKでもカットされているはずですが、Unexpected
Messagesにはチャートアクションが載っていません)と、USにおける初めてのビッグヒットとなり、Eldoradoのゴールドディスクに貢献した。後にSilent
RageがCan't Get Her Out Of My Headのタイトルでカバーした。Fountains
Of
Wayneもカバーバージョンを発表している。Jeffは2001年にラジオ出演した際、この曲をアコースティックで演奏したまたビデオライブStorytellersでは3rd
verseのRobin Hood,
...の部分を順番を変えて歌っている。リマスター盤Eldoradoに収められたインストルメンタルメドレーを聴くと、オーケストラパートに人の話し声が入っているのがわかる。
Can't Help My Feelings(R/曲名):Wizzardのシングル、Rattlesnake
RollのB面。Bob
Bradyの作曲でリードボーカルも彼。UK以外のシングルでは最後にRoy
Woodによるサックスソロが付いており、このバージョンは
コンピレーションWizzard A's &
B'sで聴くことが可能。なお、このソロはその後発展してSaxmaniacsとなった。
Capitol(その他):Looking On、Message From The
Countryのアメリカにおけるdistributionを担当するが、プロモーションをほとんどしなかったため、アルバムは全く売れなかった。その後Message
From The Countryはボーナストラックを含む形でUnited ArtistからSplit
Endsとして再発され、こちらはマイナーヒットとなっている。
Carl Wayne(その他/アルバム):1971(1974?)年にRCAから発売されたCarl
Wayneのソロアルバム(RCA SF 8239)。プロデュースはDon
Paul。クレジットされていないが、Dusty
Springfieldがゲスト参加している。PiccadillyにあったCommand
Studioで録音がなされる。曲目は、Sunday Kind Of Love、I Heard The
Voice Of Jesus、Rosanna、I Scare Myself、Long Long Time、Jubilee
Cloud、On Broadway、Magic Day、Till I Can't Take It Anymore、I'll Be
Going Back Home、Take My Hand For A While、Spirit In The
Sky。長らく入手困難であったが、2001年に日本でCD化された。当初ボーナストラックが追加になる旨のニュースが流れたが、結局オリジナル形式で再発されるにとどまる。Carl自身が未発表曲を含むボーナストラック提供に前向きだっただけに、残念。
Carl Wayne And Magnum(グループ名):Carl
Wayne(Wayneの項にあり)参照。
Carl Wayne And The Vikings(グループ名):Carl
Wayneがリーダーをつとめていたバンド(この頃の誰それアンドなんとかというバンド名でこういう書き方をすると非常に間抜け)で、前身はKeith
Powell, Carl Wayne And The
Vikings。ドラマーが脱けた後に一時引退して家具販売をしていたBev
Bevanを迎える(オーディションはBromford
Laneの教会で開かれた)。Bevが加入した理由に、すぐにHamburgに行ってショーをやらないといけないのだが、彼は海外に行ったことがなかった、ということがあるらしい。Hamburgでは45分のギグを1日に7回こなしていた(厳密にはDuisburgのStoryville
clubだという)。Bevが参加したとき、Vikingsは既にPyeからWhat's A
Matter Baby(1964, Pye 7N 15702 c/w Your Loving Ways)、This Is
Love(1965, Pye 7N 15824 c/w You Could Be
Fun)の2枚のシングル(その他、USでMy Girl(1965, ABC 10752 c/w Shimmy
Shammy
Jingle)を発表しているらしい)をリリースしていたが、このラインナップではこれ以上の成功が見込めないと考えたため、Carl、Bev、Ace
KeffordはMove結成に参加する。
Carlsberg Special, The(W/曲名):WizzardのシングルBall Park
IncidentのB面。作曲はBill Hunt。副題はPiano Demolished Phone 021 373
4472で、この数字はBillの電話番号。実際にファンが電話をかけてくるのでBillは番号変更を余儀なくされた。Carlsbergラガービールへのオマージュなんだそうで、初期形態のスカなのだという。
Caroline(R/曲名):1969年10月に発売されたCasualsのシングル。Roy
Woodの作曲、プロデュース。B面のNaughty BoyもRoyのプロデュース。
Carrott, Jasper(人名):UKの有名なコメディアンで本名Robert
Davis。もともとはBev BevanのMoseley Grammar
Schoolの友人だったらしい。Bevの仲人を務める。1975年にJeff
Lynneのプロデュース、Bev、Richard TandyのサポートでシングルFunky
Mopedを発表し、トップ10ヒットとなる。また彼はお遊びでBevとBelchというバンドを組んだり、クリスマスショーにHollies(Carl
Wayne参加)やRoy Wood's Armyを呼んだりもしている。
Carter, Chip(人名):元アメリカ大統領Jimmy
Carterの息子。ELOのWashington公演を見に来ていた。
Casuals, The(グループ名):Roy
Wood作のCarolineをシングルで発表した。
Caught In A Trap(E/曲名):シングルCalling
AmericaのB面。Balance Of
Powerの他の曲にも言えることだが、「ぱっと聞いただけでは音がすかすか」した印象がある。Jeff
Lynneはそれを狙ってやっているのだろうが、なんだか手抜きに思えて残念。このアルバムでのB面曲は「所詮はB面」といったものが多く、Secret
Messagesのときと比べると寂しい。AfterglowからもFlashbackからももれている。恐らくリマスター盤Balance
Of Powerで手に入りやすくなるのだろう。
CBS Associated(その他):ELOがJetを離れた後、北米でのELOを扱う。
CBS Sony(その他):A New World
Record以降、ELOのdistributionを行う。現在、On The Third
Day以降の版権を持っている。
Cedar Club(その他):BirminghamのConstituion
Hillにあるクラブで、Brum
Beatのバンドが交替で出演していた。Move結成の相談がなされた(1966年初)のもここ。また、Bev
Bevanの妻Valerieもここで働いていた。
Celebrity
Theatre(その他):1973年7月、ELOのPhoenixでのギグが催される。ステージはゆっくり回転した。観客は大変熱狂的で、Jeff
LynneはRecord
Mirror紙のインタビューに答えて「自分たちがBeatlesになったようだった」と語った。
Centipede(グループ名):Wilf
GibsonがELO加入前に在籍していたジャズロックバンド。
Central News(R/その他):1988年にRoy
Woodがテーマ曲を提供したニュース番組。Midland
TVの日曜お昼の番組だった。
Chads, The(グループ名):Jeff
Lynneが初めて参加したプロフェッショナルバンドといわれているが、JeffはNightridersへの参加をもって自らのプロキャリアの始まりと捉えているようでもあり、このバンドをどのように位置づけるべきなのかは私にも未だ判断できない。また、Jeffはこの前にThe
Andicapsというバンドに在籍している。ChadsのギタリストはMick
Atkinsだったが、彼は当時病気であり、ギターを募集することになった。Birmingham
Mailの広告がなされ、Atocks Greenのscout
hut(?)でオーディションが開かれたが、最後の応募者が現れず、1時間ほど待ってChadsのメンバーが帰り支度を始めたときにJeffが雨の中を駆けつけ、その結果採用になった。Jeffはその後The
Chantellesを経てNightridersに加入したものと考えられる。
Changing Man, The(その他/曲名):Paul Weller(元Jam、The Style
Council)の199X年のアルバムWild
Woodに収められた曲でシングルとなる。10538
Overtureのリフを全面的に借用している。彼のベストアルバムにも収められており、Thanks
toの中にJeff
Lynneの名前も挙げられている。しかし、Paulの曲がELOに似ているとメディアに評されたプロデューサーのBrendan
Lynchは、「そのELOの曲とやらをPaulに送ってやってくれよ。彼も私もそんな曲を聴いたことがないから」と話したらしい。失礼な。
Chantelles, The(グループ名):Richard
Tandyがまだ学校に通っていた時代に参加したバンド。彼によれば、「最初の本当のグループ」。メンバーは、John
Fincham(ベース、ボーカル)、Tim Bellamy(ドラム。後にJohn
Pantenyにチェンジ)、 Tony Allen(サックス)、Richard
Tandy(ギター、ハーモニカ)とJohn
Downing(ロードマネージャ)。ジャズやブルースをプレイしていた。Richardが脱けた後、Dave
Morganが参加し、さらに一時Jeff
Lynneが在籍していたという。Chantellesといえば、Ace
Keffordが在籍していたChris And The
Chantellesというバンドがあるらしいが、お互いの関係については不明。
Cheap Trick(グループ名):1979年8月、Phenixでの野外コンサートでRoy
Woodと共演。1980年頃Rick
NielsenがRoyにプロデュースを頼むが、マネージメントサイドでGeorge
Martinにプロデュースを頼むことが決まっていたので実現せず。アルバムWoke
Up With A MonsterではJeff
Lynneにもプロデュースを依頼したらしいが、Jeffは「既にバンドによって充分なプロダクションがなされている」として受けなかった。アルバムHeaven
TonightでCalifornia Manをカバー。アルバムBustedでRock'n' Roll
Tonightをカバー。アルバムCheap
TrickでBrontosaurusをカバーする。またボックスセットSex
America所収のMoney Is The Root Of All
FunはRoyがボーカルで参加しているほか、MoveのDown On The
Bayをカバーしている。2001年にはJeffのトリビュートアルバムLynne Me
Your
EarsにもRickが参加した。(知ってます、もっと書く事はあります。しばらく待って下さい)
Cheer Down(曲名):George HarrisonがサウンドトラックLethal Weapon
2に提供した曲で、ベスト盤であるBest Of Darkhorse
1976-1989にも収められている。Georgeの作曲でプロデュースはJeff
Lynne。印象的なピアノをRichard Tandyが弾いている。本来Eric
ClaptonのJourney Manに含まれるはずだった。映画ではextended
versionが聞ける。
Cherry Blossom Clinic(M/曲名):Move収録。Tony
Viscontiによりストリングスとブラスが加えられ、いかにもflower
popという出来上がりになった。ボーカルはRoyとTrevor。シングルとして発売されるという話であったが実現しなかった。これは、B面に予定されていたVote
For Meの歌詞が政治的であることからRegal
Zonophoneがリリースを嫌がったからだという説と、この曲自体の歌詞が精神病院を扱っているからだという説がある。
Cherry Blossom Clinic
Revisited(M/曲名):Shazam収録。前作をよりワイルドに解釈しなおして再録音。JSバッハの「主よ人の望みの喜びよ」のフレーズを流用している。
Chicago(その他/映画):この映画のサウンドトラックにはEric
Troyerが参加しているらしい。
Chinatown(M/曲名):シングル曲(c/w Down On The
Bay)。この曲もShines
Onに収録されている。やはりRoyとJeffのダブルボーカルである。UK21位。アメリカでは最初United
Artistではなく、(illegalに?)MGMからシングルリリースされた。1週後にUAからリリースされたが、UAバージョンでは銅鑼などがエディットアウトされており、MGMバージョンのほうがextendedであるという噂がたった。Carl
Wayneが最も好きなMoveナンバーであるという。
Chocolate
Fashion(グループ):もともとバイオリンとチェロの二人の女性奏者によって作られた日本人デュオ。その後チェロが抜けてバイオリン一人になった。アルバムEnglish
MuffinにおいてTwilightをカバー。
Christmas All Over Again(J/曲名):1992年、Tom Petty And The
Heartbreakersがチャリティアルバム、"A Very Special Christmas
2"(邦題「クリスマスエイド2」)に提供した曲で、映画Home Alone
2にも使用された(始まってしばらくしてから、飛行機が飛び立つシーンで使われている)。当初録音時には仕上げについてかなりの混乱が生じていたため、Jeff
Lynneが駆り出されてまとめられた。Jeffは共同プロデュースのほか、ベース、ベル、ティンパニ、バックコーラスを担当。また、曲の終わりで「Chuck
Berryのソングブックが欲しい」と願っている。
Cirkus(グループ名):Mike Sheridan、Gerry Levene、Dave
Pritchard、Roger Bromley、Dave Griffith、Jimmy
Parsonsで結成された(1970年頃のことか?)が、いざ本格活動に入るところで休止する。
Clark,
Louis(人名):1947年2月27日生。Bedford出身。1974年9月-1986年9月、ELOにおけるオーケストラ・合唱団の共同アレンジャー・指揮者、ならびにライブにおけるストリングスシンセサイザー。1989年以降、ELO
part
2のミュージカルディレクター、ストリングスアレンジャー、指揮者、キーボード。Bridgnorth
Grammar
Schoolで学び、14歳でピアノとビオラを習う。その後、Beatlesの影響でバンドを作り、ベースをプレイした。17歳でBirminghamに移り、The
Buccaneersにベースで加入する。このバンドはThe Monopoly、The Raymond
Froggatt
Bandと名前を変え、Louisはシングル10枚とアルバム2枚に関与している。セカンドアルバムBleach(1972年)で彼はストリングスアレンジを任された。彼が参考書首っ引きで施したアレンジは幸いできがよく、彼自身プレイよりもアレンジに興味を持ったため、バンドをやめてロンドンに出た。しかし勉強が不充分であることも実感し、トレーニングのためにThe
City Of Leeds College Of
Musicに24歳で入学し、フルート、キーボード、作曲を3年間学んだ。卒業後Raymond
Froggattから再び声がかかり、ミュージカルWilliam
Shakespeare用にアレンジを頼まれた。結局この作品は発表されなかったが、同時にDe
Lane Lea StudioでElodorado製作にあたっていたJeff
Lynneがそのテープを聴いたことで彼にアレンジを依頼し(フルートもプレイしたらしい)、以後Time、Balance
Of
Powerを除く全てのアルバムでのストリングスアレンジにクレジットされている。また、オーケストラの指揮も行った。ELOの特徴であるストリングスは、ひとえに彼の力量に基づくといっても過言ではない。これはそれまでの3作と比べてみれば明らかである。勿論、それまで自前でやっていた分をオーケストラに外注するようになったわけだから、違うのは明らかだし、以前の音の方が好きだという人も大勢いるわけだが、それはJeff
Lynneの方向性の問題であって、Louis
Clarkのせいではない。ELO以外の仕事に触れると、1976年にMike
BerryのI Am A Rocker(この曲はChas And
Daveの曲のカバーで、原曲にはRoy
Woodも参加している)のアレンジ、さらにこれは未発表だが同じくMikeのWake
Up Little Suzie-Bye Bye Loveのアレンジを行う。1977年にはKiki DeeのHow
Much Funでオーケストラを指揮(ストリングスアレンジはRichard
Tandy)する。1978年、Annie HaslamのAnnie In
Wonderlandに参加し、Rockaliseでポリムーグ演奏とストリングスアレンジ、Going
Homeでフルートとブラス・合唱のアレンジを行う。さらに引き続いてRenaissanceのA
Song For All Seasonsではアルバムを通じてアレンジを担当。またCity
BoyのアルバムBook
Earlyにも参加。1979年3月、Jetよりソロアルバム、(per-spek-tiv)nを発表。彼は当時からクラシックのリフをポップビートとミックスするアイデアを持っていた。同年、CloutのSix
Of The Best、City BoyのThe Day The Earth Caught
Fireをアレンジ。1980年、London Symphony OrchestraのRock
SymphoniesでStadning In The Shadows Of
Love他をアレンジした。1981年、Charlie WayneのDeeper Than Love(c/w
Midnight Blue)に関与、そしてRoyal Philharmonic
Orchestraを指揮してクラシックメドレー、Hooked On
Classicsを発表。商業的にのびないTimeを尻目にシングル、アルバムともに大ヒットした。実際、ELOの一員としてWembleyでコンサートをした翌日にRPOを指揮してRoyal
Albert Hallに現れたこともあったらしい。同年末にはI Wish It Could Be
Christmas EverydayをフィーチャーしたHooked On Cristmas (c/w
Motif)を発表(ここの記載がUnexpected
Messagesの本文とディスコグラフィが一致しません。正確な発表年を御存知の方教えて下さい--一説には82年)。1982年、Roy
WoodのOn Top Of The World用にRoyal Philharmonic
Violinsをアレンジするが、この曲は85年までリリースされなかった。さらにRPOを指揮してKelly
GroucuttのKellyに協力。さらにOzzy OsbourneのDiary Of A
Madmanにも参加。RPOと自らの作品としては、Plays The Queen
Collection、Plays The
Beatlesも発表した。Louisはこれらの利益を癌研究とRSPB(?)に寄付したという。さらにHooked
On Classics 2- Can't Stop The Classics、シングルIf You Know Souza
(And Friends)、シングルHooked On
Christmas(どうやらこれはMotifをB面にしたものとは別物のようです)を発表。1983年、第3弾としてHooked
On Classics 3- Journey Through The Classicsを発表、AsiaのRock'n' Roll
Dream、Ozzy OsbourneのBark At The
Moonのアレンジを行う。もちろん、Secret
MessagesのアレンジでELOに復帰したのもこの年。1985年、RPOと共にAnnie
Haslamをボーカルに迎えたStill
Lifeを発表。1986年、RPOとUKツアーを行うが、この際にはEldorado
Overture、Can't Get It Out Of My Head、Eldorado
Finaleを演奏した。1988年にはやはりRPOと趣向を変えたRhythm And
Classicsを発表、1989年には久々にJeffとの仕事としてRoy OrbisonのA Love
So Beautiful、California Blueのアレンジを担当した(この時、LouisがYou
Got
Itに対して提案したアレンジをJeffが却下したため、ふたりは仲違いに至ったという説がある)。1990年、ELO
Part 2に関与し、ステージでのメンバーを経てセカンドアルバムMoment Of
Truthには正式加入、作曲も行っている。バンドとしての活動以外にもRPOを従えたコンサートにも積極的で、また1994年にはBBC
Concert Orchestraと組んだInstrumental
Classicsも発売している。その他のプロジェクトも相当数になるようだがElton
John、Charles Aznavour、Ultravox、UB40、America、Rick Wakeman、Ozzy
Osborne、Asia、Anabella Atkind、Roger
Whittakerがあるようだ。ソロとしては1995年には来日し、Hooked
Onコンサートを行ったが、紹介でもELOの名前はほとんどでなかったし、残念なことにELO、ソロ、part
2などからの引用は披露されなかった。このとき楽屋に入れてもらった私は、Still
LifeとMusic Of The
BeatlesのCDにサインしてもらい、家宝となっている。現在もHooked
Onコンサートを世界各地で行うとともに、Part
2の一員として活動中。息子Louis J
Clarkもアレンジャー活動を行っている。
Clark, Louis J(人名):Louis Clarkの息子。DeltaのアルバムSlippin'
Outのストリングスアレンジを担当する。
Cleo(その他):Chicago Plaster-
CastersのCynthiaがELOにくれたボアコンストリクター。Hugh
McDowellが気に入ってCleoという名前を付け、生きたネズミを食べさせていたが、飛行機の中で見つかり、動物園に送られる。
Clog Dance(その他/曲名):Mik Kaminski、Michael de
Alburqurqueのバンド、Violinskiのファーストアルバム、No Cause for
Alarmに収録。シングルカットされた。
Cloud Nine(J/アルバム):George
Harrisonの1987年作品。全曲GeorgeとJeff Lynneの共同プロデュース。Friar
Park Studio録音。I Got My Mind Set On
Youの全米No.1ヒットを生み、George復活を印象づけた。JeffがGeorgeと共作した曲はFish
On The Sand、This Is Love、When We Was FABの3曲。ちなみにcloud
9はアルバムのオープニングトラックの曲名でもある。Shanghai
Surpriseから2曲再録されており、Breath Away From HeavenとSomeplace
Elseらしい。後者ではMichael
Kamenの手によるBeatles風のストリングスは外されたという。
Cocker, Joe(人名):アルバムNight
CallsのタイトルトラックのプロデュースをJeffに依頼。
Coghlan, John(人名):Status Quoのドラマー。Secret
Messages録音のためにRockersを脱けざるを得なくなったBev
Bevanの後を埋めてシングルWe Are The Boys録音に参加する。
Collum, Roy(人名):Jeff Lynneが脱けた後の穴埋めとしてIdle
Raceに加わったボーカリスト。2カ月で脱退。
Colouful Lady(R/曲名):アルバムOn The Road Again収録。後、Carl
WayneがシングルAerial
PicturesをリリースしたときにB面でカバーされる。このときもRoyは全面的に関与しているが、アルバムのトラックをそのまま使ったのかどうかは私は知りません。
Columbia
Combined
Action(グループ名):60年代に活動していたバンド。メンバーは、Kirk
St. James(ボーカル)、Richard Tandy(ギター)、Charlie
Grimma(ドラム)、Willetts(ベース)。
Come And Get It(その他/曲名):Magic
Christiansの1971年のシングル(Major Minor MM 673 c/w Nats)。Trevor
Burtonが参加している。言うまでもなく、その後Badfingerの手によりヒットした曲。
Come on Christmas, Christmas Come On(J/曲名):Ringo
Starrの1999年のアルバムI Wanna Be Santa
Claus収録。作曲はRingoの他、Mark HudsonとDean Grakal。Jeff
Lynneがコーラスで参加しているが、名前そのものはクレジットされていない。
Come With Me(I/曲名):Idle Race収録。シングルカットされ(c/w
Reminds Me Of You)るが、ヒットにはつながらず。
Commander, Jake(人名):Jeff
Lynneの旧友。直接ELOのメンバーとしてカウントされることはないが、On
The Third
Dayのフォトにフェイクで登場(この件についてはJake自身が記憶にないと語っており、真実かどうかは不明)したり、Out
Of The
Blueツアーでバックステージからコーラスしたりしており、準メンバーとして捉えてもいいのかも知れない。ELO2の際のフォトセッションには、まるでメンバーのように写っている写真も残されている。JeffがChadsに脱けた後のAndicappsに加入、Hollick
& taylor's
Studioで録音を行った。彼は電気に強く、1965年頃ラジオ電波を混信させて、自分たちの曲を1分間程度ラジオで流すことに成功した。彼はその後Kex
Gorin(彼もAndicappsにいた)が属するMagnumのファーストアルバムをプロデュースした。
Concerto For A Rainy Day(E/曲名?):Out Of The
BlueのC面に含まれる4曲の総称。邦題「雨の日のコンツェルト」。雨をモチーフにした曲を集めたこのパートは、派手さはA面に譲るものの、確かにこのアルバムの白眉といっても過言ではない。雨音は1977年の夏に実際にミュンヘンで録音されたもので、組曲のコンセプトは、セッション中10日に7日は雨が続いたことから生まれた。
Confusion(E/曲名):Discovery収録。Jeff LynneがRoy
Orbisonへのオマージュとして作った曲だという。キーボードサウンドにかなり特徴があり、一度聞いたら忘れられない。ボコーダーも活躍する。Last
Train To
Londonとのカップリングでシングルカットされたが、チャート上はなんとか全米40位内に上がった程度であった。
Cool Dry Place(J/曲名):Travelling WilburysのVolume
3収録。リードボーカルはTom Pettyだが、歌詞の中にIdle
Raceが出てくる。
Copeland, Stewart(人名):元The Policeのドラマー。Jeff
Lynneとデジタルレコーディングについて話していたとき、Jeffが「デジタルは0と1の塊だからあまり気乗りがしない」と言ったところ、「でもオーディオテープも磁性体の塊じゃないか」と言ったと伝えられる。
Copestake,
Phil(人名):Move、初期ELOのローディ。ELOの初めてのテレビ出演の際、豚のマスクをかぶってチェロのマイムをする。
Cordell, Denny(人名):アルバムThe Moveのプロデューサー。
Craig, Andy(人名):チェロ奏者で、Electric Light
Orchestraの初期ツアーに参加したが、クラシックのトレーニングを受けていないなどの理由でセカンドアルバム録音前に離脱する。
Curly(M/曲名):シングル曲(1969年、c/w This Time Tomorrow、Regal
Zonophone RZ-3021)。UK12位。プロデュースはMike Hurst。タイトルはCarl
Wayneの飼い豚の名前にちなんだという噂もあるが、バンドはこれを否定している。リコーダーが特徴的なポップソングだが、Carlはこの曲でいやになってMoveを抜けたという。1997年、カジヒデキにぱくられる。
Curtis, Tony(人名):Wembley
Arenaでの宇宙船コンサートの際、introducerを務めた。Anaheimでもそうだったらしい。侵略者に周囲を囲まれて、それをELOが助けにやって来たとかいうストーリーでやっていたようだが、なんだかくさいですね。
Custer's Last Stand(R/曲名):1988年発表のRick
Wakemanのアルバム、Time
Machineに収められた曲。作者はRickであるが、ボーカルをRoy
Woodが務めている。シングルカットされ、B面はOcean
City(Royは不参加)。ちなみにCusterとはアメリカの騎兵隊将軍で、スー族の圧倒的な攻撃に立ち向かい、全滅に近い損害を被って戦死したという英雄。
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