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ヤン・スワンメルダム
Jean Swammerdam(1637〜1680)

17世紀初めには顕微鏡がなんとか利用できる代物になっていき、なんと一般人の レーウェンフック(1632〜1723) は自作の顕微鏡で約200倍?の倍率を出し、 多種多様な物を測定して今日への記録を残した。
顕微鏡により極微世界を覗ける・・・世の中の興味は身体の大きい哺乳類だけではなく、 室内や掌に載せたりして、自然の神秘を感じられる小さな昆虫へ俄然高まっていた。
そんな中で、スワンメルダムは登場する。

スワンメルダムはオランダの大富豪の家に生まれたが、身近にいる小昆虫を顕微鏡で観察し、 その観察結果を逐一文書化するという作業に朝から晩まで熱中していた。こういった状況に父親から 家督を継ぐか昆虫遊びを放棄するか? と迫られたがスワンメルダムは昆虫研究を選び、以後は 経済援助を受けられない貧乏人になった。

その後、オランダのライデン大学で医学を学ぶも健康を損ない、医師としての仕事はせず 知人・友人の支援を受けながら研究を続けた。カエルの赤血球の発見や、人体ではリンパ系 が重要な働きをしていること、胎児の肺についても調べている。

『昆虫学総論』の出版
スワムメルダムの名を知らしめるのは、顕微鏡により、蜜蜂や蜻蛉などの小昆虫を調べて 著した「昆虫学総論」である。 この著書の中で彼は、蝶の蛹を解剖すると、完成された身体の蝶が翅と肢を折りたたんで 眠っていることを発見したと著した。

この時代は、まだ生命の発生について「前成説」「後成説」を唱える人々 どちらにも根拠となる決定打がなかった。この発見は、「前成説」すなわち「入れ子説」
「生命は雌雄の生殖により生まれるものでは無く、発生する卵の中には次世代の成虫が入り、  その成虫の中にはまた次世代の卵があるという無限連鎖が世界の終末まで計算されて存在している」の根拠となり、「前成説」を裏付ける 強力な援護射撃となった。
しかしながら前成説自体は、後に「後世説」によって否定されてしまうのだが、 観察という新しい事実探求方法から生まれた驚異だった。

『自然の聖書』の出版
スワンメルダムは、その熱狂的なまでの昆虫観察も相まってか、若くして世を去ったため、 生前には観察結果を公表していないものが多く、また一部は焼き捨てたとも言われる。
(なお、晩年は新宗教の熱心な信者となり布教活動に挺身していた)
死後、オランダの科学者ブルーハーウェが遺稿を整理し、「自然の聖書」と題して出版した。 題名はスワンメルダムが考えていた。
スワンメルダムは、カタツムリの眼の構造を解明して詳細な解剖図を制作した際、 これを真実として信じてくれるものがいるだろうか、と不安に駆られたという。

「しかし、一体誰がこれを信じるのだろうか? 私がこの論文をしたためるのに 使っているペンの先ほどもない小さな点にこれほど精密でこれほどの奇跡が見出 されるなどと!」 ・・・『自然の聖書』より


◎著作
1669 Historia insectorum generalis 『昆虫学総論』
1737-38 Biblia Naturae 『自然の聖書』


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