■ジャルダン・デ・プラント Jardin des Plantes イギリスの「キュー・ガーデン」と並ぶ博物学の殿堂。
国王ルイ13世の「侍医」ギ・ド・ラ・ブロスが建設を提案。
■ファゴンの園長就任 王立植物園は、教授たちが自分の研究成果や科学を教授するフランス唯一の場所となり、 1730年頃にはヨーロッパ隋一の研究所として、フランス国内外を問わず、各講座の講義に人々が 集まるようになった。 また、1738年には既に有名だった植物学者リンネも見学に訪れ、ジュシューの講義を聞いたという。 なお、50年後には杉の樹の下にリンネの胸像が建てられた。
■ビュフォンの園長就任
彼は1739年以来約半世紀園長の地位にあり、植物園の敷地面積の拡大や、フランスの
植民地獲得政策の副産物として移入される多くの珍奇植物を栽培した。
とくに変種や交配種の作出に力が注がれたという。 1793年のフランス革命後、王制廃止とともに、国立自然史博物館(ジャルダン・デ・プラント)と 改称された。 革命後のこの植物園は、ビュフォンにより招かれた才能たち・・・キュヴィエ、ラマルク、サン=ティレールなど 有力な教授を抱え、名実ともに博物学の世界的中枢となっていった。
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