■シャルル・ボネ
Charles Bonnet(1720〜1793)
スイスの博物学者・哲学者。
16歳の時に聖職者ノエル・アントワーヌ・ブリッシュ著によるベストセラー「自然の光景」を
読み、自然に対する観察、自然科学、特に昆虫に対して強烈な興味を持つこととなる。
スワンメルダムやメーリアンにより昆虫学が発展していく中で、ボネは大昆虫学者レオミュールの著書「昆虫誌覚書」を
読み、内容への疑問点についてレオミュールへ手紙を送った。これによりレオミュールとの親交が始まり、レオミュール
が死ぬまで文通は続くこととなった。
■『前成説』と『後成説』
ボネの伝記を続ける前に、命の誕生いわゆる『前成説』と『後成説』についての概略です。
この時代、顕微鏡の発明によって精子と卵子が発見され、これにより命の誕生は雌雄の生殖に生まれることが分かった・・・とは全く持っていかなかった。代表的な説として、
『前成説』
精子、あるいは卵子の中には微小人間がすでに存在している。精子、あるいは卵子から栄養を受け取ることでそれらは成長する。
そして、微小人間の体内には更に微小人間が存在し、その微小人間の中には更に・・・という無限連鎖が世界の終末まで計算されて存在している。
そんな、小さな人間が存在するかだって?、我々の現在の不完全な科学技術で自然の限界を計ることはできない!
また、後成説よれば身体の各部は徐々に形成されるというが、どのような仕組みにより計画的に身体が形成されるのか? その奇跡的な仕組みの方が
よほど突拍子もない説である!
『後成説』
『前成説』の諸君は一体何を唱えているのか? そんな無限微小世界が存在する訳が無い! 第一完成された
人間が体内に存在するのであれば親子の容姿は何故似るか? 動物間の雑種はどう説明するのか? あまりにも説明が付かないことが多すぎる。
しかも、ウィリアム・ハーヴェィ等による鶏卵の発生実験からも後成は明らかである。命は生殖により徐々に体の各部は形成されているのだ。
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と、その他にも多種多様な説が提唱され激論が続くも、お互いに決め手となる実験検証を持っていなかった。
(決着がつくのは19世紀であり、厳密にはDNAが発見される20世紀なのかもしれません。また、どちらが正しいかといえば、今日の発生学では後成説ということ
なのですが、設計図であるDNA=人間のもとでもあり、「前成説」「後成説」どちらも正しかったとも言われることがあります)
また『前成説』においても、精子と卵子のどちらに微小人間はいるのか?ということで論争が起こっていた。そこで、ボネの登場となる。
■アリマキの単為生殖の実証
20歳のボネは文通相手であり恩師のレオミュールからの薦めもあり、アリマキ(アブラムシ)のメスを隔離し飼育するという実験を行った。
この実験により、アリマキのメスは生殖相手無しに数世代に渡って単為生殖が行われていることを発見した。
この発見はレーウェンフックが既に確認済みだっだが、世間に広く知られることはなかった。従ってボネが最初の発見者では無かったが、レオミュールら
の支えもあり学界知識人に広くボネの名前を広めると同時に、『前成説』においては卵子が重要であるという確証を皆に抱かせた。
(実際には、他にも理由があり元々、卵子優位説が根強かったようです)
しかし、この発見は聖母マリアの処女懐胎に繋がり科学と宗教信仰が強く混ざり合い、アリマキ自体が信仰上、重要な生物となる奇妙な状況を生んだ。
ボネの実験として、もう一つ重要なのがヒドラやポリプといった無脊椎動物の一種の生体を切り刻んでも再生するという現象を発見したことであった。
身体を切り刻んでも再生するのであれば、体の到る箇所に次世代への生命原素が存在するという構想を持った。これは言い換えれば後成説の確証ともなるのだが、
ボネはこれらの実験から『前成説』を主張することとなった。しかしながらボネは、生命の誕生にはいくたもの謎が存在するとし更なる実験を提唱していった。
■『自然の三界』と『存在の大いなる連鎖』について
ボネは当時の顕微鏡観察の難儀さや観察の熱心さも相まって、30歳頃には目を悪くし結果、視力を失ってしまう。
視力を悪くしてからは思索にふけるようになり、ライプニッツの連続性の原理を引き継ぎ、アリストテレス以来から成されなかった
自然界全体の存在体系『存在の大いなる連鎖』を提唱することとなる。
自然の三界である「動物界」「植物界」「鉱物界」は、自然界に存在する物質についての大区分であり、
生命のある物質、無い物質などにより区分されるこの分別は人為的であると同時に自然そのものによって
与えられた区分である。
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このような三界区分は、古くから考えられていた『存在の大いなる連鎖』を否定するものであった。この思想『存在の大いなる連鎖』は
創造主により自然物の存在はある大構想のもとに創造された。自然の物質は全て絶え間ない連続性を持ち、自然界全体は一つの体系にまとまるという観念。
つまり、石や蛆虫を単純で下等な存在とし、人間を複雑で高等な存在とする。この存在間に飛躍はなく、もちろん三界の区分も無い。
石と植物の間はアスベスト(石綿)が繋ぎ、魚と鳥の間はトビウオで繋がる等のように、一見存在が異なるような物質もその間を繋ぐ
物質が存在する。これは自然界に飛躍が無いことの証明であり、全ての存在は切れ目ない『自然の階段』を上り、人間により頂点へ至る。
・・・といった考え方で、このような観念はその後も、サン=ティレールやラマルク進化論にも引き継がれたが、先の三界の存在や
キュヴィエによる分類学の確立によって、「存在の連鎖」は存在しないことが証明されていくことになる。
なお、シャルル・ボネの名前は、シャルル・ボネ症候群(視力の悪化により、脳が記憶による推測で人の顔などの幻視をみせる幻覚)
として、今日も残っている。
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