西郊(せいこう) 東京都杉並区荻窪3−38
西郊外観1
▲西郊。天気がいまひとつだったのが残念(2000.4撮影)。
 う〜む。『東京人』に先を越されてしまったぞ。(この意味がお分かりにならない方は、『東京人2000年5月号〜集合住宅物語26』をご覧ください)。
 しかし私たちも慣れぬ室内撮影で苦労した場所。遅ればせながら公開させていただきます。
 荻窪の元高級下宿。現在は割烹旅館「西郊」です。
西郊外観2
▲ドーム屋根の建物が昭和13年の新館。奥に和室の本館がある。
 まず建物の構造ですが、写真のドーム屋根を持つ洋室の新館(昭和13年築)と、和室の本館(昭和6年築)が連結されたつくりになっています。(ただしこの築年は、現在のご主人である平間美民さんがお祖母さんから聞いた話や、現存する資料から割り出したもので、戦後生まれである現在のご主人の記憶ではありません)。

 和室の本館はコの字型の建物が中庭を取り囲む形式。ほとんどの部屋から中庭を見下ろせるという、贅沢なつくりになっています。写真を撮影させていただいた日は、ちょうど本館で会合のお客さんが入っていたため、新館部分だけの撮影となりました。

丸窓
▲新館一階、階段下の丸窓。
 さて、先々代のご主人平間美喜松さん(現在のご主人のお祖父さんにあたります)がこの土地に西郊ロッヂングを建てた前後の事情は、『東京人』に詳しく書かれていますので、私のほうはこぼれ話的なものを…

 今回の訪問の際、最近になって発掘(?)されたという戦前の西郊の写真をいくつか見させていただきましたが、驚いたのはまず本館の屋根が現在のような瓦屋根ではなく、平面であること。一見すると鉄筋コンクリートのアパートメントのよう。これは雨漏り等の理由で、現在の瓦屋根はあとから取り付けたものだということです。

階段
▲二階へ向かう階段。
 そしてもう一つ、本館の入口は現在はガラスの入った格子戸(引き戸)ですが、戦前の写真では一枚ガラス。しかも観音開きのよう。隣にいたご主人もその時気がついたようで、「一枚ガラスって今でも高いんですよ。当時の一枚ガラスって、大変だったろうなぁ」とおっしゃっていました。
ドーム下・共同流し場
▲あのドーム屋根の下には何があるんだろう… とあらぬ想像をふくらませていましたが、実際は写真のような共同の流し場でした。
 建物のデザインは先々代の美喜松さん自身、そして施工は近所に住んでいた町田さんという大工さんの手によるものではないかと言われています。この町田さんという大工さんは腕のいい人で評判で、近所でも西郊以外にいくつか建物を残しているそうです。

 今でもしっかりとした造りの建物ですが、建て替えを考えたことは何度かあったそう。
 例えば東京オリンピックの頃。外国人のお客さんがたくさん見込めるので、これを機に建て替えを考えてはどうかと薦められたけれど、当時のご主人・美喜松さんがすでに高齢であったため、その話は立ち消えになってしまったとのことです。

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