島の人口は採炭が再開された昭和40年から42年にかけて一時的に増加するが、その後は現象の一途をたどり、皮肉にもこの人口減少が島の住宅事情の改善につながったという。
昭和42年の13号棟が、島に建てられた最後の集合住宅となった。