川端康成との邂逅
カジノ・フォーリーの常連、川端康成は梅園のファンであったらしい。
やがて彼女をカジノから引き抜いて、本格的に舞踊を習わせた。カジノフォーリーを去ってから半年後、特別出演という形で再度カジノの舞台に上がったときの演目は「ユーモレスク」。本格的バレエだった。このバレエが、後に東勇作、益田隆らとトリオを組んで活躍する下地になる。
この事実からも分かるように、梅園竜子の一生はこの将来のノーベル賞作家に大きく影響されることになった。
梅園が当時の川端康成に援助されて習っていたものはバレエだけではなかった。ひとつはピアノ。以前文藝春秋の巻頭コラムの一番最初を受け持っていた河上哲太郎の夫人に習っていたという。
もうひとつはフランス語。結局ピアノもフランス語も、ものにはならなかった。

カジノ・フォーリーは昭和8年に解散する。

川端康成邸の梅園龍子(中央)。左は秀子夫人。
3人一緒の写真は珍しい。撮影時期は昭和15年頃か?
台東区上野の桜木町にあった川端康成邸で
エピソード
●川端は梅園に「雪国」を読ませて感想を求める。その答えは「先生、こんないやらしいことなさったんですか?」だったそうだ。
●随筆集「落花流水」に彼女のことを小説にしなかったのは残念だ、という一文がある



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