テロリズム

 正にテロリズムというに相応しい事件だ。

官房長官の記者会見において

「何をもってテロリズムと決めつけるのか」という

気の狂ったような質問が発せられていたが、

無関係の一般人を巻き込み、且つ死傷させ、

遠く離れたこの日本に於けるわしら自身も恐怖を禁じ得ない

この事件をテロリズムと呼ばずに何と呼ぶのか。

 狡猾にも、未だ犯行声明は発せられていない。

もちろん報復を恐れる事にもよるのだろうが、

そういった声明が無いが故に更なる恐怖を与え得ている。

 如何なる理由が在ろうと、テロリズムは断じて許すべきものではない。

何故ならば。

テロリズムは本来無関係である一般人を巻き込む事を

前提として行われる破壊活動だからである。

そしてそれにより恐怖を与える事が主目的だからである。

卑劣極まりない破壊活動だからである。

 この事件がアメリカの政策、軍事に対するアンチテーゼであったとして、

アメリカのような民主主義国家においては、

確かに、国民の大多数の意見をもって 政策を決定するのであるから、

一般人にすら責任の一端があるのは事実である。

しかし本質的、常識的、また国際法上には無関係と断ずることができる。

破壊活動は軍事組織間で行うべきものなのだ。

 ここに於いてテロリズムは軍事行動と完全に区別される。

軍事行動は一般人を巻き込まない事を前提として行われるものである。

たとえ結果的に一般人を巻き込むことがあり得るとしても。

上記の定義に於いてテロリズムと軍事行動は完全に区別されなければならない。

 何度も繰り返すが、如何なる主義主張が在ろうと、

テロリズムを断じて許してはならない。

本質的に一般人の生活を恐怖で脅かすものなのだから。

2001.9.12

 

平和憲法の落とし穴

 ふと気づいた事がある。

まずは日本国憲法の代名詞、第9条の全文を記す。

 

第9条【戦争の放棄,軍備及び交戦権の否認】

(1)日本国民は,正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し,

   国権の発動たる 戦争と,武力による威嚇又は武力の行使は,

   国際紛争を解決する手段としては,永久に これを放棄する。

(2)前項の目的を達するため,陸海空軍その他の戦力は,これを保持しない。

   国の交 戦権は,これを認めない。

 

 何を今更、と思われた方も多いだろう。

しかし、よく読んでおいて欲しい。

 この度のテロ事件を受け、アメリカをはじめとした諸各国は

おそらく武力行使に出るであろうことは、残念ながら、まず間違いない。

その国々の中に、日本が参入するか否か。

これから紛糾するであろう問題である。

少なくとも何等かの援助は必須である。

外交の立場上はもちろんであるし、

テロを是認すると捉えられかねない行動、言動は許されない。

 となると、金銭的援助はもちろん、

自衛隊による具体的援助まで懸案されることになるだろう。

 まさか自衛隊の出動までは、と思われる方が一般だろう。

そんな馬鹿な、と。  

しかし今一度、上記第9条をよく読んで欲しい。

大きな穴があるのだ。

今回の一件に対し報復的な武力行使が行われるとして、

これが「国際紛争」であるか否か。

「国と国との間の諍い」であるか否か。

もうお解りだろう。

この武力行使を「国とテロリストの間の諍い」と捉えてしまえば。

「国際紛争を解決する手段として戦争、武力の行使を用いない」 と謳っているこの条項は、

テロリスト、テロ組織に対する 自衛隊の発動を抑止できるものではないのだ。

近い将来起こるであろう武力行使を犯罪組織に対する警察権と捉えてしまえば、

この第9条は日本がその武力行使の一端を担うことを否定するものではないのだ。

 第二項の末尾、「交戦権を認めない」も同様にこの場合無関係ともとれる。

唯一抑止できるとすれば、「戦力は保持しない」であるが、

有名無実となって久しいこの項目にいかほどの抑止力があるか、 甚だ疑問である。

「テロリストに対する措置である」事を楯に

自衛隊の発動を求められるかもしれないのだ。

ここで日本が傍観者、中立者に回る事はできないのだ。

それは日本の先進諸国に於ける孤立を意味する。

何らかの援助は行わざるを得ないだろう。

仲介に回るというのも、事件がテロリズムである以上、

困難極まりない事であるし、

テロの是認として孤立どころの騒ぎではなくなる可能性が高い。  

 曖昧な憲法をごまかしつつ使ってきたツケがいよいよ回ってきたようだ。

ここにきて、現内閣は真価を問われることになるだろう。

賢明な選択を望んで止まない。  

 

 

開戦

 さんざん呑んだくれた日。

深夜のシャワーから出ると。

「始まった」との声。

開戦、である。

酔いを醒ます事実。

酔いから醒めたくない感情。

 

 戦略爆撃機、戦術爆撃機、巡航ミサイル・・・

制空権を握るための光が闇を裂く。

 

 今回は最初からゲリラ相手の戦争であるだけに、

特殊部隊による地上戦がメインとなるだろう。

あくまでこの数日の空爆は、タリバンの戦力を多少なりとも割くだけが目的である。

制空権を握った後は、要塞とも言える地下道を 巡る攻防になると言われている。

この攻防は長期に至らざるを得ない、というのが大方の予測である。

敵の潜む迷路を探って行かねばならないのだ。

短期で片付けるためには大量殺戮兵器を使わざるを得ない。

しかし、ガスなどの兵器を、少なくとも表立って、

正義を背負った米軍が使うわけにはいかないだろう。

したがって白兵戦が主となり、時間と犠牲が必要になるだろう。

まだ序盤戦であり、これから本当の戦争が始まるのだ。

 

 重い内容になるが、当分これに関して考えてみたい。

2001.10.9

 

大義・正義

 この戦争におけるアメリカには大義・正義がある。

9.11の同時テロの証拠の提示は一般にはなされていないが、

アメリカの同盟国やNATO加盟国などには提示され、

証拠十分と判断されたということである。

従って、少なくとも国際社会上においては、

アメリカがテロ被害の報復としてアルカイダ〜タリバンを攻撃することは

大義・正義に基づいている、ということである。

 

 それ以前に。 テロリズムは絶対許してはならない。

そこに如何なる思想や宗教があろうとも。

バックボーンの有無に関わらず、テロはテロである。

撲滅・抹殺すべきものである。

その意味でも、アメリカに大義・正義はあるのだ。

 

 テロ撲滅が非常に困難なことであることは 想像に難しくない。

不可能とすら思う。 しかし、安易、容易な手段で行う虐殺を、

非戦闘員を殺傷することを目的とするテロリズムを認知してはならない。

この観点から、わしはアメリカの行動を支持する。

もちろん、日本も国としてこの行動に何らかの責務を

果たさなければならないと思う。

テロ容認国と見なされることは絶対に避けなければならないからだ。

なぜならばそれはこの国がテロの温床となる事を意味し、

またテロ被害にあっても、誰も助けてはくれない国に堕する事を意味するからだ。

今の体制に、テロから国民を守る術はないのだ。

 

 それだけではない。 最悪のシナリオ、日本にとって最悪のシナリオがある。

もし、アメリカがこの戦争で疲弊したとする。

日本にとって最大最強の守護であったアメリカが、である。

それを見とったアジアの国、日本のすぐ近くの国が、戦争を始めたら。

国境を越えてきたら。

日本に向かってきたとしたら。

有事法制を持たず、憲法による自衛権の確立されていない

日本が焦土と化す事に疑いはない。  

 

 最悪を想定すれば、日本はアメリカを支持し、

疲弊する前にこの戦争を終息させるしかないのだ。

2001.10.10

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宗教

 前回は抗テロという観点、さらに日本の国防という観点から

この戦争を是とする考えを述べてみた。

ただし、あくまでも

「現在の国際的観点」と 「事実起こったテロ被害」

という二点があってのみアメリカに正義・大義があるのであり、

普遍的、思想的な正義・大義があるか否かと問われれば、

その解答はアフガンの地下通路に潜り込み、 容易に得られるものではない。

 

 多少乱暴に言ってしまえば、

絶対神を信仰する 宗教同士の内輪もめ

に起因する争いである。

ユダヤ、キリスト、イスラムは全て同一神である

「創造主」を信仰する宗教である。

エホバ(ヤハウェ)、クリエーター、アッラーと呼び名は変わるが、

本質的には全て同一の創造主である。

従って突き放してしまえば、 その教義が妥協を否定するものである以上、

我々日本人には彼らの言い分は不寛容極まりなく、理解できるものではない。

古来から絶対神を持たず、 八百万の神々という概念を持つだけでなく、

妥協を含めた「和」を是とし、 尚かつ、近代における宗教性の否定の中で育ち、

結果的に無自覚なままの中途半端な宗教性を有する日本人には。

 

 かといって同じ原理を有するはずの彼ら同士でさえも、

いや、だからこそ相互理解が可能なものではない。

一般の〜原理主義のみならず〜イスラム教徒からすれば、

アメリカはユダヤ教に肩入れする、または操られるキリスト教徒としか見えないだろう。

イスラムからすれば、キリスト教は不完全な半端もだ、

それを信仰する半端者に口を出される筋合いがない、

その半端者が武力を背景に聖地を奪ったのだ、

アメリカ許すまじ、というのがテロの背景にはある。

 逆にユダヤ教徒からすればイスラム教徒は後追いで 聖地に入り込んできた、

存在を認められない異教徒である。

排除するに戸惑いはない

要するに宗教的思想に立脚して 互いに正義を言い募っているのであり、

普遍的真理というものが得られてない現在、

どこに大義・正義があるのかなど解る筈もないのだ。

 

 日本人的に考えれば、妥協案があればそれをもって良しとすべき、

で解決できることなのかも知れない。

しかし彼ら絶対神信仰からすれば、妥協は即ち信仰の否定である。

思想、宗教というものが如何に複雑な要素を孕むか・・・・

実感したのは情けない話、この年になって初めてである。

2001.10.11

 

裏を読む

 わしは生まれてこの方宗教を手段としか考えてこなかったし、

元来一般的な日本人はそういうものである以上、

結論など出るはずもなかったのかもしれない。

それはともかく、先を続けよう。

 

 まったくの私見を以下に述べる。

アメリカが事前にこのテロを防ぎ得たか否か、という点である。

しつこく繰り返すが、私見である。

わしは、防ぎ得た筈だと確信している

 

 その詳細が不明ながらテロを予測し得ていたことに間違いはないし、

米空軍機がスクランブルで飛び立てば、

ハイジャックされた旅客機を撃墜することは十分に可能だったろう。

管制不能な旅客機が大都会に近づいていれば、

今回のような場合を想定して対応するのが当然であるし、

アメリカにはそのようなリアリズムが存在している。

 

 今回はWTC直撃であったから、被害は少なかったとも考えられるのだ。

もしあれが、NYに”着陸”していれば・・・・

被害は数倍に跳ね上がった可能性すら有る。

テロリストがテロの視覚効果を狙ったが故に

WTCを狙ったのであろうが、 それが殺傷のみを目的としていれば・・・である。

 

 しかしそれでもなお、あの旅客機は撃墜されなかった。

撃墜しなかった理由がそこにはある筈だ。

それは撃墜による被害の拡大、も当然あるだろう。

もし問いただしたところで、これをアメリカが

真っ先に上げるのは火を見るよりも明らか、だろう。

 

 しかしわしは、敢えて旅客機の激突を黙認したものと信じる。

戦略的に"Remember Pearl Harbor"であったことを疑わない。

WTC、ペンタゴンが真珠湾の戦艦アリゾナであったことを信じる。

すなわち、テロリズムの被害を受け、戦争への世論と国際承諾を得るために、

テロリズムを容認していたのだと信じる。

アメリカは戦争をする為に、そして多分ミサイル防衛構想を

実現させるためにWTC、ペンタゴンとそこにいた人々を犠牲にしたのだろう。

戦争の経済効果や

ミサイル防衛構想が

もたらす利益を享受するために。

 

ここまで読んできて、気分が悪くなった人もいるだろう。

更に、わしの言質に矛盾があると感じる人もおられよう。

ここまで考えていながら、アメリカの利己的な戦争に 賛成するのか、

と声が聞こえてきそうである。

今、現時点では「Yes」と答えよう。

その理由は次回に述べる。

2001.10.17

 

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理由

 

 矛盾をそのままに前回は稿を終えた。

今回はその理由である。

すなわちアメリカの謀略(?)に乗ってまで

今回の戦争に参加するべきその理由である。

 

 様々な理由はあるが、アメリカに謀略があったとして、

それが謀略として露呈、認識されるのは少なくとも30年は先のことだろう。

アメリカの謀略だとしてもそれを証明することは現在不可能であるし、

それを証明している間に日本は国家として存在しなくなるだろう。

 

 我々の現在の生活が全く不可能になり、全てが破壊されるということである。

それでもいい、というのなら話は別だが・・・・

ま、そのような方はとっととこのサイトから立ち去られた方がよい。

 

 残念ながら、今の日本の力ではその謀略を指摘することも、

証明することもできないのだ。

まずこれを踏まえただけでも、参入しなければならないのは明白である。

その他に如何なる理由で参入せよというのか、それを下に続けよう。

 

 第一に、テロリズムは徹底的に叩かなければならないし、

テロに甘いと全世界から認められているイメージは払拭しなければならない。

今回のような破壊そのものを目的としたテロはやや縁遠いものだが、

目的が金であった場合。

狙われる可能性は世界一に間違いない。

わしがテロリストであれば必ず狙う。

ここ最近ですら、テロリズムに類する事件がどれだけあったことか。

オウム・サリン事件、ペルー大使館、少年によるバスジャック、 池附事件・・・・・

そしてそのテロリスト達は、ほとんどがまだ生きている。

ペルー大使館事件においてすら、ペルー軍がなければ、 解決の糸口はなかったのだ。

こんな甘い国を、誰が狙わずにいられようか。

くどいが、わしなら狙う。

テロリストはイスラムの名を借りたものだけではないのだ。  

 

 ここで一つ断りを。

これまで何度か「イスラム原理主義」と書いたが、

テロリズムに行き着いたものと武力を持たない、

一般の敬虔な信者は区別されなければならない。

従ってこれまでに「イスラム原理主義」と書いたものは全て、

「イスラム原理主義を称するテロリスト」の意と解していただきたい。

今後は明確に区別して記述させていただきます。

 

 第二に、韓国、台湾との同盟のためである。

日本の国防を考えるには、

日本が安全な国として成立するためにはこの二国との強固な同盟が不可欠である。

そのための最高の合同訓練ができる、ということである。

韓国、台湾の北方には絶対に信用できない国が存在しているのである。

その国々を信用できるようにするため、

そこから武力攻撃を受けない為にも、

日台韓の三国が協同して行動できる素地を作る必要があるのだ。

金大中と小泉は歴史認識の話をすると何故かこの時期に言っているが、

それはこの同盟のための一つの行動と考えられる。

強い同盟関係を作るために、共通認識を持とうということではないか。

とはいえ、この歴史認識の違いとやらは 韓国発以外のなにものでもないのだが・・・・・

いずれにしろ、この機に日台韓の関係を強めるべきなのだ。

戦争が長引き、アメリカが中東に一極集中して

極東への目が届かなくなった時、ミサイルの一つや二つが飛んできても

驚くに値することではないのだから。

 

  第三に、参加しない事でまた金だけむしり取られる可能性が高いということである。

金だけ出す、というのが最も割に合わないのだ。

金は循環させるものであり、一方通行ではただの損、である。

しかも、何故か評価して貰えない。

これはヨーロッパ古来の考え方、市民と呼ばれる者は

軍事的に働く事が義務であるという認識の影響もあるのだろうが、

湾岸戦争の費用の大半を負担したにもかかわらず、

不当に評価されず、むしろ蔑まれた事を考えれば、

経済的だけでなく、今後のあらゆる場面に対し

国益を損なうと言わざるを得ない。

また、参加せずに金も払わない、ということであれば、

ブッシュが「テロ撲滅するか容認するかの二つしかない」と明言している以上、

後者すなわちテロ容認・支援国家とみなされるということである。

こうなると、テロリストにはテロ目標国家、

アメリカを中心とした西洋諸国には テロ容認国家として認められる事を意味する。

この時にはすでに日本という国は国家の呈を成していないだろう。

日台韓の三国同盟どころの話ではない。  

 

 さて。わしが戦争を支援しろという意味がお解りいただけただろうか。

断っておくが、わしは戦争をすべきであると言っているのではない。

戦争など無いに越したことはないのだ。

戦争やテロ、更には経済的な被害からこの日本を守るためには、

参入せざるを得ない、と思うのだ。

そして戦争が終わった時には、自立国家として成立できている、

という状態がベストだと思うのだ。

そうすれば、今後このようなことがあっても

「ちょっと待て」と言えると思うのだ。

2001.10.18

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多発テロに想う