溜息
大きな声では言えないが、先週は毎日午前10時からとあるドキュメンタリーを観ていた。
ワールドカップ直前の特集らしい。
川淵三郎をメインに据え、 各世代の中心選手がインタビューに答えつつ
日本のフットボールの黎明期からドーハ、ジョホールバル、
そして日韓大会へと続くその経緯をまとめていた。
何年ぶりかに凝視したドーハの同点シーン、 何度観ても熱いものがこみ上げるジョホールバル・・・
と、ここまではいい。
オフトや加茂の人間性を語る川淵もまあ良かろう。
彼らに「ワールドカップに出るためのチーム作りができなかった」監督、
そんな烙印をわざわざ付け直す必要もあるまいし。
そんなものは判りきっている話だ。
人間的にはいい人だった、それぐらいのフォローは良いだろう。
だが・・・
6/2の日韓大会編を観て、わしは驚嘆し、落胆した。
いきなり「フラットスリーの欠陥」というテロップが目に入った。
さも失点がフラットスリーそのものによるものだと言わんばかりの構成。
呆れてTVを消した。
各々のシステムの欠点を論じてきた構成で、こう来るのであれば。
応用の利かないシステムで攻撃を個人能力のみに任せたオフト、
理想とかけ離れ、嘲笑以外に批判のしようのないシステムで迷走した加茂、
そう続いてこれなら・・・・・
でも、納得はできない。
「フラットスリーの欠陥」とはあまりに酷い表現である。
それならオフトや加茂のシステムはどう表現するのだろう。
ちょっと考えてみる。
オフト:「個人能力のみに頼った攻撃の限界」
「応用の利かないスリーライン」
加茂 :「ゾーンプレスてなんじゃらほい」
「そもそもシステム以前」
いかんせん「フラットスリーの欠陥」以上の酷い表現は思いつかない。
わしの語彙能力の限界である。
それはさておいて、以前にも書いたが、
ベルギー戦における失点はフラットスリーの弱点を 突かれたものではあるが、
そこには フラットラインの不徹底=ポジショニングミスがあったのであり、
フラットスリーそのものによる失点ではありえない。
一般的な4人DFによるラインディフェンスでも当然あり得る失点の形である。
ベルギー戦、右サイドのMFだった選手がラインを崩さないポジションを取っていれば、あの失点は生じなかったのだ。
従って「フラットスリーの欠陥により失点した」という表現に妥当性はない。
「フラットスリーに綻びが生じ失点した」のだ。
しかもそれはDFのミスですらない。
この番組の詳細までは知らない。
川淵三郎の語りにより進めらており、 おそらく監修的な事も彼がしているのだろう。
ということは。
要するに川淵はトルシエが嫌いなのだろう。
それ以外に理由は思いつかない。
ワールドカップのみならず、ユース、オリンピックでも
近年最高の結果を残した監督の戦術に対する表現がこれなのである。
トルシエと協会の軋轢はメディアでも頻回に報じられたが、 その幾ばくかは事実なのだろう。
とにかくトルシエが嫌いなのだ。
「二度と一緒に仕事をしたくない」と川淵はワールドカップ直後に言ったとされるが、
それも本当なのかもしれない。
個人的感情は在って然るべきだ。
川淵がトルシエを嫌いだろうが好きだろうがそれは個人の感情として認める。
そこに異論はない。
しかし、「戦術批判」という形で扱き下ろすのであれば、
他の監督についても同様に戦術で批判するべきだろう。
それをオフトや加茂については肯定的な人間性を語り、
トルシエについては戦術批判(しかも誤った)を語る、
というのでは あまりにバランスが崩れてはいないだろうか。
もちろん戦術批判を繰り返せば、
そんな監督を選んだ協会はどうなのだと返されるのは自明だが。
Jリーグ発足からこの方、川淵の業績にわしは素直に頭を下げる。
幾つかの疑問、異論はもちろんあるが、
それでも日本のフットボールをここまで隆盛させたのは彼の力による処が大きいのは認める。
しかしだかたこそ、その彼がこのような発言や表現をする、
というのには落胆する以外にないのだ。
さあもうすぐワールドカップ、というこの時期に、
協会のトップの暗愚な部分を見せつけられたのでは
ダイヒョーに対し元々冷めているわしの目を更に冷めさせるだけである。
フランス大会、無責任な会長に呆れたのもあってダイヒョーを応援しなかったわしであるが、
果たしてそれは正しかった。
いろんな意味で。
今回わしはジーコを含めかなりの批判を行ってきたが、
それが間違いであったことを是非とも証明して欲しいものである。
ついでだが、国営放送であのようなスキャンダリズムレベルの番組作りはいかがなものか。
やはり金を払う必要はないと断じよう。