三度目のワールドカップに際して
6/8水曜の夜、ジーコ率いる日本代表はめでたくワールドカップ出場を決めた。
そのこと自体は素直に嬉しい。
出場枠が増えた事、基本的にホーム&アウェーになった事の恩恵に与っているに過ぎないにせよ、
予選敗退の憂き目をながらく見続けた者としてはそれでも嬉しいものである。
北朝鮮戦でタイムアップになった瞬間、やはり拍手してしまうのが本音の部分である。
ジョホールバルで初出場を決めた瞬間には 号泣していたわしであるがしかし、
今回は非常に冷めた気分であった。
フランスには自力出場し、自国開催では一次予選を突破し、
更にベースラインはレベルアップしているのだから、
敢えて言えば、当然の結果に過ぎないのだ。
ほっとした、そう感想を漏らした選手の気持ちはよく解る。
関門を義務とされるプレッシャーがいかほどのものか、
容易く想像できるが実際はその想像をも凌駕するだろう。
そのような代表への圧力を踏まえて更に苦言を呈そう。
わしはバーレーンに勝つまで五分の確率、 むしろ敗退濃厚としか言えなかった。
これまでの経過、歴史を踏まえた処に今の代表がないからだ。
ジーコには正に「神様」であるかの如くの幸運が付いていたこと、
根本的な問題は抱えたままではあるが個々の技術の向上があること、
これだけでここまでを戦ってきたのだから。
それでも勝てるのがアジアのレベル、なのである。
象徴しているのがヒデの言葉だろう。
「目標は出場することではない。 現時点の力ではワールドカップでは勝てない」と。
全くもってその通りである。
このバーレーン、北朝鮮の二ヶ国に二勝ずつを挙げたのも、
相手が弱いから勝てた、というのに過ぎない。
運も多分に加味された上で。
相対的にレベルが低いアジアを、余裕を持って勝ち抜くようでなければ
ワールドクラスの相手になる筈はない。
このままのチームでは絶対に勝てない。
いやチームと呼ぶには錬度が低すぎるが。
万が一、一次リーグ突破があり得るとすれば、
各大陸最弱のチームばかりが集まった組み合わせで
且つ日本は第一試合でコンディションのピークを作り、
更に「神」風が吹くという条件が必要になる。
要するに日本代表を中心に地球が回る、という条件が。
それを以てしてもベスト16が精一杯だろう。
この「現時点の力」で満足するわけには行かない。
日韓大会はトルコ戦のレポートにても書いたが、
わしはこの試合最大の敗因を目標設定の問題と捉えた。
ヒデの目標は更に上にある。
他の選手、監督、そして日本人が彼と同じ想いを抱けるか否か。
否であれば、フランス大会に続き三戦全敗という結果以外にはなかろう。
先に、技術の向上云々の際、「根本的な問題」と述べた。
日本をはじめ、アジアでは根本的な技術力が欠如しているのだ。
その技術とは、繰り返してはいるがボールを得るための動きである。
如何にポジションを取り、如何にボールを受けに行くかという動きであり、
その動きを把握して何処にどのようなパスを供給するか、という動きである。
いうなれば個人技の延長であり組織力の第一歩となる部分である。
個々が欠如しているからパス交換に余裕はなく、
余裕がないからトラップは安定せず、
トラップが甘いから狙われて更にパス交換に余裕が無くなる、
という悪循環が繰り返されるのである。
日本の中で最もこういう動きが巧いのはヒデか小野だと思うが、
彼らとて世界レベルとは比較にならない。
以前のレポートでこういう動きは特筆してきた。
TOYOTA CUPにおけるギジェルモの動きなど、その最たるものだ。
わずか数歩のステップとダッシュの繰り返しで瞬間的にフリーになってしまう動きである。
瞬間の余裕が安定したトラップを生み、次のプレイにもまた余裕ができる。
このような動きができる選手は残念ながら日本、いやアジアにはいない。
この点に於いて、アジアと世界の差は激し過ぎる。
この点こそ埋めるべき差なのである。
ではこの差をどのように埋めるべきか、が強化のポイントになってくるのは必然である。
長期的にはベースラインの強化、すなわち弱年時からの指導以外にはないのもまた必然である。
全然為されていないような気はするが。
それはともかくとして、短期的、正しくワールドカップの如く
一年後に結果を出さなければならないなどという場合にはどうすべきか。
ここは議論の分かれる処ではあろうが、わしはチーム戦術の徹底以外にないと思う。
誤解されたくないので一応言っておくが、北朝鮮が日本戦で得点を決めたような流れは
あくまでもシュートまでのシミュレーションにより形成された攻撃パターンであり戦術ではない。
しかしもっと微小な、せいぜい2、3プレイのパターンを積み重ねたらそれは戦術となるのだ。
極々プリミティヴな戦術を挙げればオフト時代の代表だろう。
あれはパス交換する相手を基本的に決めておき、 そのためにどう動くか、というものだった。
プリミティヴ故応用が利かなかったためあのような結果になってしまったが。
もう少し上の戦術を挙げればトルシエ時代である。
大会、試合ごとにボールを前に運ぶ動きのパターンを積み重ねていた。
ある大会ではボールを前後に往復させつつ前に進む動き、
またある大会ではロングボール+ポストで前に運ぶ動き、というように。
このような細かなパターンと応用を積み重ねていけば充分戦術となりうる。
そのような積み重ねを選手主導でできるかどうか、と問われれば、わしは否と答える。
土壌があまりにも貧しすぎるからだ。
そういう事を意識して育ってきた選手など皆無に等しかろうし、
仮にいたとしてその選手が周り全部にそれを伝える事は困難を極めるし、
伝えられることができたとして実践に至るまで必要な時間など代表に与えられるものではない。
従って外力としてボールを繋ぐ方法=戦術を指導しなければ代表として戦えるレベルにはなり得ないのだ。
基本が十分にあり、且つ基本戦術が定まっている強豪国であれば
選手の組み合わせを考えるだけでそれなりに、いや十分にチームが出来上がるのだが・・・。
長期的なスパンだけを採れば、このまま原石で戦うのも一興ではある。
世界との差を総意として自覚できるのであれば。
ただ、わしは何故未だ自覚できないのかが不思議である。
観るだけで判る差であるとわしは思う。
まあ語りが騙りに過ぎない現状では致し方ないのかも知れないが。
ということで騙りを叩く方向にシフトしてみよう。
と思ったけどコンフェデレーションズカップが開幕してしまい、
日本はメキシコに惨敗してしまった。
何が悪かったのかと言われれば全般としか言い様がない。
唯一得点シーンだけはいい展開だったが、これも全てスーパープレイの連続である。
いわば偶然性が強く、常にできる展開、プレイではない。
当たり前のようにゴール前までボールを運び、シュートを打てる内容を作らなければ 強いチームとは言えない。
他は惨憺たる内容である。
中盤での安易なパスミスはボールを受ける動きができていないからに他ならない。
この日中村の前方へのパスが止められ、そのまま反撃を食らうシーンなど飽きるほどに観られた。
中村のパス自体が読まれていて、しかも正確性に欠けたのも勿論あるが、
パスを受ける他の選手の動きも同レベルで批判されるべきである。
最もボールを受ける動きを意識していたのはヒデであろうが、
あのポジションでは相当に迷いが見られる。
ボランチが重要なポジションだからヒデ、というのは理解できなくもないが、
やはり最大に活きるポジションで使うべきだろう。
結果としてスピード技術共に劣る日本は戦術面でもまた劣ることになり、
必然的に全てに於いて劣勢を強いられた。
間延びしたFW-DFラインの間を行ったり来たりするようなMFラインでは
そこら中にパスコースとスペースが生じるのだ。
わしは最初の五分で負けると確信した。
先制してもなおそう思った。
中盤をあれほど支配されて且つカウンターが下手な日本に勝ち目など200%無いと思った。
ワールドカップで勝つつもりの戦術はまだ見えてこない。
残り二試合も惨敗だろう。
守備一辺倒セットプレイ命のギリシャにこそ、大量失点の可能性が高い。
とりあえずお願いなのだが。
応援しがいのあるチームを作ってくれ。
このままではドイツで全敗は免れない。
そんな代表をわしは代表とは呼びたくない。
また当面ダイヒョーと表記することとする。
話を戻そう。
北朝鮮戦翌日の自爆新聞である。
なんで購読しとんじゃろうかねえ、わし・・・
ま、引用の上つっこんでみましょう。
こういうのって書き易いから好き。
◆「ジーコ主義」2年半の軌跡
◇困難耐え、個性開花−−選手信じ、練習はシンプル
ジーコ監督はブラジル代表としてW杯に3回出場。
数多くの伝説を生んだ「サッカーの神様」ですら、
監督として初めて戦ったW杯予選は厳しい道のりだった。【小坂大】
名前を晒して脳細胞と知識の少なさを晒け出してます小坂大。
もうこれだけの文章でちょっとフットボールを知っていたらギャグですよ。
確かにクワトロ・デ・オロは伝説レベルと言えなくはないけど
優勝どころか二次リーグ敗退で、86年にはフランス戦でPK外すし。
まああのPK外しはある意味伝説ですけど。
むしろジーコにとってはワールドカップほど鬼門な大会はないんですよ。
クラブチームでは相当な実績を持っている選手でしたけど。
ワールドカップに選手として出場して決勝に出たことすらないし。
スタッフとして参加したフランス大会では0-3で負けだったし。
ジーコにとってはワールドカップそのものが厳しいものなんですよ。
日本の監督をしようがしまいが関係なくね。
ジーコ監督は日本サッカー強化の切り札として02年日韓大会後に就任。
日韓大会で日本はベスト16に進出したが、決勝トーナメント初戦でトルコに
自慢の組織力を封じられ敗退した。
ジーコ監督は個人技に磨きをかけることが期待された。
誰がほんなもん期待したんや(爆)
代表レベルの年代で個人技が簡単に伸びるんなら
ブラジルは永久にワールドカップで優勝できるわい、マジで。
更にもう、誰が自慢しとったんよ、02年大会の日本の組織力を。
歴代代表では最高の組織力であったのは間違いないけど、
外で自慢できるレベルではなかったわな。
自慢できるレベルならそうそう封じられるはずもないし。
トルコに負けたのはトルコが強かったから。
それに太刀打ちできるレベルに日本がなかったから。
それだけのこと。
まあこの辺でこいつの頭右半球が薄いのは見えてくるな。
02年10月、ジャマイカ戦で華々しく船出した。
中田英、中村、小野、稲本を中盤に並べた「黄金のカルテット」。
流れるようなパスから小野がゴール。
組織サッカーの束縛から解き放たれたように個性が光った。
ジーコ監督も「彼らの良さをつなぎ合わせれば勝てる」と自信満々だった。
だから黄金って言うな、恥ずかしいから。
で、流れるようなパスって組織の力じゃないんすかね。
組織の力は当然個人の力の付与もあるわけで、
組織力と個人能力が咬み合った「形」がフットボールの造形美なんですよ。
組織と個人は絶対相反さなければならないという左寄り脳の束縛の方がこの文章からは伝わってきます。
そんな訳無いですよね。
優れた組織には優れた個人が在る、
これって当然じゃないですか。
スポーツだけに留まらず。
まあ自爆新聞はどっちも能力がないからこんな記事が載るんだと思いますよ。
しかし、海外組の起用で壁にぶつかる。
国際サッカー連盟の規約では、クラブが選手を解放するのはW杯予選の場合は原則96時間前。
10時間を超える移動で疲れきり、連係を確認する時間も足りなかった。
だ〜か〜ら〜れ〜ん〜け〜い〜は〜
そ〜し〜き〜の〜き〜ほ〜ん〜じゃ〜(爆)
ちなみにこの問題、トルシエ時代にも当然あったんですけどね。
ヒデ、小野、稲本、川口とかは海外チームに在籍してたし。
こんなもん言い訳にならないんですよ、普通は。
いわゆる強豪国は最低限の戦術はできてるんですから。
ドイツもアルゼンチンもブラジルも、この20年ばかりやってる戦術には変わりがないんですよ。
日本の場合は基本戦術がないので先進国の考え方を当てはめるわけには行きませんが、
なら基本戦術を決めておいてそこにフィットできるかどうかで選考すればいい訳で。
つまりはこれで壁にぶつかるという表現、ジーコをけなしてることに他なりません。
戦術があるのかないのか、選考能力があるのかないのか、判らないと。
まあ少なくとも日本代表監督としてのジーコの能力にわしはいまだ懐疑的ではありますけどね。
海外組重視から国内組中心に切り替えたのは、03年冬の東アジア選手権。
持論である4バックを、国内組が慣れた3バックに変更した。
04年夏のアジア杯では国内組に中村だけを加えた布陣で連覇。
国内組が自信をつけたが、海外組との融合という課題は解決できないまま最終予選を迎えた。
これ、ただ単に中盤で守れないから中に三人置いただけだと思いますけど。
今時4バックを機能させようとすると両サイドバックとボランチに 異常な負担がかかるんですよ。
そりゃ世界レベルの選手がわんさかいる国ならできますけど。
もちろんチーム戦術を練り上げる時間も必要になるけど
クラブチームならいざ知らず時間に制限のある代表では物理的に無理です。
前回大会のブラジルでさえ3バックにしてるぐらいで。
世界レベルのサイドバック、ボランチを有するブラジルですら、ね。
それだけ選手のレベルと採用できるフォーメーションには密接な関係があるっていうだけのことです。
日本の場合、3バックが向いているというだけのこと。
それに気づかない監督には問題があると思いますけどね。
指導方法は極めてシンプルだった。
練習はミニゲーム、紅白戦、シュート練習の繰り返し。
いずれも個人技を磨く内容ばかりだ。
ジーコ監督は勝てば選手をほめ、負けても決して批判しない。
何があっても動じず、「責任は私が取る」と、ひたすら見守った。
選手たちは「勝つためには何が必要か」を話し合うようになった。
ミニゲームは組織力を高める練習です。
一般的には一つのプレイでボールに触る回数を制限したりして、
ドリブル無しでボールをキープする練習としても行われるものです。
細かく正確に表現すれば、通常の試合よりも狭いスペースにおいて
3〜4人という少ない人数で組織的な動きを練習しつつ、
その中で如何にトラップし、如何に素早く正確なパスを出すか、
という組織の中での個人技を磨く練習でもあります。
極端な例を挙げれば、ゾーンディフェンスという組織を完成させたACミランが
20メートルだか25メートルだかの四方に10人ずつが入るという
過酷なミニゲームを延々と続けていたのは有名な話です。
サッキ時代のACミランは史上最高の組織を有していたチームだと思いますが、
その最高の組織を作るにはフリット、ファンバステン、ライカールト、バレージ、マルディーニといった
最高の選手達が必要となっていたのです。
組織と個人が背反するものではなく必要十分条件となるという好例でしょう。
で、後段。
勝つために何が必要か、どうすべきか話もしない選手達っているんですか?
以前はしてなかったとでも?
バカの集まりだったんですか、代表は。
これ、絶対次元が違う話ですよね。
こういう話はどこでもあると思うんですけど、このダイヒョーを見るにつけ、
ごく基本的な決まり事から話をしてるんじゃないでしょうか。
ベースになるものがあって、そこからどうするかってんじゃなく。
言うなればコンセンサスがあってそれ以上を話し合うのか、
コンセンサス自体を話し合ってるのか。
どっちが褒められるべき状況か、考えるまでもないと思うんですけど。
Jリーグ開幕の2年前の91年、住友金属鹿島の選手として来日。
日本リーグ2部のチームをJリーグで優勝を争う鹿島アントラーズへと育て、
その後も日本サッカーの成長を見続けてきたからこその選手たちへの信頼であり、愛情だった。
1次予選のインド戦で停電のハプニング。
中国で開催された昨夏のアジア杯では、
日中関係を反映し、 地元観客からの激しいバッシングにさらされた。
そして今回の「無観客・第三国試合」。
さまざまなトラブルに見舞われてもチームは逆境に強かった。
国際経験を積んだ選手が増えたこともあるが、
ジーコ監督がブラジル人らしい大らかさで、チームに動揺を与えなかったのも大きかった。
ジーコの愛情は認めます。
しかし逆境に強かったというのは全くの間違い。
他の国が弱かった、これだけです。
要するに個人主義みたいだからジーコ大好き。って言いたいんですよね、小坂。
結構面白いな、この人のバカっぷり。
頭偏ったその加減は絶品ですよ。
いちいちティピカルな文章なんで嗤うしかありません。
でもね。
スポーツも含め観賞されるものに表面的な思想を乗っけることほど
無粋、いやグロテスクなものはないんですよ。
ジーコは素晴らしい選手でした。
指導者としてもクラブチームでは結果を残しました。
でも代表監督としては結果は出ていないし、経過には疑問が多々あります。
これがフラットな評価だと思うのですが、
そこにやれ個人主義だの組織は束縛だのとスポーツに関係のない思想が入り込むと
これほどまでに評価、文章が歪んでしまうんです。
結局事実として戦術の見えてこないジーコが賞賛され、
戦術をそれなりに作り上げ結果も残してきたトルシエが批判される、
というわしとしては訳の分からない状況が作られる訳です。
まあ自爆新聞さん、脳味噌バ〜ンは嗤って済ませられるからいいけど、
ほんとに爆弾バ〜ンしちゃダメですよ。いや真面目な話でね。
・・・・最後に一言。ダイヒョーはドイツで三連敗して帰って来ると思う・・・・・・(瀑)