まあ普通にわしのページ見てたらここまで来てるとは思うが(笑)
あんなもんで終わるくらいならわしはHP畳みますよ、マジで。
まあおちゃらけも含めてまだまだ続きますわ。
さて。
いよいよ本題である。
が、その前に(笑)
少し言っておきたいのだが。
甲斐よしひろに対する評でバンド解散以降
イヤでもというかもういい加減にして欲しいほど
まとわりついてくる言葉/文言がある。
「甲斐は変わった」という誹謗〜敢えて言い切る〜である。
確かに唄い方だのスタイルだのバンドだのソロだのユニットだの、
表層的な部分での変化は勿論ある。
それは認める。
しかしそれが甲斐よしひろというアーティスト/表現者を評するに妥当なものであるか。
否。断じて否である。
別にわしはギレンではないが。
少なくとも十分な批評とは言えない。
なぜ不十分と断じるかと問われれば解答は単純明快である。
表現と総じて呼ぶ以上、 「表現したいモノ」と「表現方法」を別々に、
むしろ一方を無視するかのように語るのは 所謂片手落ちと呼ぶべき所作であり、
その表現方法のみに拘りその奥に潜むモノを見よう、
探ろうとしない姿勢は知的怠慢以外の何ものでもないとわしは思う。
素直に「いい」と感じる感性も「表現されているもの」を探ろうという知性もなく、
果ては罵詈雑言を吐く愚劣性は唾棄するに余りある。
と、敢えて自分に対する戒めとしてこの文章を書いてみました。
いやマジでバカです。わし。
バカなのはわしだけじゃないけど
以前甲斐よしひろは「三回やらなければ解らない」と発言していたことがある。
だからこそこのシリーズはvol.3まであったのだろうが。
頭を下げたくなる言葉である。
わしはこのシリーズのレポをまとめてきたが、
その底流に流れるもの、正に甲斐よしひろ表現しようとしてきたもの、
おそらくそれは幾つもあるものだろうが、 その内の一つをvol.3を観るまで理解できず、
まして文章化もできなかった。
屁理屈こきと自称してきたのが恥ずかしくもある。
vol.2の時に掠めてはいたのがせめてもの救いだが・・・。
しかし今更恥を忍んでみようがれっきとしてこのHP上にレポは現存しているのだし、
理屈にもならない糞理屈(備後地方ではこうとも言う)を書いて
人目に晒してきた事実は 消し様がないのだからここは敢えて恥を晒してみることにする。
以前の「本題」とやらはこちらを参照されたい
しかも更に情けないことがあるのだが・・・・それは後にとっておこう。
まごうことなきバカ丸出しとだけは言っておこう。
まずはSet Listから。
1.電光石火BABY
2.レディ・イヴ
3.ハートをRock
4.渇いた街
5.風吹く街角
6.沖縄ベイブルース
7.満州娘
8.「祭りばやしがきこえる」のテーマ
9.八月の濡れた砂
10.そして僕は途方に暮れる
11.安奈
12.人生号〜Thank You
13.Love is No.1
14.激愛(パッション)
15.幻惑されて
16.絶対・愛
17.風の中の火のように
18.レイン
19.HERO
20.ラヴ ジャック
21.イエローキャブ
22.ミッドナイト プラス ワン
23.嵐の明日
終わった時に想ったのは、飛天のオープニングとの「≒」である。
当然「ポップコーン・・・・」はないが。
電光石火にレディ・イヴとくれば飛天レポで書いたように
出生/転生なのであるからなるほど乳児/幼児になって
なにせウチの子供もノリノリになる三連系のリズムへの傾倒は
このシリーズの前からも明らかなのだから原初に立ち返って、
いやさ原初に立ち返らなければ楽しめない
リズムを全面に打ち出したライヴをやったんだ
エロティシズムも言い換えれば本能的だから原初にある感情と言えるし
終盤の「愛」の唄連続も盲目的な部分で原初じゃし
翼2の中の曲が「少年的」であったり「大人的」であったりするのは
そんな部分を併せ持ち且つ成長を経て原初に立ち戻ったと考えられるし
「少年」「いい大人」ときて「赤子」で一回り
やっぱらせん階段じゃん飛天とも繋がったわほいいっちょ上がり♪
・・・・・・などと山賊の車上で考えつつ帰路に着いたのだが。
これだけでは全然足らないと今や臍を噛む思いである。
その基盤ともなるものが全く見えていなかった。
「Egoist」からの曲がない理由すらそこにあることにも。
それをここから書いてみるが、
その前にvol.1、vol.2のSet Listを。
vol.1
1.吟遊詩人の唄
2.カーテン
3.きんぽうげ
4.牙(タスク)
5.メモリーグラス
6.ダニーボーイに耳をふさいで
7.シネマクラブ
8.感触(タッチ)
9.男と女のいる舗道
10.東京の一夜
11.裏切りの街角
12.嵐の季節
13.氷のくちびる
14.ポップコーンをほおばって
15.翼あるもの
16.HERO
17.マドモアゼルブルース
18.ちんぴら
19.安奈
20.牙(タスク)
21.最後の夜汽車
vol.2
1.三つ数えろ
2.ブライトン ロック
3.フェアリー(完全犯罪)
4.暁の終列車
5.シーズン
6.ビューティフル エネルギー
7.BLUE LETTER
8.街灯
9.メガロポリス ノクターン
10.ナイト ウェイヴ
11.地下室のメロディー
12.港からやって来た女
13.ダイナマイトが150屯
14.漂泊者(アウトロー)
15.冷血(コールド ブラッド)
16.破れたハートを売り物に
17.HERO
18.安奈
19.観覧車’82
20.レイニー ドライヴ
21.ラヴ マイナス ゼロ
総じて、ではあるが、唄われている「俺」であったり「私」であったり
主人公とも云うべき者はvol.1から順に
「少年的」、「大人的」、「子供的」、となっている。
この辺りは全くもってわしの主観なので異論はあろうが。
ついでに言えば「子供」のニュアンスは「コドモ」と表すべきなのかもしれない。
しかし。ここまでは表層でしかない。
表現形態の違い、それだけの事である。
「〜的」な「何か」については構成部品として触れるに止まっていた。
ここに来て初めて気づき文章化するのもやや躊躇われるのだが。
「何か」とは何か。
ここに触れずばEgoistおよびこのHPのレゾンデートルは霧散する。
気づくのが遅すぎたが・・・・。
ざ、とのべ64曲を眺めて見た時。
重複している曲を噛みしめた時。
似たモチーフの曲を列べた時。
人間誰しもが持ちつつある者は小出しにまたある者は隠し通しする
「何か」が見えて来はしまいか。
結論を急ぐまい。
少し視線を変え、モチーフで比較してみよう。
まずはわしらしく、SEXをモチーフとした曲である。
1.カーテン きんぽうげ
2.ビューティフル エネルギー
3.幻惑されて ラヴジャック
これだけ見ればわしが云う「表現形態」もそんなに間違いはないと思えるだろう。
さすがにこれだけで終わるわけにも行かないので
次に「雨」をモチーフとした曲は。
1.メモリーグラス
2.レイニードライヴ
3.レイン
雨と来たら「嵐」は
1.嵐の季節
2.ラヴ マイナス ゼロ
3.嵐の明日(ミッドナイトプラスワン)
説得力を増したような気がするのはわしだけだろうか。
更に「反社会性」は。
1.吟遊詩人の唄
2.三つ数えろ
3.イエローキャブ
社会に適合できない者達の唄である。
まだまだ「街」もある。
1.裏切りの街角
2.街灯
3.渇いた街、風吹く街角
さすがにここまで来れば「Series」というツアータイトルに偽り無しと言えよう。
ここに挙げた1.や2.はともかく、3.が「子供的」というのには「?」かもしれない。
ただ、ここにある曲だけでも少し歌詩を思い起こして貰いたい。
全て根拠薄弱と言えはしないか。
何を根拠に、何を基盤にこのような言動、行動を採っているのだ、
と訊きたくなりはしないか。
先にも述べたような盲目性が見受けられはしないか。
このような行動様式は乳幼児的と言えはしないか。
ここに至り、わしは初めて気づいた。 恥ずかしながら。
乳幼児的な行動を言い換えてみれば、 本能的な衝動に基づく直情的な行動である。
これがvol.3のみで唄われているものかどうか。
そんな視点でもう一度vol1.および2.のSet Listを眺めた時。
もちろん甲斐よしひろがそのような唄を多く唄ってきたこともあるが、
ほぼ全てに本能的、衝動的なイメージを感じはしないだろうか。
ただ、Vol.1&2ではそれらに対し身構えたり客観的になろうとしたり、
所謂ポーズを取っているだけである。
つまりは、「Dreams」の一つの意味として、
衝動であるとか、
本能であるとか、
直情であるとか、
そのような言葉で表現されるべきモノが含まれているということではないのか。
と、考えてみれば。
アルバム「Egoist」からの曲が皆無である事にどれだけ説得力があるか。
断腸の思いで書いているのだが・・・・。
アルバム「Egoist」の完成度は高いと思う事に変わりはないが、
そこで唄われている収録曲は総じて子供的な心象に欠け、
且つ衝動的な部分もまた欠落している。
よく言えば「大人」の心象で「大人的」な客観性が強いのだが、
ともすればそれは情念の希薄を感じさせるものでもある。
「衝動」という言葉からは甲斐よしひろのアルバムの中で
もっともかけ離れたものとも言えよう。
従ってここからの曲が無いことも、正直残念なのだが、
必然と考えざるを得ない。
ここでまた気づいた。
わしが飛天のレポートで書いた文も思い出した。
「HERO」がどのような曲か、そこに書いているではないか。
「衝動」を唄ったものだ、と。
恥の上塗りとはこのことである。
自ら「衝動的」と書いておきながら三回目にして
ああだこうだ考えてやっとこさ出てきて初めて気づくのだから。
更には、年代別と言いながら敢えて演奏してきた曲が無意味な筈はない。
むしろKeyになりうる筈である。
こうしてそれぞれで演奏されたHEROを比較してみると。
vol.3に関しては記憶を辿る以外にないのだが。
思い込みの可能性が非常に高いのを承知で言うが、
そのイメージは先に述べたように「少年」「大人」「子供」である。
vol.3に関して言えば、もっともビートの効きが強く、
「理屈抜き」で躰を動かす音ではなかったか。
「衝動」を「衝動的」に表現し得た、といっても過言ではなかろう。
以上の如く、Series of Dreamsとは衝動(など)を
世代別的に表現しようとしたものではないかとわしは推測する。
ここまで来てやっと気づいたのが悔しくもあるが、
逆に嬉しくもある。
甲斐よしひろがその根底にあるモノを全く変えず、
大事に唄って来ていることが明らかになったのだから。
え?「HERO」がそうならもう一つKeyと呼ぶべき曲がある?
・・・・それは皆さんへの宿題と言うことで(^^;