2006年 ワールドカップ ドイツ大会 -2-
15.ベスト16 ブラジル-ガーナ戦 16.ベスト8の反省と今後の展望 17.こういう手合い多いんだろなあなマスゴミ批判
18.準々決勝 ドイツ-アルゼンチン戦 19.準々決勝 ブラジル-フランス戦 20.ヒデ引退によせて
21.準決勝 ドイツ-イタリア戦 22.準決勝 フランス-ポルトガル戦 23.珍説 ブラジル敗退その理由
内容的にはブラジルの圧勝である。
本気になっていないにも関わらず、ガーナの攻守全てを受け止め、 3-0で勝つのがブラジルである。
まるでプロレスでも観ているかのような強さである。
ブラジルについて殊更に書く必要はないだろう。
高いDFラインの欠陥(←それでも使ってみる)をつき先制、
素晴らしいリズムの緩急をつけた攻撃で副審をも欺き二点目、
2.5列目からの飛び出しで駄目押し、
守備においてはほぼ自由に持たせ最終ラインのみを崩されないようにしていただけである。
そう、またしても体力はしっかり温存されている。
なおかつ悪質なファウルを犯さないよう意識していた。
これは特筆すべきだろう。 試合中の会場の雰囲気からも解るが、
今回はドイツでの開催、 すなわちアウェーでの開催なのであり、
ちょっとしたことでも警告や退場をくらう可能性は高いのである。
わしがブラジルの優勝はないと断言できるのは そういった
「心持ち偏ったレフェリング」でも 十分にブラジルにはダメージが与えられるからである。
わしが思う以上にブラジル代表は懸念しているのだろう。
警告を重ね退場者まで出したガーナとは好対照である。
まあガーナの場合はそうまでしないと止められないという 致し方無さは認めざるを得ないが。
ちなみに2点目のアドリアーノは完全にオフサイドである。
ただし副審の位置が最終ラインより遅れて下がっていたため、
アドリアーノがオフサイドに見えなかったのか、 判断できないから旗を上げなかったのかは判らないが、
いずれにしろミスジャッジであることに変わりはない。
ただしあのリズムとスピードに付いて行ける審判というのもそうはいないだろう。
それができるくらいならアスリートとして十分通用できる、 それほど巧く緩急をつけていた。
完敗ではあったが、ガーナも素晴らしかった。
これがこのレポの本題である。
これがなければこの試合のレポなど書く必要はない。
ブラジルは強い、これ以上なんの文章も必要なかろう。
わしはガーナのフットボールに強く感銘を受けた。
素晴らしいチームであった。
グループEが混戦となり、結果チェコが消えたのも道理である。
どれほどガーナが素晴らしかったか、日本ダイヒョーと比較するのが適当だろう。
比較されるのが自国であるのいうのは哀しいことなのだが、
同じ三点差でありながらその内容は比べものにならない。
比べものにならない内容を比較するというのは日本語としてどうだろうかちょっと気になるがそれはまあよかろう。
誰でも判る違いはDFラインの高さだ。
先制されたにもかかわらず高い位置を保ち続けたガーナのDFラインと、
完膚無きまでに叩きのめされたオーストラリア戦を経ても
性懲りもなくズルズルと下がり続ける日本のとでは明らかな差がある。
これには幾つかの効果があった。
まず攻撃に於いては数的有利を保ち易く、オーバーラップなどフォローもかけ易い事。
速い縦パスに走り込むことも多かったが、 時間を掛けても次々とフォローが現れ、
ブラジル陣内でパスを回すことが可能だった。
残念ながら流れの中で決定機には至らなかったが、 チャンスの芽は相当に作っていた。
ブラジル陣内でパスを回すことは更なる効果を生んだ。
自陣内でブラジルにキープされるとどうなるかは、
オーストラリア戦のレポを参照されたい。
オーストラリアは失点後自陣でボールを回される事でみるみる消耗し、
攻めも守りも満足にできるものではなかった。
対してガーナは危険を承知でラインを高く保ち、
これにより自陣内でのブラジルのボールキープは難しくなり、
従ってボールを無理に追いかける必要はなく、無駄な消耗を防ぐことができた。
だから運動量は多少落ちたものの、最後まで走り通すことが可能だったのだ。
守備に関しては狡猾な動きによりロナウドには得点され、
何度かオフサイド崩しに遭う羽目にはなったものの、
ゴール近くでパスを回されDFをボロボロに崩されるという事はなかった。
DFを崩されての失点するのと、裏に縦一本で失点するのとでは
その消耗度といい精神的ショックといい大きく差がある。
「為す術がない」と「しょうがない」の差である。
ガーナは失点を覚悟していたのだろう。
失点後も戦術を変更することなく堂々と渡り合おうとしていた。
更にもう一つ、前回更新したコラムの内容とかぶるがフォアチェックが徹底できる事である。
むしろかけざるを得ない、というのが正確な処だろうが、
ガーナの各選手は勇猛果敢に個人技では比類するものの無いブラジルに
フォアチェックをかけ何度もボールを奪っていたばかりでなく、
フォアチェックをかけた選手と連動して後ろの選手がポジション取りを行い、
パスコースを限定することで先を読み、インターセプトも相当数あった。
ロナウジーニョと競り合って奪うのと転がってくるボールを奪うのと、
どちらが楽か考える必要はあるまい。
一対一でボールを奪うより、 インターセプトする方が体力的にも精神的にも楽なのである。
これも最後まで走り抜いた要因と言えよう。
こうしてみると、同じ三点差でありながら、
日本とガーナの間には埋めるべくもない差があることがお解りいただけるだろうか。
ガーナは自分達の戦術を信じ、自分達自身を信じ、勇気を持ってブラジルに挑んだ。
日本は戦術もなく、信じるものは何もなく、怯えきって後ずさりするだけだった。
ガーナは美しく戦っていた。
アフリカのチームだから、獅子の如く、とでも言えば良かろうか。
誇り高く気高き代表チームであった。
敗れて肩を落とす事など無い。
胸を張って凱旋すれば良いのだ。
ブラジルを相手に持てる力を出し切っての敗戦なのである。
恥ずべき事など何も無い。
ブラジルの多くの選手達はユニフォーム交換を申し出、敬意を表していた。
対して日本の選手で交換してもらえたのは、何人いたか。
ヒデと川口と・・・・あと誰かいたか?
ブラジルは日本戦などロナウドのシュート練習と記録達成のため、 そのぐらいにしか考えてないだろう。
もれなく勝ち点3が付いてくる消化試合に過ぎなかったのだ。
おまけ。
何故今になってそんないいフットボールをするっっっ(瀑o瀑)<おふらんす
いやほんと、スペインが足も手も(フットボールだから逆)出なかったという内容なんじゃが・・・
ドイツ○ エクアドル×→イングランド
アルゼンチン○ オランダ×→ポルトガル
イタリア○ ブラジル○
ウクライナ○ スペイン×→フランス
以上の結果でした。
オランダは外しましたね。
内紛があっただのどうのと言ってますが、 あれだけ試合が荒れることなんか誰も予想できませんて(^^;
他は希望的見解そのものだったのでまあそんなものかと。
いきなりフランスが一次リーグとは別のチームになって来るとはでしたが。
この辺の切り替えの速さはやはり優勝経験国、というところでしょうか。
さて次はベスト8ですが、わしなりに考える見所を。
ドイツ-アルゼンチン
これに尽きます。 「サイドから切り崩した方が勝つ」
守備戦術に違いはありますが、どちらも中央を絞って
サイドに相手の攻撃を散らすフットボールでここまで勝ち上がってきています。
そのサイドから如何に中央へボールを供給できるか、
これがこの試合のポイントになるでしょう。
ドイツは前の試合で中央の攻撃を印象づけていますから、
これがフェイントになってシュナイダー/シュバインシュタイガーを活かす事ができれば、ですね。
ちなみにPKになったらわしは迷わずアルゼンチンを推します。
アルゼンチンのGK、アボンダンシエリはPKのスペシャリストです。
イングランド-ポルトガル
好き嫌いでポルトガルの勝ち。
フィゴ頑張れ。
イタリア-ウクライナ
イタリアDFの負傷、出場停止がどこまで響くか。
イタリアの守備であればさほど影響はないでしょうが、 シェフチェンコが前を向いてボールを持ったら、
控え程度のメンバーで抑えきれるかどうか、これが鍵となるでしょう。
ブラジル-フランス
わしの心待ちにしていた乱打線は観られません(瀑)
ブラジルがどこまで本気になるか、これが勝敗を分けるでしょう。
ブラジルが前回のベスト8、イングランド戦のように手を抜くとフランスが勝ちます。
スペイン戦ではそれぐらいいいフットボールをしてました。
四分六の四でフランス、六でブラジルとしときましょう。
ふと見かけた週刊誌。
某外車メーカーみたいな名前の。
たぶん腐るほどいるんだろうな、と思う手合い。
つーか歯槽が、いや思想が腐ってるけど。
タカハシゲンイチロウさんである。
別にこの人だけではなかろうが、見かけたので。
要旨は、なんだかワールドカップで盛り上がってるけど タカハシさんは野球世代だから
よく解らない でも嫌いじゃないんだよむしろ好きだよロナウジーニョは凄いしね
それでもワールドカップはナショナリズムが見える 疑似戦争だから嫌いだよ、
もっと自由にもっと個を大切に、ということだ。
偏った思想が滲み付いちゃったんだね、と同情してしまう。
フットボールもワールドカップも知らないなら書かねば良いのに、と呆れてしまう。
どうしてすぐ自由とか個性とか、ワールドカップ批判として出てくるのか全く意味不明である。
曰く、亡命して国籍が無い選手はどうするのだ、 そういう選手を集めて国連代表でもいいじゃないか、だそうだ。
で、誰がそんなチームを観たいと思うのだ?
まあニッポンの進歩的文化人な人々は応援するのだろうが。
自国の代表が弱くてワールドカップに出られなかった悲劇の名選手など幾らでもいる。
古くはジョージ・ベスト、近年ではジョージ・ウエアがその代表例だし、
あのシェフチェンコも危うくその仲間入りをするところだったのだ。
国の代表として予選を勝ち上がって初めて出場権が得られるのである。
国連代表のチームを作ったとして、どこの予選から出てくるのだ?
大前提として各国の協会に所属する選手=所属費を支払っている選手でなければ 出場できないのだが、
国もない選手はどこの協会に所属費を支払うのだ?
全くくだらない、何の益にもならない提言である。
ここだけでもフットボールが、ワールドカップが解ってないのは丸判りである。
国を代表して戦っている、この意味では確かに疑似戦争ではあるが、 だからこそみな応援するのではないか。
まあ日本ダイヒョーに関してはわしらを代表してると思えないのでわしは応援しなかったが。
戦争反対は思想として認めても良いが、疑似戦争がダメなら全ての優劣を付ける広義の競争を
全部否定する事にもなるのだが。
まさかフットボールはダメで野球は良い、とはいくらタカハシさんでも言わないだろう。
言うかもしれないが。
ワールドカップそのもの、また会場で応援、観戦する人々の行動、
それらがナショナリズムに基づく処は大いにある。
排他的、急進的ナショナリズムも一部にあるのは認める。
しかしこの人が全く解っておらず、自己矛盾を来してるなあ、
まあ要するにバカだなあと思うのは、 一見、ナショナリズムに反対の立場を取っているようで、
その実賛成であると述べているに等しい処である。
どういう意味かは以下を読んでいただこう。
フットボールの質で言えば、これは以前からも言っている事だが、
クラブチームのレベルの方が余程高いのは事実である。
チームとしての練習に費やす時間がクラブチームと代表チームでは雲泥の差なのである。
どちらがチームとして錬成されるか考えるまでもない。
しかもビッグクラブであれば各国の代表レベルの選手を取り揃えている。
従ってフットボールの質だけを観るのであれば、
ワールドカップより各国のリーグを観る方が面白いし、
国別対抗に拘ってもヨーロッパチャンピオンズカップやリベルタドーレスカップのような
各国代表のクラブチームの戦いの方が面白いに決まってる。
では何故ワールドカップがそれらクラブチームの戦いよりも盛り上がり、大規模になるのか。
ナショナリズムのせい、とでもタカハシさんは思ってるのだろう。
疑似戦争だから皆熱が入るのだ、とでも。
表層だけを見れば解らなくもない。
確かに皆自国の旗を振り、ユニフォームを着込み、 自国の代表を熱く応援している様は戦争に類似であり、
ナショナリズムに酔ってると見る向きも確かにあろう。
だがその根底が全く見えていない。
フットボールが解っていないから、その底にあるものも見えないのだ。
タカハシさんはナショナリズムそのものを否定する立場だろうから、
わしの言う「根底」などどうでもいいのかもしれない。
しかしこの「根底」を無視することは排他主義に他ならない。
そして排他主義はナショナリズムと表裏一体である。
その意味でタカハシさんは自己矛盾に陥っている、と指摘するのだ。
何故ならば各国代表のやっているフットボールはその国、その民族の国民性や民族性を如実に顕わしているからである。
ドイツ代表にはドイツの民族性が現れるし、 フランス代表にはフランスの民族性が現れる。
ガーナも、韓国も、アメリカもそうだ。
スペインなどその最たるものだ。
突っ走るだけ突っ走って転ぶ様は、失礼ではあろうがスペインの国柄そのものではないか。
もちろん迷走するだけの日本もそうだ。
戦術や戦略も当然民族性を反映したものとなる、それが代表チームなのだ。
だからこそ国、民族の代表として認められるのであり、 また更に皆熱を帯びて血眼になって応援するのである。
先の「国連代表」がなんと無意味無価値な提言であることか。
以前「おらが村のチーム」について述べたこともあるが、
その延長線上の最たるものが代表チーム、なのである。
従ってワールドカップに現れるナショナリズムを否定する事は 民族性の発露を否定する事と同義であり、
この事こそ排他主義に他ならないのだ。
タカハシさんは自分も含めて民族性を全て排斥する主義だから排他主義じゃないよ、
とでも言うかもしれないが、そんな屁理屈が通るかどうか考えるまでもあるまい。
わしがタカハシさんを批判する意味がこれでお解りいただけるだろう。
まあこの偏り脳味噌腐り系は小坂大を筆頭にいくらでもいるのだろうが、
なにを得意げにバカ面晒してるのかわしには不思議な人々でもある。
知らないことは知らない、それで良いのではないか。
知らない癖に知った顔で論理をすり替えて講釈垂れて、 自分の思想の浅薄さをひけらかすのだから
そのバカさ加減の深遠さは想像を絶するものがある。
最後に。「サッカーの試合が元で戦争になった」ってしたり顔してるけど、
あんなもん開戦の言い訳に過ぎないってみんな知ってることなんだよ、タカハシさん。
さて前述の通り、わしはサイドからの攻撃がこの試合の鍵になると書いた。
ドイツは中央の三人、クローゼ、ポドルスキー、バラックを囮にするのでは、と。
果たして試合開始から20分頃まで、ドイツは中央にボールを集めていた。
シュナイダーがサイドを駆け上がっていても無視してボールを中央に出す念の入れようで。
アーリークロスはあるものの、サイドからの縦、またはゴールに向けての 突破は全く観られなかった。
アーリークロスからバラックに合わせるも不発。
そんな難しい球はクローゼでも枠に入れられるかどうか。
20分を過ぎて、ボールの動きに変化が出始めた。
ハーフウェイライン過ぎから迷わず中央に送っていたボールを サイドで一旦貯める。
逆サイドへの展開か。
ところが、アルゼンチンはサイドにもしっかり目を配っており、
ボカ・ジュニオールズとACミランの試合の様にサイドへの 走り込みを許す体勢ではなかった。
いつもなら簡単に作り上げるサイドチェンジの展開をアルゼンチンは防いでいた。
中央から人数を裂いてでも逆サイドに張る余裕。
アルゼンチンの守備には自信が漲っていた。
対してアルゼンチンの攻撃は、先発させたテベスにボールを預け、
彼に個人技でチャンスメイクさせようとする腹づもりであった。
セルビア・モンテネグロ戦で見せた華麗なパスワークはない。
当然である。
負けても取り返しのつくグループ・リーグと Knock out 方式のトーナメントで同じ戦い方をする強国がある訳がない。
最低限の人数で、テベス、リケルメ、クレスポ、ソリンまたはマキシ・ロドリゲス、
この四人で なんとか点取れればラッキー的な攻撃である。
このような展開は何処かで観たような気もするが、 興味のある人は探してみられるが良い。
クラブチーム同士の戦いである。
ただしその時ほどリケルメはチャンスを作り出していないが。
鍔迫り合いが続くまま前半は終わる。
後半、いきなり試合が動いた。
CKに合わせたのはアルゼンチンの守護神、アジャラだった。
わしは彼の評価はもっと高くなければと思っている。
21世紀のアルゼンチンを支えているのは彼の守備である。
ベンゲルはアルゼンチンの守備、ゾーンとマンツーを使い分ける守備、 を、絶賛していたが、
その守備の要こそはアジャラである。
ベースは4-4-2でありながら実質3-5-2でもあり、
場合によって三人の守備ラインはどこかの協会のトップが蛇蝎のように嫌い
どこかの国の国営放送では欠陥品と称されるフラットな形をも取りうる、
非常に流動的且つ有機的なディフェンスラインであり、
そのラインを統率するのがアジャラなのである。
その彼が、ラームの守備はもう一つではあったが得点を決めたのである。
正直わしは嬉しかった。
彼のような選手はもっと日の目を見なければならない。
失点により前がかりになるドイツ。
しかし一点を奪ってからのアルゼンチンの切れ味鋭いカウンターは ブラジルに勝るとも劣らないレベルである。
従って人数を避けないドイツのジレンマ。
セーフティマージンを取りつつなんとかゴールに近づこうという展開。
その中で事故が起きた。
アルゼンチンのGK、アボンダンシエリの負傷退場。
あの痛み方からすれば、実況通り内臓系の損傷が考えられる。
位置からすると、腎臓か。
いずれにしろ無理は選手生命どころか生命そのものに関わる。
やむなく交代。
わしはこの瞬間、PKになったらドイツがまず勝つと確信した。
まだドイツは追い付いてさえなかったが、
過去のワールドカップでPK無敗とはいえ PKストップのスペシャリストを欠いたアウェーのアルゼンチンと、
ホームでしかもPKで敗退のないドイツである。
印象だけで言えば、アルゼンチンはGKのストップにより勝ち、
ドイツは入れて勝つ、というPKの戦い方である。
90年の準決勝、イングランド戦でのPK戦で、ドイツは皆が全力で蹴り込んで
名手シルトンに全て読まれながらも全てゴールに入れて決勝に進んでいるのである。
こうなれば後はドイツが追いつくか、アルゼンチンがかわすか、である。
ペケルマンはかわしに入った。
独りでもチャンスを作り出すリケルメを換え、カンビアッソに。
難しい選択だった。 守備に絡まないリケルメを交代するのは守備堅めとして当然だが、
逆に突き放すチャンスは半減することになる。
テベス頑張れ、に陥ってしまうのではないか。
そこで中盤省略でも機会を作れるかとクレスポからクルスに交代。
この交代は理に適っている。
逆にドイツは抑えられたサイドを打開すべくシュナイダーをオドンコルに、
シュバインシュタイガーをボロウスキーに交代。
結果的にはこれが功を奏した。
中央に寄るボロウスキーのおかげで左サイドに流れたバラックがそのボロウスキーに合わせ、
ボロウスキーが頭で流したボールをクローゼがダイビングヘッド。
ここまで足だけで得点を重ねてきたヘディングシュートの名手が本領を発揮。
鮮やかな同点ゴールだった。
そのクローゼをノイビルに換えても膠着状態は続いた。
鍔迫り合いが続くまま、延長まで終了。
PK戦になった。
わしとしては本当に不思議なのだが、
自分でプレイしていて「取れる」と確信できて実際に止めたことは一度しかないのだが、
傍目八目というのかどうか、この日も「入らない」と思えてそれが当たってしまった。
奇しくも解説の反町氏は「試合中に得点した選手に限って」等と曰っていたのだが、
それとは関係なく、アルゼンチンの守備の要、アジャラの表情を見た瞬間に確信していた。
「あ、入らん」と。
カンビアッソも同様である。
スポットに向かう表情で、判った。
かくしてドイツは準決勝へと駒を進めることになった。
ドイツのPK無敗は続くこととなった。
ホームの利、と言われればそうなのだろうが、
この日の主審は公平に、且つ冷静に裁いていた。
アルゼンチンの選手の一部は「公平でない」、と述べていたが わしの目からは公平だった。
同じレベルの反則に対しては同じように笛を吹いていたと思う。
多分、決勝はこの主審、スロバキアのミヘル氏であろう。
公平でなかったのはまた別に書くのだが。
なによりこの試合に関し声を大にしたいのは、バラックについて、である。
膝に両手を当て、辛うじて立っている程の状態で、
時には治療のためゲームから離れながらも最後まで戦い続けた。
痛めてからでも、同点ゴールをお膳立てして。
わしは同点の時から必死でプレイを続けるバラックを観る度に目頭を熱くした。
PK二番手で出てきた時には涙が溢れてどうしようもなかった。
ネットにボールが刺さった瞬間にはもう号泣である。
如何に交代三枠を使い切ったとはいえ、
如何に自国開催であるからとはいえ、
如何に「旧東ドイツ希望の星」であるとはいえ。
そこまで背負うなよ、それがわしの本音だった。
ここで無理して選手生命に影響でもしたら、と思わずにはいられなかった。
彼は、それでも、最後まで立ち続けた。
ドイツ代表として、キャプテンとして、旧東ドイツの希望として。
この大会のMVPとして、彼以上にふさわしい人間はいない。
まだ四試合が残っているが、彼自身にゴールはなく、 アシストすら1に過ぎないが、それでも断言する。
彼以上に美しく誇り高き選手がこの大会にいるかどうか、考えるまでもない。
わしはこの試合を観て思った。 ドイツこそこの大会の勝者であると。
優勝するかどうかは判らない。
仮に四位に終わったとしても、勝者はドイツである。
彼ら以上に観る者に感動と勇気を与えたチームは存在しないだろう。
どのチームが優勝しようと、この大会はドイツの大会であったと記憶されるに違いないと。
さてブラジルにとっては正念場である。
トーナメントに入り豹変したフランスとの ヨーロッパでの戦いである。
わしは展望にてブラジルが本気にならなければ フランスの勝ちは十分にあると書いた。
果たしてどうなるか。
キックオフと同時にプレスをかけるブラジル。
しかしどこかに甘さを残したプレス。
危ない、わしは思った。
対してフランスはフォアチェックから最終ラインまで、
常に数的優位を得られるように丁寧な守備。
マケレレの存在が大きい。
DFラインに入り込み5バックにしてみたり、 あるいは中盤でのパスをインターセプトと
臨機応変に且つ的確にピンチの芽を摘んでゆく。
奪った後のパスも秀逸である。
いきなりチャンスを作るパスは少ないが、 フランスの攻撃のリズムは彼が作っていた。
ジダンをコンダクターと称するのは誤りである。
マケレレこそがコンダクターである。
これによりブラジルは自分達のリズムを刻めない。
ボールキープし、自分達のリズムになっても奪われればすぐフランスのリズムである。
20分が経過し、ブラジルがプレスを弱めた。
これではまずい。
いくら残りがこの試合を含めて三試合あるとはいえ、
このフランスに数的優位を保ち続けられるのは危険である。
ブラジルの守備も集中して守ってはいるが、お世辞にもブラジルの守備は堅いとは言えないのだ。
徐々にフランスが攻勢になりつつ、後半を終えた。
ブラジルがリズムを掴むために再度プレスをかけ、
ボールを奪って自分達のリズムを奏でようとするのか。
であればブラジルに勝機はある。
しかしそれがなければ、フランスの優位は高まって行くはずだ。
わしは後半開始の動きを注視した。
ブラジルはやや前のめりではあるが、激しいプレスをかけなかった。
対してフランスは飛ばしてきた。
これでは・・・・
後半開始早々のフリーキックにビエラ。
幸いにも枠を外す。
ブラジルもフランス陣内に攻め込むが決定機は作れない。
フランスの守りは堅い。
最終ラインではmen to manを徹底している。
フランスの攻撃に勢いが出てきたところで、
ブラジルのペナルティエリアから右斜め前方のフリーキック。
ジダンがセット。
ジダンの動きに合わせフランスの選手達は一様にゴール左前方からゴール右に向かって走り始める。
ブラジル守備陣も合わせて走る。
しかし一人違う動きをする選手がいた。
先程の一様は嘘である。
一人だけゴールに向かい垂直に動く選手がいたのである。
組織だったフェイントが完遂された時、ブラジルのゴールネットは揺れた。
アンリである。
丁寧なインサイドのボレーはジダの手を掠めもせずゴールネットに突き刺さった。
ブラジルは追いつこうと攻勢を強めるが、フランスの我慢強い守備に決定機は作れない。
本来ならあるはずのパスワークも見られない。
焦りか。
個人に頼った攻撃が目につく。
しかし中央に入っても二対一、三対一では如何にロナウドといえども、である。
ジュニーニョ・ペルナンブカーノをアドリアーノに、
カフーをシシーニヨに、カカをロビーニョに漸次交代させ更に攻撃的になる。
わしはジュニーニョ・ペルナンブカーノの交代には異論がある。
彼にミドルをもっと打たせる展開に持ち込むべきではなかったか。
フランスのGK、バルテズは反応は速いがキャッチはさほど巧くはない。
ジュニーニョ・ペルナンブカーノのミドルであれば零す可能性は相当にあった。
終了間際にブラジルはフランスゴール前で何度かチャンスを作るが、
ロビーニョのシュートは枠を外し、ロナウジーニョのフリーキックも枠を外した。
何より「入る」と思わせる展開、流れはなかった。
わしの不安は的中した。
ブラジルはその実力の半分程度を見せただけでドイツから姿を消した。
逆にフランスはここで持てる実力を存分に発揮した。
スペイン、ブラジルの攻撃的チームを相手に無失点で勝ち抜いたのである。
一抹の寂しさは残るが、フランスがこの二試合を完全に支配していたのは事実であり、 当然の帰結ではあった。
ただ、一言付け加えたい。
この主審が果たして公平であったかどうか。
ドイツ-アルゼンチン戦ではアルゼンチンの選手は不公平だと述べていたが、 わしが観る限り公平だった。
ジャッジの基準に揺らぎがあったとは見えなかった。
決勝の笛は多分このスロバキアのミヘル氏だろう。
それほどのレフェリングではあった。
しかしこの試合の主審は、フランスに傾いたジャッジをしていたように思う。
非常に微妙な判定ではあるが、その微妙なさじ加減が フランスのペースを生む一つの要素にはなっていた。
無論フランスのフットボールは素晴らしかった。
そのようなさじ加減が無くても十分勝っていただろう。
ブラジルの選手は終わっても異議を唱えるでもなく、淡々とピッチを後にした。
判りきっていることであり、それでも勝たなければならないのがセレソンなのだろう。
でもやはり釈然としないものが残ってしまう。
判りきっていることであり、予想されたことでもある。
当然、いや、必然ですらある。
だがこれではあの青い旗の意味はなかろうに・・・・
ドイツのMF、フリンクスに関するニュースを待っていたら、
突然飛び込んできた中田英寿引退の文字。
わずかその二十分ほど前に発表されたということだった。
意外といえば意外であるし、必然といえば必然でもあった。
驚きつつも頷く、そんな感じだった。
彼が何を想ったのかは想像の域を出ない。
無論理由など一つではないだろう。
彼の胸の内は、彼にしか解るまい。
いや、彼自身解っているかどうか。
これは決して血迷っているという意味ではなく、
「もう(少なくともプロとして)プレイできない」という判断に
「これこれこういう理由で」という枕が彼自身つけられないだろう、 そういう意味だ。
もしそんなものがあるのなら、理路整然とした語り口の彼である。
必ず言葉にするだろう。
そんな彼が言葉にしない以上、その言葉がないのだ、とわしは思う。
技術的、肉体的、精神的、理由などいくらでもある筈だ。
それら数多の理由を総合して、引退という結論に達したのだろう。
引退自体について、想う処は山ほどあるが、わしがとやかく言うことでは無かろう。
ただ彼には労いと感謝の念を捧げるだけである。
わしが残念に想い、また腹立たしいのは、日韓大会以後、彼が彼の最も得意とするポジション、
そして彼が最も活きる筈のポジションで使われることがなかった事である。
所属チームでも、代表でも。
わしが最後までジーコを認めなかったのはこの点にもある。
他にも山ほどあるが。 彼の好きなポジションをさせておけ、という意味ではない。
わしは現在の日本において、いやアジア全部を含めても、 1.5列目では最高の選手だと思う。
わしはどうしても守備の観点から選手を観るのだが、 彼以上に相手守備陣に恐怖を与える選手はアジアにはいない。
パスのことばかりが何故か騒がれるが、彼の最高の持ち味は
1.5列目からゴール前に割り込む時に発揮されていた。
発揮される筈だった。
過去形、仮定形でしかこの四年間が語れないのが至極残念なのだ。
逆にボランチではせいぜい並みの選手だったと思う。
自分の得意とするポジションではないのに、 チームの中心にいなければならず、
また マスゴミの矢面にも立ち続けばならなかった苦悩も計り知れないが。
わしは一人のファンとして、彼が得意なポジションでプレイするのを観たかった。
彼の輝きを観たかった。
この四年間のヒデの姿は、十年ほど前のカズの姿にダブって仕方がなかった。
これはカズが引退することがあれば(爆)、また必ず書くことにもなるので 省略して述べるが、
あの時のカズも自分が最も活きるプレイ以外のものを要求されていた。
ジーコジャパンは個性重視などとバカどもが持ち上げているが笑止千万だ。
あの頃のカズのように、ヒデはその輝きを全くと言っていいほど失っていたではないか。
チームの中にヒデの個性は完全に埋没していたではないか。
ヒデに失礼な言い方になるのを承知で敢えて言うが、 ヒデがダイヒョーに関して発してきた言葉、
チームメイトに対する叱咤、 それらは全てヒデの個が滅せられようとする際の苦悩の叫び、断末魔の喘ぎではなかったか。
そうではなかったと信じたいが・・・・・
ともあれ、彼は引退を表明した。
本音ではもっとヒデのプレイを観たい。
先ほどは物わかり良さげに書いたのだが・・・・
願わくば彼のようなプレイヤー、
フットボールが楽しく美しいものであることを表現できるプレイヤーが育たんことを。
開始早々イタリアは激しくプレスをかける。
ここまでの五試合、一試合として楽な試合のなかったイタリアである。
もちろんそこそこに手を抜いては来ているが。
そのプレスにドイツはやや気圧されたように見える。
こちらは省エネフットボールの権化であり、 且つベスト8のアルゼンチンを除きさほどの強国とは対戦していない。
激しい中盤での攻防が続く。
ドイツはこれまでよりも更に激しくインターセプトをかける。
イタリアはスルーパスを裏に通そうとするが浅いラインに引っかかるか、
読まれてインターセプトでチャンスを作れない。
ドイツはじわじわとパスを回すがゴール前まではなかなかボールを送れない。
クローゼとポドルスキーのパス交換がもう一つ噛み合えば、というシーンは作るが。
延々鍔迫り合いの様相を呈したまま、前半が終わる。
後半に入り、今度はドイツが攻勢を仕掛ける。
今大会のクローゼは足元が非常に強い。
懐深くキープしつつ前を向く動きが素晴らしい。
DF裏に抜け出る。
ブフォンが飛び出し、一瞬早くボールを押さえた。
その5分後にはポドルスキーが反転しシュート。
イタリアDFはニアサイドを切りに来ていたが、
そのニアサイドに向かった豪快なシュート。
GKの逆を突くシュートではあったが、いかんせんコースが高すぎた。
低く抑えられていれば、あるいはゴールだったかもしれない。
後半30分、クリンスマンが動いた。
ボロウスキーをシュバインシュタイガーへ。
しかし彼からのチャンスらしいチャンスは生まれない。
途中出場の難しさか或いは若さか、また或いはクリンスマンの指示不足か。
ボールを持ってから考える、という事が多かったのではないか。
後のオドンコルもそうなのだが、二人とも明確な攻撃意図が見えず、
また周りもそれを活かそうという動きにかけていたと思う。
対してイタリアはトニをジラルディーノへ。
この試合トニの持ち味は消されていた。
ジラルディーノの投入により、イタリアは裏を狙うことを徹底したと思う。
この徹底の有無が勝敗を分けたように思う。
82分、不可解な判定により得られたフリーキックをバラックが外した。
ファウルを取るには厳しすぎる判定で、もしファウルであればPKであったのに、
ペナルティエリア外を主審は示す。
全体としてクリーンな展開ではあったが、ファウルの判定にはかなりの偏りが見られた。
その最たるものがこれだろう。
これがホームの利、でもあるのだが。
後半終了近くにペロッタの飛び出し。
レーマンもカーンを押さえてレギュラーになるだけの選手である。
わしにはかなりの余裕をもった対応に見えた。
難なくセーブ。
後半が終わった。
延長に入りイタリアはイアキンタを投入。
更に裏を狙う意図が丸見えである。
いきなりジラルディーノが仕掛ける。
ゴールライン際から鮮やかな切り返し。
レーマンのニアサイドを擦り抜けたボールはポストに跳ね返る。
直後のコーナーキックのこぼれ球にザンブロッタ。
これはバーに嫌われる。
運もドイツに味方しているのか。
その割には延長前半終了間際、ポドルスキーのヘディングはゴールから遠く逸れた。
どちらにも運がない、ここまではそんな展開だった。
延長後半に入ると両チームとも脚が動かなくなりつつある。
交代で出てきた選手がどう働くかが鍵になった。
イタリアはイアキンタを裏に走らせる。
ドイツはオドンコルの縦、シュバインシュタイガーのサイドからゴールへの動き。
先にも述べたが、イタリアは「裏」と目的がはっきりしていたが、
ドイツは目的が曖昧であり、オドンコルの縦への動きはポジション取りだけで対応されてしまった。
10分を残しクローゼをノイビルへ。
これも目的が曖昧だった。
ドイツに攻撃の意志は認められるが意図が認められない。
ドイツの勝機はPKのみになったように思えた。
終了までもう少し、となってイタリアのCK。
こぼれた所にピルロ。
右サイドのグロッソに。
ドイツは二枚のディフェンスがニアサイドを切る。
グロッソはインサイドでボールに回転をかけ、レーマンの読みと守備範囲を回り込んでゴールへ。
正にここしかないシュート。
素晴らしいゴールだ。
ドイツは一点を返すべくパワープレイを狙い、メツェルダーを前線に置くが、
簡単にカウンターを取られ、アレッサンドロ・デルピエーロのゴールで幕を閉じた。
どちらもいいチームであった事に変わりはない。
守備力、攻撃力とも充実していた。
どちらが勝ってもおかしくはないゲームであった。
しかし、差はあった。
個人能力において、平均的にはトラップ、パスの精度ではイタリアが上だった。
ゲームを支配するための動き、プレス、これもイタリアが上だった。
更に攻撃の意図、これもイタリアの方が明確だった。
裏狙いの単調な攻撃ではあったが、単調な分明確に意思統一ができたのではないか。
ドイツは裏を狙うでもなし、アーリークロスを狙うでもなし、 いかにも場当たり的な攻撃が多すぎた。
フリンクスの不在、バラックの故障の影響もあるのだろうが。
総じて言えば、攻撃とゲーム=ペース支配の意図が明確だっただけ、 イタリアに分があったように思う。
ドイツは守備の意図は明確であり、ラインディフェンスの欠陥(←最後にします)を突かれながらも
その利点を最大限には活かしていた。
不慣れな筈のラインディフェンスだが、十分に機能していたと思う。
もちろんドイツ得意のフォアチェックにはゾーンで守るラインディフェンスの方が向いているのだが。
これについてはまた総評として書くことにする。
しかし、攻撃とゲーム=ペース支配という点においては曖昧さがあった。
その曖昧さが攻撃の詰めを甘くし、結局無得点に終わったような気がしてならない。
わしとしてはドイツを応援していただけに残念である。
ただ、ドイツには若い選手が多い。
次回大会には大半が代表として残り、活躍するだろう。
クローゼが三位決定戦で得点を取れば、わずか一大会でロナウドの記録を塗り替えてしまうかもしれない。
楽しみは続くのだ。
羨ましい。
一次リーグで恵まれた組み合わせだった両チームである。
フランスはその利益を最大限に享受してはいたが、
トーナメントで スペイン、ブラジルと当たることになった。
トーナメントに入りチームは豹変。
戦略として準々決勝でイタリアと当たるよりはブラジルで当たる方が良い、
リーグ戦は二位で良い、そういう判断があったとしても不思議はない。
ブラジルは前回大会、準々決勝でも手を抜いてイングランドを下している。
準々決勝で当たるのなら、イタリアよりもブラジルを選ぶ方が正解だろう。
憶測にしか過ぎないが、トーナメントに入ってからのフランスの戦いぶりであれば、 強ち間違った考えでもないと思う。
正直フランスがここまで強いとわしは思っていなかった。
地区予選、一次リーグとは全く別のチームである。
攻撃力だけなら1、2を争うスペインとブラジルを相手に失ったのは PKによる1点だけ、という守備力なのだ。
しかしメンバーの割に攻撃力はさほどでもない。
アンリやリベリーの個人技に任せてる、
そんな雰囲気だ。
対してポルトガルはトーナメントに入りオランダ、イングランドと凄絶な戦いを経て 準決勝まで進んできた。
スリートップ気味の攻撃的な布陣だが、こちらもそれぞれの個性が噛み合っていない印象を受ける。
フィゴ、パウレタ、クリスチアーノ・ロナウドの三人はそれぞれの特徴を有し、 且つ得点能力も相当に高い。
他のチームの似たようなスタイルの選手と比較してもそれぞれトップクラスである。
フィゴなら比較されるのはシュバインシュタイガー、ホアキンであろうし、
パウレタならジラルディーノ、クレスポであろうし、
クリスチアーノ・ロナウドならフェルナンド・トーレスやアンリということになろうか。
全く遜色のない豪華な三人である。
しかしこの組み合わせがどうかと言われると、答えに窮してしまう。
シュバインシュタイガーにはクローゼがいて、
ジラルディーノにはトティがいて、
アンリにはジダンがいるような組み合わせではないのだ。
最高の三人の組み合わせであるにも関わらず、最高のFW陣とはなり得ないのだ。
フットボールとは実に有機的なものなのである。
前置きばかりになってしまった。 試合に入っていこう。
開始早々フランスはいきなり仕掛ける。
前日のイタリアのようにゲームを支配することを目論んだのだろう。
しかしポルトガルは慌てず騒がず、自分達のリズムを保つ。
懐深くキープできるフィゴの存在はこういう時に大きい。
フィゴがキープしている内にポルトガルのリズムになるのだ。
クリスチアーノ・ロナウドが左サイドからゴール方向に向かう。
サニョルは当然待ち。
men to manの徹底である。
お互いに守備が堅いだけに中盤での攻防が続く。
デコのミドルを弾くバルテズ。
わしはどうもこのバルテズが好きではない。
反応はピカイチ速いのだが、キャッチが巧くない。
天は二物を与えずと言うが、これでキャッチが巧ければトップ3に入る実力ではあるのだが。
雑な攻撃にはなるのかも知れないが、ミドルからこぼれ球を狙う、
という 泥臭い攻撃を仕掛ければ案外フランスの守備は崩れるのではないだろうか。
ミドルを警戒させれば守備も前に出ざるを得なくなり、men to manに隙も生まれるのではないか。
もちろんそれぞれのチームにスタイルや美学はあろうから、
「そんな美しくない得点はいらない」等といわれればそれまでなのだが。
わしは準々決勝のブラジルがジュニーニョ・ペルナンブカーノが 先発した理由の第一はこれだと思っていたのだが・・・・
話が逸れた。
前日の試合同様に鍔迫り合いが続いたまま30分が過ぎた。
パスを受けたアンリがペナルティエリアに進入する。 切り返しに滑り込むカルバーリョ。
遅れて伸ばした左足に絡むアンリ。
情状酌量の余地無しでPKだ。
ジダンが蹴る。
リカウドの手を掠め、ゴールネットが揺れた。
ここから延々チャンスらしいチャンスが生まれない。
シュートはあるものの、体勢不十分プレッシャー十分なものばかりだ。
両チームとも守備は堅い。
フィゴのクロスの精度が低いのが気になった。
あのぐらいのプレッシャーでも正確に合わせる事ができる選手だったのだが。
疲労の蓄積か、ファーサイドに流れるクロスがやたらと目についた。
後半15分頃からスコラーリが動く。
攻撃的に交代を続ける。
じわり、とポルトガルがゴールに近づく気配が見える。
フランスは頑なに最後の一線を越えさせない。
後半32分、クリスチアーノ・ロナウドのFK。
ドライヴをかけ揺れ落ちるボール。
ファンブル。
キャッチするのは難しいボールだ。
小坂大なら軌道を捕らえキャッチ出来るのだろうが。
に、してももう少し巧くボールをさばけないかバルテズ(^^;
跳ね上がったボールに走り込むフィゴ。
ヘディング。 ゴールネットが揺れた。
バーを超えたボールが、ネットの上に乗る。
ポルトガル最大のチャンスだった。
諦めず必死のポルトガル。
攻撃の手管がいくらでもある、というのはやはり強みだ。
疲労もあるのだろうが、フランスのDFがバランスを崩していた。
ロスタイムに入り、フィゴのパスに走り込むヌノ・バレンテが左足でクロス。
ゴール前をゴールから遠ざかりながら横切った。
ボールの回転が逆であれば、誰かが走り込めていたなら。
まだ終わらない。
フランスの守備に最後の最後で穴が開いた。
フランス陣内深くでボールがこぼれた。
ワンタッチでクリスチアーノ・ロナウドが走り出す。
ラインまで戻り切れていなかった。
笛。
脚を止めるクリスチアーノ・ロナウドとボールに飛び込むバルテズ。
タイムアップ。
レアルでともに戦ったジダンとフィゴがユニフォームを交換する。
裸のまま抱き合う二人。
誤解を恐れず言えば、これもまた美しいシーンであった。
後一試合で一人は代表を去り、一人はピッチから去る、その二人の抱擁だった。
さて巷ではブラジルが優勝候補の筆頭と騒がれていたが、
その本領を発揮することもなく準々決勝で姿を消すに至った。
わしはジャッジに足を引っ張られて勝つに勝ちきれず敗退と予想していたが、
それどころかフランスに惨敗してしまうという結果に終わった。
強すぎるブラジルの最大の弱点が露呈したと言えよう。
常に優勝を視野に入れ大会に臨むからには戦略と戦術が必要となる。
戦略を大まかに言えば、どこでどの敵と当たり、どこにコンディションの照準を合わせるか、
そのためにどう戦っていくか、ということになろう。
戦術は守備、攻撃戦術はもちろん必要となるが、
同じくらい必要になるのが体力の消耗を避けるための戦術である。
ブラジルで言えばオーストラリア戦の高い位置でのボールキープがそれに当たろう。
全く以て見事と言うしかない戦術だった。
しつこいようだが戦略と戦術の双方を強豪は兼ね備えているのだ。
そして、それらに加え運が加わった時、ワールドカップでの優勝という栄誉に輝くのだ。
ブラジルがフランスに敗れたのは戦略の差だったろう。
ブラジルは照準を準決勝に置いた。
フランスは準々決勝に置いた。
その差が明暗を分けたように思う。
先にも書いたが、フランスは敢えて二位でグループを抜けたのかもしれない。
準々決勝でブラジルを下すために。
穿ち過ぎかもしれないが。
さて、これでは珍説でもなんでもない、当然の論述である。
ここからが本論である。
言っておくが暴論であり、戯れ言であり他意はない。
批判は批判としてちゃんとまとめる。
先に「運が加わった時」と書いた。
わしはこの点でもブラジルの優勝はなかったと思う。
何故か。
それは以前のマスゴミ批判文を参照されたい。
そう、ジーコの存在である。
クラブチームではコパ・リベルタドーレスおよびTOYOTA CUPを制し世界一の栄誉にも輝いた選手であり、
ブラジル代表においても一時代を築いた名選手であるが、不思議なほどワールドカップには縁がない。
ワールドカップに勝利の女神がいるとして、
ジーコは女神のタイプでないか、むしろ嫌いなタイプに違いない。
生涯三度しか外していないPKの内一回は86年大会のフランス戦のことであるし、
82年のクワトロ・デ・オロはイタリアに足を掬われ、
スタッフとして参加した98年大会では決勝で惨敗だし、
枚挙に暇がないとはこの事である。
そして今回、ジーコは日本ダイヒョーの監督としてワールドカップに参加した。
あろうことか日本とブラジルは同じグループになってしまった。
ロナウドの記録更新のためには日本戦があるのは良かったが、彼らの目標は優勝である。
その優勝を目指す所でワールドカップに運のないジーコと 同じピッチに立たなければならなかったのだ。
ジーコがドイツにいるだけでも十分ゲンクソ悪いのに、 対戦までしなければならないのだ。
これを不運不幸と呼ばずして何と呼ぶ。
なにせ足掛け28年に渡る不勝神話なのである。
哀れブラジルはその負のパワーに取り巻かれてしまった。
オーストラリア戦で見せたボールキープを控えていたのも、
日本ダイヒョーにまとわりつくジーコの疫病神パワーを避けて後に下がっていたのかもしれないが、
避けようにも避けられない凄まじいまでのパワーの蔓延であった。
ジーコの負のパワーはピッチ、いや会場全体を包み込んでいたに違いない。
ここにおいてブラジルは運に見放された。
いやむしろ不運に取り憑かれたと言うべきか。
この時点でブラジルの敗退は決まってしまったのだ。
ブラジル本国では敗退の戦犯探しにやっきになっているというが、
それはカフーでもロベルト・カルロスでもロナウドでもない。
神様ジーコその人に他ならなかったのだ。
ジーコは、神は神でも疫病神だったのだ。
次回大会からジーコは国内に蟄居させられることになるだろう。
そうすればブラジルの優勝は決定的である。
準決勝第二試合と同時更新でこれかいとお叱りがあるかもしれませんが。
繰り返しますが他意の全くない、ただの戯れ言ですので。
わしは常々言っているのだが、ワールドカップで面白いのは準決勝と三位決定戦である。
強国は準決勝にコンディションの焦点を合わせてくる。
本大会に関してはこれはまた総評で述べる守備戦術の徹底により 延長、PK戦が多く、
予定通りのコンディショニングを行えたチームはなかったが。
更にチームとしての錬成度もここが頂点となる事、
また決勝での出場停止を避けるためクリーンな試合内容になる事、
これらの観点から大会中最も内容の良いゲームが期待されるのである。
三位決定戦はスコラーリも述べていたが、
ゲーム、勝利に対するモチベーションが難しく、 激しい試合とは成り難い。
強国にとって優勝しない限り栄誉はないのだから、意味合い自体がエキシビジョンである。
しかも7試合目であり体力的にはきついのだから、そこで無理をして走れという方が酷である。
しかしこれにより反則は減りクリーンな内容になるだけではなく、
攻撃的な試合展開となり、ベスト4に残ったチームの攻撃力が 最大限に発揮される試合ともなるのだ。
もちろん決勝のようなヒリヒリした緊張感は三位決定戦では味わえないのだが。
更にもう一つ、ワールドカップで唯一友好的雰囲気が味わえる試合でもある。
この試合でも、後半開始直前まで談笑し何度も抱き合い、
握手を交わす スコラーリとクリンスマンの姿が見られた。
試合後も両チーム揃って記念撮影である(じょかぼーど参照のこと(笑))
疲労困憊の選手達には申し訳ないが、わしは三位決定戦は絶対に続けるべきだと思っている。
こういう雰囲気の試合をワールドカップの冠の下で見せるのは、絶対に必要だと思う。
特に、未来を担う子供達にこそ、これを見せたい。
ここにある素晴らしさを知って欲しいのだ。
両チームともキャプテン不在である。
ドイツのバラック、ポルトガルのフィゴともに控えである。
バラックはポロシャツ姿。もう無理なのだろう。
怪我で一戦目を欠場、準々決勝では脚を何度も止めながら戦い続けたのだ。
観たい気持ちはもちろんあるが、わしはそこまで酷ではない。
ドイツ人も、いや旧東ドイツの人々も、そうだったろう。
ドイツは12番を背負ったカーンが先発。
キャプテンマークを巻いている。
カーンほどキャプテンマークが似合う選手はいない。
わしの中ではドゥンガとカーンが双璧である。
両チームとも準決勝のようなフォアチェックはない。
それでもどこかのダイヒョーよりはよほどチェックしているのだが。
従ってボールは前に運びやすくはなっているのだが、
最後の一線は越えさせないようなディフェンス。
クローゼもほとんどボールに触れない。
クリスチアーノ・ロナウドは深い位置で前を向くが、 切れ込もうとしてもDFラインに止められる。
中盤をルーズにしても、やはり攻守揃ったチームである。
DFラインもさることながら、その前のボランチがいい。
マニシェ、フリンクスのバランスを保つポジショニングは素晴らしい。
4強にはそれぞれ素晴らしいボランチがいるが、それぞれタイプが違うのが面白い。
走り回るガットゥーゾ、リズム感に優れたマケレレ、 スキルに優れたマニシェ、剛胆なフリンクス。
まあわしのイメージなのだが。
イエローもではしたが、悪質なファウルもなく前半終了。
まだ拮抗は破られていない。
後半、ややドイツが前に出る。
前線に当てられなければサイドから。
シュナイダーも相当疲れが見えるが、懸命に走っている。
シュバインシュタイガーは元気だ。
一戦休ませてもらったのが良かったか。
この日はプレスキックのキッカーはほとんどシュバインシュタイガーだった。
サイドで前を向いたシュバインシュタイガーが切れ込む。
優秀なサイドアタッカーはまずゴールを向く。
というよりもゴールを目指さなければサイド「アタッカー」とは言えない。
ホアキン、フィゴ、そしてこのシュバインシュタイガー。
ましてこの日はバラックが不在であったため、より攻撃的になっていた。
ドリブルで持ち込み、DFが寄ってきた右サイドにミドル。
リカウドはDFのワンサイドカットを信じ右にステップした瞬間だった。
コースは甘いが、例によって小坂大なら取れるシュート。
ワンサイドの逆を突き、揺れ落ちるシュートではリカウドもどうしようもなかったろう。
必死に伸ばす左腕を擦り抜けるようにネットに刺さる。
その数分後、こんどは鋭いクロスを左サイドから。
ペチの右足に当たりオウンゴール。
そして最後はファーサイドに狙い澄ましてゴール。
ドイツの得点シーンはシュバインシュタイガーの独壇場だった。
クローゼに点を取らせたいところではあったろうが、 それを見逃すポルトガルでもなかったろう。
ここから順にドイツはメンバー交代。
立て役者に拍手を送るため、クローゼ、ポドルスキー、シュバインシュタイガーを交代。
本来ならここにバラックがいる筈なのだが。
わしは思うのだが、三位決定戦だけでも五人交代できるようにしてはどうか。
そうすればバラックもシュナイダーもこの栄誉を受けることが出来たのだ。
日本ではこの文化がなく、去年のシドニーFCのカズ交代は逆にブーイングで
交代を変更せざるを得なくなってしまったが、普遍的にそのゲーム、大会の立て役者には
交代時のスタンディングオベーションで報いるものである。
ワールドカップという舞台ではなかなかそういう事はできないのだ。
全くのエキシビジョンになってしまうので多分却下というか議論の机上にも乗るまいが、
こういうシーンを演出できるのも三位決定戦ならでは、なのだ。
ポルトガルはフィゴを投入。
そのフィゴから美しいゴールが生まれた。
フィゴの凄さはドイツと対峙すると如実に顕れる。
寄れば抜かれ、離れればクロスである。
従ってDFはどっち付かずを余儀なくされるのだ。
これが守備にとって一番イヤな状態なのだ。
それはドイツのような守備戦術の最大の弱点でもある。
もちろんファウル覚悟でマークすれば話は違うのだが、
三位決定戦でそこまで激しいプレイをする筈もない。
ニュートラルにならざるを得ないDFの真横を擦り抜け、
カーンの目前も擦り抜ける鋭いクロス。
ダイビングヘッドでカーンの右。
カーンであろうが誰だろうが取れるシュートではない。
何も考えずとにかく飛んでいなければ取れるものではない。
美しいゴールだった。
タイムアップ。
抱き合うカーンとフィゴ。
お互い代表からは身を引く事になるのだろう。
屈託のない笑顔が並ぶ。
試合が終わり、険の取れた表情を皆が見せる。
やはり三位決定戦は常に素晴らしいのだ。
正直にいえばあまり興味を湧かせる試合ではなかった。
ジダン最後の試合でなければ観なかったかもしれない。
イタリアは変節したとは言われるがやはり守備重視のチームであるし、
フランスは輪をかけて守備的なチームだ。
しかも両者とも引いて守るタイプであり、中盤での鬩ぎ合いも期待薄である。
決勝の緊張感だけが観るべきポイントになりうるかどうか。
開始早々アンリが脳震盪を起こす。
そのままプレイを続けさせるが、大丈夫だろうか不安になる。
このアクシデントでイタリアの緊張が途切れたのか、
マルーダがイタリア陣内へドリブルへ仕掛ける。
転倒。
わしの目では、スロー再生で観ても限りなくシミュレーションに近く見えるのだが、
主審は迷わずペナルティスポットを指す。
いきなりのPKである。
ドイツ大会の決勝はPKから始まる習わしなのか、と皮肉でも言いたくなる。
ジダンは冷静に上を狙う。
先に飛ぶタイプのブフォンだからか。
バーに当たったボールは一旦ゴールラインを割っていた。
フランスの先制。
イタリアはこれで地に足が着いたか、じわじわとフランス陣内に攻め込む。
コーナーキックはピルロ。
一度は防いだフランスだったが、二度目にはマテラッツィがテュラムに競り勝ち頭一つ抜け出しヘッド。
鋭くネットを揺らした。
ここからしばらく膠着状態に入る。
フランスはまだフォアチェックをかけるものの、イタリアは完全に引いてしまっているような印象。
しかしフランスとてボランチより後ろは引き目であり、
イタリアのカウンターに警戒したままである。
前と後ろの距離が伸びると当然展開も間延びしたものとなる。
フランスはアンリ、リベリー、マルーダが個人技でペナルティエリアに入り込もうとするが、
このレベルの試合において個人技だけで得点がそうそう狙えるはずもない。
イタリアは裏を狙えず、パス交換も密集したフランスDFの網に掛かる。
そうすると残るはセットプレイになる。
イタリアにはセットプレイでの狙い所がいくらでもある。
前半終了近く、コーナーキックがトニの頭に合う。
バーを叩いた。
これが入っていればまだましな展開になったのか。
後半に入ってさらに間延びした守備的な展開が続く。
早くも疲れが見え始めている。リベリーやアンリの速い動きにフランス攻撃陣は付いていかない。
クロスをあげようにも誰もいない、そんな展開が目につく。
58分にはフランスのボランチの一角、ビエラが故障、交代。
イタリアは一気に二枚交代。
デロッソとイアキンタの投入。
トティに躍動感が見られず、交代も致し方あるまい。
直後にフリーキック。
トニが抜け出し、合わせるが副審は立ち止まり旗を挙げる。
抜け出し過ぎていた。
展開はさらに間延びする。 セットプレイ頼みか、延長PKか。
ピルロのFKがゴール右を抜け、延長の気配が強くなる。
デルピエーロもこの膠着状態を脱するには至らない。
延長に入る。
間延びしたままだが、若いリベリーはまだ走る。
ペナルティエリアに進入するが、シュートはヒットせず。
延長前半終了間際、この試合唯一の流れからのゴールかと思わせる瞬間。
サニョルにボールを預けたジダンがゴール前へ。
サニョルからのピンポイントでのクロス。
叩きつけられない。
ブフォンはフィスティングで逃れた。
延長後半に入り、散発的な打ち合いのまま。
マテラッツィが横たわる。
VTR。
マテラッツィの胸にジダンのヘディング。
ずっと掴まれストレスが溜まっていたのか、 何事か言い合う内に余程の事を言われたのか。
いずれにしろ、レッドカードは免れない行為だ。
非常に残念な形で現役を終えることになった。
フランスはこれでより守りに傾倒する。
トレゼゲ、ヴィルトールの投入もさほどの効果はない。
タイムアップ。
PKになれば、後は気持ちを維持する以外にない。
皆ナーバスな顔つきになっているが、 その中で最も落ち尽きなく、自信を無くしていたのが、トレゼゲだった。
この試合二本目のバーを叩くPK。
今度はゴールラインより前に落ちた。
イタリアはデルピエーロの落ち着きが素晴らしい。
最も落ち着いていた。
そして、ドイツを奈落に突き落とした男、グロッソ。
彼も相当に落ち着いていた。
イタリア優勝である。
奇しくも90年イタリア大会ではドイツ優勝、イタリア三位だったが、
06年ドイツ大会ではイタリア優勝、ドイツ三位という結果であった。
正直に言って、内容は予想通りだった。
これは日程的な問題もあるのだが、やはりトーナメントに入ってからの日程は体力的に辛すぎる。
体力に余裕を持たせるとブラジルの強さに歯止めが利かないからだろうかと 余分な憶測までしてしまいたくなる。
今回もまた前回大会に続いて猛暑が悪影響を及ぼした。
準決勝に進んだ4チームは既に消耗していた。
決勝までになると、更に消耗は度合いを増していた。
守備的なチーム同士が決勝となると、このような内容になってしまうのである。
せめて準決勝から決勝まで、中五日取れるようにしたら
もっとスペクタクルな内容になる可能性がある両チームだけに残念である。
例えばブラジル戦のフランスのパフォーマンスであれば。
ドイツ戦のイタリアのそれであれば。
もっと内容の濃い試合になったに違いない。
が、これは判りきっていることであり、 変わることなどほぼあり得ない理想論だ。
ここで日程を緩めればクラブチームへの影響は必至である。
その結果更に過酷な日程で各リーグ、トーナメントを戦わなければならなくなるのだから。
それは選手も許さないし、クラブチームは更に許さない。
ワールドカップの在り様を根底から覆さなければ解決され得ない問題点なのである。
それにしても決勝の二チームはディフェンシヴに過ぎた。
フランスは準々決勝ではフォアチェックを徹底し、全面を支配したが、
その後は自ら揶揄、否定した筈の「引いて守る」フットボールに陥っていた。
98年大会で対戦したパラグアイを扱き下ろした癖に、やっていることは同じmen to manである。
イタリアはフランスほど引かないものの十分すぎるほど守備に人数を裂いた。
攻撃は両チームともカウンターとセットプレイ頼みである。
両チームの総得点がどうなっているか、それはまた総評で述べることにするが。
両チームに違いがあるとすれば、組織で攻めようとしていたか、 個人で攻めようとしていたかの違いしかない。
前者はイタリアで、後者はフランスだ。
その差がPK戦の結果に顕れたような気がしてならない。
決勝とはこのようなものなのだが、 前回大会のように未来を見せる試合でなかったことは確かだ。
それもまた、総評で述べることとする。
なんぼ書くつもりじゃ<総評>自分