スクロールバーを見て

首を傾げた人は

正直にBBSで自白すること。

もちろん「戻る」ボタンを押した人もな。

 

 

 

 

 

 

 

 

終わるもんか、あれで(爆)

 

 

さて。

本題に入ろう。

前回vol.1では「少年・甲斐」を表現したのではないか、と書いた。

その次に来るものは「青年」であるし、

79〜86という期間の甲斐よしひろ自身の年齢も青年というにふさわしい。

ならば今回は「青年・甲斐」となるのが至極真っ当な話の進め方、である。

なるほど全編に仕事を持っており、

結婚もしたり 車に乗っていたり青年らしき像がそこには確かにある。

 

とは、わしは想わない

 

正確に言えば、ある意味では確かにその通りだと思う。

年齢的には「青年」と呼ばれるべきものを唄っているのだから。

しかし、「青年」という字面や曲中にあるプロットだけで

このvol.2が顕わされるとは到底思えない。

「三つ数えろ」の如き幾分ノイローゼ気味な曲に始まり、

「冷血」の如き衝動そのものを唄う曲もある。

「青年」という言葉でこれらの曲を用いた意味は語れない。

衝動、狂気、情念、悲哀。

ある種ネガティヴな言葉で表されるものが

全て、と逢えて言おう、に含まれているのだ。

 

「ビューティフル・エネルギー」のみ、明るいSexの唄であり

ネガティヴな印象はないという指摘は当然あろう。

だが、考えてもみて欲しい。

あんな爽やかなSexなど、あり得るものかどうか。

わしは断言しても良い。

あんなSex、絶対に気持ちいい筈がないと。

ついでに、そんなSexを求めるヤツと友達には絶対になれないし、

そんなSexを求める女性とは寝ない。たぶん。

 

そう。 その裏にあるのは「嘘」であり、

「無意味な理想」である。

 

では、vol.1との、「少年」との違いは何か。

先のレポートにてもちらと触れたがお気づきだろうか。

「他者の眼で自分を視る」視点、である。

情念の固まりのような「港からやって来た女」ですら、

馬車馬のように 髪を 振り乱しながら

愛せるだけ 愛して 疲れちまった

などとちゃんと自分を視ているのである。

他の曲がどうか、暇な人は検証してみて欲しい。

 

全編に「自分を視る自分」が確かにあるとわしは想う。

その視点、即ち客観性というものを持ち得た者が、

浮かび上がって来はしまいか。

 

「大人」に条件があるとすれば、

「客観性」はその中に確実に含まれる筈だ。

そして衝動や狂気、情念などはどうか。

これらは逆に含まれてはならない筈だ。

自分はもちろん、愛する人をすら、客観的に眺める視点を持ち、

尚且つ暗部を抱えたまま、それを肯定する者。

敢えて言えば「大人になりきれない大人」ということになるのだろうか。

これを一言で表現する言葉はわしのボキャブラリーの中にはない。

 

 

いや、そうでもないな。

わしのいう意味での、「いい大人」という言葉がある。

単語、ではないが。

 

今回のSeries of Dreams vol.2では。

「いい大人」を表現しているとここでは断じておこう。

 

さて次は何時演って、どのような内容になるのだろうか。

期待は膨らむばかり、である。

 

 

 

 

蛇足。

次の時期、1990年入りますよね?

てことは「Egoist」発表の年も含まれるんですよね?

もうわしの言いたいことはお解りですよねみなさん?

 

 

演ってくれ〜〜〜〜〜っっっっっ(地面に額を擦り付けてお願い)

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